ニューロ・クラッシャー/橘 梨花
亀野あゆみ
第1話 ワルガキ狩り
表通りから暗い路地に入ったとたん、体中から汗が噴き出た。陽が落ちて、大通りには涼しい風も吹いてるけど、行き止まりの路地には真昼の暑さがいすわって、風呂場みたいだ。くそ、あたしの大嫌いな夏、それも、ど真ん中だ。
ねっとりした空気の中を、汗臭くて動物臭い、イヤなにおいが流れてくる。目が暗がりに慣れてくると、路地の奥で人影が動いているのがわかった。声変わり中のガキが立てるガラガラ声が聞えてきた
「お、やっぱ、いいケツしてるじゃん」
「つうか、こいつ、思ったより、胸デカくね?」
「見てるよか、早く脱がせて、実測した方が早いべ」
「おう、さくっといこうぜ」
ガラガラ声の後ろから、ひくひく、しゃくりあげるような泣き声が聞こえる。間違いない、クラスメートの楓だ。
楓とあたしは、あたしたちの縄張りのDVDレンタルショップでも、ネットでも手に入らない古い映画を探しに、駅前のDVDレンタルショップに遠征してきてた。そしたら、あたしが店員と話してる間にに、楓はワルガキどもに捕まって連れ出され、この路地に引きずりこまれてた。
だから、楓に、タンクトップにショートパンツなんて、やめろと言ったんだ。 楓は、まだ12歳のくせして、胸も腰も20代なみに発達してる。脚はすらりと長くて、女のあたしも「すげぇ」と思う。だから、素敵な誰かさんに見つけてもらいたくて露出したいのは、わからなくはない。
だけど、世間を歩いてりゃ、いやらしいオヤジもいれば、盛りのついたワルガキもいる。そして、見て欲しい人が見つける前に、見て欲しくない連中に見られることの方が多かったりすんだ。
つまり、あぶねぇんだよ。あたしは、楓にそう言ってやった。だけど、楓は、「あたし、他に自慢するものないし」とか、つまんねぇこと言って、「あたしって、イケてるでしょ」スタイルで出てきた。そして、あたしが心配したとおりになった。チッ、また舌打ちが出る。
暗い路地の真ん中で背筋を伸ばし、胸を張って立つ。大きく息をしてから、腹の底から太い声を出した。
「あんたら、止めな!」
暗がりのなかで、ワルガキどもが、こっちを振り向く。1、2、3、4人いやがる。4バカ・カルテットか。だらしなく着くずしてる半袖の制服をみると、多分、駅近くの私立男子校の連中だ。どうせ、補講にでも引っ張り出された帰りだろう。
「なんだ、お前は?」一番デカそうな奴がこっちをのぞくように見た。そして、鼻で笑った。
「男かよ。女の前でカッコつけたいってか?痛い目にあうぞ。消えな」
チッ、また、男に間違えられた。あたしは、14歳なのに胸も腰もうすくて、骨ばった身体をしている。Tシャツにジーンズでいると、よく男に間違えられる。
だからってスカートはいたり髪だけ女っぽくしたりして「私は女です」と宣伝するのもシャクだから、今日もそうだけど、ジーンズはいて、髪はショートと決めてる。
すると、ますます、男と間違えられる。この国は、クソだ。ここにいる4バカ・カルテットは、下痢だ。水下痢だ。
「こっちが男か女かなんて、関係ない。お前らに、女を手ごめにするなと言ってる」
「はっ、『手ごめ』って、なんだ?」「そんな言葉、聞いたことねえぞ」「お前、日本人じゃねえな」ワルガキどもが、すっとんきょうな声で笑いだした。
「お前らこそ、馬鹿か?時代劇を見ないのか?『手ごめ』って言葉も知らずに婦女暴行するな!?歴史をなめんなよ!」
チッ、言わなくてもいいことで時間を無駄づかいしちまった。「手ごめ」って言葉を知ってようが、知ってまいが、あたしの法律では、婦女暴行は死刑だ。
4バカ・カルテットがますます騒がしくなった。
「こいつ、頭おかしいぜ」
「さっさと、のしちまおうぜ」
「いいな、本番前のアブリチップによ」
それって、ひょっとしてアペリティフのことか?下半身だけで生きてるバカが。
あたしは、胸を張り、顎をあげて、男どもに近づく。手が届くところまで寄って止まり、四人の顔を見渡す。
「まったく、どいつもこいつも、下品だな。彼女なんかできそうにないわ。だから、力づくってことか?ほんと、冴えねえな!」
「なにおぉ!」あたしを最初に男と間違えたデカい奴があたしの胸倉をつかんできた。はい、待ってました!
あたしの腹の奥で火山がドーンと噴火する。太い炎の柱が心臓を突き抜け、のどを駆け抜け、あたしの脳天に突き刺さる。頭がブーンとうなりを立てて震え出し、全身がカッと燃え上がる。自分では見えないけど、今、あたしは白目をむいてるはずだ。
「うえっ、なんだ、こいつ、気持ちわりぃ!」
「やっちまえ!」
あたしの胸倉をつかんでた奴が拳を振り上げた時、あたしの額の裏側から熱い炎の塊みたいなものが飛び出して、そいつの頭に飛び込んでった。そいつは「ゲッ」と声を立て、あたしの胸倉にかけた手をほどいて倒れた。
隣にいた痩せた野郎が回し蹴りを繰り出してきた。まだ足が宙にあるうちに、炎の塊をぶつける。そいつは、足を浮かせたまま、後頭部から路地に落ち、そのまま動かなくなった。
残った2人が目と口をでっかく開いてあたしを見ている。「これ」が始まってる時のあたしは、白目をむいてようと、目を閉じてようと、周りがハッキリ見えるんだ。
2人は、ビビりまくってた。こいつらは、もう、手を出してこない。危険ではない。そう、分かってた。いつもなら、あたしの攻撃はここで止まる。
だけど、今日のあたしは、よほど虫の居所が悪いらしい。あたしの頭はまだブンブンうなりを立てて震えて、いつでも、次の攻撃に移れる。この際だ。すっきりしておこう。あたしは、二人に同時に炎の塊をぶつけてやった。「グッ」、「ギャッ」と声を上げて、二人が倒れた。
ワルガキども4人を路地に転がし終わると、頭がうなりを止めた。体の熱が急に醒めてくる。あたしは、目を閉じ、ほっと、息をついた。暗い路地に4人のワルガキが転がっていた。最後に「あれ」をかましてやった2人はもがいているが、前半でかました2人はぴくりとも動かない。
「楓、もう大丈夫。帰るよ」あたしは、路地の奥で泣いている楓に声をかけた。楓は、前の学校でイジメにあって手首を切り、それで、あたしと同じフリースクールに移ってきた。ワルガキどもに囲まれて、どんだけ怖かったろう。また、変なことをしでかさなきゃいいけど・・・
「梨花ちゃん・・・梨花ちゃんなの・・・?」楓がこの世の終わりみたいな情けない声を出した。
「あたし以外の誰が、あんたを助けに来るのよ。悪ガキどもは、やっつけた。今日は胸クソ悪いからDVD探しは止めて、引き上げるよ」
楓がしくしく泣きながら立ち上がった。あたしに向って歩き出して、止まる。
「梨花ちゃん、この人たち、具合悪いみたい。全然動かない人もいるし。救急車を呼んだ方がいいよ」
「楓、あんた、阿呆か?こいつら、あんたを暴行しかけたんだよ。救急車を呼んでやる義理がどこにあんの」
「だけど、ほっといて、死んじゃったりしたら?」
「じゃあ、救急車を呼びなよ。でも、そんなことしたら、あんた、警察から事情を訊かれるよ。あんたが不良に襲われたって、あんたのオヤジさんが知ったら、どうなるかな?」
「えっ、まずいよ。お父さん、この街も危険だから、どこか人のいない山の中に引っ越すって言って、ホントに引っ越しちゃうよ!そしたら、リカねえ とも離れ離れになっちゃう」
楓は、あたしが2歳年上なので、その時の気分で、あたしのことを「リカねえ」と呼ぶこともある。あたしの名前は、梨花、橘梨花だ。
リカって、おもちゃの着せ替え人形の名前だよ。幼稚園で友だちから名前をからかわれた。母親に、誰があたしの名前をつけたって聞いたら父親だと言う。
「なんで、人形と同じ名前にした?」と父親に訊いたら、「お父さん、子どものころから、リカちゃん人形が欲しかったんだ。でも、男だから言い出せなくて。それで・・・」と言いやがった。
子は親とは別人格だ。親の勝手な思い入れで子どもの名前つけんじゃねぇよ。まったく、変態のクソ野郎が。止めなかった母親も母親だ。まぁ、名前のことだけじゃなくて、あたしにとっては、ともかく、ひでぇ両親だったけどね。
楓は、まだ、未練がましくワルガキどもを見ている。
「さっさと、家に帰んないと、あんたのお父さん、帰りが早いんでしょう。『楓、お前、学校のあと、どこで何してたんだ?』なんて話になったら、ヤバいんじゃないの?」
楓は父親を持ち出されると弱い。「うわー」と泣きながら、あたしに飛びついてきた。楓の弾力のある胸があたしの洗濯板みたいな胸にぶつかる。まったく、中身は七歳児だけど、身体は立派な女だよ。あたし独りで来てればこんなことにならなかったのにと思うと、ビミョーにさびしい気もする。
ともかく、楓が乱暴されなくてよかった。あいつらに乱暴されてたら、また、手首を切って、今度こそ死んじまうかもしれなかった。
あたしたちは、にぎやかな駅前商店街を抜け、マンションが立ち並ぶ富士見町に入った。独身の若い人や小さな子供のいる家族が多く住んでる場所だ。あたしたちが通うフリースクールも、この富士見町にある。
富士見町を抜けて、二階建てや三階建ての洒落た家が並ぶ藤尾町に入った。この街の中でも一番お金持ちが集まってる場所。その中でも、ひときわ目立つ豪華なお屋敷に楓は住んでる。
楓が隣の県の中学校からあたしと同じフリースクールに移ってきたとき、楓のおやじさんは、持ち主が破産して売りに出ていたこの大邸宅を、ポンと現金で買って、家族みんなで引っ越してきた。
まったく、どんだけ娘が心配で、どれだけ金があんだか・・・でも、そういうブッ飛んだ楓のオヤジが、あたしは、嫌いじゃない。会ったおこともあるけど、とんでもない親バカだってことを除けば、裏表のないイイ奴だった。何より、あたしのことをガキ扱いしないところが、気に入った。
「さよなら。また明日ね」楓が、まるで何もなかったようにニコニコ手を振って、お屋敷の玄関に消えてった。あいつ、本当に今日あったことを忘れちゃったりして?だとしたらとんでもない阿呆だと思うが、そういう所は阿呆な方がいいかもしんない。あたしみたいに嫌なことをいちいち覚えてる必要なんか、ないんだ。
楓と別れて隣の市との境に向って15分ほど歩いた。周りが安っぽい二階建てのアパートだらけになって、なんだかシケた雰囲気になってくる。アパートの群れの中に、取り残されたみたいに一軒だけ、ポツンと建ってる平屋が、あたしん家だ。
「梨花なの?」玄関を開けると、中から、ヘレンが英語なまりの日本語で呼びかけてきた。「遅かったわね。どっか寄って来たの?」
「ったく、ちょっと遅れると、『どうしたの?』、『何があったの?』って、ウザいんだよ、チッ!」あたしはヘレンがいるダイニングキッチンには顔を出さず、玄関脇の自分の部屋に入る。
すぐに部屋のドアをノックする音がして、「梨花、入っていい?」とヘレンがおずおず聞いてきた。あたしはムッときて、「ダメ!」と声を張り上げる。
「梨花、しつこいみたいで、ごめんなさい・・・でも、あなたに『あの力』が戻ってから、私は、心配で・・・心配で・・・」今度は、英語で話しかけてくる。
あたしがバンとドアを開けると、ドアに突き飛ばされたヘレンが、長い手足をからませて尻もちつくとこだった。赤毛に縁どられたソバカスだらけの顔があたしを見上げる。おい、そこの白人女性、シケた顔すんな。あたしまで悲しくなるぞ。
ヘレンは一見モデル体型っぽいけど、実は、手足が長すぎてバランスが悪い。顔かたちは整ってるけど、鮮やか過ぎる赤毛とソバカスだらけの乾いた肌のせいで美人になりそこなってる。まあ、なにかと残念な女だ。あたしに言われたかないだろうけど・・・
やることも、一生懸命なのはわかるけど、いちいちピントはずれで、あたしをイラつかせる。これがアメリカでも有数の名門大学出身の児童精神科医だというのだから、笑っちゃう。ヘレンは、あたしの頭より、自分の頭を心配した方がいい。
「梨花、ごめん。でも、やっぱり、私は心配で・・」しりもちをついたまま、ヘレンがぐじゅぐじゅ英語でつぶやく。あたしは、頭にきた。
「あたしをバカにしてんの?あんな『力』を使ったら、『橘梨花は、生きて、ここにいます』って、宣伝するようなもんでしょ!私が、そんなことをするほど、idiotだと、あなたは、本気で思うのですか?だとしたら、あなたこそ、idiotです!」そこまで日本語なまりの英語でまくしたてたら、頭が疲れた。日本語に切り替える。
「この間は、全然気がつかないうちに力が出ちゃったの!酔っ払いにからまれて腕を引っ張られた。怖いと思ったとたん、頭が真っ白になって・・・気がついたら、酔っ払いが転がってた。ビックリしたわよ。どうしてこうなるのって、お間抜けのレノックス先生を呪ったわよ」
ウソをついてた。あの時も、今日と同じで、やっつけてやろうと思って『力』を使った。『あれ』がハズミでよみがえったのは、もっとずっと前、独りで買い物に出かけた時だ。
でも、初めて「力」が戻った時に「まさか」と驚いたのは本当だ。その時、すぐに、ヤマネコみたいなレノックス博士の姿が浮かんだのもウソじゃない。慧子・レノックス博士。自分ではレノックス慧子と日本風に名乗る変人科学者。
あいつは、「梨花ちゃんのその『力』を永遠に封じてあげるから、引き換えに、少しの間、『力』を貸して」と言った。だから、あたしは、あいつの実験台になってやった。それなのに、あいつが封じたはずの『力』は2年で、元に戻っちまった。それも、前よりも強くなって。
まったく、クソだ、最悪だよ。あたしの親と言い、レノックス大間抜け博士と言い、ドジな精神科医のヘレンといい・・・使えねぇ奴ばっかだ。ほんと、あたしゃ、やってらんないわ。
その時、玄関が開く音がして、「ただいま」と言って、少しは使える奴が帰ってきた。
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