第15話

「櫂ー。背中のファスナー閉めて。」


 櫂の部屋をノックする。


「なんだよ。そんなこと自分でやれよ。」


 櫂が着替えながら面倒くさそうにこちらを見る。


「腕がこれ以上上がらないのよ。」


 櫂に背中を見せる。


「これだからおばさんは大変だなぁ。」


 櫂が背中のファスナーを閉めてくれる。


「おばさんって失礼ね。これでも美容に気を使ってるんだから。」


 櫂の部屋から出て行こうとすると、後ろから抱きしめられた。


「嘘だよ。おばさんなんて思ってるわけないだろ。すげー綺麗だよ。」


 櫂はパーティードレスから見える背中に優しくキスをした。


「ちょっと!何するのよ。」


 慌てて櫂を引き離す。キスされた部分から体が熱くなってくるようだった。


「ごめんごめん。怒るなよ。でも、上になんか羽織って行けよ。肌寒いし、そんな露出した姿、他の男に見せるなよ。」


「はいはい。」


 赤くなっているのが櫂に気がつかれないように慌てて部屋を出て行く。


「美和ー。茂と麻友さんが迎えに来たよ。」


 しばらくすると櫂が部屋を覗きに来た。


「え?もう?まだ髪がグシャグシャ。でも、まぁ大君主役のパーティーだから私はなんでもいいか。」


 慌てて上着を手に取ると玄関へと急いだ。茂君が運転する車が家の前に停まっていた。助手席で麻友が手を降っている。櫂は既に後部座席に座っていた。


「美和。やっぱり黒のドレスにして正解だったわね。すごく綺麗。でも何なのその髪型。グシャグシャじゃない。」


 車に慌てて乗り込むと、麻友が私の頭を見て顔をしかめる。


「なんかうまく出来なくて…。まぁ何もせず下ろしていくわ。」


 後ろで束ねていた髪飾りを取る。


「これから慎太郎拾って行くから、車の中で慎太郎にやってもらえば?」


 茂君が運転しながら言った。


「そうしようかな。メールしとく。」


 慌てて慎太郎君に髪のセットを車の中でやってほしいことをメールする。


「おはよー。」


 スーツ姿の慎太郎君が元気よく車に乗り込んで来た。


「美和さんキレイだなー。ドレス似合ってるよ。」


 慎太郎君が私をマジマジと見つめる。


「もう。早く髪セットしてやれよ。」


 櫂が私を自分の方に向かせ、慎太郎君に背中を向けさせる。


「ちぇっ。弟君のボディガードが強いこと。」


 慎太郎君が文句を言いながら、私の髪をセットし始める。


「だから、もう弟じゃねーよ。」


 櫂がふくれっ面をしてそっぽを向く。髪をセットしてもらいながら櫂の首元を見ていると、ネクタイが曲がっていることに気がついた。


「櫂、ネクタイが曲がってる。」


 ネクタイを直してやり、ふと顔を上げると、至近距離に櫂の顔があった。今朝、背中にキスをされたことを思い出し、思わず下を向く。


「あっ。美和さん動かないで。」


 慎太郎君が慌てて頭を上げさせる。また櫂の方に顔を向かなくてはならず、顔が赤くなっているのが櫂に気づかれてしまった。櫂はクスリと笑うと、窓の方に顔を向けた。


「よし。簡単にだけど、こんな感じかな。編み込んでおいたから。」


 慎太郎君が完成したセットを見て満足そう笑う。


「いい感じよ。」


 麻友もこちらを振り向いて満足そうに頷く。


「着いたよ。」


 茂君がホテルの中へ入ると、広いロータリーで車を停めた。ここからはホテルマンが車を移動してくれるようだった。私たちは車から降りた。


「なんか結婚式に来ちゃったみたいに豪勢な場所でパーティーするのね。」


 麻友が建物を見上げる。


「本当ね。お金持ちの人ばっかで、私たち場違いじゃないかしら。」


 私もつられてホテルを見上げ、不安な気持ちになる。


「大丈夫。大丈夫。2人ともめっちゃキレイだし、美和さんはShintaroの彼女ってことになってるからそんな浮かないでしょ。」


 慎太郎君はニヤニヤ笑って私の方を見る。


「げっ…。忘れてたけど、そんなことになってたっけ。」


「なんだよ慎太郎の彼女って。」


 何も知らない櫂が慎太郎君に詰め寄る。


「もうこの2人は置いて先に行こうか。」


 ホテルの前でギャーギャー騒いでる2人を置いて、私たちはホテルの中へ入っていった。

 パーティー会場へ入ると会場は既にたくさんの人が集まっていた。


「あの人、テレビで見たことある!確か元政治家の人だっけ…。あっうちの社長もいる!」


 麻友がキョロキョロと会場を見渡す。パーティーに参加している人達は、テレビや雑誌で見たことのある著名人ばかりだった。


「大、あそこにいるな。」


 いつのまにか追いついてきた慎太郎君が指を指す。慎太郎君の指差した方向には、たくさんの人に囲まれた大君が立っていた。


「なんか忙しそうだし、何か食べて待ってようか。」


 茂君が料理が並ぶテーブルを見て言った。食事はビュッフェスタイルになっているようだった。


「美味しそう。」


 麻友と私は色取り取りの料理を目の前にし、目を輝かせる。キャビアやフォアグラ、普段口にすることのない高級食材がたくさん並んでいた。目移りしながらも気になる料理を皿に次々と乗せた。


「美和取りすぎじゃね。」


 櫂が皿を見て驚く。


「そういう櫂だっててんこ盛りじゃない。」


 私たちは席に座ると食事を始めた。しばらくすると大君が席にやってきた。


「みんなわざわざ来てもらって悪いな。」


 大君は申し訳なさそうに言った。


「今まで誕生日パーティーなんてしてこなかったのに急にどうしたんだよ?」


 慎太郎君が不思議そうに大君に尋ねる。


「親父が社会人になる俺を周りの人達に挨拶させたいらしくてさ…。俺も周りに知らない人ばかりだと退屈だから、みんなを呼んだわけなんだ。」


「なるほどね。」


 櫂が納得したように頷く。


「また顔だすから、食事楽しんで行って。」


 大君はそう言うと席を離れて行ってしまった。


「大君忙しそうね。でもきっと後で話せると思うから。」


 麻友が私の耳元で囁いた。


「そうね…。私ちょっとトイレに行ってくる。」


 私は席を離れるとトイレを探しに歩き出した。広すぎてどこにあるのか全く検討もつかず、結局、ホテルの人にトイレまで案内してもらった。やっとトイレに辿り着き、鏡の前で化粧を直していると、どこかで聞いたことのある声が聞こえてきた。トイレの個室で電話をしているようだった。


「そうそう。例の婚約者の誕生日パーティーなのよ。適当に参加したらすぐに帰るから。え?あんなのに私が本気になるわけないじゃない。お父様のご機嫌取りよ。私が好きなのはあなただけよ。」


「?!」


 話し方は全く違うが、この声は綾芽さんの声だった。どういうことなんだろうか。さらに話を聞こうと、聞き耳を立てていると、トイレを流す音がして、ドアが開いた。


「あら。美和さん?」


 慌てて立ち去ろうとするが、見つかってしまった。


「あ、綾芽さん。こんにちは。」


「こんにちは。」


 綾芽さんは以前会った時のように上品に微笑んだ。さっきの電話の会話は聞き間違いだったのだろうか。


「それじゃあ、私はこれで。」


 電話を立ち聞きしたことを話すわけにもいかず、慌ててトイレから出ようとする。


「話お聞きになっていたんでしょう?」


 綾芽さんが微笑んだまま私の顔を覗き込む。

 口元は笑っていたが、目は全く笑ってはいなかった。


「えっ?ごめんなさい。聞くつもりはなかったんです。」


「別にいいのよ。本当のことだし。大はあなたに気があるみたいだけど、あなたはどうなの?」


 電話で話していた口調で話す、綾芽さんは以前とは全く別人だった。


「わ、私は…。っていうか、綾芽さんは、大君のこと好きじゃないなら婚約しなくても良いんじゃないですか?」


 綾芽さんは私のことを見てクスクス笑いだす。


「あなたには分からないかもね。父のご機嫌取りなのよ。それに、私今まで男性に振られたことないのよ。あんなに興味持たれないなんて心外だわ。だから婚約破棄なんてしないわ。」


「そんな理由で?」


 綾芽さんはさらに笑いだす。


「そんな理由なんかじゃないわ。しかも、こないだのライブの時、大は私のことをなんて一度も見なかったのに、あなたのことをずっと見つめていたわね。あなたShintaroの彼女なんでしょ。見た目も冴えないくせに、他の男にも色目使ってやるじゃない。」


「慎太郎君は私の彼女じゃないわ。このこと大君は知ってるの?」


 笑い続ける綾芽さんを睨む。


「大が知るわけないじゃない。別にあなたが大に行ってもかまわないわよ。あなた達がどうこうできることじゃないのよ。」


 綾芽さんはクスリと笑うとトイレを出て行ってしまった。たしかに、私の力ではどうにかできることではないかもしれない。でも、大君に伝えなくては。私は、急いでトイレから飛び出した。


「あれ?ここどこだろう?」


 パーティー会場に戻るはずが、全く見覚えのない場所に来てしまった。広すぎて迷ってしまったらしい。急いでいるのに、周りにもホテルのスタッフが見当たらずパーティー会場の場所を聞くこともできない。


「美和さん?」


 途方にくれてイスに腰掛けていると、大君が駆け寄って来た。


「大君?どうして?パーティーは?」


 驚いて思わず立ち上がる。


「人が多すぎて疲れちゃったから、ちょっと休憩していたんだ。美和さんこそ、こんなところて、どうしたの?」


 久しぶりに会う大君はいつもと変わらない表情で、優しく微笑んだ。


「私、トイレから帰る途中で迷っちゃって…。でも丁度良かった。私、大君に話したいことが…。」


 話し出す前に大君に口を手で塞がれてしまった。


「だ、大君?」


 慌てて大君の手をどける。


「美和さん待って。俺から話させてほしい。」


 大君が真っ直ぐに私を見つめる。大君の真剣な表情に思わず頷く。


「まだ、婚約破棄はできてないんだけど、父からは了承をもらったから、あと少しなんだ。必ず成立させるから、美和さんに待ってて欲しいんだ。」


 大君は私を引き寄せ抱きしめた。


「だ、大君?」


「慎太郎から聞いたよ。本当は付き合ってないんだってね。でも、慎太郎が告白したって言うのも聞いたんだ。わがまま言ってるのは分かってるけど、他の男のものになってほしくないんだ。」


「大君。」


 A.大君のことを待ってる

 B.大君のことを待たない

 C.黙ったままでいる


 久しぶりに大君の爽やかな香水の香りがし、懐かしくて思わず大きく息を吸う。


「私、大君のこと待ってる。」


 もう自分の気持ちに嘘はつけなかった。大君の背中に手を回す。


「本当?すげー嬉しい。」


 大君は私の肩に頭を埋める。しばらく抱き合っていると、ハッと我に返った。


「そうだ。私、大君に伝えないといけないことが。」


 私は慌てて、トイレで綾芽さんと話した内容を伝える。


「やっぱりね。そんなことだろうと思ってたよ。」


 大君は私の話しを聞いてもさほど驚かなかった。


「美和さん。話してくれて、ありがとう。もっと一緒にいたいけど、俺いかないと…。」


 大君は名残惜しそうに私を抱きしめる。優しく私を引き離すと、大君の顔が近づいてきた。思わず目をつぶる。


「やっぱり、ちゃんと成立してからにするよ。」


 目を開けると、大君は至近距離で微笑んでいた。


「じゃあ、俺は用事済ませてから行くけど、美和さんはこの道を真っ直ぐに行けば、会場に戻れるから。1人で大丈夫?」


「うん。大丈夫。」


「じゃあ、また会場で。」


 大君は手を振り、私とは反対方向に歩いて行く。


「あっ。大君。」


 思わず大君を呼び止める。


「何?」


 大君は振り返って、立ち止まる。


「お誕生日おめでとう。」


「ありがとう。」


 大君は顔をクシャクシャにして嬉しそうに笑うと、足早に行ってしまった。


「もぉ。美和大丈夫?随分長いトイレだったじゃない。」


 会場に戻ると、麻友が心配そうに見つめる。


「大丈夫。トイレから戻る途中に迷っちゃって…。」


「そうだったの?もぉ。携帯置いてっちゃうし、みんなで心配してたんだから。」


「ごめん。」


 慌ててみんなに謝る。


「あっ。大のお父さんだ。」


 慎太郎君の声で私たちは、会場の前方に目を向ける。マイクを持ったKO建設会社の社長が立っていた。その隣には大君が立っていた。


「えー。本日は我が息子の誕生日パーティーに参加頂き誠にありがとうございます。突然ではありますが、息子の大を紹介すると同時に、息子の婚約者も紹介させていただきます。」


「え?」


 驚いて大君の顔を見ると、大君もかなり驚いた様子だった。いつのまにか大君の隣には綾芽さんが立ち、大君に何か耳打ちをしている様子だった。その瞬間、大君の顔は真っ青になり、動揺した様子だった。父親からマイクを渡されると、大君はしばらく黙って下を向いていたが、何かを決心したように顔を上げると、話し始めた。


「皆様。本日はお越し頂きまして誠にありがとうございます。息子の高御堂大と申します。隣におりますのが、婚約者の美山綾芽でございます。まだまだ未熟な2人ではござますが、今後とも末永くご指導くださいますようお願い致します。」


 大君が話し終わると、綾芽さんは大君と合わせて頭を下げた。周りからは拍手が沸き起こった。顔を上げた大君の顔は真っ青だった。


「なんで?」


 頭が真っ白になった。


「な、何これ。まるで結婚式の挨拶みたいじゃない。」


 麻友が驚いて立ち上がる。


「なんだよこれ。俺、大の所に言ってくるわ。」


 慎太郎君が険しい顔をして大君のところへ走って行く。


「お、おい。慎太郎!」


 慌てて、櫂と茂君が後を追いかける。


「美和?大丈夫?」


 麻友が心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫よ。またトイレ行ってくる。」


 私はフラフラと歩きながら、トイレには行かず、会場を後にした。














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