第10話
「おーい。慎太郎!」
入り口で大君の声がした。私達はお互いにサッと離れた。
「ちぇっ。いいところだったのに。続きはまた今度ね。」
慎太郎君は私の頭をポンポンと叩くと、入り口へ走って行った。私はヘナヘナと床に座り込んだ。
「美和?野菜切れた?」
麻友がキッチンを覗く。
「あれ?なんで床にすわってるの?」
床に座っている私を見て、麻友が驚いた顔をする。
「ちょっと休憩してただけ。野菜切れたから、煮込んだら終わりだよ。」
慌てて立ち上がり、野菜を鍋に入れる。煮込み終わると、テラスに鍋を運び、外で食べることにした。
「美味しー。美和さんの手料理食べれて、俺幸せ。」
慎太郎君が嬉しそうにカレーを食べる。
「一応私も作ったんですけどね!」
麻友が慎太郎君を睨む。
「麻友さんの手料理も、もちろん美味しいです。」
慌てて慎太郎君が言い直す。なんの変哲も無い普通のカレーだったが、外で食べるカレーは、いつもより美味しく感じた。食後はテラスでお酒を呑み直すことにした。
「今夜はクーラーなして寝れそうね。」
麻友がお酒を飲みながら、涼しそうに風に当たる。都会の蒸し暑さとは違い、山の中は涼しくて快適だった。慎太郎君は飲みすぎたのか机に突っ伏して寝ていた。
「それにしても、慎太郎変わったな。」
ほろ酔いで顔を赤くした茂君が大君に言う。
「そうだな…。」
大君が慎太郎君を見ながら呟く。
「どういう風に変わったの?」
麻友が茂君の顔を覗き込む。
「前の慎太郎だったら、確実に今日は俺たちの知らない女の子数人連れてきたと思う。あいつ、モデルの知り合いとか多いから。今日は1人で来たから、びっくりしたよ。」
「へぇー。それって、美和の影響なんじゃない?」
麻友が私の顔を見てニヤニヤする。
「わ、私?私は別に何も言ってないけど。」
慌てて否定する。大君の横顔をチラリと見ると少しムッとした様子だった。
「そろそろ寝ようか。」
茂君は立ち上がり、慎太郎君を揺さぶる。
「ここで寝たら風邪引くぞ。慎太郎!」
「んん…。」
慎太郎はなかなか起きなかった。
「ったく。しょうがない奴だな。」
大君と茂君は慎太郎君を1階のソファに運んだ。私は2階からタオルケットを持ってくると、慎太郎君に掛けてあげた。
「ここなら風邪ひかないだろ。さすがに2階に運ぶのは辛いわ。」
「そうだね。」
慎太郎君をソファに残し、私達は2階へ上がった。
「じゃあ、私たちこっちの部屋だから。おやすみ。」
私と麻友は大君達に手を振り寝室へ入った。
「あー。朝早かったから、眠い〜。」
麻友は目をこすりながら、さっそく布団に潜り込む。私も布団の中に入って横になった。
「麻友?もう寝た?」
「かろうじてまだ起きてる…。」
麻友が小さな声で答える。
「麻友さ…茂君と歳の差気にしたことある?」
「…。突然どうしたの?」
麻友が布団から顔を出してこちらを見た。
「前から気にしてたんだけどね…。今日、隣のバンガロー見てたら、同い年の大学生っぽい子達が集まって楽しそうにしてたから、普通はこんな感じなんだろうなぁと思って。」
「うーん。そうね。たしかに、最初の頃は気になったかな…。茂、大学でモテるみたいだし、なんでそんな人が私の彼氏だろうって思うこともあったよ。でも…。茂は周りのことは気にせず、まっすぐに私だけを見てくれていたから、私も周りのことは気にしないようになったかな。」
「そっか…。」
「それに、もっと歳とったら年齢なんて気にならなくなると思うよ?歳のこと気にして運命の人逃しちゃったら勿体ないじゃない?」
「たしかに…。」
「だから美和も歳は気にしないで、1人の男性として見てみたら?」
「そうだね。麻友の言う通りかも。」
「でしょ?それにね。茂が就職先決まったら私達結婚しようって言ってくれたの。だから茂と先のこと考えたら、年齢なんて気にならないの。」
「えー?そうだったのおめでとぉ。麻友!」
驚いてベッドから起き上がる。
「うふふ。まだ早いって、就職先決まったわけじゃないし。」
「そっかでも良かったね。麻友ありがとね。年齢のこと気にならなくなってきた。」
「…。」
「麻友?」
麻友の寝息が聞こえてきた。どうやら麻友は眠ってしまったようだった。麻友の寝息を聞いてると私も眠たくなり、いつのまにか眠ってしまっていた。
「どこ行くんだよ!」
慎太郎君の声が聞こえたような気がして眼が覚める。隣のベッドを見ると麻友は熟睡していた。何かあったのだろうか?麻友を起こさないように、そっと寝室を出る。1階を覗くと、入り口近くの灯りだけがつけられ、慎太郎君と大君が話しているのが見えた。
「こんな時間にどこ行くんだよ。」
小さな声で話しているが、慎太郎君が怒っているのが分かった。
「どうしても行かなきゃ行けなくなったんだ。」
荷物を持った大君が、慎太郎君を避けて外に出ようとする。
「待てよ。こんな時間に行くって、そんなよっぽどのことがあったのか?」
慎太郎君は大君の腕を掴んで止める。
「あぁ。どうしても今行かないと行けないんだ。」
大君は慎太郎君の腕を振りほどく。
「綾芽って言う女のとこか?」
慎太郎君が立ち去ろうとする大君の背中に向かって言った。
(綾芽さん?どういうこと?)
思いもよらない名前を耳にし、心臓がバクバクと音を立てる。動揺して足元がぐらぐらと揺れた。
「おまえ…なんで知ってるんだ?」
大君は驚いた顔をして立ち止まる。
「やっぱり…。今日、大の携帯が置いてある時に、何回も携帯が鳴ったから、携帯の画面見たんだ。綾芽って誰だよ。」
「慎太郎が心配するような相手じゃないよ。」
大君は大きなため息をつく。
「じゃあ、今会いに行くことないだろ。美和さん置いて行くのか。」
自分の名前が呼ばれて、胸がドキンと鳴る。
「そういうわけじゃない。でも行かないと行けないんだ。」
「なんでだよ。分かるように説明しろよ。」
大君は慎太郎君に話すのを躊躇っているようだったが、仕方なく口を開く。
「綾芽さんが俺のせいで自殺するって連絡してきたんだ…。」
大君が額に手をやり、座り込む。
「自殺?なんだよそれ…大が何したって言うんだよ。」
慎太郎君は大君の両肩を掴んで揺さぶる。
「綾芽さんは父親同士が決めた婚約者なんだ。」
(婚約者?)
雷に撃たれたような衝撃を受けた。
「婚約者?!」
慎太郎君が声を荒げる。
「そう。前からずっと断り続けているんだけど、相手側が全く了承しなくて、手を焼いててるんだ…。
それでも正式に断りを入れたら、最近になって、綾芽さんの行動がエスカレートしてしまって…」
「どうせ脅しだろ?行くなよ。」
慎太郎君の声が少し震えている。
「たぶんそうだと思う。前にもあったし。でも、万が一のことがあると、父の会社に影響があるといけないから行ってくるよ。」
大君は立ち上がると力なく言った。
「そうか…。」
慎太郎君は大君の肩に置いていた手を離す。
「心配するから美和さんには黙っててくれ。」
大君がすれ違い際に慎太郎君の肩に手をやる。
「大、そんなことばっかりしてると美和さん取っちゃうからな。勝手にしろ。」
慎太郎君は大君の手を振り払う。大君はそのまま外に出て行ってしまった。
頭が真っ白になり、足元がふらふらしてうまく歩けなかった。ふらつく体を壁で支えて歩き、なんとか寝室へ戻った。慎太郎君には立ち聞きしていたことは気づかれなかったようだった。寝室へ戻ると、麻友は眠ったままだった。麻友を起こさないよう静かにベッドに横になった。
綾芽さんは大君の婚約者だった。
その事実が頭の中をぐるぐるとまわり、他のことは何も考えられなかった。時計を見るといつのまにか6時になっていた。あれから一睡も出来なかった。下に降りると慎太郎君の姿はなく、誰もいなかった。とにかく何も考えたくなかった。とりあえずみんなの朝ごはんでも作って気を紛らわせることにした。冷蔵庫の残り物を使って、お味噌汁と卵焼きを作り始める。しばらくすると誰かが、階段を降りてきた。
「美和さん?」
慎太郎君の声に体がビクッと反応する。
「おはよう。朝ごはん作ってるよ。」
振り返らずに、努めて明るい声で話す。
「すごーい。嬉しい!」
慎太郎君が私を後ろから抱きしめる。慎太郎君の温もりを感じ涙が溢れそうになる。
「美和さん?」
いつもの様に抵抗しない私を不思議に思った慎太郎君が私の顔を覗き込む。泣きそうな顔を見られたくなくて私は俯いた。
「美和さん?もしかして、泣いてるの?」
慎太郎君が慌てて離れる。
「ごめん。泣くほど嫌だった?」
慎太郎君は私にタオルを渡し、オロオロしていた。私は首を横に振る。涙が溢れ出し、言葉にならなかった。
「美和さん?大と何かあった?」
私は何て言ったら良いのか分からず黙って涙を拭いていた。慎太郎君はそんな私の様子を見て、ハッとする。
「もしかして…昨日の大と俺の話聞いてた?」
思わず涙がポロポロと溢れ出す。慎太郎君は私を引き寄せ強く抱きしめた。
「そっか…聞いてたんだ。美和さん辛いよな…。」
慎太郎君は抱きしめる腕にさらに力を入れる。
「美和さん。泣かないで。俺がそばにいるから。」
「慎太郎君…。」
慎太郎君の温もりに癒され、少しづつ気持ちが落ち着いてくる。
「私、大君と付き合ってるわけじゃないのに、何泣いてるんだか。」
わざと明るい声を出す。
「美和さん…。」
「朝食作っちゃうね。」
慎太郎君から離れてキッキンに向かう。お味噌汁に入れるネギを切り始める。慎太郎君に後ろから抱きしめられる。
「美和さん。無理するなよ。俺の前では、強がらなくていいから。俺が美和さんのそばにいるから。」
慎太郎君の言葉にまた涙が溢れ出しそうだった。
「慎太郎ー。大の荷物がないんだけど。」
2階から慌てた茂君の声が聞こえた。慎太郎君はサッと私から離れた。茂君が2階から降りてきてキッチンへ来た。
「急用が出来たから先に帰るって。」
慎太郎君は何事もなかったように茂君に言う。
「そうなんだ。朝起きたら荷物ないから、驚いたよ。」
茂君は事情を知らないようだった。私は泣いていた事を悟られないよう、後ろを向いたまま朝食の準備を続ける。
「美和さんが朝食作ってくれたよ。みんなで食べよ。茂、麻友さん起こしてきたら?」
「美和さんありがとう。麻友起こしてくるよ。」
そう言うと茂君は2階へ上がって行った。慎太郎君は何も言わずに私の隣に立つと、シンクに置いてあった食器を洗い始めた。
「慎太郎君…。ありがとう。」
麻友と茂君が2階から降りてきた。
「おはよー。美和ご飯作ってくれたんだって?ありがとう。」
麻友が嬉しそうに椅子に座る。
「お味噌汁と卵焼き、あとご飯炊いただけの簡単な朝食だけどね。」
慎太郎君のおかげで、普段通りに話せそうだった。
「いただきます。」
4人で朝食を食べ始めた。
「飲み過ぎた朝は和食に限るね。美味しー。」
慎太郎君が美味しそうに食べてくれる。
「うん。美味しい。」
茂君と麻友もパクパクと食べてくれる。
「大君帰っちゃったんだね。美和残念だったね。」
何も事情を知らない麻友が残念そうに言った。
「美和さんには俺がいるからいいんだよ。大がいなくなって丁度良いよ。」
慎太郎君がおどけて言う。
「きっと大君忙しいんだよ。」
私は明るい声で答える。みんなを心配させなくなかった。私達は朝食を終えると、帰る支度を始めた。
「あっと言う間だったけど、楽しかったー。」
麻友が満足そうに笑う。
「そうだね。また来よう。」
慎太郎君が笑顔で答える。慎太郎君はずっと私の隣を歩き、私が無理して喋らなくても良いように気を使ってくれているようだった。荷物を車に積み込むと、茂君の運転で車は、走り出した。車の中では、慎太郎君がマイクを握り、ひたすら歌い続けていた。そんな慎太郎君のおかげで、気分が沈む事なく、楽しく過ごすことができた。
「休憩しようか。」
茂君がサービスエリアに車を停める。
「俺、アイス食べたい。美和さん一緒に買いに行こ〜。」
慎太郎君は私の背中を押して歩き出す。
「し、慎太郎君。今日はありがとう。」
背中を押されながら振り向く。
「何が?」
慎太郎君が笑顔で私の顔を見る。
「だって、私が無理しないようにしてくれてるでしょ?」
「今に始まったことじゃないよ。俺は美和さんに笑顔でいてほしいだけだよ。美和さんのこと大好きだから。」
「?!」
真っ直ぐな慎太郎君の言葉に思わず立ち止まってしまう。
A.私も好き
B.好きじゃない
C.黙っている
慎太郎君に見つめられ、私は恥ずかしくて思わず俯く。
「赤くなっちゃって、美和さんは可愛いな〜。時間なくなっちゃうから、アイス買いに行こ〜。」
慎太郎君はニヤっと笑うと、軽い足取りで店の中に入って行った。休憩の後は、慎太郎君が茂君と運転を代わり、私は助手席に座ることになった。真面目な表情で運転する横顔は、いつものお調子者の慎太郎君とは違い、大人びて見えた。
「何見てんの?」
慎太郎君は私の視線に気がつきニヤニヤする。
「別にー。そうやって黙ってると慎太郎君全然違うなと思って。」
「そう?どっちが良い?」
慎太郎君は目をキラキラさせて私を見る。
「え?どっちも嫌。危ないからちゃんと前見て運転して。」
私は笑いながら答える。
「良かった。やっと笑った。」
慎太郎君は私を見て、優しく微笑んだ。そして、空いている左手で私の手を握る。
「慎太郎君?」
驚いて手を引っ込めようとする。
「大丈夫。茂達は寝ちゃったから。」
慎太郎君は悪戯っぽく笑うと私の手を握りしめる。慎太郎君の手の温もりを感じ鼓動が早くなる。
「夕方頃前には着きそうだね。」
「そうだね。」
帰りも渋滞はなく、スムーズに走っていた。
「今日さ、帰ったら、髪切りに来ない?練習としてだけど、ただて切ってあげるから。」
「え?」
「ほらイメチェンしたらスッキリするかなと思って。」
A.行く
B.行かない
C.しばらく考える
「うん…。行こうかな。」
「やった。早く着かないかなぁー。」
慎太郎君が嬉しそうに笑う。そして数時間後、私たちは昨日待ち合わせ場所にした駅のロータリーに到着した。長時間座っていたせいで、お尻が痛かった。
「イタタ。」
私は車から降りると思いっきり伸びをした。
「じゃあ、俺たちレンタカーに車返してから帰るわ。」
茂君が眠そうに目をこすりながら運転席に乗り込む。
「慎太郎君。美和のことちゃんと送ってよ。美和、じゃあね。また連絡する。」
麻友が助手席のドアを閉めると、車は発車し行ってしまった。
「俺たちも行きますか。」
慎太郎君が私の手を引き歩き出す。
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