第6話

「離婚するって急にどうしたの?お父さんと何かあった?」


 急だけどって本当に急するぎる。


「まぁいろいろあったのよ。お父さんとは夫婦じゃないほうがうまくいくと思ってね。ウフフ。」


「ウフフってあんまり深刻じゃなさそうね。それで、こっちに帰ってくるの?」


 母の呑気な返事に拍子抜けしてしまう。


「そうね。そっちに帰るけど、自分で住む場所も決めたから大丈夫よ。」


 母はいつもこうだった。何でも自分で先に決めてしまい、娘の私には事後報告だった。実父が他界して、再婚を決めた時も、私が20歳になった時に突然、籍を入れたからと今の父親と櫂を連れてきて、私を心底驚かせた。


「そういえば、櫂はまだ知らないよね?」


「櫂にはお父さんから伝えてもらったから大丈夫よ。じゃあ、お母さん荷物まとめないといけないから切るわね。わざわざ来なくて大丈夫だから。」


「え?ちょっとお母さん…って電話切れてるし…」


 突然のことにいまいち実感がわかない。本当に母親には毎回驚かされる。


「ただいまー。」


 呆気にとられて立ち尽くしていると、櫂が帰ってきた。


「櫂!おかえり。今、お母さんから離婚のことで電話きたとこ。」


「あぁ。それね。俺も父さんから連絡きたよ。」


 櫂はさほど驚いた様子はなく、ソファにいつも通りなだれ込む。


「それねってあんた軽いわね。籍入れて10年間、一度も喧嘩なんかしたことなかったのに、突然どうしちゃったのかしら…お父さんから理由聞いた?」


「いや、何にも言ってなかったし、なんか前向きな感じだったよ。」


 櫂は話しながらテレビのスイッチを入れる。


「お母さんもそんな感じだったわ。よくわからないけど、お母さん達が決めたことだもんね。私たちがとやかく言ってもしょうがないか。お姉ちゃんお風呂に入ってくるわ。」


 そう言ってお風呂場へ行こうとすると櫂がボソリと呟いた。


「もう、俺の姉じゃないだろ…」


「あっ。そう言われればそうね。」


「元はと言えば俺たちは血が繋がってなかったし、親の都合で勝手に兄弟になったようなもんだもんな。」


 櫂はテレビを見たまま、こちらを見ようとしない。


「冷たいわねー。10年も一緒に居たんだから、血が繋がってなくても櫂は私の弟よ。」


「それは分かってるよ。でもこれからどうする?兄弟じゃなくなったから一緒に住んでるのも変だろ?」


 たしかに、もう兄弟じゃなくなったから一緒に住んでいるのはおかしいのかもしれない。でも、急にそんなこと言われても気持ちの整理ができない。


「俺、金ないし、美和が良ければ、しばらくここにいたいけど。」


 櫂がそっぽを向いたまま言う。


「本当?良かった。急にいなくなるって言われたら寂しいもん。」


 櫂はなんだかんだ私のことを姉と思ってくれているようだった。


「はいはい。じゃあそういうことで。風呂入ってこいよ。」


 櫂は照れくさいのか、私をお風呂場へ追いやる。


「そうだった。お風呂に入ってくるね。」


 湯船で温まっていると、10年前に櫂と出会ったことを思い出していた。まだ中学1年生だった櫂は思春期で私とは全く話してくれなかった。それでも兄弟がいなかった私は、弟ができたことが嬉しく、あれこれ世話を焼いては櫂に鬱陶しがられた。一度もお姉ちゃんと呼んでくれたことはないけれど、私にとっては可愛い弟だった。櫂が大学生になった時に、両親が田舎暮らしを始め、私達はそれぞれ1人暮らしをしていた。ある日、空き巣が入ったと泣きながら櫂に電話すると、血相を変えて飛んできてくれた。その時、お姉ちゃんって呼んでくれなくても大事に思ってくれていることが分かり、とても嬉しかった。血が繋がっていなくても、私たちは兄弟なんだと実感した。だから、突然兄弟じゃなくなると言われても簡単には受け入れられそうになかった。

 お風呂から出ると櫂はソファで寝てしまっていた。


「ったく。こんなとこで寝たら風邪引いちゃうよ。櫂起きて。」


 揺さぶっても、櫂はスースーの寝息を立てて気持ちよさそうに眠っていた。


「しょうがないなぁ。」


 タオルケットを寝室から運んできて、櫂に掛けてあげる。すると、すっと腕が伸びてきて櫂に抱き寄せられた。


「か、櫂?」


 櫂は私を抱き寄せたまま、変わらず寝息を立てて眠っていた。


「なんだ。寝ぼけてるのか。びっくりした。」


 久しぶりにこんなに近くで櫂の顔を見た。まつ毛はふさふさと長く。肌は女の子のようにキメが細かく白くて綺麗だった。抱き寄せられたまま櫂の顔を眺めていると、パチっと櫂が目を開いた。


「あっ美和。」


 そういうと、チュッと私の唇にキスをした。とても自然な流れに避けることすらできなかった。


「ん?えっ?櫂?」


 驚いて固まってると櫂はニヤっと笑う。


「驚いた?キスの練習〜。」


「お、お姉ちゃんに何してるのよ。あっお姉ちゃんじゃなかった。」


 突然の出来事に顔を赤くして怒っていると、

 櫂はクスクス笑いながら自分の部屋に行ってしまった。


「もう。何なのよ。調子狂うわ。」


 部屋に戻ると携帯が鳴っていた。今度こそ大君かもしれない。急いで携帯を確認すると、知らない番号からの電話だった。電話に出るべきか、どうしよう。


 A.電話に出る

 B.電話に出ない

 C.またかかってきたら出る


 知らない番号だから、今度かかってきたら出るとこにした。ベッドに入り、しばらくウトウトしているとまた電話が鳴った。さっきかかってきた知らない番号からだった。


「もしもし?」


 恐る恐る電話に出る。


「もしもし?俺、慎太郎。美和さん寝てた?」


「慎太郎君?何で番号知ってるの?」


「連絡待ってても来ないからさー。店で調べて電話しちゃった。」


「え?そんなことしていいの?」


「っていうのは冗談で…こないだ店に来た時、浴衣の髪飾り落として行かなかった?」


 そういえば、あの日髪飾りが無くなってしまった。走っていた時に落としたと思って諦めていたが、美容院で落としたらしい。


「うん。ピンクの花飾り落としたみたい。」


「やっぱり?俺の服に引っかかってたから、ら美和さんのじゃないかと思ったんだ。抱きしめた時に引っかかったみたい。」


「あっ。」


 慎太郎君に後ろから抱きしめられた事を思い出し、思わず体が熱くなる。


「思い出しちゃった?」


 電話越しに、慎太郎君がクスクス笑っているのが聞こえる。


「思い出してないから。」


 ムキになって言い返す。


「ごめん。ごめん。髪飾り渡したいんだけど、今はまずいよね?仕事してたら遅くなっちゃって…」


 A.今すぐ受け取りに行く

 B.今は無理だと伝える

 C.髪飾りは諦める


「えっと、お風呂に入っちゃったからスッピンだし、今は無理かも。」


「そうだよね。こんな時間に外に出たら危ないし、違う日にするよ。明日、俺時間あるんだけど、美和さんどうかな?」


「仕事終わった後なら大丈夫だよ。」


「わかった。じゃあまた連絡するね。おやすみー。」


「うん。おやすみ。」


 もう会うことはないだろうと思っていた慎太郎君にまた会うことになってしまった。花火大会のことを思い出すと気がひけるが、裏拳をしてしまった顔の状態も気になる。髪飾りを受け取ったらすぐに帰ろう。そう決めて、ベッドに潜り込んだ。


「おはよー。」


 会社の更衣室で着替えていると、麻友が入ってきた。


「おはよー。」


「今日って確か、KO建築会社の社長が来る日じゃなかったっけ?」


 麻友が着替えながら、私に尋ねる。


「そうそう。大事な取引相手だから、みんな気合い入ってるみたいだよ。」


「そうだよね。なんでまた直々に社長がくるんだろうね。」


 麻友が身なりを整えながら首をかしげる。


「営業の人が言ってたけど、ご子息を連れて挨拶にくるみたいよ。」


「へー。あの気難しそうな社長のご子息ってどんな人だろうね。楽しみー。」


 私たちは準備が整うと受付に立った。通常の来客業務をこなしていると、エントランスからKO建築会社の社長が入ってくるのが見えた。私たちは立ち上がると深くお辞儀をして、お出迎えをした。


「ふむ。」


 社長が通り過ぎた気配を感じ頭をあげる。


(えっ?)


 社長の隣を歩いている男性の顔を見て思わず声を上げそうになる。社長の隣を歩いていたのは、スーツ姿の大君だったからだ。いつもの優しい雰囲気の大君とは打って変わり、硬い表情をし、話しかけづらい雰囲気だったが、間違いなく大君だった。大君も私たちの視線に気がつき、驚いた顔をして立ち止まった。


「大、どうかしたのか?」


 立ち止まる大君を不審に思ったのか、社長も立ち止まった。


「いえ、何でもありません。行きましょう。」


 大君は、私たちから視線を外すと、何事もなかったかのように歩いて行った。2人がエレベーターに乗り、姿が見えなくなると、私たちはおもわず顔を見合わせた。


「だ、大君だったよね?」


「うん。大君だった。」


 私たちは驚いて茫然としていた。


「美和、社長の息子だってこと知ってたの?」


 麻友が慌てて私に尋ねる。


「ううん。今知った。麻友は?」


「茂何にも言ってなかった。私も今知ったよ。」


 私も麻友も思いがけない出来事に動揺を隠せず、仕事中にも関わらず、コソコソと話していたが、次の来客対応に追われ、これ以上話すことができなかった。仕事中も、あの固い表情の大君が忘れられず、仕事に集中できなかった。大君が社長の息子だとは全く気がつかず、驚きで足元がぐらぐらと揺れた。仕事中だからかもしれないが、大君は、私を見てもいつものように優しく笑いかけてはくれなかった。いつもと違う大君の姿に戸惑いが隠せなかった。

 1時間程たつと、社長と大君がエントランスへ戻ってきた。私たちは立ち上がり、再び深くお辞儀をしてお見送りをした。大君は立ち止まることもなく、エントランスへ向かって行ってしまった。後ろ姿を見送っていると、なんだか大君がとても遠い存在に感じてしまった。

 昼休みの時間になると、私たちは慌ててランチへと出かけた。


「あーもう。やっと話せる。美和どうなってるの?」


 麻友が興奮した様子で私に詰め寄る。


「だから私も知らなかったの。」


「そうだよね。そういえば、あれから、大君から連絡来てない?」


 麻友が私の携帯を覗き込む。


「連絡きてないの。どうしたらいいんだろう。私から連絡して聞いたほうがいいのかな?」


「大君から何も聞いてないんだもんね。なんで言ってくれなかったんだろうね…」


 麻友は首を傾げる。


「あっ!そういえば、花火大会の日に大事な話があるって大君言ってた…でも、いろいろあって聞きそびれちゃったの。」


 そういえばあの時、大君はとてもいい辛そうにしていた。


「あーそれかも。」


 私たちは早く事の真相が知りたくて、ウズウズしていた。


「でも、大君から直接聞かないと、本当のところは分からないもんね…」


「そうだね。まぁ、大君が社長の息子だったからって言っても、美和との関係が変わるわけじゃないしね。大丈夫だって。」


 麻友が私の肩をポンポンと叩く。


「そうかな…」


 大君の家柄を知って、ますます自分には不釣り合いな気がしてきてしまった。受付で見た、今まで知らなかった大君の姿思い出すと、不安な気持ちは大きくなるばかりだった。

午後からの仕事は、大君のことか気になってしまい、全く身が入らなかった。ミスを連発し、麻友に怒られながらも、なんとか仕事を終える。私たちは着替えるために更衣室に戻ってきた。


「今日、茂と会う予定だから大君のこと聞いてみるね。大丈夫?」


 麻友が着替えながら心配そうに私を見つめる。


「うん。ありがとう。私も後で大君に電話してみるね。」


そう言って、携帯を確認してみると、慎太郎君からメールが届いていた。大君との出来事で、すっかり慎太郎君との約束を忘れていた。


「私も用事あるんだった。麻友ごめん。先に行くね。」


 慌てて着替えを済まし、更衣室を後にする。

 歩きながら慎太郎君に電話する。


「もしもし。慎太郎君?今仕事終わったの。」


 忘れていたとは口が裂けても言えない。


「大丈夫だよ。今、駅前のカフェにいるんだけど、そっちに行こうか?」


「近くだから大丈夫だよ。そこで待ってて。」


 電話を切ると慌てて駅の方へ向かった。慎太郎君が待っているカフェは会社から近く、

 麻友とも度々訪れるカフェで場所はよく知っていた。カフェに着くと、お店の前に人だかりが出来ていた。今日は、カフェでイベントでもあるのだろうか。不思議に思いながら、人混みを避け、店内へ入る。店内では、男性が写真撮影をしていた。ちょうど柱の陰になっていて、顔が確認できなかった。有名なモデルでも来ているのだろうか、場所を変え顔を確認しようとすると、ちょうど男性がこちらを向いた。


「あっ!美和さーん。待ってたよー。」


 写真撮影をしていたのは慎太郎君だった。


「し、慎太郎君?」

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