第5話

「美和ー。昨日は何があったのよ。」


あれから麻友に連絡を入れるのをすっかり忘れていた私は、昼休憩中にこっぴどく麻友に叱られていた。


「ごめん。ごめん。話せば長くなるんだけど、あれから色々あってさ。」


「ちゃんと全部話してもらいますからね。」


 麻友はご立腹だった。


「えっとね…何から話せばよいのか…。まず、迷子の子は翔の子供だったの。」


「え〜?」


 麻友の声が店中に響き渡る。


「麻友!声大きいから。」


 慌てて麻友の口をふさぐ。翔が結婚して、子供がいたこと。大君に翔のことを話したことを麻友に話すと、麻友は終始驚いた様子だった。


「翔君、結婚してたんだ。私も知らなかった。びっくりだわ。美和大丈夫?」


 麻友は心配そうにこちらを見る。


「うん。驚いた…。」


「しかも、迷子の子が翔君の子供だったなんてね。世間狭いね。」


「本当にそうだよね…。」


 思わず大きなため息をつく。


「美和さ。まだ翔君のこと忘れてなかったんだね。」


「うん。忘れてなかったって言うか、支えられなかったことをずっと後悔してた。それに、翔に言われたことも少しトラウマになってたから、忘れられなかったのかな。」


「そっかぁ。長く付き合ってたし、簡単には忘れられないか。」


 麻友もため息をつく。


「うん。でもね、そろそろ私も前に進みたいと思ってるんだ。」


 思い切って、自分の気持ちを麻友に伝える。


「うん。うん。いいんじゃない?新しい恋しなきゃね。」


 麻友は私の決心を聞くと嬉しそうに頷いた。

 そろそろ5年前の自分に決別して、前に進もう。大君とどうなるか分からないけど、もう自分だけが立ち止まっているのは嫌だった。だから、前に進もうと決めたはずだった。


 仕事を終えて、帰宅途中にスーパーへ寄った。今夜、櫂は出かけていなかった。夕ご飯は、お惣菜を買って、簡単に済ませてしまうことにした。カゴに品物を入れ、レジへ行こうとすると聞いたことのある声がした。


「お菓子は昨日買っただろ。今日は買わないよ。」


「えー。今日も保育園がんばったから、お菓子買ってよ。」


 声がする方に目をやると、お菓子の棚の前であさひ君が駄々をこねていた。聞き覚えのある声は、翔とあさひ君だった。2人に気がつかれないように立ち去ろうとすると、カゴを棚にぶつけて品物をいくつか落としてしまった。慌てて拾っていると品物を一緒に拾ってくれる人がいた。


「はい。どうぞ。」


 あさひ君が満面の笑みを品物を渡してくれた。


「あ、あさひ君。こんばんは。」


 見つかってしまった。


「お姉ちゃんまた会えたね。こんばんは。」


 あさひ君は嬉しそうに私に抱きついた。


「美和。また会ったな。」


 翔が困ったように笑い、あさひ君を引き離す。


「また会っちゃったね。あさひ君、拾ってくれてありがとう。じゃあ、私はこれで。」


 2人に手を振り、レジへ向かう。


「お姉ちゃん一緒にご飯食べよ。」


 あさひ君が私の手を握り、引き止める。


「あさひ。お姉さんは忙しいんだから。」


 翔が慌ててあさひ君の腕を引っ張る。


「えー。お姉ちゃん忙しいの?今日ねパパがハンバーグ作るって言うんだけど、パパすぐ焦がしちゃうんだ。お姉ちゃんはハンバーグ作れる?」


「えっと…」


 返答に困ってると翔があさひ君を抱き上げる。


「ごめんな美和。迷惑かけちゃって。こっちは大丈夫だから行って?」


 翔が申し訳なそうに私の背中を押す。


「じゃあね。パパのハンバーグちゃんと食べるんだよ。」


 そう言って、あさひ君の頭を撫でると、レジへ向かう。 お会計を済ませて袋に詰めていると、大きな泣き声が聞こえてきた。目を向けるとあさひ君が泣きわめいて、翔が困った顔をしながら会計をしているのに気がついた。火がついたように泣き叫ぶあさひ君に、翔は手を焼いてるようだった。なんとか会計を済ませたようだったが、品物を袋に入れるのも一苦労な様子だった。心配になり、思わず駆け寄る。


「大丈夫?私が袋に入れるから。」


 手早く袋に詰めて翔に渡す。


「美和すまない。助かったよ。」


「ヒック。お姉ちゃんハンバーグ作りに来てくれるの?」


 あさひ君が泣きながら私の手を握る。


「え?」


 どうやら、あさひ君が泣いていたのは、私にハンバーグを作りに来て欲しかったからだったようだ。


「えっと、お姉ちゃんはハンバーグ作れるけど、今度ママが…」


 今度ママが作ってくれるよと言おうとした瞬間、翔に口を塞がれてしまった。


「予定がなければ、ハンバーグ作ってもらえないか?」


 耳元で翔が、あさひ君のに聞こえないようにボソリと言った。えっと…


 A.作りに行く

 B.断る

 C.ママのことを聞く


 何か事情があるようだった。泣いているあさひ君をこのまま放っておくことができなかった。


「わかった。お姉ちゃんがハンバーグ作ってあげるね。」


「やったー!」


 たちまちあさひ君は笑顔になると、私の手を引っ張って歩き始めた。


「ごめんな。事情は後で話すから。」


 翔は申し訳なさそうに私に謝る。


「うん。わかった。」


「ここで待ってて。」


 スーパーの出口を出ると、翔は、あさひ君を連れて翔は駐輪場へ向かった。しばらく待っていると、あさひ君を乗せたママチャリを引いて翔が戻ってきた。


「いつもこれに乗ってるの?」


 今までに見たことのない翔の姿を見て、思わず笑ってしまった。


「笑うなんて失礼だなー。これがまた都会では便利なんだよ。」


 翔も笑いながら答える。あさひ君は泣き疲れたのか、自転車に揺られてウトウトし始めていた。


「急にごめんな。あさひのママは、というか妻はあさひが1歳の時に病気で他界したんだ。」


「え?そうだったの?」


 思いもよらない事に驚き、幼くして母親がいないあさひ君を思うと、胸が張り裂けそうだった。


「まだ3歳だから、母親がいないことを分かってるのか、分かっていないのか、よく分からないんだけど、ママはお星様になって、いつも空からあさひを見てるよって教えてるんだ。」


 翔は寂しそうにあさひ君を見つめながら言った。


「そっか…それでお星様にお願いしてたのね。」


「え?何?」


 翔が不思議そうに私の顔を見る。


「あさひ君、翔とはぐれた時に、お星様にお願いしたらパパに会えるかもしれないって言ってたんだよ。」


「あさひがそんなことを?」


 ウトウトしてるあさひ君を翔は愛おしそうに見た。


「そっか。俺が知らないところで、あさひは分かっているのかもしれないな。」


「そうだね。子供ってすごいね。」


 ウトウトしているあさひ君を見て2人で顔を見合わせ微笑んだ。


「っていうか、翔のマンションここ?うちの近所なんだけど。」


「そうなの?全然知らなかった。」


 あさひ君を自転車から下ろしながら翔が驚く。


「最近こっちに引っ越してきたの?」


「ああ。あさひが保育園に入る年齢になって、やっぱり日本の教育受けさせてやりたいなと思ってさ。上司に掛け合って日本に戻ってきたんだ。」


「そうだったんだ。私たちこんなに近くにいたんだね。」


 こんなに近所に住んでいて今まで会わなかったのが不思議なくらいだった。


「男2人だから散らかってるけど、どうぞ。」


 翔に案内され、部屋に入る。


「お邪魔します。」


 お世辞にも綺麗とは言えないほど、オモチャや服が散乱していた。


「誰か来るって分かってたら、もう少し片付けたんだけどな。」


 そう言って翔が苦笑いする。


「よし!じゃあ、ちゃちゃっと作っちゃうから2人でお風呂にでも入ってこれば?」


 腕を捲り、食材を袋から出す。


「じゃあ、お言葉に甘えてそうしようかな。悪いな美和。」


 翔はあさひ君を起こして、お風呂場に連れて行った。

 急いでハンバーグのタネを作り、ハンバーグを焼いている間に、冷蔵庫にある残り物を使って、ポテトサラダやスープも一緒に作った。机に並べていると、2人がお風呂から出てきた。


「わーい。お姉ちゃん作ってくれたんだ!美味しそう!」


 あさひ君は嬉しそうに椅子に座る。


「いただきます!わぁ美味しい!パパも食べてみて!」


 あさひ君が満面の笑みで翔に言う。


「うまい!よかったなーあさひ。」


 美味しそうに食べているあさひ君を見て、翔も嬉しそうだった。


「お姉ちゃんありがとう。」


 嬉しそうにしているあさひ君を見て、私も思わず笑顔になった。あさひ君は全部美味しそうに完食し、食べ終わると満足そうに寝てしまった。


「美和ごめんな。彼氏いるのに迷惑だっただろ。あさひが美和のこと気にいっちゃったみたいで、申し訳ない。」


「大君は、えっとあの時の彼は彼氏じゃないの。」


 大君のことを彼氏と言われて思わず顔を赤らめる?


「え?そうなんだ。花火の時、親密そうだったからてっきり付き合ってるのかと思った。優しそうな人だったな。」


「そうね。彼はとっても優しくていい人だよ。」


「そっか。いい人見つかってよかったな。」


 翔が優しく微笑んだ。翔にそう言われるとなぜか寂しい気持ちになった。


「それで翔はいつのまに結婚したの?私知らなかった。」


 翔にそんな気持ちを悟られないように話題を変える。


「美和と別れてから、2年後くらいだったかな。現地で出会った日本人と結婚したんだ。美和もとっくに結婚してしまってると思ったよ。」


「私?私は全然。男っ気なしよ。」


 笑いながら否定する。


「それって、俺のせいだよな?」


「え?」


 驚いて翔を見ると、まっすぐ私のことを見つめていた。


「そ、そんなことないから。自惚れないでよね。」


「そうだよな。でも俺、美和と別れたこと後悔してたんだ。別れて1ヶ月ぐらいたってからだと思うんだけど、美和に一度電話したんだ。」


「え?電話来てない…」


 もし電話がきたいたら絶対覚えているはずだ。でも、別れてから翔から電話があった覚えがなかった。


「電話繋がらなかったんだ。だから連絡先変えたのかなって思って諦めたんだ。」


「連絡先は昔から変わってないよ。あっ…でも1回水没しちゃって、しばらく使えない時があったわ。その時かも…。」


「そうだったのか…俺、あの時美和にひどいこと言ったよな。冷静になって考えてみれば、美和だって寂しいのを我慢してたのにな。今更だけど、ごめんな。」


 翔がそんなことを思ってくれていたなんて知らなかった。


「私こそごめんね。翔のこと支えてあげられなくて。私もずっと謝りたいと思ってたよ。」


「そっかぁ…謝るのに5年もかかっちゃったな。」


 翔が困ったように笑う。


「あの時もしも電話が繋がっていたら、俺たち…」


「うぇーん。パパー。」


 翔が話し終わる前に、あさひ君の泣き声が聞こえてきた。


「あさひ泣いてるな。見て来るわ。」


 翔は慌てて寝室へ走って行った。私はあさひ君を起こさないよう気をつけながら、台所へ食器を運び洗い始めた。あの時、電話が繋がっていたら…私たちは今頃やり直していたんだろうか。翔が後悔していたことを聞いて動揺している自分がいた。


「美和悪いな。食器まで洗わせて。あさひまた寝たよ。」


 翔が寝室から戻ってきた。


「大丈夫。もうすぐ終わるから。」


「なんか、こうしてると昔の俺たちに戻ったみたいだな。」


 翔が皿を洗う私を懐かしそうに、眺めて言った。


「え?そ、そうかな。何言ってるの。」


 私も翔と同じことを思っていた。でも、翔にはそのことを悟られたくなかった。


「よし。終わった。私、そろそろ帰らないと。」


 あさひ君を起こさないようにそっと荷物をまとめる。


「あさひを置いていけないから、送ってやれなくてごめんな。今日はありがとな。助かったよ。」


「うん。大丈夫。それじゃあ。」


 ドアを開けて出て行こうとすると、翔に腕を掴まれた。


「美和。」


「翔?」


「あのさ。またこうやって会えないか?」


「え?」


 驚いて返答に困っていると慌てて翔が言葉を付け加える。


「ほら、あさひが美和のこと気にいったみたいだからさ、友達として、また飯でも作ってもらえたらと思ってさ。」


 あさひ君のことは気になるけど…


 A.友達としてならOK

 B.友達じゃなくてもOK

 C.断る


「えっと…友達としてなら大丈夫だよ。あさひ君のためだからね。」


 翔がクスリと笑った。


「美和ありがとう。俺、昔から連絡先変わってないから。」


「うん。わかった。じゃあ、おやすみ。」


 あさひ君が起きないようにそっとドアを閉めた。外に出ると風が吹いていて、半袖だと、少し肌寒かった。あさひ君の為と言えど、元彼の家で何やってるんだろう。でも、散らかった部屋、台所に溜まった食器。男2人が生活している様子を物語っていて、心配になってしまう。


「ただいまー。」


 家に帰ると櫂はまだ帰ってきてないようだった。お風呂に入ろうとしていると携帯が鳴った。大君から電話かもしれない。急いで携帯を見ると着信は母からだった。


「なんだ。お母さんか。もしもし?どうかした?」


「どうかした?じゃないわよ。あんたはいつも呑気ね。」


「そりゃどうも。電話してくるから珍しいなど思って。」


「お母さんね。急なんだけどね。離婚することにしたの。」


「え?」


突然の母親の報告に耳を疑う。



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