第3話

「えー?キスしなかったの?」


 麻友が思わず大きな声を出す。周りのお客さんがこちらを怪訝そうにチラチラ見ていた。


「麻友、声大きいから。」


 麻友にしーっと指を立てる。私達は昼休憩に外へランチにやってきた。昨夜の事を一部始終話すと、麻友は、キスをしなかった事に納得がいかなかったようだ。


「なんでキスしなかったのよ。」


「だって…ちょっと早すぎない?」


「そりゃあ、展開は早すぎるけど、拒むことなかったじゃない。美和、大君のこと気になってるんでしょ?」


「気になってないって言ったら嘘になるけど…」


 麻友の言葉にドキリとした。


「美和、もっと本能のままに恋愛しないと。」


 麻友はいつになく真剣な表情をする。


「そんなこと言われてもねぇ。5年間のブランクが大きすぎるよ。」


「そんなこと言ってると、タイミング逃して違う人に取られちゃうよ。大君、大学でかなりモテるって茂が言ってたよ。」


「やっぱりそうなんだ。」


 麻友の話を聞いて、ますます自分に自信がなくなる。


「そうだ!来週末に4人で花火行かない?」


 やる気をなくした私を見兼ねて、麻友が名案だとばかりに声を張り上げた。私が返事をしないうちに、麻友はすぐに茂君にメールをする。1分も経たないうちに茂君から返事がきた。


「茂大丈夫だって。大君と今一緒にいるみたいで、大君も誘ってくれて、オッケーだって。」


 あれよあれよと話が進んで行く。すると、私の携帯が鳴った。


「あっ。大君からメールだ。」


 "花火楽しみだね。

 浴衣着るのかな?"


「えっ?浴衣?」


 思わず声に出すと、麻友が携帯を覗きこんでくる。


「よし!せっかくだから浴衣着て行こう!」


 勝手にメールを読むと、麻友は満面の笑みで言った。


「なんかやる気出てきたわー。」


「なんで麻友がやる気になるのよ。」


 こうなったら麻友を引き止めることはできない。花火大会は浴衣を着ていくことになりそうだ。強引に決まってしまった花火大会だったけれど、待ち遠しくて仕方がなかった。

 大君からは、食事して以来、欠かさずメールや電話が来て、いつのまにか毎日連絡を取り合うことが日課になっていた。いつもは、メールの相手がいても、すぐに面倒になって、放り出してしまうが、大君は長ったらしいメールや、電話ではなく、さらっと短く済ませてくれるせいか、あまり気にならなかった。 そうこうしているうちに、あっという間に花火の当日になり、私達は着付けの為に、予約していた美容院に訪れた。


「予約していた山田と佐和田です。」


 受付の男性に声をかける。


「お待ちしてました。ってあれ?」


 出迎えてくれたのは、食事会の時に出会った、慎太郎君だった。


「来てくれたんだー!えっと美和さんと、麻友さんだっけ?」


 人懐っこい笑顔で、嬉しそうに笑う彼をみて、私も麻友も偶然来たとは言えなかった。


「こ、こんにちは。」


「すぐ案内するから待っててねー。」


 慎太郎君が店の奥に入っていくと、麻友がコソッと私に耳打ちする。


「あの人、女たらしだから気をつけろって茂が言ってたよ。」


「そうだったんだ。だから大君、名刺捨てちゃったのね。まぁ、私には関係のないことだけど…。」


 2人でコソコソ話していると慎太郎君が戻ってきて、席に案内してくれた。


「先に髪セットしちゃうね。」


 私のヘアセットは慎太郎君かしてくれるようだった。


「こういうセットがいいとかある?」


 私の髪をクシでとかしながら、鏡越しに話しかけられる。


「お、お任せで。」


 ウルウルとした子犬のような瞳で見つめられると、ドギマギしてしまって、まともに顔が見れそうになかった。


「かしこまりました。」


 鏡越しにニコリと慎太郎君が微笑む。笑顔がキラキラしすぎて眩しかった。きっと彼は、微笑むだけで数多くの女性を虜にしてきたに違いない。しかし、作業を開始すると、先程とは打って変わり、真剣な表情で、髪をドンドンセットしていく。


「よし。こんな感じでいかがてしょうか?」


 30分ほどでヘアセットが終わると、三面鏡を使って後ろの髪を見せてくれる。セミロングの髪が綺麗に編み込みされていた。


「これで、大丈夫です。」


「はーい。仕上げにスプレーしちゃうね。」


 慎太郎君は髪全体にスプレーをかけると、満足そうに鏡の中の私を見つめた。


「あのさ、美和さん。」


「はい?」


「さっきから思ってたんだけど、俺たち昔会ったことあるよね?」


「え?」


 思いもよらない質問に驚いていると、慎太郎君はじーっと私の顔を見つめる。


「やっぱりそうだ。4.5年前くらいかな。ちょうど、この花火大会の日、店の前で泣いてなかった?」


「え?それをどうして知って…え?もしかして…。」


 5年前の花火大会の日、当時付き合っていた彼と別れ、店の前のベンチで1人泣いていた。前を通りかった高校生くらいの男の子がタオルを渡してくれたのだった。


「そう。思い出した?タオル渡したの俺ね。」


「うそ…びっくりした。」


 そう言われてみれば、当時の面影があるような、ないような。あの時はひたすら泣いていて、まともに顔が見られなかったから、記憶が曖昧だった。でも、何も言わずに泣き止むまで、ずっと隣に座っていてくれたことは覚えていた。


「あの時は、どうもありがとう。恥ずかしい姿見せちゃったね。」


 苦い思い出が脳裏をよぎり、思わず赤面する。


「ずっと気になっていたんだ。あの時のお姉さんは大丈夫だったのかなって。連絡先聞いていれば、慰めてあげられたのにってずっと思ってた。」


 子犬のような大きな瞳でじっと見つめられ、私は恥ずかしくて、慎太郎くんの顔をまともに見ることができなかった。


「あのさ、こんなこと言ったら大に怒られるけど…」


 そう言って彼は耳元で囁いた。


「俺たち再会したの運命じゃない?」


「え?」


 驚いた顔をしていると、慎太郎君はニコリと微笑んで、私の手を取った。


「次は着付けなのであちらの部屋にどうぞ。」


 部屋に案内されると、別のスタッフに代わり、慎太郎君は店の奥に入っていた。茫然としていると、あっというまに着付けが終わり準備が整った。麻友は先に会計を済ませ、外で待っていた。私も会計を済ませて店を出ようとすると、慎太郎君に引き止められた。


「美和さん待って。これ俺の連絡先。必ず連絡して。待ってるから。」


 真剣な表情をして紙を差し出される。


「え?」


 A.受け取る

 B.断る

 C.自分の番号を伝え、連絡を待つ


 真剣な表情の慎太郎君を断ることが出来ず、紙を受け取ってしまった。


「色々話してたみたいだけど、なんか言われた?」


 店を出ると麻友が心配そうに私を見る。


「大丈夫。世間話ししてただけ。」


 私から慎太郎くんに連絡することは、まずないだろう。麻友に見られないように、紙をこっそりカバンの中にしまった。大君達との待ち合わせ場所まで歩いていると、懐かしい景色を目にして、5年前の花火大会の日を思い出してしまった。忘れかけていたはずなのに、慎太郎君のせいで鮮明に思い出してしまった。

 当時、私には大学生から付き合っていた彼、かけるがいた。翔は就職して1年程で海外へ転勤することになった。初めての遠距離恋愛は不安だったが、携帯で連絡は取れたし、数ヶ月に1回は翔に会うことが出来たせいもあり、思っていたよりは寂しくなかった。何より、国内ならともかく、遠く離れた海の向こうに行ってしまった翔とはそう簡単には会えないと、割り切っている部分もあった。5年前の花火大会の日に久しぶりに翔と日本で再会をした。


「翔とこうやって歩くの久しぶりだね。なんだか少し痩せたみたいね。ちゃんと食べてる?」


 河辺を2人で歩きながら花火会場へ向かっていた。


「ああ。美和は相変わらず元気そうだな。」


 久しぶりに会う翔は、以前より痩せて、疲れているように見えた。


「そうだ。今度、長期の休みが取れることになったから、そっちに長く滞在できるかも。」


 少しでも元気づけようと笑顔で翔を見上げると、翔が立ち止まった。


「美和。俺たちもう終わりにしないか?」


 1発目の打ち上げ花火が上がった。頭の中が真っ白になった。


「え?」


「俺がいなくても美和なら大丈夫だろ。」


「なんで急にそんなこと言うの?私は、翔がいなくて寂しかったよ。」


「俺は美和がいなくて寂しくて、こんなにボロボロなのに、美和はそんなことないだろ?」


 翔は寂しそうに笑った。


「もっと連絡を取り合いたかったんだ。」


「え?そうだったの?言ってくれれば良かったのに。」


「ってなんで俺だけが、弱音吐いてるんだろうな。」


 花火を見上げる翔の表情は疲れ切っていて、遠く離れた場所から私を想うことに疲れ切っているようにみえた。


「私は会いたかったよ。でもすぐに会えないからしょうがないじゃない。電話で泣き言を言うより、明るい声で翔を支えたいと思っていたから…。」


「美和は強いんだな。俺はそんなに強くないんだよ。」


 翔は消えそうな声で呟いた。私だってそんなに強くない。強がっているけど、本当はそうじゃないことを翔は気づいてくれていると思っていた。


「もう、しばらく1人で仕事に専念したいんだ。ごめんな。」


 翔の言葉にショックを受け、茫然としていると、翔は1人歩き去ってしまった。

もう、あれから5年もたったんだ。翔を支えることができなかった自分にずっと後悔をしていた。別れてからの5年間ずっと立ち止まっていたままだった。


「おまたせー。」


切ない気持ちに浸っていた私は、麻友の声でハッと我にかえる。目の前には、浴衣を来た茂君と大君が立っていた。


「こんばんは。2人とも浴衣すごく似合ってるよ。」


大君が優しく微笑んだ。浴衣を着た2人はまるでファッション雑誌から飛び出したモデルの様だった。周りの人達が、2人に熱い視線を送っていた。


「茂達も浴衣似合ってるよ。やっぱり男の浴衣姿は3割り増しだね。美和。」


「う、うん…」


 キスをされそうになってから、顔を合わせるのが初めてだったせいか、恥ずかしくて大君の顔がまともに見られなかった。麻友と茂君は手を繋いで前を歩いて行く。


「俺たちも行こっか。はぐれると行けないから。」


 そう言って大君は私の手を取り歩き始めた。


「後で、大切な話があるんだ。2人きりになったら聞いてくれる?」


 大君が真剣な表情でこちらを見ていた。


「う、うん。わかった。」


 大切な話ってなんだろう。まさか告白?なんて妄想しながら歩いていると、麻友の声がして、ハッと我に返った。


「こっちこっち。」


 麻友が河辺で笑顔で手招きしていた。


「このあたりに座って花火見よ。」


 大君達が持ってきてくれたゴザを引いて、4人で腰を下ろす。


「花火までまだ時間あるね。何か買ってこようか。」


 茂くんが立ち上がる。


「私、チョコバナナ食べたいな。一緒に行く。美和の分も買ってきてあげるから、2人は場所取っておいて。」


 麻友が私に目配せすると、2人で歩いて行ってしまった。


「なんか気を使わせちゃったかな。」


 大君が照れたように頭をかく。しばらく2人で何も話さず川を見つめていた。


「美和さん、俺、美和さんに伝えないといけないことがあるんだ。」


「う、うん。」


 顔を上げると、大君はまっすぐ私のことを見つめていた。


「あのさ、俺…」


「うえーん。パパーどこー?」


 大君が言いかけた時、急に後ろで男の子の泣き声がした。驚いて振り返ると、4.5歳くらいの男の子が1人で泣いていた。周りに保護者らしき人は見当たらない。


「どうしたの?迷子になっちゃった?」


 慌てて、男の子に駆け寄り、顔を覗き込む。持っていたハンカチで涙を拭いてやる。


「ヒック ヒック。パ、パパがいなくなっちゃった。」


 男の子は泣きじゃくる。大君も駆け寄り、2人で辺りを見渡す。


「パパらしき人いないね。はぐれちゃったんだね。」


 心配そうに大君が男の子の頭をなでる。


「どうしよう。ここで待ってるか、一緒に探しに行った方がいいかな?」


 2人で相談している間にも男の子の泣き言はどんどん大きくなる。


「そうだなー。ヘタに動くとさらにはぐれちゃうかもしれないけど…パパとどこではぐれちゃったのかな?」


 大君が優しく男の子に尋ねると、男の子は出店の方を指差す。


「お店の前ではぐれちゃったんだ。」


 男の子はコクリと頷く。


「とりあえず、出店の辺りまで行ってみようか。」


「そうだね。」


 私と大君は男の子の手を取り3人で歩き出す。男の子はまだ泣いていたが、少し落ち着いてきたようだった。


「お名前はなんて言うの?」


「あさひ、3歳です。」


「歳も言えてえらいね。」


 褒めるとあさひ君は得意そうに笑った。涙が止まったようだった。少し元気がでてきたようで、笑顔を見てホッとする。


「今日はパパと二人で来たの?」


「そうだよ。パパと2人で来たの。」


 あさひ君が無邪気な笑顔で答える。


「そっかー。すぐに見つかるよ。」


 大君はあさひ君の頭を撫でる。


「そうだ。お空の星にお願いしたら、パパに会えるかもしれない。」


 あさひ君が急に私たちの手を離し、空を見上げてお祈りのポーズをして目を閉じる。


「お星様。パパがいなくなっちゃったんだ。見つけて下さい!」


 健気なあさひ君の姿を見て、胸がキュッと締め付けられる。


「あさひ!」


 前方から男性が走って来た。


「パパ!」


 あさひ君が男性の元に駆け寄る。


 "ドーン"


 1発目の花火が打ち上げられた。


「あっ。花火上がっちゃった。綺麗。」


 思わず空を見上げる。


「美和?」


 急に名前を呼ばれ、声のした方に顔を向ける。あさひ君を抱きしめた男性の顔が、花火の光に照らされ、驚いた顔をしてこちらを見ていた。


「え?翔?」


 頭の中が真っ白になった。私たちの周りだけ時が止まったようだった。

















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