おてんばメニーナ

「ゆうしゃさま―っ!」


 遠くから、大声を発しながら駆けて来る子供のシルエットが見えた。

 盛夏には程遠いとは言え、すっかり夏の陽射しが降り注ぐ中を、そんな事は気にした様子も無く、無心に駆けて来るのは“おてんばメニーナ”だ。


「ゆ―しゃさ―ま―っ!」


 さっきよりさらに大きな声を上げて、村の中央広場からこちらに駆けて来る。

 恐らくは村長宅へと向かうエノテーカと途中で出会い、俺の事を聞いたのだろう。

 この村で、俺の事を“様付け”で呼ぶのは彼女くらいだ。

 それ程彼女は俺に懐いている。


 彼女の声音、喋り方、風体からは人間で言えば十二、三歳程度に見えるが、実際は俺よりも長く生きている。

 魔族は長寿の種族なのだ。あんなに幼く快活に見えるが、実は五十三歳と言うのだから、「人」は見かけに依らないものだな。

 走る度に振り乱される長く美しい紫色の髪と、そこから覗く短い二本の角。

 幼さを残しながらも端正な顔立ちと美しい紫色の瞳は、きっと人間界でならすれ違う人達の目を奪う事だろう。

 まだまだ成長途中だが、体の線はもう女性のそれに随分近づいている様に思う。

 このまま歳を重ねれば、間違いなく美しい女性へと成長するだろう。


「勇者様! 今日は何の用事で来たの?」


 だが、俺の目に映る彼女はまだまだ子供だ。

 息を弾ませて俺の元まで駆け寄って来たメニーナは、目を爛々と輝かせて俺にそう聞いて来た。

 彼女は、その見た目年齢と同様にとても好奇心旺盛な少女で、“しきたり”により安易に村の外へ出られない現状を、とても不満に思っている。

 だから、時折やって来る俺が話す事を、とても楽しみにしているのだ。


「今日は村長の所に行こうと思ってな。今、村長と会えるように、エノテーカにお願いしている所だ」


 俺は、用件を明確に話さずそう答えた。

 本来の目的を話したなら、がまた始まってしまうからだ。


「……はっ! 分かったっ! “龍の墓場”に行くのねっ!?」


 だが、やたらとそう言う事には勘の鋭いメニーナは、すぐその事に気付いてしまった。

 そしてその後はこう来るのだ。


「ねぇ―っ! 私も行きたい―っ! 連れってってよ―っ! ねぇ―っ! ね―え―っ!」


 俺の腕を取って、メニーナはそうせがんだ。

 また病気が始まってしまった……こうなったら数時間は治まらないんだよなー……。

 もっともその好奇心が、俺をこの村に招き入れる事の切っ掛けになっているのだから、一概に俺が怒る事や拒否する事も出来ない。

 村長とエノテーカに宥めてもらうより手は無いのだ。





 俺がメニーナと初めて会った時、彼女はこの村の郊外で魔物に襲われていた。

 死狼族ヘルハウンドと呼ばれる、この辺りに縄張りを持つ巨大な狼の魔物だ。

 外見は人間界に住む狼そのものなんだが、その大きさと魔法を使う所が大きく異なる。

 二匹のヘルハウンドに襲われ退路も無く、傍目から見れば絶体絶命のピンチだった筈だ。

 だが、彼女は悲鳴も上げなければ、諦めもしていなかった。

 手にした短剣を構え、明らかにレベルが違うモンスターの攻撃をよく耐えていた、そして、ジリジリと村の方へ後退していく。

 メニーナの風体が少女でなければ、間違いなく優秀な冒険者だと思っただろう。


 その内、流石に彼女一人では抗しきれなくなった様で、ヘルハウンドの攻撃を捌いていた短剣が、彼女の手から離れた。

 しかし、最後まで諦めなかったその姿勢が、俺の援護が間に合う時間を稼いでくれたのだ。

 彼女が絶体絶命と言う瞬間、俺の剣閃が二匹の魔獣を両断した。

 彼女にとっては強敵なヘルハウンドも、俺にとっては雑魚でしかなかったからだ。

 僅か二振りでヘルハウンドを仕留めた俺に、パチクリとした目を向けていたメニーナ。

 その後に安心からか大泣きする辺りは、まだまだ幼い女の子だと痛感した。


 メニーナの案内と彼女を助けた経緯から、俺はこの同族にすら閉鎖的な村に入り協力を仰ぐ事が出来たのだ。

 後で彼女から聞いた話では、外の世界に興味があっても出て行く事が許されない事に不満があり、ある日短剣一つでこっそりと飛び出したのだそうだ。

 目的地は特に無かったと言うから、無鉄砲にも程がある。

 そんな彼女は、俺との約束であの日以降、勝手に村から飛び出す事は無いそうだ。

 ただし、俺が村にやって来たら、冒険の話を聞かせると言う約束も同時にさせられてしまったが。

 そして彼女は、未だ村の外へと飛び出す事を諦めてはいないだろう。





「だめだ。“龍の墓場”は危険なんてもんじゃない。もし魔龍に見つかったら、怪我だけで済むなんてもんじゃないからな」


 俺は、空いている右手で彼女の頭を撫でて、優しくそう言い聞かした。

 そんな俺の顔を、彼女は頬を膨らませ半眼で見上げた。


「そんな事言ったって、何処でも連れてってくれないじゃない」


 そう言われると、俺には苦笑いしか出来ない。

 彼女がこの村から出る事を許されないのは、この村のしきたり故であって俺のせいじゃないんだけどな。

 メニーナに「ねぇーってば、ねぇー」を繰り返され、彼女を少し持て余し気味だったところに、救援は現れた。


「……メニーナ。あまりこいつを困らせるんじゃない」


 村長の元から帰って来たエノテーカが、彼女を諫める。

 俺からは彼が近付いて来るのを把握出来ていたが、背後から不意に声を掛けられる形となったメニーナの肩が勢いよく飛び跳ねた。


「な、なによー……エノテーカには関係ないじゃない」


 彼の方へ振り返り、唇を尖らせて抗議するメニーナ。

 その表情は紛れも無く、邪魔者を見る時のそれだ。

 俺としては、いくら彼女にせがまれても連れて行くという選択肢は有り得ないので、このタイミングで彼が来てくれた事は有難い。


「関係ない事は無い。お前はまだ子供だし、何よりも“しきたり”で自由にこの村を出る事は出来ないんだ」


 もう何度、何十度言い聞かせたか分からないであろう言葉を、再度彼女に言い聞かせるエノテーカ。

 相変わらずその表情は乏しく、察する事が出来ない者にとってはその真意を測る事等出来ないだろう。


「なによっ! エノテーカってば“しきたり”ばっかりっ! そんなのあたしには関係ないんだからっ!」


 そして、メニーナも察する事が出来ない側だった様だ。

 もっとも、幼くして (外見上は)人の真意を深く読み取る術を身に付けているのは、それはそれで考えものだ。

 さかしい子供と言うのは、どうにも好きになれないんだよな。

 メニーナの八つ当たりにエノテーカは何も答えず、無表情で (彼女にとってはだが)彼女を見つめ続けた。

 そして、その圧力に居た堪れなくなったのはメニーナの方だった。


「ふんっだ! 絶対この村から出てやるんだからっ! エノテーカのバカッ! 大っ嫌いっ!」


 そう捨て台詞を残して、彼女はさっきここへやって来た方へと駆けて行った。

 残された俺達の元には、どうにも気まずい雰囲気だけが残された。


「……その……なんかすまんな。お前が悪者になっちまったな……」


 その空気に耐えられなくなったのは俺の方だった。

 別に俺が悪い訳でも無いんだが、何となくここは謝っといた方が良い様な気になったんだ。


「……気にしていない。いつもの事だ」


 彼はそう言ったが、俺には分かった。

 結構本気で落ち込んでる時の顔だ。

 再び静寂がこの場を支配する。

 こういう時は何も話さないか、苦笑い的な愛想笑いしか出来ない。


「……そうだ、村長がお前と会うそうだ。すぐにでも会えると思うが……どうする?」


 そして、この場の空気を変えてくれたのは彼の方だった。

 ここで留まっているよりも、動いている方が気も紛れて丁度良い。

 早速案内してもらう事にした。





 俺は、エノテーカに連れられて村長の住まいに向かった。

 と言っても、本当は案内なんかして貰わなくても場所は知っている。

 村長宅に行くのは、今回が初めてという訳では無いからだ。


 だがそれはそれ。

 “しきたり”だの“作法”だの、手順を追う事が大切な事だってある。

 それにいくら親しくして貰っているとは言え、村の長に気安く会いに行く事は、他の村民の手前避けなければならない。

 俺は、魔族でも無ければこの村の者でも無いのだ。

 あくまでもエノテーカに案内される形で、俺は村長の元へやって来た。


 村長宅と言っても、それ程周囲の家屋と違いは無い。

 家は木造で、地面から床面が浮く様に造られている高床式。

 家の中は仕切りの無い一間のみだが、それだけに広い。

 ちょっとした広場程ある部屋の最奥で、長老は鎮座していた。

 彼の背後には何かを祀っているのか、祭壇のような物に篝火かがりびが焚かれており、昼間でもやや薄暗い部屋を煌々と照らしている。

 俺は、作法にのっとって村長の前に腰を下ろした。

 エノテーカは、長老の傍らで控える様に座る。


「……また“龍の墓場”へ行きたいと言う申し出じゃが……」


 挨拶も無く開口一番、早速本題に入る村長。

 俺としては長く形式上の挨拶をするよりも、用件を単刀直入に切り出された方が助かる。

 回りくどいのは性に合わない。

 俺は、無言で村長の言葉に首肯した。


「すでに幾度か赴いている事じゃし、今更注意を喚起する必要はなかろう。これまでの対応にも問題は見受けられぬし、お主の要望を許諾しても良い」


 長く蓄えた髭を撫でながら、村長は鷹揚おうように答えた。

 この返答に、俺は疑問を持っていなかった。

 が、問題はこの後だ。


「お主が“龍の墓場”へ向かう事を許可する代わりと言っては何じゃが、一つ頼まれて欲しい事があるのじゃが」


 ―――来た。これだ。


 そもそも「魔龍の骨」を手に入れるだけなら、わざわざ龍の墓場に行く必要はない。

 何故ならこの村にも僅かながら「魔龍の骨」を備蓄しているからだ。

 必要ならば、この村で購入する事も可能だと思う。


 しかし、それが出来ない理由が俺にはある。


 そんな大した理由では無い。

 俺は魔界の貨幣を持っていない。

 それだけだった。

 人間界では結構な金額を持っているのだが、こちらでは人間界の貨幣を使用する事は出来ない。

 そして、それらを換金する事も不可能だ。

 この世界で俺が何かを得ようとすれば、それは見返りに何かを渡すか、要望に応えるしかない。

 俺が異を唱えない (唱える事が出来ないのだが)事を了承と受け取った村長が、更に話を続ける。


「何、今回は事のついでとなるじゃろう。お主が向かう“龍の墓場”に生息している“龍草ドラゴングラス”を採ってきてくれれば良い」


 その言葉を聞いて、俺は少し安堵した。

 以前に要求された事と言えば、レベルの低くない魔獣のドロップアイテムだとか、到底人が分け入る事の無い、険しい山中に生息する植物だとか、兎も角とんでもない物が多かった。

 それらに比べれば随分とマシな話だ。


 もっとも、今回の依頼は条件次第で難易度が大きく変わってしまう。

 その条件はズバリ、魔龍が墓場に居るか居ないか。それに尽きる。


 龍は人間界でも最強の幻獣。それはこの魔界でも同じだった。

 この村が“龍の墓場”の墓守りを代々受け継いでいるとは言え、それは魔龍から襲われないと言う話では無い。

 この村の人々も、出来るならば“龍の墓場”に立ち入る事は避けたいのだ。

 勿論、いつでも魔龍がそこにいる訳では無い。

 墓場と言うからには、魔龍がここに来るのは、自らの死期を悟った個体に限る。

 ひょっとすれば魔龍もおらず、安全に採集出来る可能性もある。


 ―――だがもし魔龍が居れば……。


 その難易度は、恐らく今までの比では無い。

 しかし、どちらにせよ村長の言う通り、今回の依頼はついでにこなす事に変わりは無い。

 余計な時間を取られないと言う点では、今までよりも引き受けやすい事は間違いなかった。

 俺はその条件を受け入れ、礼を述べて村長の家を後にした。





 その日はそのまま、エレスィカリヤ村に宿泊した。

 出発は明朝早くにするつもりだ。

 エノテーカの酒場で夕食を摂り、宿泊施設である二階の部屋を借りた。


「……宿代は貸しだ。いずれ払ってもらう」


 本気かどうかはその表情から分からなかったが、とりあえず彼の好意を有難く受ける事にした俺は、明日に備えて早々に休む事とした。


(そう言えば、昼間別れてからメニーナは来なかったな……)


 あの聞きたがりなメニーナが、俺の話を聞きに来なかったのには疑問を持ったが、エノテーカと顔を合わせ難かったのだろう、俺はそれ以上深く考えず眠りに就いた。


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