ちょっと寄り道

 マルシャンの道具屋から転移魔法「シフト」で空間移動した先は、プリメロの街郊外に設置されている光の聖霊像付近、聖霊像より少し離れた場所にあるオブジェクトの前だ。


 このオブジェクトには、転移石が埋め込まれている。

 これに触れた事があり、且つこの場所をしっかりと覚えていれば、瞬時にここへ飛ぶことが出来るのだ。

 勿論、「シフト」を使えるのは勇者と高位魔法使いのみだから、誰でもここに瞬間移動して来れるという訳では無いが。

 冒険者が経験を積み、冒険を重ねて行けば、自ずと“転移石”の存在に気付くだろう。

 だが、それを使用した移動方法が取れるかと言うと、必ずしもそうでは無い。

 パーティメンバーに、「シフト」の使用可能な者がいなければならないからだ。

 例えいたとしても、“始まりの街”郊外にある光の聖霊像付近に設置されているオブジェクトの事等、すぐに思い出す者は殆どいないだろうな。

 ここに来る理由も、俺以外には誰も持ち合わせてないだろうし。

 この聖霊像は、現在確認済みであり、すでに封印してしまった異界洞と未だその存在が知られていない異界洞を除いて、唯一魔界へ行く為の所謂「転送装置」なのだ。

 ここにある聖霊像に「聖霊の証」を掲げる事で一時的に異界洞が出現し、魔界の“ある場所”へと移動する事が出来るのだ。

 わざわざこんな手順を踏むには訳がある。

 魔界へは転移魔法「シフト」を使って、直接転移していく事が出来ないのだ。

 光の聖霊様の加護は、魔界までは届かない。

 転移魔法「シフト」も聖霊様から与えられた御業の一つだから、それを使って直接転移する事は出来ないのだ。

 その他にも「魔気」の濃い場所であるダンジョンや塔、不浄な建物等の中には直接転移出来ない。

 そして、中からも出る事は出来ないのだ。

 兎も角、ここが魔界への入り口であり、俺がプリメロの街に居を構える理由でもある。

 俺は聖霊像の前に立ち、六角形で形作られ中央に聖霊印の刻まれた掌大の神石を頭上に掲げた。

 僅かな間があり、手に持った神石が眩い光を発する。

 そしてその光が収まると同時に、聖霊像の足元にはポッカリと異界洞が口を開けていた。

 俺は迷う事無く、その異界洞へと飛び込んだ。





「あーあ……また来たなー……魔界……」


 俺は大きな欠伸と共に、思いっきり伸びをして深呼吸した。

 すでに初夏とは言えない、濃い青葉の匂いをふんだんに含んだ空気が肺を一杯に満たす。

 俺が異界洞を抜けて降り立った先は、やはり聖霊像の足元だ。

 だが、その聖霊像は「光の聖霊様」を模した物では無い。


 よく考えれば分かる事だが、こちらの世界にも聖霊様は存在する。

 勿論、光の聖霊様とは違う容姿を持つ聖霊様だ。

 光の聖霊様を色で表すならば白、それも眩い光白色だとすれば、こちらの聖霊様は赤、煌めく紅色だと言える。

 神々しい羽根は四枚あり、面持ちも優しい、慈愛に溢れた表情をしていた。

 ただスタイルが抜群に良く、身に付けている衣服もどこか扇情的だった。

 聖霊様本人はそれを指摘されると、僅かに赤い肌を更に紅潮させて照れていたっけ。

 容姿だけでは無い。

 声も、性格も違う。

 そんな彼女は自らを、「闇の聖霊」と名乗った。


 だがこれはオフレコだが、俺は光の聖霊様よりも、闇の聖霊様の方に好感が持てる。

 全体的にも俺のタイプと言う事もあるのだが。

 それに、“闇”と言えば悪と言うイメージがあるかもしれないが、俺の実感では光の聖霊様の方が……腹黒いと思うんだけどね。





 此方の聖霊像は、その「闇の聖霊様」を模した物になっているのだ。

 人間界に聖霊様が居るのだ。

 人間界と何ら変わる事の無い世界であるこの魔界に、聖霊様が居ても全く不思議じゃないという訳だ。

 そして魔界から人間界に戻る時は、やはりこの聖霊像にまで来て異界洞を開かなければならない。

 ただし、こちらでは転移魔法「シフト」を使う事は出来ない。

 光の聖霊様の加護を受ける事が出来ないのだから、当然と言えば当然だ。

 ただ、魔王城とこの聖霊像を行き来するだけならば、「シフト」と同じ様に移動する事が可能だ。


 この手に持つ「精霊の羽根」を使う事で。


 これは闇の聖霊様から頂いた物だ。

 これのお蔭で、少なくとも人間界と魔王城への行き来は随分と楽になった。

 聖霊像から魔王城までは、結構な距離があるからだ。

 世界を統べる聖霊様に、善悪の感情は無いそうだ。

 ただその世界に脅威となる者を、聖霊様が選定した者にして貰いたいだけらしい。

 だからこの羽根をくれた事に、深い意味なんてないのかもしれないな。

 俺が困っていたから、手を貸してくれただけなのかもしれない。

 今回はいつもと違い、直接魔王城へは行かずに、一旦近くの村へ寄る事にしている。

 理由はアイテムの素材を手に入れる為。

 マルシャンへ定期的に提供している物で、「魔龍の骨」を手に入れる為だ。

 魔界に来れば、二度に一度は手に入れる為寄り道をしている。

 この「魔龍の骨」は、「超回復薬ホーリーメディス」の素材となっている為、俺にとっても欠かせない物なのだ。





 街道沿いにしばらく西へ向かうと、目的の村、「エレスィカリヤ村」が見えて来た。


「やあ、勇者さん、今日は」


「また来たのか、兄ちゃん」


 村に入るなり、村人達から気軽な声が掛けられる。


「ああ、また世話になるよ」


 俺も簡単に挨拶を返す。

 一見フレンドリーな村人に見えるが、こうなるまでには結構時間と手間が掛かっている。


 人間社会にも良く見受けられるが、この村は余所者に対して、特に風当たりがきつかった。

 魔界でも大きな町では、殆ど初見であっても人間の俺に寛容な所があるが、辺境の村や集落等は、対外的に閉鎖している所が多い。

 このエレスィカリヤ村は辺境の小さな村であり、長く古い伝統を受け継いでいる。

 部外者に対する風当たりは相当強く、当初は村長以外、誰も口も聞いてくれなかった。


 俺は、この村唯一の酒場へと足を向けた。

 村長に面会する為の、を付けて貰う為だ。

 随分と親しんでもらえる状態になっても、いきなり村の長に会う事は出来ない。

 酒場までやって来た俺は、如何にもなスイングドアを両手で開き店内に足を踏み入れた。

 陽光の眩しい外と、薄暗い室内との明暗で、一瞬視界がブラックアウトする。

 だがそれも徐々に回復し、中の様子が分かって来る。

 木製の丸テーブルが数脚あり、テーブル一脚に付き同じく木製の簡素な腰掛けが四脚置いてある。

 入り口正面にはカウンターがあり、その内側に目的の人物がグラスを磨いていた。

 昼間の酒場には客が一人もおらず、広めの店内にその男だけと言うのは実に殺風景だった。


「なんだ、暇そうだな」


 俺はカウンターに近寄りながら、その男に声を掛けた。


「……ふん。昼間からここに来るような奴は、この村にはいない」


 彼は一切表情を崩す事無く、瞳だけで俺を一瞥してそう答えた。


 不愛想で表情に乏しいこの男はエノテーカ。

 俺が初めてこの村に来た時、色々と話を聞かせてくれたり、村長への紹介に骨を折ってくれた男だ。

 一見すれば、酒場のマスターには似合わない優男の様だ。

 身長が高く細身に見えるので、病弱でひ弱に見えなくも無い。

 彼の青い肌と、痩せこけた頬を持つ表情が、その印象に一役買っている。

 だが、魔族である彼の肌が青いのは生まれつきであり、後天的なものでは無い。

 頭から長く伸びる二本の角、ドラゴンの如き黒い二枚の羽根。

 見た目から、明らかに魔族である彼の力や能力が尋常でない事を俺は知っている。

 彼はこの村では珍しい、余所者に対しても友好的に対応してくれる人物だ。

 もっとも、彼の態度や表情が友好的かどうかは疑問だけどな。


「今日は何の用件で来た? 輝光アダマン石でも採りに来たのか?」


 俺がここへ来た理由に興味が有るのか無いのか、彼の言葉には抑揚が無い。

 だがそれもいつもの事だ。


「いいや。それも欲しい所だけど、今日は魔法エーテル石を持って来てないからな」


 俺は、お道化る様な仕草をしてそう答えた。





 魔界でしか採掘出来ない輝光石。


 人間界でしか手に入らない魔法石。


 この二つが、実は人間界と魔界が争う発端の一つである事を、俺は旅の途中で知った。

輝光アダマン石」は加工後、一定温度で高硬度となり安定する。

 その硬さは、人間界で採掘出来る最高の金属「超鋼ミスリル石」を遥かに上回る。


魔法エーテル石」は、人間界で取れる鉱石を錬金術で精製した物で、魔法的効果を含む武器や防具、道具類に使われる。

 魔界では非常に珍しい物らしい。


 商人の様に取引や貿易でそれぞれを得れば争いにはならなかっただろうが、双方は“独占”する事を望み、今の状態に至ったのだ。

 結果として魔族が人間界に侵攻する事となったが、その実それは紙一重のタイミングだったようで、人間界でも魔界侵攻の準備を進めていたらしい。

 魔族の侵攻を阻止するつもりで異界洞を封印したのだが、それは魔族にとっても有難かったのではないかと今は思う。

 逆に、人間界の権力者達は歯噛みしているかもしれないな。

 俺としては複雑な気分だが、この魔界が人間の欲望に任せて戦禍へと巻き込まれなかった事には安堵を覚えている。

 魔族は、人間と大きく変わる種族じゃ無い。

 風体、思想、文化。違う所は様々あるが、それは人間同士でも同じ事だ。

 そう考えれば、好んで対立する意味は無い筈だ。

 事実、俺はこうやって彼等から協力を得る事が出来ている。





「今日は魔龍の骨を取りに来たんだ。その事で長老に目通り願いたいんだが」


 俺の言葉に、作業をしていたエノテーカの動きが止まる。


「……またか……“龍の墓場”には、そう易々と立ち入って良い訳では無いんだがな」


 溜息交じりの言葉。

 そこには諦めの要素も含まれている。

 魔龍の骨は、この村の西にそびえる山脈にある、“龍の墓場”と呼ばれる場所で手に入れる事が出来る。

 龍の墓場とは文字通り、死期を悟った龍が最期を迎える場所の事だ。

 この村は代々、その場所の墓守りを行っているのだ。

 魔龍の骨を拾いに行く事は勿論、そこへ立ち入る事も村長の許可が要るのだ。


「それは分かってるんだが、俺としても準備を怠って生き残れるとは思ってないんでね」


 そう零す俺の顔には、ついつい苦笑いが浮かんでしまう。


「なんだ……もう超回復薬ホーリーメディスが切れたのか? いい加減諦めてはどうなんだ?」


 彼の言葉から分かる通り、俺が魔王城攻略、延いては魔王討伐に挑んでいる事を彼は知っている。

 いや、エノテーカだけでは無く、この村に住む者は全員周知の事実だ。

 それでもこの村の住人が俺に好意的なのは、別に魔王を倒して貰いたいからという訳では無い。

 どちらかと言うと、彼等も魔王支持派だ。

 だが、支持すると言う事が、擁護すると言う事にはならない。

 これは、彼等の文化や教義に因る所が大きいようだ。

 彼等魔族は、必ずしも好戦的という訳では無い。

 話し合いで解決する事ならば、それで済ませる事が殆どだ。

 だが、それでも解決しない時は、“武”をもって是非を決するそうだ。

 俺が魔王に異を唱えるならば、自身の力を以てそれを示せ。

 それが彼等の教義であり、その事に口を挟む者はいないのだ。

 それに俺が単身で乗り込んでいる事も、彼等の好感を買っている一端はある様だ。

 武を貴ぶ魔族らしいと俺は思った。


「魔王をどうするかは……会ってから決めるよ。会ってもいない内に諦めるつもりは無いね」


 俺の言葉に彼は満足したのか、今日初めて俺でも分かる表情をした。


「……そうか……では、少し待っていろ」


 ニヤリと微笑んだ彼は、持っていたグラスを片付けてカウンターから出ると、そのまま出口へと向かった。

 村長の所へ行ってくれるようだ。

 彼の返事を待つ間、俺は店の外で腰を下ろして待つ事にした。

 別に中で待っていても良いが、こんな天気の良い日は、外で風を受けていた方が数倍気持ち良いに決まってるからだ。



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