遠くの現実


まだぼんやりとしている頭と体を起こす。あの日から数日たった。なのにイシュルの心の中は依然としてあの日芽生えた思いが消えてはいなかった。隣で寝ているはずのロイはもう起きているのかいない。慌てて時計を確認する。5時46分。


「しまった!」


急いで寝床を整え顔を洗い配給所に向かった。

着いたのは5時52分。あと8分で朝食を食べそびれるところだった。




「だあぁ〜重いっ!」


「早く運んできなよ、遅いってまた来るから」


「なぁ、イシュルお前行ってこいよ」


「何でさ?今日はロイの番だろ」


「いや、この前お前サボったよな!?あれ俺一人でやったんだぞ!ってことで行ってこい」


「はぁ……仕方ないな」


「うっし!よろしくぅ!」


一人喜んでいるロイに呆れながら小麦の入った袋を持ち上げ台車に乗せていく。確かにグシュガーさんと別れ倉庫に向かった頃には作業は終わっていた。イシュルがやったことと言えば倉庫の鍵締めくらいだ。まぁ、これくらいはいいか。そう思う。小麦を乗せた台車を港に運ぶ。手が痛い。台車を使ってこんなに手が痛いなんてどうなっているのだろう。とにかく早く戻らねばまたロイがサボりだなんだと言い出してしまう。だが、目に付いてしまった。


「あれって」


早く戻らねばと思いながらも脇道にそれて広いところに出た。あたりを見回すがいるのは奴隷や商人ばかりで特に何もなかった。誰かと見間違えたのだろうか。


「何やってんだよ」


「何してるんだい?」


「何って、ぜんっ!?!あ……」


目の前に先日あった英雄がいた。名前は……レイラルだったはずだ。


「あ、レイラル様……え」


「やぁ、この間ぶりだね」


「……あ!この前はその、無礼を、すみませんでした!」


この前突然走り去ってしまったことを思い出し謝る。頭を下げていると何故か、


「ふっははははあはは」


笑われた。理由が分からなくて見つめていると、


「いやすまない。気にしなくていい」


「は、はぁ」


「久し振りだね。俺のことは知ってるみたいだったけどレイラルだ。よろしく。君は?」


「僕は……イシュルです」


それにレイラルは何故か驚いたような顔をして、


「そうか……イシュルね。仕事中かな?」


「そう、レイラル様は?こんな所でなにを」


「いやぁ、特になにかしに来たってわけじゃないけど」


困ったように笑いながらレイラルが歩き出す。それにつられるようにしてイシュルも歩き出しした。


「ここは楽しいかい?」


「たっ楽しい?」


「それとも辛いかな?」


「楽しくは、ないですね」


まさか楽しいかと聞かれるとは思ってもみなかったからか返答がぎこちなくなる。楽しいかどうかなど考えたこともなかった。


「ははっそうか、俺も仕事は楽しくないよ。怖いしね」


「……こわい?レイラル様が?冒険者ですよね」


「そう、冒険者だ。毎日命の危機にさらされてるんだと思うとねこわいんだよ」


その言葉にイシュルは反論する。


「でも、自分でした選択だ」


「自分でした選択にも後悔することはあるさ。それこそ英雄なんかになっても後悔はしてる。」


「それでも僕達よりかはましだよ」


「そうかな?俺は命の危険があるなら奴隷の方がよっぽどいいと思うけど」


その言葉にムッとしたイシュルは言った。


「それは!あなたが奴隷じゃないからだ!知らないから!」


「奴隷の辛さを?」


「自由の無さを!」


知らないからそんなことが言えるのだ。何もかも持っているからそんなことが言える。もし、レイラルが少しでもイシュルと同じような立場を経験したならばそんなことは絶対に言えないだろう。だがそんなイシュルを見てレイラルは言った。


「知らないさ。奴隷のことなんてね。」


「なら……」


「だがそれはイシュル、君も同じだよ。知らないから言える。自由の怖さを。冒険者という仕事を、知らないから自分よりはましだろうと考える。お互い様さ。違うかい?」


「そ、それは……」


正論を返された。当たり前だ。相手には当てはまって自分には当てはまらない理屈なんてものはないのだ。レイラルの正論にイシュルはうつむいて考える。


「平民は今の君よりも幸せだと思うかい?」


「う、うん。」


「だが奴隷でいた方が安全だ。命の保証はされている。平民は……普通の仕事に就いていても危険はつきものだからね。おまけに稼げなければ餓え死ぬ」


そこまで言ってからレイラルは立ち止まってこちらを振り向く。


「それでも、それでも君は奴隷よりいいと言えるかい?」


「言える」


「なぜ?」


「だって!……安全だからって、飢え死ぬことがないからって何も考えずに誰かに従ってる人生なんて嫌だ!そうやって生きてたら、いつか死んだ時に誰かを恨むことになる..」


「……」


「あ、えっと..」


何も言わないレイラルが怒っているのかと不安になり顔を上げる。


「あの、レイラル様?すみ..」


謝りかけたところで後から声がかかった。


「れ、レイラル様!こんな所におられたのですか!そ、そろそろじがんです。クラン様はもういあっしゃっってます!!」


声の方を見ると港で何度か見たことのある男が走ってきていた。レイラルを呼びに来たようだが、今世界で最も有名となった英雄を前にして緊張しているのかかみかみだった。


「ん?もうそんな時間か。ありがとう、いまいくよ。イシュル。悪いがこのあと用事があるんだ、今日はこれで」


「あ、はい..」


バタバタと去っていくレイラル達をしばらく呆然と見ていた。怒らせてしまっただろうか。今更ながらに自分の言ったことを後悔する。考えてみればレイラるとて平民から生まれただならぬ苦労と努力の末に英雄となったのだ。それをただ現状を不満に思っているだけのイシュルが自分の方が辛いというのは違うだろう。それを言うならばイシュルもレイラルと同等のいや、レイラル以上に努力しなければ言ってはいけないことだ。また会うことがあれば謝ろうと思う。英雄に会える機会などそもそも無いはずなのだから会うことはないかもしれないが。



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