願いと現実



戻ったイシュルは言い訳をするまもなく殴られた。かなり強く殴られたので歯が折れてしまった。腕が腫れて全身が痛みを訴えてくる。だが、イシュルの頭の中を支配していたのは先刻会ったあの英雄達だった。


「! ‥‥シュル!イシュル!」


「え?あ、ロイ。どうしたの?」


「どうしたのじゃねぇだろ置いていきやがって!」


目の前にロイの顔があった。彼もイシュルと同様に殴られたようであちこちが腫れ上がっていて口が切れたのか血が出ていた。

そういえば置いていったのを忘れていた。


「あーごめん。忘れてた」


「ひっでーなあ!?俺そんなに存在感ない?」


「いや、存在感ないってわけじゃないけどあ〜その……」


「…………はぁ、どーせレイラル様のことでも考えてたんだろ?」


「レイラル様?」


「?お前のこと心配してくれてた人だよ。イシュルだって知ってるだろ?聖騎士レイラル!勇者とか救世主とかまでいわれてる人だよ!あ〜!かっけぇよなぁ」


「あぁ……あの金髪の人が…聖騎士レイラル...?」


覗き込んだ顔を思い出す。射抜くような瞳は強くもあり優しげで、鎧をつけた身体は実際の何十倍もの大きさに見えた。


あれが英雄か…


今でも強烈にイシュルの心に残り続けるレイラルという男。凄かったとかかっこよかったとか感動したとか、そんな風な言葉では表せないような気持ちの悪い思いが渦巻いていた。確かに感じるのは英雄を見た時から続く興奮と高揚。


「ほかの英雄様もすごかったぜ!マリー様とか噂よりぜんっぜん可愛かったよな!テグス様の大楯とかさあんなの持ててるだけですごいっての!あぁ...いいなぁ〜!俺もなれたら‥‥」


不意にロイの言葉が止まった。


「………………」


どうしたのかと見ていると、


「いや、無理なのは知ってるぜ?だって俺ら自分ですら持てないもんな。これはただの夢!夢は夢で終わらせますって!何言ってんだみたいな顔すんなよ」


ロイが言い訳をするかのように捲し立てていく。そんな表情をしていただろうか。きっと本当は夢で終わらせたくはないのだろう。だが、現実はそんなに優しくない。イシュル達は奴隷でその所有権は主人にある。イシュル達自身にはない。奴隷が身分を上げるには多額の金を払うか、身分が貴族以上の者に解放してもらうしかない。奴隷という身分を脱せない以上やりたいことをやるなど不可能だった。勿論イシュル達には金も貴族へのツテもなかった。それにもし、もしだ、身分をあげ平民になった所で英雄になるなど夢のまた夢だ。平民が戦うような職は冒険者があるがそれとてあまり儲かる職業ではなかった。たぶん毎日食べていくのが精一杯なはずだ。それ故に冒険者になるものは少なく、なったとしても早々に諦める者、途中で死ぬ者が多かった。レイラルのように剣に秀でるものは極一部で、魔法なんてものは平民にとっては幻のようなものだった。一生に1度魔法を見られたらそれ以上の幸福はないと謳っている人もいるほどだ。

英雄達とイシュルやロイとでは別世界、別次元、天と地ほどの差があるのだ。身分、才能、金、名声、人望その全てがなかった。絶望的に、なかったのだ。



「あぁ、なれたらいいよな...」


イシュルのその言葉にロイの顔がパッと明るくなる。


「だよな!そうおもうよな〜!うんうん、そしたらさ、すげーうまい飯食いてえなぁ。イシュルは?なんかしたいことある?」


「僕は...そうだな。本を読みたいな。あ、でもその前に字を習わなきゃかな?」


「本?本……本か~ふーん。まぁでもやっぱ憧れるよな!」


憧れる、果たして僕は英雄に憧れたんだろうか。少し違う気もする。憧れるというよりももっと汚い、暗い思いだ。憧れよりも先にその想いが来てしまった。


「不公平だろ」


「へ?」


そう。不公平だ。あの輝きに僕はきっと嫉妬したんだ。妬んだんだ。なんで?なんで?なんで?なんで僕はこうなんだ?なんで彼らはそうなんだ?そんなに持ってるなら少しくらい分けてくれよ。努力したんだろう。辛かったんだろう。悩んだんだろう。苦しんでもがいてたどり着いたんだろう。すごくいいじゃないか。努力してそこに立てたならすごくいいじゃないか。努力して叶うならばいくらでもした。でもちがう。そんなものはなんの意味もなさない。意味があるのは生まれついて持っていた物。


「僕は……」


「どした?なんかあったか?」


「僕は奴隷をやめたい」


「ん……?あぁそうだな。そりゃおれだって…」


「だからさ、どうすればいいかな?」


「どうすればって……」


「なんで僕達は奴隷なんだ?何で彼らは英雄なんだ?この差はなんだろう。奴隷をやめたら埋まるのかな?」


「いや、無理だろ。まずな、金なんてないぞ?貴族に知り合いもいない。今からなんてどっちも無理だしな」


「あぁ...そうじゃなくてさ、逃げようかなって」


「うん、逃げようかなってね」


「どう?逃げようよ、ロイ」


「あぁ、うーん、いや、いやいや、まて、なんでだ?何で逃げるんだよ?」


「何でってだってそうじゃないとずっとこのままだ」


先程までヘラヘラと笑っていたロイが真剣な顔で目を合わせてくる。


「いや、そうだけどな?そうだよ。ずっとこのままだ。そりゃ辞めれるなら辞めたい。なりたくてなったわけじゃねぇし?」


「じゃあ逃げよう」


「違うって!逃げれるわけないだろ?クラン様だぞ?地の果てまで追いかけられる!んで捕まって処刑!それがオチだよ、そんなの命かけてやる事じゃねえだろ?」


「…」


「っ!何が不満なんだよ。そりゃ英雄には程遠いけどさ、不味いけど飯もある。選べねえし辛れぇけど仕事もある。雨風凌ぐくらいの建物もある。何がそんなに駄目なんだ?逃げたって野垂れ死ぬだけかもしれねえだろ?」


分かりきっている正論を突きつけられたイシュルは目をそらして、


「そう、だね。そうかもしれないけど……」


「ああ!そうだよ。お前きっと興奮してるんだ。まだ」


「うん……ちょっと頭冷やしてくるよ。ごめん、変なこと言って」


「おう、俺ももうちょい寝るかな。朝にはまだ早い」


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