雪虫の消えるころには

津志 明日哉

序章 雪虫の季節

 北海道で季節の移り変わりは、色彩の増減で表すことができる。

 春の初め、白い雪の中に顔を出した緑の新芽は、瞬く間に辺りを緑一色の草原へと覆いつくし、一面の緑の中、ポツリと咲いた花が一つずつ色を加えていくと、夏には様々な色の花々が緑の草原を色彩あふれる世界へと変える。季節が秋に向かうと、その色彩は少しずつ失われ、黄色を基調とするものへと移り、秋の深まりとともに、黄色から赤へ、赤から茶色がかった深い赤へと変わり、やがて、その色もあせて、色彩を失った薄い灰色が世界を支配する。そして、季節が冬へと移り、雪が降ると、色を完全に失った白と黒の濃淡のみで表されるモノトーンの世界へと、その景色を変えていく。

 雪乃が、故郷の旭川の地に降り立ったのは、冬を迎える直前の季節。世界が色彩を失う寸前の、薄い灰色が辺りを覆っていたそんな季節だった。


 「ホーント久しぶりよね。何年ぶりになるかい」

 向かいの席に座った瑞枝が、昔と変わらない、気さくな調子で話しかけてきた。久しぶりに聞く、地元の訛りが懐かしい。

 「うん、高校卒業してからだから、えーとぉ、十、二十と…、二十四年?五年?それくらいになるかな」

 瑞枝の問いかけに、雪乃はそらで計算しながら、その年数を答えた。

 「もうそんなに、なるんだ…。でも、その二十五年の間、全く帰って来ない上に、なーんも連絡よこさんかったもんなあ」

 「なんもって…。た、たまには連絡してたしょ」

 雪乃がムキになって言い返した言葉には、それこそ二十五年全く口にしていなかった、地元の訛りがいつの間にか現れていた。

 「たまーにね。十年に一度くらい。後は年賀状だけ。結婚式ぐらい呼んでほしかったわ」

 「ごめんね。これからはもう少しちゃんと連絡するから」

 「ハイハイ、また十年後に待ってるわ」

二人は同時にクスリと笑った。高校時代そのままの雰囲気で進む会話。ただ、いつも一緒に笑っているもう一人がまだ来ていない。

 「そういえば、桂子は?」

 「連絡してるから、もうじき来るはずだよ。ほら、噂をすれば…」

 瑞枝が指を差す方向に雪乃が振り返ると、もうすでに目に涙を浮かべ、こちらに駆け寄ってくる桂子の姿が見えた。

 駅前の繁華街、平和通り買物公園の一角にあるデパートの喫茶店で、雪乃は高校時代の友人である瑞枝、桂子との二十五年ぶりの再会を果たした。


 (二人とも、変わっていないなあ)話しながら、雪乃はしみじみそう思っていた。

 ショートカットの似合うスポーティーな美少女だった瑞枝。地元でも有名なお医者さんの娘で、おっとりとお嬢様然とした雰囲気を持った少女だった桂子。今でもその頃の雰囲気は変わっていない。かくゆう、雪乃も高校時代の可愛らしく、愛らしい風貌そのまま大人になった感じで、もともと幼い顔立ちのため、実年齢よりも相当若く見える。三人ともそれなりに年齢を重ねてはいたが、二十五年の月日は感じさせなかった。いや、『変わってない』と思ったのはなにも外見のことだけではない。


 今回、雪乃が北海道に来たのは、定年後、旭川近郊の田舎町で隠遁生活していた父が倒れたと連絡があったからだ。東京に夫と小学生の息子を残し、急いで駆けつけた雪乃だったが、着いた頃にはすっかり回復し、看護士をからかっている父親を見て、拍子抜けしてしまい、顔だけみて、そそくさと病院を後にしていた。ただ、北海道まで来てそのまま帰ってしまうのも正直もったいない話で、夫も2,3日ゆっくりしてくるといいといってくれたので、旭川に寄って瑞枝たちに会うことにしたのだ。

 とは言うものの、二十五年ほとんど連絡も取っていない二人に声をかけるのは、相当勇気の要ることだった。しかも、高校時代最後の一年、二人とほぼ絶縁状態だった上に、卒業してすぐ、逃げる様に東京へ行ってしまったことも考えると、会う約束はしたものの、二人が自分のことを一体どう思っているのか、昔と同じように接することが出来るのか、会うと決めた後でも、雪乃は不安でたまらなかった。だから、今日の再会は楽しみな、半面少し気重にすら感じていた。

 しかし、雪乃との再会を心から喜び、昔とと変わらない態度で接してくれる二人に、不安はすぐに消し飛んてしまっていた。三人は、堰を切ったかのように二十五年間、溜まりに溜まった話題を、一気に、次から次へと話していた。子供のこと、夫のこと、家族のこと、仕事のこと、住んでいる地域のこと、趣味や好きなテレビドラマのこと。話している内に、自分が今高校生あるかのような感覚にすら雪乃は襲われていた。自分の話す言葉の端々に、二十五年間全く話していなかった地元の言葉が、自然と口から出てくるにつれて、そのまま二十五年の時を遡っているかのように感じていた。


 「でも、今日は本当に良かったわぁ。昔の雪乃が戻ってきたみたいでぇ」

 相変わらず少し語尾を延ばした甘えるような口調で話す桂子の言葉に、雪乃は彼女たちも自分と同じことを感じていたのだなあと少しうれしく思った。

 「そうね、あなたたちといると、昔に戻っちゃう感じね。あなたたちだってそうでしょ」

 すると、瑞枝が少し悪戯っぽい表情を浮かべて言った。

 「いやいや、そんなんじゃないっしょ、桂子」

 「そう、高校2年ぐらいの、よく私たちと遊んでた頃の雪乃のことよぉ」

 「え、え、どうゆうこと?」

 二人が言っていることは、どうやら自分の考えていたこととは少し違っていたようだ。様子がわからない雪乃は、小首をかしげ二人を見るが、瑞枝と桂子の会話は、そんな雪乃を置き去りにして、どんどん先へと転がり始めていた。

 「うるさいくらい、元気で明るくって」

 「うん、いっつも、ころころ笑っててぇ」

 「なんか、めんこい(=かわいい)って言うか、癒されるって言うか、一緒にいると楽しいし、落ち着くんよね」

 「ねぇねぇ、それでいて、妙に一途なとこなかったかなぁ?」

 「違うって。あれは何かに夢中になると周りが全く見えなくなっちゃうだけさ」

 「そう、そんな感じだったねぇー」

 「いきなし(=いきなり)二人乗りの自転車から飛び降りてみたり」

 「猫追いかけてぇ、頭、ゴツンとぶつけたりぃ」

 「あれ、考えこんで購買部の品、お金払わず持ってきたこともあったしょや」


 「なにそれ、ただのイタい子じゃない」

  人をネタに大いに盛り上がっている二人に、雪乃はちょっと膨れる仕草で応えたが、

 「でも、あんた、そんな感じだったのよ」

 と、雪乃の不満を一蹴するように。瑞枝が返した。

 「そーかな…」

 雪乃は、納得のいかない表情を浮かべそうつぶやくながら、目の前のコーヒーを手に取った。雪乃が茶々をいれたせいで、少し会話の間が空いた形になったが、今度は、瑞枝が真顔になって、少しトーンを変えて話し始めた。

 「でもね、高2の3学期くらいになると急に滅多に笑わんくなって」

 「そうねぇ、雰囲気も暗いって言うかぁ、近寄り難いって言うかぁ、そんな感じだったよねぇ」

 桂子も同じく真顔で答えた。雪乃は上目遣いに二人を交互に見ながら、コーヒーを一口飲んだ。

 「そうそう、結婚して子供がいるって言うのもぉ、驚いたわよねぇ?」

 「そっかあ、そーいやそーね」

 桂子の言葉に、瑞枝も妙に感慨深げに同調した。

 「え、なして?」(なして=なぜ。どうして)

 心当たりのない雪乃は、思わず出た地元の言葉で尋ねると、瑞枝は少し強い口調で言った。

 「ほら、あんた『恋愛なんか絶対しない!』とか、『結婚も絶対しないし、子供も作らない!』って言ってたしょや。覚えてないかい?」

 「そーだった…かな」

 言われて少しだけ心当たりのあるような気がした雪乃は、少し気恥ずかしくなり、思わず二人から目をそらした。しかし、そんな雪乃を再び置いてきぼりにして、瑞枝と桂子はまた二人だけで会話を始めた。。

 「あ、でもぉ、最初のうちは全然違ったんでないかなぁ?『恋に恋する乙女』って言うか、なんかそんな感じ?」

 「そーね。あんた、映画見たり漫画読んだりしては、『あー、あんな恋愛がしたい』とか、そんなことばっか言ってたしね」

 それは雪乃もはっきりと覚えていた。当時、恋愛もの小説やマンガを次から次に読み、ラブストーリーの映画やドラマを片っ端から見て、そこに描かれていた恋愛に憧れていた。その年頃の女の子にはありがちな、ごく普通の子のように…。高校二年のあるときまでは。

 「それも急に変わったのぉ…。あれは…」

 と、桂子は軽く腕を組み、古い記憶を探った。

 「ほらぁ、ちょうど今ぐらいの時期じゃなかったかなぁ?そう、雪乃、あなた、トラックに轢かれかけたことあったっしょ」

 「トラックに轢かれかけたのは、もう少し前の紅葉とか綺麗な時期だったけどね」

 瑞枝が時期を訂正した。

 「あの事故は、あたし、目の前で見てたからさ、強烈に記憶に残ってんのさ。でもね、あれから少しごちゃごちゃがあって、それからだよ、すっかり性格が変わっちゃったの」

 そう言って、瑞枝がふーっと小さな溜息をつくと、少し気まずい沈黙が訪れた。開けてはいけないパンドラの箱を少しだけ開けてしまった、そんな雰囲気だった。


 「ねぇ、雪乃。あの頃なんかあったんでしょ」

 沈黙を破ったのは桂子だった。桂子は、普段はおっとりしているのだが、こうゆうゴシップじみた話になると妙に積極的になるところがある。それは昔から変わっていないようだ。瑞枝はこうゆう時決まってそっぽをむいて興味がない体裁をとるのだが、このことについてはやはり気になるらしく、そっと横目で雪乃の方を窺っていた。

 雪乃は、桂子の勢いにすっかり押され、すこしおどおどしながら話し出した。

 「た、確かにそんなんだったとは思うけど…、なしてそんな感じになったんか、全く覚えがないんよ…」

 「なにそれぇ…。本当っに何にもなかったのぉ」

 桂子は執拗に食い下がってきた。

 「い、いやね。確かに、何か、なんというか、すごく衝撃的っていうか、ショックを受けたって言うか、なんかすごく大変な事があったような…。そんな気がするんだけど…」

 「ねぇ、そんな大変そうな事なのに、本当に何にも覚えてないのぉ?」

 「うん」

 「本当に?」

 「ホント」

 「なんにも?」

 「なにも」

 しつこく聞いてくる桂子に、雪乃が少し困った表情を浮かべていると。

 「まあすっかり忘れちゃうくらいショックだったってことっしょ。いいのそうゆうのは忘れちゃったほうが。もういいっしょ、雪乃も元に戻ったんだから」

 助け舟を出してくれたのは、やはり瑞枝だった。高校時代から瑞枝は妙に侠気のようなものがあり、今もその性格は、ボーイッシュな髪型同様変わっていないようだ。

 「そーお?じゃあ、しょうがないわねぇ」

 少し残念そうに桂子は言い、話を変えた。

 「ところで雪乃ぉ、東京にはいつ帰るのぉ?」

 その質問には、瑞枝が雪乃に代わって答えた。

 「明日よね。今日はウチ泊んの。ウチも今日は旦那が子供つれて実家行ってるから、ちょうどいいのよ。そうだ、けーちゃんもウチ来ないかい?」

 「そう?それじゃ、わたしもそうしようかなぁ。主人には遅くなるって言ってあるしぃ」

 「そうだよ、そうしなよ!今日はみんなでとことんやろうよ」

 瑞枝はそういってはしゃぐと、もうじっとしていられないという様子で、

 「じゃあさ、もういい時間だし、移動しようか。ウチでさ、心置きなくパーッとさ!」

 「そうねぇ、行きましょうか!」

 「うん、行こう!」

 3人は立ち上がると、それぞれ椅子にかけてあったコートを羽織った。そのとき、雪乃のコートの肩に何か小さな白いものついているのを桂子が見つけた。

 「雪乃。コートになんかついているわよぉ」

 瑞枝がその白いものを見て言った。

 「雪虫ね。これ」

 雪虫とは、秋の終わり、初雪が降るまでの短い期間見られる、体に白い綿のようなものを纏った小さな虫で、その小さく雪のようにふわふわと飛ぶ姿から、『雪の妖精』といわれ、北海道では古くから親しまれている虫だ。

 (ホント雪虫だ。久しぶりに見るわね)

 雪乃は肩についたその虫を、少し懐かしげに見た。

 (でも私、この虫が苦手なんだよなあ。この虫にはずいぶん苦しめられたから)

 雪乃は、ぱっと手で肩を払って、付いていたその虫を落とした。

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