僕のかみさま - 1/4

 朝焼けが、冷え切った石造りの町を橙に染める。


 尾白おしら様へと続く参道には、人ひとり、猫一匹おらず、未だつめたく眠っている。

 食匣しょくごう(年老いた川平子たちが働く給仕場)は、参道裏の通りのそのまた奥にある。ひとり、またひとりと、食匣の老川平子ろうかいらしたちがにわかに働き始めると、鉄鍋が奏でる金属音や、湯気が鍋の蓋を踊らせる音が鳴り響き、この町にも朝の気配が満ち満ちてくる。

 隣接する細い通りには、川平子かいらしの朝食のための米俵などが積まれ、この時間帯は殊に、すれ違うのがやっとの道幅しかない。その通りの、積み上げられた木桶の物陰に、二人の少年がいた。一方は、一目で川平子の小姓だとわかる華やかな若草色の着物を身にまとった、年の頃12,3という美少年。小姓は、白装束に身を包む小さな丁稚でっちの行く手に立ちふさがっていた。丁稚は水盆を下げた棒を肩に担ぎ、不安そうに小姓を見上げている。


「むつかしいことは言っとらん。雲奎うんけいはんの髪の毛、少しでいいき、とってきてくなんしょ」


 自分よりも背の高い小姓に見下ろされながら、丁稚は下を向き黙っている。色気付いた小姓たちの間で、意中の人物の髪を使ったまじないが流行するのは、今に始まったことではなかった


──祭祀を控えたこの時期は、特に。


「そない手間じゃなかろう、雲凛うんりん。なして黙っとうや」

雲凛と呼ばれたその丁稚は、しばらくもごもごと口を動かし、小さな声で

「……そがいなこと、してええかわからんもん」

と言った。


──御髪おぐしには神様が宿るんや。だからな、髪結いは身ィを清くしてらんといけんし、特にこの手は、決して汚してはだめやき──


 雲奎は雲凛の小さな両の手をそっと自分の手で包み込み、そう云った。それは雲凛が髪結いになると決めて、自分の師から最初に教わったことだった。神聖な髪の毛を、神様の憑代よりしろを、しかも自らの師のそれを、どうして持ち出すことができよう。


「口答えできると思てんか、この餓鬼!」

 小姓に扇子で頬を張られ、雲凛は尻餅をついた。その拍子に、担いでいた水盆を取り落とし、その水の大半は石畳の隙間に流れていってしまった。

「約束じゃ。反故にしたら、どいてまうかわからんからな!」

 小姓はそう言い捨てると、西方へと走り去った。雲凛は、頬が痛いのと大事な神水を零してしまったので目頭が熱くなったが、眉に力を入れて我慢した。朝の石畳の冷たさが、じんわりと雲凛の尻と手のひらを侵食した。



りん、」

 唐突な声に雲凛が振り返ると、雲凛の後ろに、いつのまにかもう一人の少年が立っていた。

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