家の中には、女
「えっとお話ですか? 聞くのはいっこうに構わないのですが1つ言わせていただきます。今、すっっっごい怖いという感情が押し寄せてきていて立っているのがやっとです。この怖さをどうにかしないことには…」
太腿をつねる力を強くして冷静を装おうとするが、弱々しい言葉しか出てこない。目の前の方は首を縦に振った。すると、両手で顔をゴシゴシと拭くような仕草をした後、前髪を真ん中で分けた。前髪を分ける前に急いでもう片方の太腿もつねって臨戦態勢に入る。
「…これならよろしいでしょうか?」
モーゼのようにつむじまで完全に分けられた髪から現れた顔は普通の人間だった。つねる指を離して棒立ち状態になる。どんな恐怖が襲いかかってくるのかと思っていたが、そんなことはなかった。目の前の子、よく見たらとんでもない美人ではないか。何故か恐怖とは違った緊張感がまたこみ上げてきた。
「え、え、えっと、とりあえずカーペットの上に座ってください」
彼女は言われた通りカーペットの上に来て、正座した。俺も座ったのを確認して、目の前に正座した。20年目にしても慣れない女の人とのサシの会話が始まると思うと、何を話していいのかわからなくなる。
「…私の話を聞いてくださるようでとても嬉しいです。まずは自己紹介をします。私は大口という種類の妖怪なのです」
「大口ね。聞いたことない妖怪ですね」
「…昔から人間の世界に溶け込んで生活しているので他の有名な妖怪のように特殊な外見や能力を持っているわけではないので文献に出てきづらいのです」
「へえ、そうなんですね〜」
………。会話が止まった。自分の家なのに非常に重たい空気だ。しかし、この俺に状況を打開するほどの能力はない。だから、話し始めるのを待つの一手。大口さんはずっと目を伏せている。すると、とつぜん目を合わせてきた。
「…あの、私名前があって陽と申します」
いや、名前はどうでもいい。どうでもよくないけど。
「えっと、自己紹介していただいたので俺も辛くさせてもらいます…」
「…知っています。
あの使いはユキさんっていうのか。それもどうでもいい。
「それでは困りごとがあるのですね?」
陽さんは小さく頷く。
「わかりました。しかし、今の時間はあなた方にとって昼の1時のような時間帯で活動するにはとても眠いのです。というわけで、寝させていただきます」
「…え?陽はどうすればいいのですか?」
「明日の午前中に授業が終わるので昼からにまたこの家に来てくれたらいいですよ」
「…わかりました」
すると、陽さんは立ち上がって、ベランダの窓をそっと開けてアパートの2階から地上へ消えた。姿が消えた瞬間にまずはベランダの窓を閉めて鍵を閉める。次に玄関に行って、鍵を閉めてチェーンをかける。走って布団に飛び込み、毛布を頭からかぶる。
静けさが胸の高鳴りを意識させる。このドキドキは恐怖なのか恋愛感情なのかわからない。吊り橋効果を身をもって体験している。しかし、やはり恐怖である。
今夜は一睡もできないなと思っていたが、俺は自分が思うより図太いらしく、すぐに落ちた。
朝の目覚めがやたらいいのが気に食わない。午前中の授業中も訪れるはずの眠気が一切沸きおこらなかった。家に帰ると陽さんがいるかもしれない。昨日の美人な姿でいてくれると少しは嬉しいな、そのように考えながら帰路につく。
家を出るとき、家中の鍵を閉めて回ったから、もしかしたら家に入れず諦めてくれているかもしれない。家路につく間、ふと頭をよぎった薄い希望だったが、家の扉を目の前にしたとき、何故か確信に変わっていた。
「よし‼︎」
気負って鍵を開けて家に入る。いつもの癖で誰にもいないはずの部屋に向かってただいまと言う。
「…おかえりなさい」
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