30話 朝

 例え度を超えた朴念仁、または鈍感と呼ばれて久しい帝であっても朝チュンという単語くらいは知っている。今日に限ってベランダにスズメがやって来て更にはチュンチュンと鳴くもんだから、それは余計に帝の焦燥感を強めた。


 何故、俺のベッドに権力がいるのか。


 シングルベッドに、男女の仲でもなければありえないような密着度で帝は権力と寝てしまっていた。

 寝た。そう、寝た。でもただのスリープだ。

 ヤったの暗喩でも淫喩でもない。


 そう言えば昨日権力を迎えに理事長が来た時に、理事長から『娘をよろしく』なんて言われてたような。恐らく自分では娘の傷をどうこう出来ないと踏んで現状最も適任であろう自分に任せたのだろう。

 娘をよろしくに、それ以上の深い意味などあるわけがない。

 実のところ、あの不思議な匂いのせいかは知らないが昨日の記憶は若干曖昧な部分がある。主に夜になった辺りの。


 脳内倫理委員会は帝に有罪判決を下そうとしている。それくらい、自分の今置かれている状況は危うい。


 バクンバクンと心臓がかつてない程跳ねている。

 うにゅ、と可愛らしい呻きと共に、権力は起きたのか目元をこすった。判決まで、秒読み。

 そしてしばらくぼけっと寝ぼけ眼で帝を眺め・・・・・・ 


 心の底から安堵しきった安らぎの微笑みを浮かべて帝の胸に頭を預けた。


 有罪ギルティ!! 有罪ギルティ!!


 満場一致で帝は処刑を宣告された。


「あ、あの・・・・・・権、咲敷さん?」

「ふみゅ?」


 名前を呼ばれて、ようやく権力は微睡みから覚醒し始めたのか、暗色の瞳に光が灯る。権力は現状をやっと思考という形で認識して、それと同時に自分のやってしまっていることを理解した。

 顔が熱いなんてもんじゃない。その胸の内に湧いた思いは、咲敷綾乃十五歳これまでの人生で初めて経験するこの想いは。

 一刻も早く自分のゆでダコのようになっているに違いない顔を隠すために帝の胸に埋めるという選択肢を採った。


 それが功を奏したのか、帝はそれに気づいた様子はない。ただしその代わりに、そのまま分かってほしいそれは別の脅威になってしまいかねない。事実帝がそんな権力から見い出したのはまたしても怒りなのであるから。


 有罪は無期懲役か、死刑かはどれであれ、一挙一動が薄氷の上の自分をどうにか立たせている。ここで誤った選択をすることは本意じゃない。


「き、昨日のことは忘れてくださいまし」

「あ、ああ」


 昨日のこと、が何を指しているのか確かめたいがそれをしてはアウトに思えて、出てきたのはそんな返事。パジャマ一枚越しの温もりに血迷いそうになる理性を自我でコントロールしにかかるが、身体的な機能にまで抑圧はかけられない。

 恐怖、困惑、羞恥、・・・・・・そして恋慕。互いのあらゆる感情が拍動となって重なり、ひとつの塊になってしまったかのようだ。


 結局二人が落ち着きを取り戻したのは、枕元に置かれた目覚まし時計が八時を告げて鳴り始めた頃だった。

 気恥しさから互いに背を向けあって、それでもベッドが狭いせいで背中が触れ合う。


「・・・・・・ありがとう、ございます」


 静寂を先に破ったのは綾乃。少し震えた声で感謝を口にすると、帝の影で手をキュッと握った。


「帝さまが来てくださらなかったら、わたくしは、わたくしは・・・・・・」

「・・・・・・無理に思い出さなくていい、俺は別に感謝されたくてしたんじゃない。お前が助けたかったから助けた、それだけだ」

「どうして、わたくしは貴方にとても酷いことをしたのに・・・・・・自業自得とは思われないのですの」

「お前の受けた苦しみがそうだな、あいつらのと同程度ならお前一人を擁護できるほど寛大にもなれなかったかもしれない。だけど、少なくとも俺はそうは思わない」

「・・・・・・・・・・・・」

「お前の泣く権利も怒る権利も俺が保証してやる。だからとは言わんが、自分をそう責めるなよ」


 頷く気配がして、ふと。帝・・・・・・さま?

 どういう心境の変化があったのか、いや変わりうる出来事はあったわけだが。


 二人が起きて日常に戻るまで更に一時間を要した。それでもその核心に迫る問いは口に出せなかったのであった。


 ★  ☆  ★


「・・・・・・はい、分かりました。わざわざ有難うございます。・・・・・・はい、ええ・・・・・・俺が自力でどうにかします・・・・・・はい、それでは」


 連合の人間、この世界でも交流があったらしい課長さんからの電話を切って、帝は雲一つない青空を見上げた。事を終えた後の空は晴れるらしいが、それとこれとは無関係だと信じたい。


 家の中にいても変な気分になるので。・・・・・・聞いたところによると媚薬のような何か、の効果もとっくに切れているのだろうがそれでも。二人きりのこの状態から早く抜け出したかったのだ。


 今二人がいるのは近所の公園。それなりに規模が大きいが近くにある若者が集まる場所が咲敷学園と綾乃たちの通う道命中のみと、少し年代層が需要とミスマッチしているため、こんな時間でも人は少ない。

 時折咲敷学園の生徒と思われる人が犬の散歩やらで歩いているのを見るくらいである。


「あの方・・・・・・そいつについては詳しく調べる必要があるな」


 あの方、今回の未遂事件にて男子生徒たちに件の薬を渡したとされる人物。あの後男子生徒たちは内々に処理されたそうだが、そんなことはどうでもいい。問題は、彼らの心を上手く操って事件を起こさせた黒幕がいるということだ。

 そしてそいつは、咲敷学園の制服を着ていた、という話が飛び出したのだ。もちろん制服さえ着れば誰でも成りすますことは出来るし、下手に別の高校のものよりも、それが一番怪しまれない方法でもある。


 それについては未だ不明点も多いので、綾乃に伝えることは避けておこうと心に決めて、帝はベンチで待たせている綾乃の元へ向かう。


「何かありましたの?」

「・・・・・・あいつら、逮捕されたってよ。一応教えとくが」

「そう・・・・・・ですの」

「何度も言うがお前が責任も何も感じる必要は無いからな。むしろお前は訴える側だしな」

「それは、もう、いいですわ」


 隣に座った帝に寄り添うように、綾乃は肩を寄せてきた。帝にはその行為の裏に潜む感情は読み取れない。しかし、今の綾乃がしていることは自身への依存であると、それだけは分かっていた。

 心の傷を埋めるため、そう簡単に拭えるはずもない恐怖から逃れるため、帝にはそれを拒めるような冷たさはない。なすがまま、それに近いかもしれないが帝はそれでいいと思っていた。


「ですが、ですが・・・・・・」


 続けられた綾乃の言葉に、帝は横目で見る。かなりの近距離に寄せられた綾乃の整った顔立ちがほぼ寸前のところにあった。仰け反るには、ベンチの肘掛けが邪魔だった。

 潤んだ、熱に侵されたような瞳で上目遣いに見上げられながら、吐息が首筋をくすぐる。

 綾乃はためらうように、何度も言葉が出てはそれを読み込んでいる。そしてとうとう決意を固めて、全ての始まりを宣告する。


「もしわたくしのわがままを聞き入れていただけるなら、帝さまに、わたくしを守ってほしいのですわ。他の誰でもない、貴方に。わたくしが信じられる殿方はもうきっと、貴方以外にいない。だから、だから」


 口にして、それは哀願のようだと思った。それと同時に、告白めいているとも。  

 だが、その宣言を無碍にすることこそできないが二つ返事に受け入れることでもないと、悟っていた。

 返事に困って、しかし無言も貫けず、口を開きかけたまさにその矢先、


「帝?」


 昨日と同じような。それよりも更に恐ろしさを増した、仁王のような形相の伊草が二人を見下ろしていた。

 

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