過去回想編

16話 天才だった頃

 空間の歪みは音を立ててうねり、蛇蝎のごとく少年へと襲いかかった。

 妖精残滓を振り撒いて、目につくもの全てを薙ぎ払わんと破壊の咆哮を上げる。その威容の前では何もかもが礫と化し、存在は原型を留める事すら許されない。

 

 妖精、崩壊属性を宿した凶暴なその妖精は、容赦なく少年、九条帝へと牙を剥いた。

 召喚できる妖精を持たず、体内に持つ霊力を除いては丸腰同然の帝には身を守る術はない。そうであるが故に、彼に残された手段は、回避。ただそれ一択。

 しかし、彼にその手段を採ることは適わない。彼の背後には二人の少女、妖精と契約を交わしたばかりの少女達は彼以上に無防備過ぎる。


 学校帰りに彼らを襲った突然の事態。用意のひとつでもあれば状況は変わっただろうが、不用心だった。契約したての弱い妖精は、この捕食者と類されるこの巨大妖精にとっては恰好の餌なのだ。


「さてと、どうするか」


 それでも、帝はあくまで余裕を見せて、半身に構える。もう冬になろうというのに、汗が背筋を伝う。

 妖精は帝をも食欲の対象としたのか、口の端から涎を垂らして地面を這い進む。

 蛇の姿をした妖精は、その凶暴なアギトを開き帝の眼前へと迫る。

 だがそれは、帝の間合い。

 拳の先に密かに集中させた霊力が、可視化出来る程の濃度を以て具現の武器となる。それは崩壊の属性をもろともしない圧倒的な破壊の槍。


 溢れた妖精残滓が肌を焦がす中、タイミングを外すことなく、帝は拳を、一撃必殺の絶技を放つ。弱点を見抜き、刹那の間に繰り出された十二発の乱舞、契約を持たぬ妖精には、その脅威は身を以て知るしかない。


【グギャラッ!?】


 妖精は薙ぎ払われたように、回転しながら吹き飛ばされた。少女達からすれば襲いかかってきた妖精がいきなり彼方へ消えたように見えた筈だ。


「おお、飛んだ飛んだ」


 帝の余裕そうな笑みの正体は、彼の事をよく知らない彼女達にもありありと分かったのであろう。二人は安堵に胸を撫で下ろした。


「つってもなぁ、『師団』に入っている時ならいざ知らず、こいつを俺の一存でどうにかすることも出来ないし、はぁ、今は連合にもあんまり関わりたくないのに」


 ぶつくさ言いつつ、携帯を取り出す。平然と脅威を払った帝の背中は頼もしい限りだが、今はまだリーダーとしての自己アイデンティティを持たない帝にはその価値を理解し得なかった。


 ★  ☆  ★


「それは災難だったな」


 校舎内の中庭にあるベンチ。それに隣あって座りながら少女は笑った。

 

「災難なんてもんじゃないっすよ。あの後師団が来る前に妖精が復活して、結局色々破壊しちまったせいで散々怒られたし」

「それで女の子を守れたんならいいじゃないか」

「プラマイゼロに終始したってのはむしろマイにしかなってないってのとほぼ同義ですよ」


 肩を竦める帝の疲労感はさておき、喧騒からはかけ離れた人気のない中庭はこうして、表では語りづらい事を話すのに便利なのである。

 そう、少女・・・・・・彼の一学年先輩にして、彼と同じ妖精に関わる人間である桐原とのこの密談には色気もなにもなく、ただただ事実報告に留まっている。

 女性にしては高い上背に、まだ十七とは思えないほどメリハリのある身体付き。中性的な美貌を湛えたこの少女と帝、この二人の間に人が面白がるような事実はない。それ以上の面白い秘密が隠れているのも真実ではあるが。


「しかし、定期連絡の場がここにしか無いってのも不便だな。よし、九条何かつくれ!」

「急な無茶振りっすね。ただの成績優秀なだけの俺にそんな手段はないですよ」

「ふん・・・・・・? 風の噂でお前が生徒会長候補に指名されたと聞いたが?」

「きちんと断りましたよ。俺はそういうのに向かないもんで」


 それは本心。入学当初からやたら小競り合いを重ねていた伊草という存在もあるが、それは上を目指す或いは上に立つとは意味が違う。

 

 それに、自分が生徒会長になったところで何をしたらいいかなんて一欠片もビジョンがない。

 メリットの話をしても、特に進学を志さない自分には余剰だろう。それに、引き受けたら引き受けたでさらに余計な沼に引き摺り込まれそうだ。

 快楽主義者でいたいものだ、全く。


「これも風の噂だが、昨日お前が助けた二人に、うちの理事長の娘が来年この学校に入るそうだぞ」

「遠回しですね、何が言いたいんですか」

「この三人は全員が全員とも妖精師だ。それも連合の人間として働く意思のある」

「・・・・・・その風の噂、いくらで手に入れましたか。それと、いくらで買収されましたか」


 帝の能力をやけに高く買う理事長のことだ。どんな手を講じても帝を会長の椅子に座らせようとしていると見て間違いない。

 なので、金を元に力を貸す妖精を持ち、尚且つ数少ない帝の秘密を共有する桐原を利用したのだろう。

 明らかな動揺を見せる桐原はともかくとして、敵の多いこの学園である。


「生徒会長・・・・・・ねえ、柄にもないことはしたくないんすよね。伊草のやつも最近アグレッシヴなもんで、昼休みとかもやたら背中に危険を感じる日々ですよ」

「生徒会長になればそれも解消できるんじゃないか?」

「どういう意味で?」

「さあ? なれば分かるんじゃないか」


 はぐらかせてすらいない、そんなツッコミは心の内に留めて、曇ってきた空に目線を寄越す。

 虚空に思考を委ね、吐く息の白さに冬の訪れを感じるこの一瞬にも、事態は裏で動きつつあるのだろう。

 天才と無敵の同一視が可能であれば、それを無碍にぶち壊せるだろうが、自分はある種最悪の弱みを握られた一介の学生だ。

 時間稼ぎをしているつもりもないが、それまでの時間は貴重な残された自由の時だ。絡め手の如く未来を縛りつつあるその必然は、運命の輪に導かれていずれ目の前に現れる。


「・・・・・・次に理事長室に呼び出されるまでにもう一考してみますよ」

「それがいいさ」


 目の前を白い線影が通り過ぎた。初雪だ。

 ヒラヒラと宙を舞うそれは、手の平に触れた瞬間に溶けて消えた。

 十二月に入ったばかり、今年は寒い冬になりそうだと寒空に思いを馳せて、もう一度白い吐息を空に零した。 

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