12話 邂逅

「この世界の俺は、一体何をしていたんだ」


 学校のトイレの洗面所に設置された鏡に自分の端正な顔を映して、帝はそう自分に問う。正しくは、この世界軸で自分であった存在へと。


 この世界は平行世界である。午前の授業を終えて、そうであると結論づけたのは、ただの現実逃避であったりする。


 そう例えば、一限目の数学。


「じゃあ次は・・・・・・く、九条。これを解いてみろ」

「X=3、Y=7」

「えっ!? あ・・・・・・合ってる、だと・・・・・・?」

「・・・・・・こんな問題演習くらい誰でも」

「今まで何を聞いてもX=Xしか言わなかったお前が・・・・・・立派になって」


 鬼の数学教師に感涙に咽び泣かれて。


 そう例えば、二限目の英語。


「じゃあ次の英文を・・・・・・み、ミスター九条、読んでくだサイ」

「ペラペ〜ラ、ペラペ〜ラ」

「オーマイガー、神よ私は夢を見ているのですか。あの、何を聞いてもI can't speak Englishしか言わなかったミスター九条が、こんなにも流暢に音読を。ああ、神の祝福に感謝を」


 神に感謝され。


 そして三限目の世界史でも。


「黒船に乗ってきた有名な人物と言えば。えっと次は・・・・・・ん、九条か。まあいい、言ってみなさい」

「ペリー」

「そうだなペリーだな・・・・・・えっ!? もう一回言ってみなさい」

「ペリー」

「よ、よく聞き取れなかったな。悪いがもう一度言ってくれ」

「ペリーペリーペリーペリーペリーペリーペリーペリーペリーペリーペリーペリーペリーペリー、ペリィ!!!」


 黒船来航並みの驚愕。ポーカーフェイス月谷、そんな渾名を持つ世界史担当教諭が唖然と口を開いたまま授業が終了した時には、九条帝という存在そのものについてのアイデンティティを失いかけたくらいだ。

 

 まさか応用でもなんでもない、初歩以前の問題を解いただけで世界を救った英雄の如く賛辞を浴びせられることになるとは。

 これが壮大なドッキリであったらショックで一年くらい家に引き篭もってしまうくらいだ。


「ここにいたか、九条」


 フラフラとおぼつかぬ足取りで廊下をさまよっていると突然肩を掴まれた。この声は、まさか。


「部長・・・・・・」


 廃課金の王、いやお布施だったか。帝と同じくらい顔面蒼白な少女、部長が両肩をがっしりと掴んだ。これまで部室以外で殆ど接点を持たなかったこの人とも、こちらの世界ではこうやって公衆の面前で厄介事を持ってこられる関係にあるらしい。

 距離感を測りかねて、一先ずクラスメイトから聞き出したこちらの自分像らしく尋ねてみる。


「なにかあったか」

「それはお前だってよくわかっているだろ・・・・・・会長さん?」

「!?」


 どうやら証明はまだ終わりじゃなかったようだ。


 ★  ☆  ★

 

「とりあえず、今ある情報を整理しよう」


 文ゲイ部の部室は影も形もなかった。事実上もとの世界で帝が権限を盾にゴリ押しで通した設置だからある意味当然だ。

 ここは、その跡地。いや、過去だから予定地とでも形容すべきか。芝生の上で二人は肩を並べていた。


「・・・・・・・・・・・・なるほど、お前もそうなのか」

「じゃあ部長もあの紅い目を」

「ああ」


 自宅にいたという部長は、気づけばグラウンドの真ん中に立っていたらしい。

 

「今のところ時間が巻き戻った点を除いては大きく変化があったのは会長だけか」

「そうですね。部長、妖精はどうですか」

「どうやら召喚はできる。だが、あいつの記憶はそっくり過去のものだった」

「俺の方も・・・・・・いや俺は違うか」

「やけに厳重な封印を施してあるな、何かあったのか」


 手の甲の紋章を眺める帝に部長が問うと、帝はため息混じりに答えた。


「ずっと召喚出来なかったこいつが、急に出てきたと思ったら随分と自由奔放になってましてね。こうもしないと勝手に飛びだしてくるもんで」

「それはそれは、おめでとうと言った方がいいか?」

「混乱が酷くなっただけですよ」


 どちらからともなく、芝生へと倒れ込み、寒空を見上げた。そして・・・・・・。


「「どうすんだ、こっから」」


 科白をはもらせて、もう一つ盛大なため息を吐いた。


 ★  ☆  ★


「それで、ホントどうします? このまま何もしないでいても解決してくれそうもないですが」

「こういう時は頭のキレる君が積極的に意見を述べるべきではないのか?」

「俺はまだ情報の整理がついてないもんで。部長の方が別視点から切り開いてくれることに期待したんですがね」


 こんなのは押し付け合いだ。不毛すぎる。


 部室を失って、当然部活も元から無かったことになっていて、他に情報源になるはずのセンセイも風紀さんも今日に限って学校を休んでいて、途方に暮れて帰路についた二人は、さっきから同じようなことを繰り返しては無力感に苛まれていた。


「・・・・・・部長」

「もう部活は無いんだ、部長は止めろ。桐原さんと呼べ、桐原先輩でも可」

「分かりましたよ桐原先輩、じゃあ俺も会長じゃなくて九条でお願いします」


 今やれることをしよう、この世界に馴染むことから始めれば何かあるはずだ。口には出さないが方針をそう定めたところで、二人の足はとある中学校の外柵に差し掛かった。

 足を止めた。


「そういや、脳筋たちもここに通っているのだったな」

「ああ・・・・・・半年前だからそうか、あいつらまだ中学生だったか」

「待ってみるか?」

「怪しまれない程度に」


 頷きあって校門の近くに陣取る。部員は三人、誰か一人くらいは出くわすのではないか。


「あああああああああああああ!!」


 吹雪いてきた天気を切り裂くような絶叫が校舎の方から耳をつんざく。異常事態。エマージェンシー。しかし驚いたのはその声の主について。


「脳筋・・・・・・」

「あいつも我々のように元の世界から来ていたならまだ希望は持てるが・・・・・・」


 雪を巻き上げながら脳筋さんは一直線に校門の方へと向かってくる。それを追っているのは、数えるのも馬鹿らしいほどの人数の、男子。

 よくよく見ると、全力疾走する脳筋さんは誰か少女の腕を引いている。あれは、ラベちゃんだ。

 そして脳筋さんたちは校門前に立つ二人に気づいた。そう、気づいた。


「会長さん! 部長!」

「なんなんだこの状況は!」

「オレもよく分かんねえよ! ラベが追いかけられてたから助けたらこれだよ!」

「四の五の言わずに、逃げるぞ!」


 奇跡的な邂逅は逃走から始まった。


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