5話 到着

「さあ、もうすぐ着きますよ」


 郊外にある白壁の工場を目前に控えて、課長さんはそう言った。

 後方の席で雑談に花を咲かせていた女性陣もそれにつられて前方を見上げ、思い思いの感想を口にしている。

 会長さんは冷静にそれを分析しながら、携帯の電源を入れた。


「随分と古びているな。あそこは廃工場なんすか?」

「はい、五年ほど前に閉鎖されていましたのを、再び利用したところにあの妖精が現れたのです。中の機材はその際にほとんど運び出されましたので大事には至ってないですが」

「まあ、このままだと将来的な利益の損失に関わるでしょうしね。・・・・・・・・・・・・成程」


 首肯しながら携帯のカメラを起動させて、レンズ越しに工場を写す。写真を撮るためではない、画面をズームさせ、割れた窓ガラスから遠巻きに内部を見ようとする。

 ぼんやりと、白い光の軌跡のようなものが、普通の人には見ることの出来ない妖精残滓に近い輝きが目に留まった。


「妖精は1匹でしたっけ?」

「そうだと聞いています。私もお恥ずかしながら中に入ったことはありませんので」


 そうこうしているうちに車は工場の敷地内へと入っていき、正面入り口の前で停車した。


「近くで見るとやっぱ大きいなぁ」

「大企業の工場ですしね。それでも、すごいですね」


 先に降りた脳筋さんやラベちゃんは滅多に間近に見る機会のない工場にはしゃいでいる。

 対照的に、部長はどこか気だるげだ。暑さに弱いらしい。


「中、やっぱ暑いんだろうなぁ」

「廃工場ですから」


 燦々と照る太陽は雲ひとつない青空で容赦なく日光という猛威を奮っている。今日は一日中快晴の予報だ。


「ああそうだ、会長さん」

「ん? どうかしましたか」


 課長さんが思い出したように手を叩いて、会長さんを車のトランクへと手招きする。そしてそこに収納されていたのは・・・・・・。


「『虫あみ』、ですか」


 一見した限りではどこにでもある虫あみ。子どもの頃誰でも握ったことのあるそれに、会長さんは興味深げに目を細めた。


「はい、我が社が新たに開発しました、対妖精用の虫あみです。使い方はこの持ち手を握って、妖精が中に入ったタイミングで霊力を注ぎ込みます。すると、ほら」


 その合図に合わせて、何の変哲もなかった虫あみの口部分と網にそれぞれ薄らとだが皮膜のようなものが張った。これなら、捕まえた妖精が隙間から逃げ出すなんてことはなさそうだ。


「こうやって、霊力を膜に変換することで妖精を閉じ込めることができるのです。本日は皆様に是非ともこれをモニターとしてご利用して頂きたいのです」

「そのくらいなら全然構いませんよ。ありがとうございます」

「いえいえ、我々もビジネスですから」


 これで会長が仄かに抱えていた疑惑もおおよそが解消された。いくら贔屓にしている取引相手といっても、あの依頼料は破格が過ぎた。部長が独占するのも頷けるくらいに。

 実際それで酷い目にあったことも無くもないので警戒はしていたが、もうこれは大丈夫そうだと判断し、こっそりと胸を撫で下ろす。のは、早かったみたいだ。


 パリーン。


「おわっ」

「窓ガラスが・・・・・・」


 これを自然現象だと思うような人間はここにはいやしない。妖精が挨拶がわりに窓を割ったのだ。


「はぁ、さて・・・・・・行きますかね」

「が、頑張って下さいね」


 苦笑する課長さんを他所に、ほかの連中のもとへ駆けていく会長さん。全員分の網を担いでいるのでどうにも走りにくそうだ。


「おう、会長さん。なんだそれは」

「今回の依頼にあたってこいつを使ってほしいらしくてな。支給品だ」

「これで殴るのだな!」

「お前、このフォルムを見て一体どうして鈍器なんて発想が湧くんだ!? こいつはこうやって霊力を流してだな・・・・・・」

「殴るんだな!」

「・・・・・・もうお前はそれでいいよ」


 すでにどっと疲れてしまった会長さんは投げやりにため息をつく。改めて説明する気概は保てそうになかった。


 それぞれへと虫あみを手渡すと、会長さんはアミを構えて全員へと視線を滑らせた。


「じゃあさっさと終わらせるぞ。たかだか妖精1匹早く終わらせないと熱中症になりそうだ。・・・・・・なんかもう部長は死にそうになってるけど」

「うへぇ〜」

「部長が行かないならオレが先行するぜ!」

「あっ脳筋ちゃん!」


 軟体動物のように今にもへたり込みそうな部長を放置して、脳筋さんが一足先に走り出した。ラベちゃんもその後を追ってその背後に並んだところで・・・・・・脳筋さんの腕の動きに合わせて振れる網の棒の先が、ラベちゃんの触れてはならないラインをなぞった。


「はひゃぁん!?」 


「お約束、ですわね」

「相も変わらず懲りねえな。ラッキースケベっつうかもはやお家芸だよな。・・・・・・まあ、このまま突っ立っておくわけにもいかないし、俺達も追いかけるとするか」


 冷やかな感想がそこまで届いたのか、思わず嬌声を上げてしまったラベちゃんは顔を上気させながらも立ち上がって、内股気味に脳筋さんに続いた。

 会長さんと権力さんもその後ろを歩いて追い、部長を支えるセンセイもその後をゆっくりとついていく。

 錆びついたドアは脳筋さんの手によって力強くで開かれる。金属同士の擦れる音が盛大に響き、中から埃やら何やらが出口を求めて一斉に空気中へと流れ出てきた。


 

「中は外見に比べて広く感じますわね」

「ものが少ないからな。でかい機械類は軒並み運び出されたみたいだな」


 ダンボールや壊れた機械、金属板や鉄骨など寂れた廃工場、或いは廃品置き場と言うに他ない有り様で廃材が転がっている。

 脳筋さんはその中で一番高い所にある機械の上に立って全体を見渡している。

 その背後に、妖精の姿が映りこんだ気がして、次の瞬間には脳筋さんの体が浮いた。


「はへ?」

「っておいっ!!」


 状況理解の遅れた脳筋さんはそのまま鉄骨の山へと。

 そこへ、会長さんの突き出した虫あみの持ち手の先が、脳筋さんの着る体操着のタグを絶妙に捉え、間一髪脳筋さんを助けた。


「このアミ、グリップが伸びるようになっているんだな。運が良かったな脳筋。もう少しでお前死んでたぞ」

「てへへ、すまねぇ会長さん」


 軽く礼を済ませると、懲りた様子もない脳筋さんはまた元気よく工場内を走り回っている。

 

「今の、妖精でしたわね」

「そうだな。中々アグレッシブな野郎のようだ。お前たちも早く自分の妖精を召喚したらどうだ?」

「そうですわね。ではおいでなさい、ティルティ」


 権力さんが背中にかるったリュックから出したのはリュックのサイズぎりぎりの大きさのクマのぬいぐるみだった。その右目部分には藍色の球。あれはフェクタだ。権力さんの呼び声に合わせてそれは薄ぼんやりと輝き、動いた。


「もヒュー」


 どうにも間の抜ける声を出して、そのぬいぐるみは動き始めた。

 寄生妖精、ティルティ。時としてポルターガイストと同一視される。守護妖精と違ってものから生まれるのではなく、ものに宿りそれを操る能力を持っている。

 

「悪戯な妖精さんを探してきなさい」

「もっヒュー」


 もヒューしか言っていないが多分威勢のいい返事をしたのであろうティルティはトコトコと工場の中を探索し始めた。


「おいで、キュール」


 ラベちゃんも手のひらを空にかざして妖精を喚ぶ。ポフンと、煙を上げて手のひらに乗ったのは紫色の妖精。

 ラベちゃんの手に収まると、妖精は困った様に首を傾げた。


「あのっえっと・・・・・・」

「キュール、ここにいる妖精さんを見つけてほしいの」

「うん・・・・・・そこ」

「ああ、あれは権力ちゃんのだね。みんなの妖精じゃなくてここに居る悪い子を探してくれる?」

「あ、うん、待ってて」


 もじもじと体を揺らして、キュールは恥ずかしそうに辺りを見渡す。


「あそこ? ・・・・・・やっぱりあっち・・・・・・?」

「ゆっくりでいいからね。キュール」


 契約妖精キュール。フェクタによって妖精師と結ばれず、互いに条件を指定し契約を交わす。このキュールとの契約の上でラベちゃんはラッキースケベの呪いを受けていたりする。

 それに見合った能力を持っているかと言うと微妙なところだが。


「お〜い〜ガネーシャぁ〜」

「呼ばれて飛び出て廃課きーん!」


 黄色のフェクタから部長が呼んだのは、象鼻の金色の妖精。やけに嫌な登場ゼリフが聞こえたが、聞き間違いじゃないだろう。


「マスター、今日は幾らつぎ込むのだカネ」

「くっ・・・・・・来週のイベントのために残して起きたかったのに」


 悔しげに携帯をガネーシャに差し出すと、ガネーシャはその鼻で携帯の画面をなぞった。それに合わせて鼻を何かが通り過ぎていき、最後に腹の中に収まっていく。


「あれは何をしているの?」


 見慣れぬ妖精たちに戸惑っていたセンセイは最も不可思議な光景に、そう会長さんに問うた。


「言うなれば課金ですね。ガネーシャはお金を与えないと言うことを聞かない妖精なんでああやってデジタルマネーを与えているんですよ」

「そんな妖精もいるの・・・・・・」


 あれは一応守護妖精の部類なのだが、何を元に生まれたのか、どうして金を求めるのか、これ程までに考えたくない妖精も珍しい。

 金を条件に妖精師に幸運の祝福を付与バフすることができるのだが、元々の運が残念な部長にはやっとプラマイゼロむしろマイ。


「よっしゃー! 来い! ラフリエ!!」


 脳筋さんが呼んだのは鈍色をした他の妖精より少し大柄な妖精。属性妖精、ラフリエ。その特徴は通常の妖精が能力として属性を持つのに対して、肉体がその属性を反映する。ラフリエの属性は鋼、鉄壁の身体を誇る。


「センセイもシェルチェを出してあげたらどうですか?」

「ど、どうやってやるのかしら」

「フェクタを手に持って霊力を注ぎながら名前を呼ぶ・・・・・・まあ、取り敢えず力を込めて召喚すればいいんですよ。ものは試しです」

「こ、こうかしら・・・・・・しぇ、シェルチェ」


 召喚には一回で成功したようで、空中にシェルチェが現れた。


「こんちは」

「大分妖精師に毒されてるようですね・・・・・・(家の汚さに比例してグレたかな)」

「何か言った?」

「これがセンセイの妖精ですの。回帰属性、とてもそうには見えませんわね」

「まあ、いいんじゃねえの。見てくれで決めることもないさ」


 これで全員の妖精が召喚された。と思ったところでセンセイはやはり降って湧いた疑問を会長さんにぶつけた。


「会長君はその、召喚?をしないの?」

「ああー俺は・・・・・・」


 どうするべきか測りかねるように手を組んで唸る姿にセンセイは疑問符を浮かべた。


「会長さんは妖精を召喚しないのよ。理由はわたくしたちも知りませんわ」


 権力さんが捕捉して、センセイは疑念を解消しきれていないながらも引き下がった。 

 わたくしも訊きたいのですけどね。そんな権力さんの呟きは誰にも届かない。


「妖精、なぁ・・・・・・」


 手の甲に浮かんだ契約の紋章。名前も分かるのに姿も鮮明に覚えてるはずなのにいつの日か召喚できなくなった妖精の姿を幻視しながら、会長さんは寂しげに息を吐いた。

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