第4話 王宮へ、いざ乱入!?

 ヴィスタ王宮には、慶春殿と秋嘉殿のふたつの宮殿がある。慶春殿はいわゆる内宮で、王族が生活する空間だ。警備も厳重で高官ですら容易く入ることは許されない。

 対して一般市民も入城できるのが政を行う場である外宮、秋嘉殿だ。ここは日々勤める官吏が出入りし、上奏や様々な手続きをしに来る民でもにぎわっており、他国からの観光客も多い。

 秋嘉殿内には各省庁が配置されているが、法務省は官吏しか立ち入ることのできない政務棟の最奥に居室を構えており、人の気配は少ない。だが、今日はいつもと雰囲気が違っていた。

 普段会議では使われることのない大広間に重厚でつややかな樫の長卓が置かれ、壮年の男たちが座って言葉をかわしていた。高慢な顔つきの者もいれば、威厳を溢れさせている者もいる。末席にはオルガ―の姿もあった。ただでさえ小柄な身体がさらに縮こまって、猟犬の群れの中に引きいれられた子猫のようだ。大学の倫理委員会であれほど血気盛んだった彼だが、今は青白い顔で面を伏せている。それもそのはず、周りには宰相、大臣、警務省長官といったヴァンベールの顔とも言える要人たちが顔を揃えているのだ。見る人が見れば最重要な会議であることがうかがえるだろう。だが極秘裏に行われたこの会議の場には参加者以外の立ち入りは固く禁じられていた。

「結論が出たようですな」

 大臣のひとりが口ひげをなでながら尊大に言った。

「皆さん、異存はないですな」

 男たちがバラバラと横柄にうなずく。それを見て彼は隣に座る議長に視線を移した。

 議長はそれを受けて立ち上がり、横に斜めに置かれた演台の前に立つと、木槌を打ちならした。

 反響がやみ、シンと静まったところで、議長は厳かに口を開いた。

「ヴァレンタイン大学助手、ウィリアム・マクリードを国家機密漏洩罪で国際指名手配することと――――」


 バァァァンン!!!


 扉が大きな音をたてて開いた。

 突然のことに場が一気に凍りつく。極秘の会議のため、警護の武官も今は近くに置いていない。反響した開放音が波がひくように静まる。皆一様に扉の方を凝視する中、警務省長官だけは立ち上がり警戒した。が、そこにいるのが女とわかると顔をしかめつつもすぐに着席した。他の者も皆眉をひそめている。

 政務官と思われるスーツを着た女は扉を閉め、すらりとした脚を伸ばし背筋を正すと、男たちの猜疑心に満ちたぶしつけな視線をまっすぐに受け止めた。

 まとめた栗色の髪を一房耳横に下ろし、濃厚な赤ワインを思わせる赤紫のビロードのスーツに身を包んだ女は妖艶な雰囲気を醸し出していて、誰もが一瞬言葉をかけるのをためらい、喉をならす。

「なんだね君は」

 女だからと侮ったのか、口ひげの大臣が尊大に口火を切った。女は深く息を吸うとはっきりした声で言った。

「ウィリアム・マクリードは罪を犯していません」


 ディアナがそう言った瞬間、空気が重くなった気がした。

(とにかく、一気に畳みかけないと)

 すぐに連れ出されてしまうことなど想定済みだ。だからこそまわりくどいことなど言っていられない。とにかく、言わなければいけないことを言ってしまわなければ。ディアナはこの時を逃さずに言葉を続けようとした。

 が、すぐに男たちが口々にわめき出し、声はかき消されてしまう。

「いきなり何を言い出すんだ」

「こんな小娘を通して、警備の者は何をしているのか」

「ここは立ち入り禁止だぞ」

「早く追い出したまえ」

 大臣や長官といった重鎮が一同に介しているこの中で、外部者のオルガーを除いて一番立場の低い議長が、困ったようにディアナに近づく。

「話を聞いてください。ウィルは……ウィリアム・マクリードは機密を持ち出したりなんかしてない。誰かに謀られたんです」

 腕をつかまれながらも訴えるが、だれひとり聞こうとしない。扉に向かって引きずられていく小娘などいないかのように、警護の不備を憤っている。

「本当です。ちゃんと調べてください。彼は無実なんです」

 ディアナは必死で叫んだ。身体を押さえつけられ、今にも部屋から出されようとした時。

「待ちたまえ」

 凜とした涼やかな声が響いた。頭も押さえられていたせいで顔をあげることができなかったが、奥の壇上から人が立ち上がる気配がした。拘束がゆるんだその時、席に着いた要人たちが一斉に頭(こうべ)をたれるのを目の端にとらえ、ディアナは驚いた。拘束していた男が急に押さえつけていた手を離した。身体が自由になり、安堵しながら顔をあげようとして、躊躇する。

 法務省の極秘の審議委員会に出席できるのはかなりの高官たちだけだとサイモン教授が言っていた。そのお偉方たちが一斉に頭を下げる若い声の人物。

(まさか……)

「顔をあげて」

 この場で一番身分が高いであろう男性が柔らかく言った。ここは従うしか道はない。ディアナは意を決してその男性を振り仰いだ。

 一目見た瞬間、セナの言葉が頭に蘇った。

『整ったお顔立ちには誰もがうっとりとなるわ。王妃様ゆずりのつややかな銀髪に切れ長の碧い瞳……見ているだけですいこまれてしまいそう……』

 その評価通りの男性が今、目の前に立っていた。

(ということはつまり、この方は……)

 ヴァンベール王国第二王子クラウド。法務省長官を務める、切れ者の知の王子。

 想定外のことに呆然となる。まっすぐにみつめるクラウドの碧い瞳はすべてを見透かしているようで、ディアナは畏怖の念にかられた。だが、すぐに叱咤激励し自分に言い聞かせる。今は目の前の相手がだれであろうと関係ない。やるべきことを全うするだけだ。

(――今のわたしはディアナじゃない)

 切れ者の王子とも渡り合える、冷静沈着な秘書官だ。

 ディアナは静かにクラウドを見返した。長い白銀の髪をさらりとゆらして、クラウドが優雅に進み出る。

「君がここに来た理由はだいたいわかったよ。ウィリアム・マクリードとは親しい間柄なのかな」

 含みを持たせた言い方に、冷静に答える。

「姪です。ディアナ・フェンリールと申します」

「フェンリールだと? 君が?」

 オルガ―がうろたえたように叫んで立ち上がった。椅子が倒れ、ガタンと盛大な音をたてる。彼は青ざめた顔でディアナをまじまじと見つめた。

「オルガ―教授、その女を知っているのか?」

 口ひげの大臣がするどく問うと、オルガ―ははっとして小さく答える。

「いや、本当にマクリードの姪だとしたら……うちの学生です」

「本当にとはどういう意味だ?」

「それは……まるで別人のようなので」

 しどろもどろになっているオルガ―を一瞥し、クラウドはディアナに尋ねる。

「ここにはどうやって入ったのかな? 政務棟の入口には警備がいただろう?」

(聞かれると思ったわ)

 ディアナはわなわな震えているオルガ―をちらっと見て躊躇わず答える。

「……警備の方たちにはオルガ―教授の秘書だと伝えました」

「わ、私のひ、秘書だと?」

 巻き込まれたオルガ―は卒倒しそうだ。

「渡さなければならない書類があると。この会議にどうしても必要だと言いました」

「なるほど。それでその学生らしからぬ恰好が出来上がったわけだ」 

「…………」

 胸元の開いた、丈の短いツーピースを選んだのはネリアだ。『義理人情に訴えるなら、付加価値が必要よね』ということらしい。これを着てと言われた時はかなり抵抗したのだが、審議の時間が迫っていたので選択の余地はなかった。実際警備の兵士はかなり渋ったが、涙を浮かべて頭を下げて請うと仕方なく通してくれた。そんな事情まで見抜かれているようでひるんだが、なんとか表に出さないように淡々と言葉をつむぐ。

「勝手に入室したことは謝ります。ですが、彼は本当に無実なんです。どうか正当な捜査をお願いします」

「だけど彼は今ヴァンベールにいないよね。彼の居場所はわかっているの?」

「はっきりした場所はわかりませんが、ソマリスの大学にいるようです」

「その情報ならすでに把握している。ソマリスのフィールド大学にはウィリアム・マクリードという助教授が確かに在籍していた」

「でしたら本人に聴取をして下さい。直接話を聞けばきっと」

「彼自身は行方不明だ」

「え?」

 クラウドが言った言葉を頭で理解するのに数秒かかった。呆然とするディアナに、クラウドが笑みを浮かべた。

「彼がこの件に関与していることは間違いない。詳しくは言えないが、我々がこの結論に至っただけの証拠がある。君は彼が無実だと言ったね。何か根拠を持っているのかな?」

「いえ……」

 ディアナはうつむいて歯噛みする。勢いに任せてここまで来たが、ディアナにわかっていることはウィルが授業に出ずにいなくなったこと、それだけだ。あの手紙にも、失踪に関することはなにひとつ書かれていない。『無実』だとする根拠なんてどこにもないのだ。

 それでも危険を冒して潜入を試みたのは、なんとかして捜査をしてもらいたかったからだ。なのに、ウィルが罪を犯した証拠をすでに持っていると言われてはどうしようもない。

 黙ってしまったディアナに、クラウドがやさしく言う。

「君の勇気ある行動と家族への愛情に免じて、ここに来たことは不問にしてあげよう」

 その言葉を合図に、横に立っていた議長がディアナの腕をつかんだ。これで終わり? 何もわからないまま? それではここまで来た意味はない。

「待って。せめて、理由を教えてください。なぜ叔父がそんなことをしたのか」

「それは国の重要な機密だ。一介の学生には教えられない」

 笑顔の中に有無を言わせない迫力を認め、ディアナはそれ以上の言葉を飲み込んだ。うなだれながら議長に連れ出されていくディアナを目で追いながら、クラウドは後ろで気配なく控えていた男に目も向けず声をかけた。

「ルーセント」

 ルーセントと呼ばれた男は軽く目礼すると、誰にも気づかれず部屋からすっと出て行った。


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