首切り地蔵

雷電

第1話

 余命の宣告を受けた。告げられた余命は僅か1年。

 体調不良を押して仕事に打ち込み、目に黄疸が出たことを指摘され、健康診断を受けて発覚した。

 病名は膵臓癌。ステージは4、末期の状態であり、手の打ちようがないとのことだった。


 この余命1年というのも、延命治療を行った場合の見込みであり、もういつ死んでもおかしくないらしい。

 緩和ケアを勧められ、局所麻酔による神経ブロックと言うものを施してもらうと、嘘のように楽になった。

 絶え間ない苦痛があるのが常であったため、こんなに晴れやかな気分になったのはいつぶりだろうか……。


 診断結果を上司に伝え、約1週間で最低限の引継ぎを済ませると、会社を退職することにした。

 上司は有給消化を勧めてくれたが、天涯孤独の身の上であり、今さら金があっても仕方がない。

 他にお金を必要とする人の一助となる方が無駄もないと思い、辞退した。


 俺は40この歳になっても未婚であり、早くに両親を亡くしていた。

 親戚付き合いもないし、俺の死をいたんでくれるような友人すらいない。

 空虚。その一言に尽きる人生だった。何もせず、何も残さず死んでいく。


 平和な日本に生まれ、何不自由なく成人し、この歳まで生きただけで儲けもの。

 そううそぶいてはみるものの、心にわだかまる虚しさは払拭できなかった。

 強い酩酊感を伴う痛み止めを飲みながら、身辺整理という名の死出の準備を進めていく。


 やりたい事は多々あれど、残された時間を考えれば、出来ることは少ない。

 そして、こんな俺にも一つだけ大きな心残りがあった。

 それは自宅裏にある、お地蔵様の御守だ。自分が知る限り曽祖父の代から連綿と続く習慣。

 両親が存命中は勿論、一人きりになっても365日、一日たりとも欠かさず続けてきた。


 そう大した事はなく、毎朝お茶を進ぜるのと、周囲の清掃程度なのだが、ご近所さんの誰もがお地蔵様の御守りに難色を示した。

 年に一度の地蔵盆すら面倒だと言うのに、毎日の御守など、とんでもない負担になるらしい。

 長年に亘って面倒を見続けてきた俺の家が絶えるのだ。ご利益のないお地蔵様など、荷物でしかないとさえ言われた。


 世知辛いものを感じつつも、死にゆく人間が未来ある人々に重荷を託すわけにもいかず、引き下がることにした。

 翌日、俺は朝のお茶を供えつつ、お地蔵さまに向かって語り掛けた。


「お地蔵様。長らくお世話をさせて頂きましたが、それもこれまでのようです。ほどなく私も鬼籍に入ります。お世話を引き継いで下さる方を探しましたが、ついに見つかりませんでした……」


 そう言いながら、3体並んだお地蔵様を綺麗に磨いていく。


「私も入院することを勧められ、今日を限りにお目にかかることも適いません。今まで我々をお見守り頂き、ありがとうございました。至らぬ私をお許しください……」


 両手を合わせて拝みながら、最期の別れを告げた。

 それでもお地蔵様は変わりなく、風化によって摩耗しながらも柔和な表情を返してくださった。

 別れを済ませると、自宅に戻り、鏡の前で身支度を整える。

 我ながら恐ろし気な容貌になっていた。黄疸の出た目は白目部分が黄色く染まり、体重減少により眼窩も落ち窪んで、幽鬼か死神かと見紛うような有様だった。


俺は入院するための荷物を詰め込んだバッグを肩にかけ、自宅に施錠すると敷地から踏み出した。


 ――ずるり。


 強烈な違和感を覚えた。何か粘性の高い液体にでも飛び込んだかのような強い抵抗を感じた。

 総毛立つような寒気に襟元を強く引き締め、思わず周囲を見回した。

 しかし、これといった変化は見受けられなかった。気のせいかと思い直し、自家用車で病院へと向かった。


 道中は何事もなく、あっさりと病院に着いた。駐車場に車を停めると、チケットを受け取り、病院の玄関をくぐった。

 受付の列に並び、順番待ちをしながら周囲を見回す。大学病院だというのに異様に混雑していた。

 自分の順番となり、荷物の中から取り出した予約票を受付に出そうとしたとき、後ろの人が割り込んで受付を始めた。


 あまりの非常識さに驚き、何も言えないでいると、カウンター奥の職員らしき女性は何事もなく応対を始めてしまう。

 ことがここに至って初めて異常に気が付いた。列に並ぶ人々の誰もが、自分を無視して先に進む。

 誰も自分を見ていない……。呆然と佇む自分を避けて、次々と列は進んでいくのだ。


「ちょっと待ってくれ! 俺はここに居る!! なぜ無視をするんだ!」


 足元から這い上がってくるような恐怖に、自分でもどうかと思う程の大声が出た。

 しかし、耳元で叫ばれたはずの人すら反応しない。焦燥感から、まさに今受付をしている人の肩を掴んで引き寄せた。

 具合の悪そうな初老の男性は、俺に引かれるままに後ろに下がるが、怪訝な表情を浮かべると、何事も無かったかのようにカウンターへと戻る。


「なんだ!? なんなんだ! ドッキリか? 悪ふざけはやめてくれ!!」


 声の限りに叫んでみるも、誰からも顧みられることが無かった。

 悄然と項垂れている間にも、受付の列は器用に俺を避けて進んでいく。咄嗟に走り出し、病院の玄関へと向かった。

 入ってきた時と同様に、自動ドアは俺に反応し、その扉を開いてくれた。


「てっきり気が付かない間に死んだのかと思ったけど……そういう訳じゃなさそうだな……」


 機械が認識してくれるならと、病院の外に出てスマホを取り出し、入院を予約した際の番号にかけてみた。

 数回のコール音の後、回線が接続されて女性の職員が応答した。俺は自分の名前を名乗り、予約の確認をしようとした。


「もしもし? もしもーし! ん? いたずら電話かな?」


 ブツッ! という音を立てて通話が切断された。呼び出し音は認識されるが、俺の声は認識されないようだ。

 電話の仕組み上、肉声が直接届く訳ではなく、近い音質に変調された上で再構成されるのだが、どういう理屈なのか、俺の声は誰の耳にも届かない。

 その後も思いつく限り色々な場所に電話を試みたが、全て無言電話として処理された。


「ははははは! 俺には粛々と死に向かう事すら許されないのか!」


 あまりの異常事態に驚愕や憤怒を越えて、発作的な笑いがこみ上げてきた。誰にも認識されないのを良い事に、病院の待合室にあるソファーを占拠し、大声で笑い、そして少し泣いた。


 この有様では入院加療など望むべくもない。俺は入院を諦めると、自宅に帰ることにした。

 運転席に座り、持ってきた鞄の中にある薬の量を確認する。2ヶ月分に相当する痛み止めが処方されていた。

 俺はこの2ヶ月を自分の寿命と定めて行動することにした。


 車を運転していると車体は認識されるのか、追突されることも右折時に横腹に激突されることも無かった。

 自宅に戻ると自室に籠り、PCの電源を投入して何通かのメールを作成し、送信した。

 メールは問題なく処理され、返信が戻ってきていた。元々病院に着いたら送る予定であったメールだけに、簡素な受理の返信だけがモニターに映る。

 自身の所有する土地建物や、各種財産について売却手続きの依頼が受理された。売却益の3割を報酬として弁護士に支払い、残りは身寄りのない子供を育成するための各種基金に寄付される。


 電話やプロバイダ、電気に、水道、ガスなどのライフラインも2ヶ月先を目処に全て解約し、車もディーラーに引き取りに来てもらうよう手筈を整えた。

 銀行預金を確認すると3000万円ほどの残高が確認できたため、手元に500万を残し、残り2500万でさきの弁護士に、お地蔵様の御守りを事業として依頼した。

 お金の力とは大したもので、それほど時間を置かずに地元のNPOが引き受けてくれたと言うメールが届き、報酬の条件を決めると、俺は安心して眠ることにした。


 翌朝、目が覚めるとスマホの留守電に病院から問い合わせが入っていた。どうせ掛け直しても認識されないため、病院のWebサイトにある問い合わせフォームから、入院しない旨を送信した。

 晴れて自由の身となった訳だが、体に染みついた毎日の習慣からか、お地蔵様にお茶のお供えに向かった。

 NPOが代行してくれるのは月曜日からであり、今日を含めた土日は自分がお世話をする。


 来客用にと残してあった高級茶を淹れ、茶碗に注ぐと、お盆に載せてお地蔵様の前に運ぶ。

 昨日に供えた茶碗の中身を近くの排水溝に捨て、新しい茶碗を置いて手を合わせて拝んだ。


「お地蔵様。何やら奇妙なことになり、一足先に亡者の気分を味わっております。動ける間に冥途の土産として、あちこちを見て回ろうと思います。明日までは私がお世話を致しますが、その先は他の方にお願いすることになりました。もう暫く、我々をお見守りくださいませ」


 そう言うと中身の入っていない茶碗を回収し、新年になったら付け替えようと以前に買い求めていた、新しいお地蔵様用のよだれかけをお掛けした。

 古くなって赤さの薄れたよだれかけは頂戴し、ポケットに入れて持ち歩くことにした。

 装いの新しくなったお地蔵様を眺め、一つ頷くと俺は踵を返した。ふと思い立って、先祖の墓参りをすることにしたのだ。


 仏壇から線香と蝋燭、ライターを手にし、戸棚をガサゴソと探ってお供え用の饅頭を幾つか取り出した。

 車を駆って、自宅から一時間ほどの距離にある菩提寺に向かった。

 周囲に生えた雑草を引き抜き、木桶に汲んだ水を柄杓で掛けて墓石を洗い、花屋で仏花など買えるはずもないため、庭に咲いていた花を適当に手折ったものと饅頭を供えて、線香に火をつけた。

 墓前で目を瞑って手を合わせ、もうすぐそちらに行くよと報告した。流石に死体になれば見つかるだろうと思っているのだが、甘い考えかもしれない……。


 何気なく寺へ足が向き、そのままそぞろ歩いていると、境内の片隅にある鐘撞堂の辺りから人の声が聞こえる。

 どうせ気づかれやしないと、大胆に歩み寄って裏に回った。そこには驚くべき光景が展開されていた。

 寺の若嫁さんが、誰とも知らぬ男と絡み合っている。俺は呆然としていたため、その足音に気付くことが出来なかった。


 俺の横を誰かが走り抜け、持っていた包丁で間男の首を薙いだ。

 絶叫と悲鳴が上がり、首から噴水のように鮮血を吹き出す男が横倒しになる。返り血を浴びて佇むのは、作務衣姿の若住職だった。

 住職は妻の不貞を糾弾するでもなく、ただ静かに何故だと問うた。

 女は逆上し、罵声を浴びせ、まだ住職が包丁を握ったままなのに気付くと、一転して詫びて、哀願して見せた。

 住職は女に取り合わず、もう一度何故だと問うた。しかし、女は答えなかった。


 再び鮮血が舞った。横一文字に女の喉笛を掻き切った包丁をぶら下げ、住職は間男の死体を遠くに蹴りやった。

 死の痙攣を始めた妻を見下ろし、住職は光を宿さぬうろのような瞳を閉ざすと、包丁を逆手に握って自分の首をも掻き切った。

 三度の惨劇を経て、ようやく動けるようになった俺は腰を抜かしてへたり込んだ。


 俺の耳に草笛のような奇妙な音と、ごぽごぽと言う粘つくような水音が聞こえた。

 見ると住職は自らが付けた傷が浅かったのか、死にきれずに苦悶の表情でもがいていた。

 倒れた拍子に包丁を手放したのか、血塗れの指が大地を掻きむしるが、包丁までは届かない。


 住職の傷は素人目にも致命傷であり、出血量から見てもそう長くはないと理解出来た。

 法的には複数人を殺害した犯罪者とは言え、情状酌量の余地もあった。同じく死にゆく立場というのが、俺の背中を押した。

 俺は落ちていた包丁を拾い上げると、住職の頸部を真後ろまで切り裂いた。


 ぞぶりという刃が肉に潜り込む嫌な感触と、ぶつりという頸動脈を切断する軽い手応え。ごりっと言う頚骨に包丁が当たる感触を覚えて、手を離した。

 目に見えて出血量が増え、見る見る間に住職の目から光が消えていく。俺は忘我の境地でそれを見つめ、命が消えゆく様を美しいとさえ感じていた。


 俺は無人の寺に入ると、備え付けの固定電話を持ち上げ、警察を呼び出すと繋がるのを待った。間もなく応答の声が聞こえたのを耳にして、近場の家具を思い切り蹴り倒し、騒音を立て続けた。

 日本の警察と言うのは優秀なもので、暫くするとサイレンの音が聞こえてきた。電話は未だに繋がったままであったが、受話器を戻すと、その場を後にした。


 全身に返り血を浴びたまま自宅に戻ると、服を洗濯機に叩き込み、熱いシャワーを浴びた。

 熱い湯に打たれながら、先ほどの惨劇を振り返った。閃く白刃と舞い散る血しぶき、熱いとさえ感じる液体が、徐々に温度を失っていく。

 一つの罪がただされ、咎人とがびとも消えた。消える前の蝋燭が放つ、最後の輝きとして、あの光景が脳に焼き付いていた。


 どうせ死にゆく身だ。法では裁けぬ悪を糾し、少しでも世の中を綺麗にしてからこの世を去りたい。そう考えた。


 自分に残された時間は少なく、世に蔓延はびこる悪は限りがない。あまねく全てを裁けるはずもなし、誰を手に掛けたものかと考える。

 ふと地方紙を見ると、カルト宗教と名高い新興宗教がイベントを催し、その教祖が講演を行うという内容が目に入った。

 日付を見ると明日の午後とあり、手始めに教祖を試すことにした。この教祖は、曰く仏陀の生まれ変わりであり、様々な超常の力を持っていると謳っていた。


 その夜、物置から山歩き用の山鉈を取り出し、砥石を使って刃を研ぎ澄ませた。

 鈍色に輝く刃を眺め、無心に砥石で刃を整える。そこに何ら気負いはなく、草刈りでもするかのような気楽ささえ感じていた。

 他にも薪割り用の手斧や、大振りの草刈り鎌、長年愛用してきた出刃包丁と柳葉包丁をも手入れし、眠りに就いた。


 翌朝の目覚めは爽快だった。最後のお茶を淹れると、自宅裏に向かい、お地蔵さまに供えて手を合わせた。


「賽の河原や、地獄の底にすら救いを齎す、お地蔵様にはとても顔向けできない事をやろうと思います。今日のお世話が最後で本当に良かった……」


 最後に目にしたお地蔵さまは、どこか憐れんだ表情を浮かべておられるように見えた。

 俺は頭を振って、その思いを追い出すと、振り返ることなく歩み去った。


 教祖の講演会は予想以上の盛況を見せていた。何処のマスコミかはわからないが、報道のカメラまで並び、教祖が延々と訳の分からない理屈を語っていた。

 俺は腰に提げた山鉈を引き抜き、真正面から演台に上がった。明らかに凶器を持った人間が教祖に近づいているというのに、誰からも制止の声が掛からない。

 そして教祖自身も俺の姿に気付く様子もなく、相も変わらず世迷言を垂れ流していた。俺は教祖の真横に立ち、山鉈を思い切り振りかぶると、その澄ました顔面に思い切り叩き付けた。


 顔の中央を狙ったのだが、慣れない為か狙いがずれて、左目を抉って頭蓋に突き抜けた。潰れた眼球と、脳漿を溢しつつ教祖が絶叫した。

 パニックが生じたが、気にせず教祖を蹴り倒すと、頭を踏みつけるようにして山鉈を引き抜いた。恐慌状態で暴れる教祖の胸に出刃包丁を突き立て、動きが止まったところで首に薪割り用の斧を振り下ろした。

 一振りごとに鮮血が舞い、数度の振り下ろしで刃が床に届いた。切断した頭部を髪を掴んで持ち上げると、観客席に向けて放り投げた。


 会場は凄まじい状況に陥った。悲鳴と怒号があちらこちらから上がり、逃げ出そうとした観客が将棋倒しになった。

 俺はと言うと、刃物についた血脂を被害者の服で拭い、こんな詐欺師にも救いがあるようにと、お地蔵様から頂戴したよだれかけを掛けてやった。

 警察が駆けつけるまで会場を封鎖しようと試みる警備員を眺めながら、俺は堂々とその会場を後にした。


 次はどうしたものかと、血塗れのまま街を歩いていると、街頭のTVが国会中継を映していた。

 野党の代表が、自分の事は棚に上げ、意気揚々と与党総裁を糾弾していた。自分は無謬むびゅうであると言わんばかりの態度が鼻に付き、気が付けば新幹線に乗り込んでいた。

 東京に着いて、国会議事堂に向かうも、既に締まっていた。俺は荷物を抱えて敷地内に入りこみ、議事堂の中で明日を待つことにした。


 議員の席は座り心地が良く、中継で眠り込んでいる議員を目にするのが少しわかった気がした。

 持ち込んだ鞄の中から、おにぎりとお茶を取り出し、簡素な夕食を取ると、ふかふかの絨毯にごろりと寝転がった。

 翌日になり、予算審議が開催されると、長々とした説明が始まり、ついに基本的質疑の時間となった。


 待ち構えていたかのように、与党代表が質疑に挑み、カメラを意識して第一声を放とうとした。

 その顔面に鎌の湾曲した刃が突き立った。吹き出す鮮血を背景に、首相や閣僚を守るSPが彼らを庇って後退していく。

 NHKの中継カメラが撮影する中、鎌の柄を掴んで頭を引き寄せ、演台に首を載せた。

 泣き喚く代表の喉笛を柳葉包丁で切り裂き、その切り口を演台の角に叩き付けた。傷口が大きく開いて、体から力が抜けたのが判った。

 俺は演台に馬乗りになると、首の後ろに薪割り斧を何度も叩き付け、首を切断した。そして教祖の時と同様に、代表の衣服で血を拭い、鮮血に染まる白のスーツによだれかけを掛けてやった。


 二日続いての殺戮劇に報道が湧いた。白昼堂々と衆目の前で行われる手口、姿無き殺戮者に日本中が震撼した。

 流石に国会議事堂での凶行はやりすぎだったのか、寸刻も置かずに完全封鎖され、誰一人外に出さない警備態勢が敷かれた。

 こうなっては仕方がないので、堂々と現場に居座り、鑑識員の現場検証を後ろから眺めていた。


 誰もが押し黙る中、甲高く耳障りな声が静寂を切り裂いた。

 そちらを見ると、隣国との黒い噂が付き纏う、女性議員が何事かを叫んでいた。

 皆が捜査に協力する中、こいつだけが今すぐ帰らせろと声高に主張する。狙われる心当たりでもあるのか、しきりに周囲を窺い、ヒステリックに喚いていた。


 警察と秘書に宥められ、与えられた控室に女が戻る後ろをつけた。自分の要望が通らないと見るや、女性議員はスマホを取り出し、あちらこちらへと連絡を取り始めた。

 内容を聞いていると、ネットで噂されていた通り、各種利権団体とずぶずぶの関係であるようで、資料の隠蔽や、関係者の雲隠れを指示している。

 こいつ一人を殺したところで、この手の悪の芽は尽きないが、目に付いた芽だけでも刈り取ることにした。


 女が椅子に座ろうとした瞬間に、椅子を後ろに引いた。無様に尻もちをついて、目を白黒している女を蹴り倒し、その首に山鉈を叩き込んだ。

 山鉈の刃は女の頚骨に食い込んで止まり、女は開いた傷口から鮮血を迸らせながら暴れていた。

 暴れる女の肩口を踏みつけ、もう片方の足で山鉈の背を何度も踏みつける。ゴリゴリと言う嫌な感触で刃が進み、頚骨を断ち切ると女の体が魚のように跳ねた。

 最後のよだれかけを死体に掛けると、秘書が悲鳴を上げながら飛び出した扉から俺も室外へと進み出た。

 再び発生した凶行に、警察の配備が偏った。その警備の隙を突いて、俺は国会議事堂を後にした。


 現職の国会議員が、国会中継の最中に殺害されると言うニュースは、日本はおろか世界をも震撼させた。

 3つの現場に残された赤いよだれかけから、マスコミは俺に『首切り地蔵』という名前を付け、無差別殺人鬼だと報道した。

 一方ネットでは神罰だの、断罪者パニッシャーだのと、主にオカルト方面で盛り上がっていた。


 その後も俺は、首都圏で独断による裁きを下し続けた。件数が積み重なるにつれ、その傾向が分析されるようになった。

 あらゆるメディアに報道規制が入り、犯罪についての報道が為されなくなっていった。

 俺と同様に、悪も闇に潜って見えなくなった。それとは逆に、ネットでは内部告発とも思われる書き込みが増加した。

 巨大掲示板やSNS、動画配信サイトなども利用して、悪を糾弾する人々が後を絶たなかった。


 繰り返される惨劇とは裏腹に、悪事は鳴りを潜めただけで巧妙かつ、陰湿に変化していった。

 本当の巨悪は断罪されず、今日ものうのうと生きている。俺は失意の中、タイムリミットが訪れたのを知った。

 俺は震える足で最期の地へと向かった。『首切り地蔵』と称された俺とは逆に、『生首地蔵』とされたお地蔵様の後ろに座り込む。


 とてもお地蔵さまに顔向けできないため、お地蔵様の背中に自分の背を向ける形で咳をする。手を見ると盛大に喀血していた。

 この頃は痛み止めも用を為さず、かつてのように絶え間ない痛みに襲われていた。最後に残っていた4錠の痛み止めを一気に服用し、空を仰ぐ。

 人の世の不条理とは無関係に、木々の合間から青々とした空が見えた。いつしか視界が掠れ始め、鈴の音を聞いたような気がしたのを最後に意識が絶えた。


 『浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ』

 世を騒がせた殺人鬼が人知れず息を引き取った。しかし、世に人が居る限り、悪の芽は尽きない。

 季節は巡り、冬が過ぎて春を迎え、また季節が過ぎ去っていった。

 誰にも見つかることなく白骨化した骸が風雨に晒され、朽ちて脆くなって崩れた。風に吹かれて舞い上がった塵が一つにまとまると、赤錆の浮いた凶器が浮かび上がる。


 悪に苦しむ人々の願いを受け、姿なき『首切り地蔵』は新たな形を得た。

 それは得物を掴んだまま風に消え、怨嗟を上げる人々の願いを叶える存在となった。世に悪の種が尽きぬなら、犠牲者の怨嗟を贄とし、悪を断じる装置となる。

 ただ只管に願いを聞き、悪を断罪するだけの悪鬼が産声を上げた。

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首切り地蔵 雷電 @raiden4864

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