Day3:ある日の街角で―神様のいない午後―

 或る日の事、私はとある街に来ていた。

 どこに行っても、市街地というのはとかく騒々しい。今日も今日とて多くの人々が行きかい、街の喧噪は止むことを知らない。だがこの日は街の一角が一際騒々しくなっていた。

「今の世界は途轍もない混乱と窮地に立たされている!景気は悪化し、戦争の火種はすぐそこにある!このままでは我々は再び、血で血を洗う戦争を起こし、過去の過ちを繰り返すであろう!だからこそ今、我々はイエス様を崇めなければならない!皆で団結し、イエス様を崇めれば、イエス様は我々を救済してくださる!我々がこの苦難を脱するには、この方法しかないのだ!!」

 どうやらその一角では、宗教団体の演説が行われていたのだ、周りではパンフレットを配る人物もいる。だが、その演説に足を止めるものはいなかった。皆忙しそうに演者の前を、横を素通りし、時折演者に鬱陶しそうな視線を投げるものもいた。だが私はこの日記を書いていることからすでに分かっているであろうが、こういった類の人間に興味をそそられるのだ。そういうこともあって、私はこの演者の話を一人最後まで聞いていた。

 演説が終わり、パンフレットを配っていた人々が演説に使っていた機器を片づけていた時、彼に声をかけられた。

「いやはや、最後まで演説を聞いてくれて本当にありがとう。ここ最近真面目に私の演説を聞いてくれたのは君くらいだよ。」

「こちらこそ、中々秀逸な演説を聞かせていただいた。このご時世、こういうことを言う人はなかなかに珍しいからな。」

「ああ、まさしく仰る通りだ。最近はいくら演説をしても誰もまともに耳を傾けてはくれない。昔はこうやって演説をしているとそうだそうだと声を上げるものもいたというのに。最近はヤジが上がっても『信じるだけで救われるわけがないだろう』と我らの信仰を否定するだけでなく『うるせぇぞバーカ』と最早聞く耳を持とうともしないようなものまで出る始末だ。昔はこういう演説をしていたものは全国にいたが、最近はどこもこの有様。かつて同じような演説をしていた仲間は皆、演説をやめてしまったよ。」

「確かに、このような状況では、演説をするだけ無駄なものだ。それは街頭演説が減るものだ。君もそろそろ、演説をやめるつもりなのかね?」

「そうだな、私ももう老いぼれだ、体も所々悲鳴を上げてきている。そろそろ潮時なのかもしれないな。」


 一陣の木枯らしが吹き渡り、鳩が羽音を上げて飛び立った。


「それにしても、なぜ皆は神様を信じない。例え科学で否定されようと、神様は確かにこの世界に存在する。神様は我々を常に見守っている。皆が神様を信仰すれば神様は我々の信仰心に応え、救済してくださる。世界は素晴らしく、美しいものになる。皆争うことも、貧しさにあえぐこともない世界に!」

 彼はいつしか演説のように声を張り上げていた。そうして暫く沈黙したのち、彼は暗澹とその続きを語る。

「…だが、皆は神様を信じない。なぜだ。彼らは今の世界を望んでいるというのか。争いも、貧困も存在する世界を、認めるというのか…。」

「確かに神と呼ばれるような、『私たちの上位存在』がこの世界にいるとは言い切れない。この世界に『存在しないこと』を証明することは実質的に不可能だからね。悪魔の証明の一種さ。だが、『私たちの上位存在』と君が信じる『神様』は全くと言っていいほど異なるものだ。君の信じる『神様』というのは一つの価値観のようなもので、この世界のどこかではなく、君の心に存在するのさ。かつては多くの人にこの統一的な価値観が存在していたが、人々が科学を究め、自由を獲得していく中でその価値観は失われていった…。『神様』は紛れもなく我々がその手で殺してしまったのだよ。」

「つまり君はこういいたいのかね。私が信じていた『神様』は、私自身が心の中で作り出したものだと。」

「ああ、そうだとも。例え誰かからこの統一的な価値観を教わったとしても、教わった人が持っていた価値観と君の価値観というものは、多少異なるものだ。解釈というのは人によって異なるものだからね。だが悲しむことはないさ。君の心の中にいる『神様』は、君を律し、君がそうあるべきと考える君自身の在り方に、君を導く方位磁針のようなものでもある。まさしく『神様のお導き』と言ったところだろうね。だから、君がそうあるべきと考える人間になりたいのなら、それを後生大事に持っておきたまえ。」

「そうか。『神様』は誰よりも我々の一番近くで我々を導いていてくれたのか。ありがとう、いい話を聞かせてもらったよ。」


 先ほどパンフレットを配っていた人々に声をかけられ、彼は急いで去っていった。再び木枯らしが吹き渡る。

 それにしても、『神様の死』は未だ中途なものとなっていることを、彼を見て思った。なぜなら彼のように神様を心に宿し続ける人がまだこの世界に残っているのだから…。

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或る旅人の変人帳 あおろま @kinhoshi223

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