Day2:或る日の森で―『独り』と『孤独』のお話―

 或る日の事、私は森の中を歩いていた。

 そこは鬱蒼と木々が生い茂り、木々の間を吹き抜ける風も冷たかった。目を凝らせば所々に、誰かの物と思しき荷物が落ちていた。その近くにかかっている縄を見るに、ここは自殺の名所と言ったところなのであろう。森に入るときも、地元の人に

「最近、辛いことがあったのかい。早まってはいけないよ。」

と声をかけられたのも納得である。

 なぜ私がこのような場所に来ているのかといわれても、特段強い意味はない。ましてはあの者たちのように人生という喜劇の結末を迎えるためでもない。しいて言うならば、「物語の蒐集家」として、喜劇の結末を迎える者たちの物語をこの日記に遺したいと思ったからだ。

 だが、死体は所々に見られても、生きている人はなかなか見当たらない。諦めて帰ろうとしたその時、道から外れた木陰の奥に、一つの寝袋があることに気づいた。近づいてみれば、その寝袋には人が入っていて、私の足音で目を覚ましたのか、眠たげな眼をした男が私を見つめていた。彼はひどく痩せていて、鬱蒼な森に負けないくらい、鬱蒼と髭をたくわえていた。

「誰だ。俺の眠りの邪魔をするものは。」

 彼は訝しげな表情を浮かべる。

「気持ちの良い眠りを妨げてしまい失礼した。私はしがない旅人。名前なき「物語の蒐集家」さ。」

「ほう、死にに来たわけではないのか。久しぶりに面白い者が来たな。それで、俺に何の用だ。」

「君は随分とせっかちな性格のようだな。私は先に名乗った通り、物語の蒐集をしている。今日はこの森で人生という喜劇の結末を迎える人に、その人生を聞かせてほしいと思ってね。そういうわけで君がなぜここにいるか、君の人生を知りたいのだよ。」

 私の目的を告げると、彼は好奇と軽蔑が混ざったような目で私を見つめた。

「俺の物語が知りたいとは全く奇妙な奴だ。ならば俺の人生というものを教えてやろう。つまらなくて後悔しても知らんぞ。」

 そういって彼は自らの人生を語りだした。


 彼はとある港町の生まれで、町工場の機械の音と船の汽笛を聞き育った。生まれの家が小さな工場をやっていたこともあり、彼は高校を卒業したのち、家業を継ぐことになった。彼の家業の工場は船などに使うビスや部品などを作る工場で、小さな規模の工場だったので部品は全て旋盤やフライスなどを用い手作業で削って作っていた。小さな頃からものづくりが好きで「ものづくりで人を幸せにするのが夢だ」と思っていた彼は、その手腕を磨いていった。

 だが或る日、自分の作った部品を取引先に納品した後、その部品を使った船が事故を起こして沈没し、その乗組員の一人が死んでしまった。事故の原因はその部品だけではなかったが、

「自分が作ったもので誰かを幸せにしたかったはずなのに、結果的に誰かを不幸にしてしまった」

彼は今までの自らの行いを恥じて、絶望した。そして物を作れなくなり、仕事をすることが出来なくなってしまった。周りの物は無責任に励ましたり、発破をかけたりして、彼が今までの彼に戻れるよう苦心していた。

「この程度のことで崩れやがって…。情けない」

と影でも、時には彼に面と向かって言うものもいたという。

「この程度のことで挫けて、何が夢だ」と彼が彼自身を責めるのは必然の流れだった。

「そうしてやっと、俺は気づいたのさ。自らの夢が偽りであったということ、『独り』と『孤独』は異なるということ、例え同じものを見聞きして同じ絶望にさらされようと、その解釈は一人ひとり異なること…。故にどう足掻いても人は人との関係の中にいるとき、『孤独』であるということに。だから、俺は『独り』になりたくなって、家から逃げ出して、ここで寝袋にくるまっているというわけさ。こうしていれば、いつ死ぬにしろ、眠りながら、『独り』で死ぬことが出来るからな。」


 彼が語り終わり、木陰に風が吹き渡る。心なしかその風が一層冷たかった。


「一つ聞かせてほしい。君は先ほど、『独り』と『孤独』は違うと言ったね。では何が違うのかね。」

「ああ、そのことか。『独り』というのは、文字通り、誰も周りにいない状態さ。お前が来る前の俺の状態と言えばお前も理解しやすいだろう。だが『孤独』というのは、周りに誰かがいて、その誰とも分かり合えず、孤立している状態だ。さっき俺が言った通り、同じ経験をしても、その解釈は一人ひとり異なる。人間というのは悲しい生き物でな、それをなかなか理解しないか、目を瞑っていて、「人と人は分かり合える」と平気で居直るんだ。だから人は皆、知らず知らずのうちに『孤独』を抱えているのさ。全く、愚かで醜いものだよ、人間というのは。」

「なるほど確かに、人間というのは醜悪な生き物だ。だが、「人と人は分かり合える」という思い込みが故に生じるすれ違いや勘違い、感性の違いが喜劇を成り立たせることは往々にして多いものさ。「ロミオとジュリエット」だって、最後の最後でロミオが毒薬を飲んで死んだと偽ったは良いが、ジュリエットがそれを見て、本当に死んだと勘違いし自殺し、ロミオもその後を追う。もしジュリエットがそこで勘違いを起こしていなければ、あの作品が後の世に語り継がれない平凡な喜劇に成り下がっていただろう。人間が醜悪な生き物なことには変わりないが、その醜悪さこそが喜劇を生む。だからこそ人は美しく面白い生き物なのだよ。」

「醜悪だからこそ美しく面白いか。なかなかお前さんも面白いこと言うじゃねえか。やはり俺の目に間違いはなかったな。」

「君にそういってもらって光栄だよ。さて、そろそろ私は行くとするよ。君の眠りを妨げすぎてもよくはなかろう。」

 お金は使わないだろうから、と持っていたロールパンをお礼に一つ手渡した。彼は少し照れ臭そうにしながらも、キーホルダーを渡してきた。

「そいつは俺が初めて機械で作ったものでな。どうしても手放せなくて持っていたが、お前さんに持っていてほしいんだ。俺の形見として、な。」


 彼と別れ、森を歩く。キーホルダーが、風に揺れた。

 全く人というのは実に愚かで美しいと彼を見て思った。なぜなら彼は「誰かに理解されたい」という願望を持ちながらも、それが叶わぬと知ったが故に『独り』になりたがっているのだから…。


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