赫煉理之剣
第一節 不死の生き甲斐
「首無し
白い道服と水色の
「酷使し過ぎたので、修理中だった
そう言って狗琅真人が撫でた片頬には、うっすらと亀裂のような赤い痕があった。女と間違えそうに端麗な
ただ、そこにコージャン
「
「それは予備のまた予備に過ぎなくてネ、機能が制限されているんだ。少し具合が悪くても、こちらの方が何倍もマシだよ」
「これでいつでも反撃に出られますね!」
勢い込むウーに、狗琅真人は「いや」と軽く首を振った。
「まずは相手の居場所を特定しなければならない。私は占術のためにしばらく籠もるから、君たちは食事でも取って、戦いに備えておいてくれないかネ」
「えー。その場のノリで『反撃開始だ』とか言っといて、まだですか」
「ウォンくん、戦いは準備が肝心だとリーくんから聞いてないかネ?」
「準備ついでに、着替え欲しいんだけど」
白魂蝶は自分の
「妹の服じゃ戦いづらいのよ、
「では君の衣装箪笥から何か持ってこさせよう」
「はぁ? どういうこと」
「
城隍神とはまたの名を
「だったら箪笥繋げたトコに私を呼びなさい! 自分で選ぶから!」
「分かったよ」
「……なんか、思ったより落ち着いてますね、狗琅真人」
ぽたり、と。一滴の冷たい汗のように、ウーはつぶやきを漏らした。若仙と女殺師の目に映る少年は、四肢に力を込めて挑むようにこちらを見ている。
その手足に張り詰める力は、隠しきれない不安と緊張だ。
「
在りし日に見た雪色の稲妻が、ウーの脳裏で繰り返し反響している。それは今日までずっと、常に彼の心の奥で閃き続け、輝き続ける、かけがえのない物だ。
仙人は自ら目標を持って不死を選ぶ。
では、生まれついての不死は何を目標にして生きれば良い?
ウーにとって、自分を斬り殺したコージャンの剣がその答えだ。
「僕はまだ、師父の剣を受け継いでいないんです。今あの人が死んでしまったら、その剣がこの世から消えちゃう、無くなっちゃう。そんなのは絶対嫌なんです!!」
「リーくんは強いんだ、簡単に殺されたり壊れたりしない」
陽が東から昇るのと同じぐらい当然という顔で、狗琅真人はのたまった。それは虚勢でも空元気でもなく、心底〝そうでなければならぬ〟と凝り固まった岩の一念だ。
その異様さを、ウーは小さな違和感でしか受け止められなかった。それすらも、横からあっけらかんと声をかけてきた白魂蝶によって霧散する。
「私なんて、妹がほとんど死んだようなもんだしねー。落ち着きなさいよ、とにかく相手の居場所を突き止めなきゃ、どーしようもないんだからさ」
ぽんぽんと肩を叩く女殺師に、ウーは「でも!」と言い返そうとした。
「まあ、放っておいても、連中はここに来るよ」
「へえ?」
狗琅真人の一言に、白魂蝶は興味深げに片眉を上げた。
「あの女は術でリーくんを深く支配した。そこまでするなら、記憶を覗き込むなんて簡単さ。つまりここの場所も、私の本体も筒抜けだ」
「確実にあんたを殺すため、こっちに来るしかないって訳ね」
「でも、攻めてきてからじゃ、きっと師父は……」
「善処する、としか言えんネ」
ばきん、と硬質な破砕音――ウーは足元の石畳を踏み割っていた。全身から発する苛立ちの引力が、今にも彼を暴発に導こうとしている。
「なんでさっきからそんなに冷静なんですか、クソ仙人! 師父は【
「慌てても何もならない、むしろ判断を誤れば、助かるものも助からないからだよ」
顔を真っ赤にして声を荒げるウーを前に、狗琅真人は変わらず凪の面もちだ。それがますますウーに火をつけた。背筋のバネが不穏にたわみ、弾け――、
「
少年が動く一瞬前、若き仙人の声が水を打った。しん、と広がる
「すこしは頭が冷えただろう?」
「……クソ仙人。またそうやって、勝手に僕の頭の中いじって」
腹立たしいはずなのに、心に熱が沸いてこない。意識を集中すればもう一度怒りが燃え立つかもしれないが、今それをやる無益さは、流石のウーにも分かった。
「今日は後回しにしますけど、二度とやらないでください。あと、いいんですか?」
「何がだネ」
「
どういうこと、と物言いたげな白魂蝶の視線は無視された。
「そんなことはしないよ、今までだってしたことはない。それを知っていることで、君たちが困る、忘れたいと言うなら別だが。お互い、特に害はないだろう」
「……じゃあ、実験で僕の記憶をいじったのは?」
「死の苦しみの記憶なんて、有害極まるからに決まっているいるだろう。戻せと言われても断るよ」
「ちょっと待った」
白魂蝶はずいっと身を乗り出して、己の存在を主張する。
「さっきからの話、何?
「前者はそうだが、後者は違う。差し替えるものも特に無いしネ」
「最悪」
とんでもなく臭くて汚くて耐え難いものに出会ったように、白魂蝶は目鼻口を顔の真ん中にくしゃっと集めた。美人が台無しだなあ、とウーは残念に思う。
「でも、狗琅真人。あなたは、
「ああ、それかい」
二人にはよく見覚えのある顔で、狗琅真人は微笑んだ。玲瓏と危うい、背筋が寒くなるような沸き立つさざなみの破顔。
「これは、大事に取っておかなくてはならないんだ。返す相手がいるからネ」
◆
着替えを終えた白魂蝶は、食堂を探して通路を彷徨っていた。
灰色を基調とした
「仙人の棲み家って、もっと面白い場所だと思ってたわ……」
窓も装飾もない
「なにかお困りかネ」
にゅっと壁の中から狗琅真人が現れ、白魂蝶は思わず殴りかかる所だった。
「気持ち悪い出方してんじゃないわよ! あんた占術は?」
「分身をまた分割して飛ばしているんだ。どうも道に迷っているようだったのでネ」
「ご親切にどうも。まあいいわ、訊きたいことあったし」
白魂蝶は狗琅真人の耳を掴み、壁から野菜のように引っこ抜いた。「何をするんだネ」と問われたが、それは無視して手を離す。
しまった、顔が近い――その動揺を悟られまいと息を整え、彼女は口を開いた。
「あんた、ウォンの〝痛覚〟になんかしてる?」
「何か、とは?」
「トボけんじゃないわよ。我慢強すぎるでしょ、九歳児が」
ウーは実年齢は九歳でも肉体は十五歳、精神もそれに引きずられ、歳に対して落ち着いている。九年分の経験しか持たない十五歳、と言い換えても良い。
そんな事情を、教師として師弟に接してきたノイフェンを通じて、白魂蝶も理解している。それを差し引いても、ウーの苦痛に対する耐性は異常だった。
今日だけで、ウーは頚椎を折られ、内臓破裂するまで蹴ったぐられた。それなのに、声を上げこそすれ泣きもしない。
「痛みは体の危険信号と言うだろう。だが、不死の体にとっての危険とはそもそも何か? 彼の
「理屈はね。で? あんた、学習するまで、何やったの」
正面から顔を見ないよう、必死に視線を逸らしながら白魂蝶は言った。
何しろこのクソ仙人ときたら、
「死因検証実験のことかな。どんな死に方をしても間違いなくよみがえるよう、繰り返し試したんだ。学習はその際に完了したんだろう」
その言葉が指し示す事実を察して、白魂蝶は表情を消した。
「あの子は、あんたのお人形じゃないのよ」
この二ヶ月、妹の生徒としてウーのことは傍で見ていた。だから情でも移ったのだろうか? この仙人が何やら哀れな来歴の持ち主らしいのは分かったが、白魂蝶としてはウーや妹の方がずっと気掛かりだ。
コージャン・リーが死んでも自分は「ま、いっか」ぐらいにしか思わないが、その息子であるウーは気の毒なことになる。
「今はネ。私は大事な友人の一人息子として、彼を尊重している。リーくん以外、誰もそうは思ってくれないようだが」
「そうね、あんたの取り柄が顔の良さ以外にあることを祈っとくわ」
離天荒夢とかいう邪仙とこいつと、何が違うのだろう。白魂蝶は吐き捨ててその場を立ち去り、また道に迷った。
◆
通路で遭難しかけた白魂蝶は、見つけた空き部屋でそのまま眠り、一夜明けてウーに発見された。案内された食堂で、白く丸いものが浮いた椀を受け取る。
「さっき鍋に石入れてなかった?」
「仙人の台所じゃ、石だって食えるようになるんです」
「そ。……なにドヤ顔してんのさ」
「いえ、別に」
薬のような緑茶のような味わいの汁に、もちもちした団子のようなもの。よく分からないが、飽きの来なさそうな味だ。
ウーはなぜか、自分で山ほど入れた
「ごちそうさま、チビクロ(小玄)ちゃん」
「ウー(少玄)です、ウーって呼んでください!」
「じゃ、
そんな他愛のないやり取りのさなか、ふっと何かが切れた。灯りが瞬いたような、一瞬だけ全ての音が消えたような、世界が変質したという気配。
「来たよ」
食堂の入り口に、忽然と狗琅真人の姿が現れていた。
「調子はどうかネ?」
「いつでも」
「すぐにでも!」
二人が応じて立ち上がった瞬間、そこは食堂から地底温水湖に変わる。辺りには長物や剣などで武装した智能人形たちが、既に待機していた。
湖面が鏡のように凪ぐと、外の様子を映し出す。灰色の雲が垂れ込む空の下、銀と灰色の雪景色。
「山の結界を突破してきたらしいネ。このまま
『その通り!』
水面の向こうから、
『すぐにそっちへ行くよ、タイタイ♪』
「師父はどこですか!」
湖に飛び込みそうな勢いでウーは食ってかかる。ぎらぎらと両目に燐光を燃やし、交互に瑣慈とイン・キュアの姿を忙しなく睨んだ。
『形が変わったから分かんないか。今、きゅうちゃんが持ってるよ』
「持ってる?」
改めて、ウーはキュアの手元に注目した。彼は一振りの大剣を
全長一
特に目を引くのは、剣身に描かれた荒々しい赤龍の絵だ。彫刻でもなく、こうした装飾が施されているのは珍しい。
(赤い、龍?)
その絵に、ウーと狗琅真人は見覚えがあった。
――
「その、剣……が、師父なんですか?」
「ちょっと、何言ってんの!?」
「……リーくん。嗚呼! 嗚呼!」
二人がすべてを察する傍ら、白魂蝶だけが置いてけぼりだ。がくん、と狗琅真人はその場に膝をついた。瑣慈はそれを尻目に、鼻高々だ。
『名付けて〝
「お前っ」
ウーは思わず湖面を叩いたが、映像が歪み、また戻るだけだった。
あの剣が、コージャン師父? 自分で動けない、話すことも出来ない、あんな姿が? そんなザマで、彼の剣技はどこへ行ってしまうのだ。あの日の稲妻は。
「はあ、とにかくあいつは剣に変えられたワケね? 分かった、分かった、良くないけど
白魂蝶は怒りに震える少年と、うずくまる若仙それぞれの背中に、力いっぱい張り手を食らわせた。げふ、とウーは思わず咳き込む。
けれど、それで少し余計な力みが抜けた。
「あんたら不死身なんでしょ? 二百年も生きた仙人様でしょ? 情けなく固まってんじゃないっつーの。
「だ、大丈夫です! ほら、狗琅真人も」
しゃきっと背筋を伸ばし、ウーはまだ動かない仙人の肩を叩く。狗琅真人はゆらっゆらっと体を揺らし、「嗚呼」と息を吐いて、のっそり立ち上がった。
「
「いいわね、元気出てきたじゃない」
感情の色が見えないつぶやきを、女殺師は全肯定して武器を取り出す。ウーもそれに
だから、その後に続いた言葉を、二人は聞き逃してしまう。
「先を越されたなあ……」
湖面に映るコージャン・リーが変化した剣。それを見つめる狗琅真人の眼差しは、暗く潤みながら、ぎらぎらと底光りしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます