第三節 光明、白刃、死角はそこに

 廃都・閠霄ぎょくしょうの宮殿――邪仙・離天りてん荒夢こうむの住処に踏み込んだコージャン・リーと狗琅くろう真人しんじんを迎えたのは、異形の群れだった。

 多腕多足に多眼多頭、水死体のように腹が膨れ上がったのやら、半ば溶けて歪んだものやら。もはや原型を留めぬ、元人間の化け物たち。


「狗琅、なんだこいつら」


 武装した若き日のコージャンは、油断なく辺りを見回す。

 遠くまで伸びる長い廊下、終わりなく続く柱と部屋。かつて皇族が避暑に用いた廃離宮は、庶民の感覚としては、屋内と言うより天井付きの町だった。

 その中をじりじりとうごめく十数体の異形は、よろめきながら包囲網を形成している。体は墨をかぶったようにどす黒く、遠目には動く汚泥にも見えた。


「これも外法げほう重魂じゅうこんたいだよ。試作品、あるいはその廃棄処分品か……幸い、私はこの段階に進む前に放り出されたがネ……」


 狗琅真人は、やけに密度の濃い息を吐いた。胸の中が空っぽになって、穴でも開いてしまうのではないか、と一瞬コージャンが不安に思うほどの。

 かつてこの若仙じゃくせんも実験体の一人だった。今こうしていられるのも運が良かったからで、でなければ彼らと同じか、もっと酷いものに成り果てていたのだ。


「彼らは曲がりなりにも不死身だ、簡単には死なないから、倒すより動きを止めることを狙ってくれ。モタモタしていると本命に逃げられてしまう」

「……それでいいのか?」


 剣を肩に担ぎながら、コージャンは鋭い目を向けた。狗琅真人の心に、〝それがお前の望みか〟と、真っ直ぐに問うている。


「出来るなら、出来るなら、ば。速やかに、彼ら全員を――死なせてやってほしい」

「ああ」


 ばん、と狗琅真人の背を叩き。


「任せとけ」


 もし自分が人間としての情動を残していたならば、取り乱していたのかもしれない。他人事のようにそう考えながら、狗琅真人はコージャンを送り出した。

 その背中は大きくて、岩峰に連なる巌のごとく泰然としている。


「かかってこいよ、黒的くろすけども!」


 上から下に向けて振り下ろす、苛烈な劈刀へきとう

 下から上に向けて振り上げる、凄絶な撩刀りょうとう

 刀を頭上で水平に丸く払う、鋭利な云刀うんとう

 一つ一つは基本の動作だが、どれも役割を持って敵を追い詰め、牽制し、トドメへ導く流れを作っている。それは、流派が歴史と共に構築した戦闘理論の体現だ。


(しかし、いくら彼が優れた剣客でも、一人頭二十から三十は殺さなくては終わらない……やはり、この者たちを死なせてやるのは、後回しにしなければ)


 コージャンの気持ちを、きっと自分は「嬉しい」と感じるのだろう。狗琅真人は自分の感情を異物のようにしげしげと眺めながら、はたと違和感を覚えた。

 重魂体たちの数が、減っている。それも、あまりにも早く。


「――ふん!」


 ばつんと頭部を落とされた異形が、倒れたまま動かなくなると、そのままグズグズと融解して行った。それは今しがた現れた新手のはずが、一撃でほふられている。


「これは一体……? この段階まで来たら、【魂】の数が一定量あるはずだ。砍一刀ひとたちで終わるはずがない――どうなっているんだい!?」

「あァ? コツを掴んだってトコだな」


 八本腕からでたらめに繰り出される拳をいなしながら、コージャンは説明した。


「斬った時にな、こう、手応えがよ。力の加減とか、相手の体の中に伝わった内力ないりきの返り方だとか。そういうので、だいたい造りが分かンだよ。普通は一回二回斬ったら死ぬだろ、でもこいつらんだ」


 つまり、コウモリが超音波の反響で周囲の様子を探る〝反響はんきょう定位ていい〟を、刀剣と、それに込めて放つ内力でやっているのである。

 今もまた、八本腕の外法重魂体を一刀のもとに屠った。


「で、こいつらの構造は数種類の模式パターンに分かれてんだな。それさえ分かりゃ、後は種類ごとに共通した弱点を突いて、一発だ」

「君、それがどれだけ非常識な真似か分かっているかネ?」


 感情を制御している仙道でなければ、「ばちこくうそつくんじゃねーアホンダラ!!」と怒鳴って、手当たり次第に物を投げても仕方ないぐらいのデタラメさである。

 理屈としては分からないでもないが、それを簡単なことのように説明するコージャンに、狗琅真人は改めて畏怖を覚えた。仮にも、仙人が、凡俗相手に!


「常識とか今、必要あるかよ。俺たちゃこれから、齢一千を超す邪仙をぶち殺そうってんだぜ! むしろこの天才ぶりに感謝しやがれ」

「ああ、私は本当に良い拾い物をしたよ」


 狗琅真人は、頬に喜色を載せることを選択した。頭の中のツマミをいじるような、無機的な感情の動き。けれど、今の彼はその笑みが心からのものだと感じられた。


 二人は既に一度、離天荒夢に敗北している。

 運良く命を拾ったものの、狗琅真人は絶望に叩き落とされ、自ら死を望みさえした。それを叱咤し、立ち直らせてここまで連れてきたのはコージャンだ。


 最初はただ、道具として使い倒す積もりだった。それが今では、コージャンの存在が、自分の中で意外なまでに大きくなっている。例えばジャオティンのように。


(ハン老伯おじさま、私は〝心からの友〟を見つけたかもしれません)


 遠い日に過ぎ去った温かな思い出、その中にあった心残りがほぐれていく。ジャオティンとの約束も、復讐も、共に果たすことが出来るのだ。

 この先の戦いがどれほど過酷でも、狗琅真人には恐れるものなど何もなかった。


                 ◆


 天地無明の真っ暗闇に、丸く切り取られた床が集光灯スポットライトのように浮かんでいる。

 花露水コロンの甘い香りがその上に重たくかぶさって、それだけが一瞬前まであった日常の名残となっていた。この小さな島が、ウーたち四人の生存圏だ。


「我が父? 離天荒夢に息子なんざいなかったと思うが……そうか、さては夜汽車の客を喰った外法重魂体は、てめえだな!」


 雁翅がんしとうの切っ先をイン・キュアに向けながら、コージャンは問い詰めた。インはやれやれと乾いた吐息を漏らす。


「やはり、俺のことは分からんか」

「まあ、あの時とは姿も違うものねえ、きゅうちゃん」

「ちゃんはやめろ」

「何なのよ、これえ……っ!」


 じゃれるようなインと瑣慈さじのやり取りに、呆然と座り込んでいた女の声が割り込んだ。片割れをうしない、おののき戸惑う白魂はっこんちょうだ。

 はさみの仙人に【魂】を真っ二つにされて以来、感じたことがない心細さ――寝ている時、そっぽ向いてる時、いつだって布一枚の距離もなく感じられた妹の存在が、ぽっかりと消えていた。


「説明! 説明しなさいよ!」


 白魂蝶は手近にいたウーに掴みかかった。


「ほら、その……外法とかどうのっ! 今がどういう状況で、なんでこんなことになって、妹がどうなったか、言いなさい! 言え!」

「え、えっとですね」


 どう言えばいいものか、しばらくウーは考え込む。自分は仙人に造られた不死身の人間で、死んでいたけど生き返らされて、その元になったのが目の前のイン・キュアらしくて。いや、そんなことより、彼女が聞きたいことは別にあるはずだ。


「チャ先生は、【魂】を喰べられたんだと思います。外法重魂体は、自分の身代わりになって死ぬ【魂】を、こういう真っ暗闇を使って集めるから……たぶん。先生はあいつの中で、身代わりになる時まで、寝ているんです」


 以前、狗琅真人から聞いた説明を自分なりに噛み砕いて、ウーはそのように答えた。白魂蝶は青白く顔をこわばらせながら、一つ、ぶるりと大きく震える。

 その様子を横目に、コージャンは口を開いた。


「狗琅。あいつをぶった斬ったら、そこから喰われた【魂】を戻せるか?」

「完全に機能を停止させないと難しいネ。足場を作ろう」


 狗琅真人は八卦はっけを結んだ。右掌と左甲をそれぞれ自分の体に向けて、左右の親指と人差し指、中指小指と薬指を「窓」を作る形に絡ませる。

 四方八方に光の線が伸び、目の細かい格子を形成していった。


「……せ」


 その足場にコージャンが踏み出すのに先んじて、一陣の風が吹き抜ける。


「返せッ!」


 白魂蝶は闇の中を駆け抜けて、イン・キュアに襲いかかった。樹巧きこう暗器あんき黒翅風こくしふう〟を手に、男の胸ぐらを掴み上げる。


「妹なのよ――たった一人の、大切な、師父パパと父さんの、娘なのよ!」


 脇腹への初撃、インの足裏は浮いたようだった。そして、見てるこちらが窒息を心配するほどの高速連打が人体各部の急所を攻める。

 嵐のような彼女の猛攻は、だが数秒のことだった。


「ならば、お前がこちらに来い」


 インは白魂蝶の拳打けんだに何の痛痒つうようも覚えていない。周囲がぼやけ、そのまま彼女の輪郭が闇に滲む。


「先生ッ!」


 ゾッとするものを覚えて、ウーは捕喰ほしょくで白魂蝶を捕まえ、引きずり戻した。闇を押し止めていた手を割いたので、押されて島が一回り縮む。

 白魂蝶は怒り狂って、闇の帯に絡め取られながらもがいた。


「離せ! あと先生じゃない!」

「喰われる所だったじゃないですか! ええっと、蝶々さん、中からじゃ自力で脱出なんて無理ですよ!」


 実際にどうかは知らないが、狗琅真人に問うまでもなく、ウーはそう感じている。

 外法重魂体の内部は「中有ちゅうう」だ、死んでも生きてもいない宙ぶらりんの状態。そこを自力で脱出する、すなわち生の方へ進むには、外部の助けなしには不可能だと。


「なるほど、正体がえた」


 狗琅真人は、普段は細長い目を丸く見開いて印を組んでいた。青く輝く目の中に、同心円状の模様が浮かぶ。霊視による探査だ。


「イン・キュア。君はあの時、我々を出迎えただネ? 何十体といた実験体の残骸を寄せ集め、ね合わせ、名前をつけて離天荒夢の息子という立場に仕立て上げられた、誰でもない者。そうなんだろう、瑣慈!」


 看破された邪仙女は、真っ赤な唇に嘲笑を浮かべた。その口から放たれるものに触れると、二度と落ちない塗料で悪罵を記されそうだ。


「失礼だねえ、タイタイ。私は神灵カミではないから【魂】そのものは造り出すことが出来ない。でも、ここにいるのは確かに存在した、キュアという男の子さ。ねえ?」


 イン・キュア、今やただのキュアと呼ぶべき男は、「ああ」と首肯しゅこうする。


「俺はある時、人さらいに殴られ傷ついていた。また別の俺は、冬の湖に落ちて死にかけていた。違う俺は、食用に売られる子供だった。その全てを救ったのは父上だ、手を差しのべて、力を与えた。その父上を無惨に殺し、俺や俺たちを、生きることも死ぬことも出来ぬ地獄に突き落としたのは、貴様らだ!」


「そりゃどういう意味だ」


 念の為コージャンは問うた。


「コージャン・リー、貴様は俺たちの体構造を理解し、一撃で破壊していった。だが、それ止まりで誰も殺せてはいなかった。貴様は俺たちの息の根を絶つべきだったのだ。五体を、形を失ってなお【魂】を囚われる苦しみ、とくと味わわせてやろう」


 ふ、と目を伏せて、初めてコージャンはキュアから視線を外す。殺すことばかりが取り柄の己が、肝心なものを殺しそこねていたとは、お笑い草だ。

 だから、コージャンは彼らしくもなく殊勝な音を吐いた。


「ちゃんと死なせてやれなくて、すまなかったな」

「でも、そんなの〝ばかうらみ〟じゃないですか!」


 言ってから、何か違うなあとウーは視線を彷徨さまよわせた。


「ほら、八つ当たりっぽい、なんていうか、あのあれ……」

「逆恨み?」身動き出来ない白魂蝶が指摘した。

「そう! それです、さかうらみ!」

「上等だ。復讐だけなら誰にだって権利があらあな、ただ、こっちゃ全力で返り討ちにするけどよ」


 気を取り直して、コージャンは再び雁翅刀を構える。ぴん、と天線アンテナを伸ばすように、瑣慈が指を立てた。


「おやおや、そう言わず、復讐されておくれよ」


 ウーはちかっと鋭い光を感じた。見慣れたコージャン師父の剣閃、周囲を埋め尽くす闇をまるごと払うように清冽せいれつな一刀。白魂蝶の猛攻はなんの痛手にもならなかったようだが、コージャンの一撃はそうもいくまい、とウーは確信していた。


 そして師と弟子の間で、ささらのように血が噴き出す。鮮血の飛沫と臭気を撒き散らし、青みがかかった灰色の頭が転がった。

 悲鳴は聞こえなかったように思う。首から上が無くなった狗琅真人は、切り株のようになった断面から、声と息の代わりに血潮を漏らしていた。


 体はやや左右に揺れると、濡れた襟巻きの重みに耐えかねたかのように、ばったりと倒れる。その横で、コージャンは落ち着き払った無表情で刀を収めた。


 闇の中、集光灯で照らし出されたように浮かぶ小さな生存圏は、広がる血溜まりに侵されていく。喫茶店の床は、もうどこにも見えない。

 少年は返り血にまみれた顔で、それでも光明を探して目を見開いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る