第二節 亡魂に追いついた時

雨霊うれい三将さんしょう〟三兄弟が末弟ハー・ジャンヂェ(こう賢角けんかく)は、長らく兄姉と共に墨島ぼくとうの自警団で働いていた。その自警団を黒手党マフィアと言い直すかどうかは見解が分かれる所ではあるが、仕事熱心で評判が良かったものだ……。


 コージャン・リーが兄姉を殺したのは五年前のことである。

 ジャンヂェは二人の反魂はんごんを求めたが、それまでの自警活動を犯罪行為として追求され、逆に墨島市から去ることを余儀なくされた。


 人は誰でも神灵カミより【魂】をたまわり、所定の手続きさえ踏まえれば、残りの寿命までは【魂】の返却、すなわち蘇生を申し立てることが出来る。

 だが、重犯罪者には手続き自体が認められない。墨島市は〝雨霊三将〟を黒手党の構成員と判断した。こうなると頼るべきは、より強大な黒手党だ。


 道士崩れの左道さどう使い、あるいは腐った悪徳道士の中には、堕落した邪仙を仲介できる者がたまに居る。大抵は力のある黒手党のお抱えで、法外な金額と引き換えにヤミ反魂を行うのだ。遺体の保存料で、ジャンヂェの蓄えは底を尽きかけていた。


 墨島市と同じ半島にある武海ぶかいに流れてきて、仇と巡り合うとはなんたる僥倖ぎょうこうか。依頼主は福徳百年目と言っていたが、それこそジャンヂェが言いたい。


 コージャン・リーを討ち果たせば、イン・キュアからの報酬で兄姉の反魂に足りる! 他の二人に、獲物を横取りされたと恨まれようが構うものか!


                 ◆


 大通りから一本横道へそれ、角を曲がると街路は様変わりした。

 清潔な街並みのハリボテは通り過ぎ、廃墟のごとき裏側が顔を出す。老朽化した外壁は縦横にヒビが入り、商店が肩を寄せ合う道には瓦礫とゴミが散乱していた。

 黒いれんが造りの建物は、拱門アーチ型の窓や胴蛇腹が、かつての風情を寂寥じゃくりょうとしのばせる。これが武海の平均的な都市景観だ。


 薬局に古道具屋、武館に劇場。多くは二、三階建てで、店舗の上が住居部分なのだろう。中にはすでに半分解体されている所もあるが、それでも洗濯物や煮炊きの煙、しなびながら光る発電樹の存在から、まだ住民がいるとうかがえる。

 年季の入った掛車リヤカーを避けながら、ウーは訝しんだ。


師父しふ、なんでさっきの大通りはあんな綺麗だったんです?」

「海運会社のルイ()って金満家かねもちが再開発させたんだとよ。おお師叔オジキも、わざわざ良い立地選んでくれたもんだ」


 しみじみ同門の大先輩に感謝しながら、コージャンは足を止めた。足元には、雨風の染み込んだ瓦楞紙だんボールやちり紙が折り重なっている。


「さってと、ウー。今日の稽古がまだだったな。練習相手が来たぞ」


 武海の住民は危機察知に優れてなければ生きていけない。数分前から人通りが途絶えた路地の奥に、黒い編笠の小男が立っていた。ウーは快活に拳を握る。


「はい、師父。殺しますか?」

「あいつはオレたちをそうする気だろ」

「用があるのは貴様だけだ、コージャン・リー」


 ごつごつと不安定な抑揚の声は、墓石が揺れる音のようだった。一見、武器らしい武器は帯びてないが、何らかの武術を修めていることは確かである。

 ウーは一歩進み出て、右の拳を左手で包む請拳せいけんを取った。


檀派だんは正調せいちょう神魁流しんかいりゅうが門弟、コージャン・ウォン! お相手つかまつります」

「〝雨霊三将〟末弟ハー・ジャンヂェ。長兄ミンディ(鳴濤めいとう)と長姉メイヤー(翡翼ひよく)の仇を討ちに参った」

「あー、思い出した」


 コージャンは得心して指を鳴らした。


「雇われたくみ同士の武器取引が決裂して、やり合った時の用心棒だっけか? お前。あの時に片肺潰したと思ったんだが、よく生きてたな」

「おかげで樹械きかい心肺しんぱいだ。内力ないりきを練れるまで、どれだけ苦労したと思う」


 興味ねえよ、とコージャンは薄笑いした。

 樹械は樹霊を宿す高機能植物であり、それ自体が生きている。自分とは違う生命が身体に馴染むには時間がかかるのはもちろん、樹械の手足や臓器は、人体とは気穴きけつ経絡けいらくも違うのだ。それでも、賽駮客サイボーグになる武芸者は常に一定数存在する。


「頭の笠に気をつけろよ、ウー。ありゃ被り物じゃなくて、髪の毛だ」

「髪使いってことですか? 羽髪うはつこうなんですね、すごい!」


 魂魄こんぱく伝導でんどうによって、内臓や不随意筋を操るのは内功の真髄であるが、毛髪のような筋肉も神経もない部位の動作は至難を極める。ウーは思わず目を輝かせた。


「いや、そういう植入樹械インプラントだ」

「なあんだ……」


 露骨にガッカリしたウーの眼前に刃先が並ぶ。笠からクラゲのように足を伸ばした髪が、先端に結わえた匕首ひしゅで襲いかかっていた。右目左目鼻右頬左頬、そして額! 一寸先まで迫られたウーはもはや防御が間に合わなかった。


「顔はやめてやれよ、こいつの人生長いんだ」


 その髪束をコージャンが横合いから握り、即座に放す。鋼線も同然のジャンヂェの髪は、うかつに触れれば刃のように切り裂くが、開かれた掌は無傷だった。


「バッテンだぞ、ウー。賽駮客を舐めんな」

「すいません、師父!」


 ネズミのような声で舌打ちするジャンヂェに、今度はウーが先んじて打ち込んだ。打撃ではなく擒拿きんな、爪を立てて手首を握るがこれは悪手! 嘲りながらジャンヂェは顔面に向けて再度髪を伸ばした。

 ウーはジャンヂェのつま先を踏み潰して、上半身を大きく後ろに倒す。回避、そして投げ! ジャンヂェは「拒捕者,当场击毙たいほをこばめばころす!」の公共広告を吊るすポールに髪を絡めた。片足は潰れたが問題なし、棹からぶら下がって鼻を鳴らす。


「貴様の弟子とやらはこの程度か」

「ほら言われてんぞ、ウー。がんばれよ」


 挑発などどこ吹く風で、コージャンは後ろの曲がり角を見やった。そこにはジャンヂェと逆に、頭髪がない巨躯の影がある。


「抜け駆けは損だな、雨霊の。どうも、コージャン・リー殿。〝自在じざい神魁しんかい〟と名高き貴兄に一手ご指南いただきたく、このニウ・ボー(ぎゅうはつ)参上した」

「そりゃ俺じゃなくて、流派の形容なんだが。まあいいや」


 形だけウーと同じく請拳で一礼し、コージャンは挑発的に手招きした。


「今誰の差し金か吐くなら、で勘弁してやるよ」


 応じてニウが繰り出すは、水平に拳を放つ黄蜂こうほう鑽花さんか! コージャンに劣らぬ巨体に反して繊細せんさい鋭利えいり極まる一手、胸に穿たれれば心停止すら引き起こす。

 頼派らいは外家がいかけんの有名所だな、と見当をつけながら、彼はニウの前腕を横に倒して絡め取った。そのまま両手で挟み込んで、体ごと下へ折り曲げる!


 先ほどしくじったウーに見せるための擒拿、鎖掌さしょう別腕べつわんである。ニウはあえてこちらの力に逆らわず、捕られた腕をコージャンの体に押し付けてきた。

 重心を崩されれば反撃を許す。コージャンは自ら擒拿を解き、距離を取った。この程度の芸当は、早くウーにも身につけて欲しい。


「芋虫になって生きろと言うなら、トドメを刺す方が貴殿の好みだろう?」

「貴殿とか気色悪ィな! てめえこそ、どうせ吐かねえだろが」


 軽口を叩きながら、二人は擒拿合戦に入った。互いに繰り出す拳脚をさばき、かわし、打ち払い、隙を見てつかみ、また解く。道端の瓦礫がコージャンの蹴りで塵と化し、腕を掴まれ振り回されたニウの体で壁がへこむ。だが互いに決定打ではない。


「きゃあああっ!」


 戦いの余波で吹き飛んできた木箱がすぐ隣で砕け散り、眼鏡の若い女性が悲鳴を上げた。なぜにまたこんな時、この場所にノコノコといるのか。

 ふんわりした髪を馬尾弁子ポニーテールにし、一昔前に流行った古臭い赤の一件式洋装ワンピースを着ている。戦いの最中だったウーは、ぎょっとして足を止めてしまった。


「危ないじゃないですか! 早く逃げてください!」

ふんッ!」


 この好機を逃すジャンヂェではない。彼は編み笠の毛を半分近くも解放し、槍のような一撃でウーの胸を貫いた。五年前の怨みを込めて、心臓と肺をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。かき混ぜようとした。それより先に、ウーは絶命している。


「なっ……!?」

「うそっ」


 驚愕して声を上げたのはニウと眼鏡の女性だ。ジャンヂェは驚きで舌が痺れていた。コージャンが短刀を取り出し、弟子の喉に投げて殺したのだ。

 だが、本当の驚異はその後だった。


 少年の姿が、そのまま空間に開いた穴のような闇に染まる。煙のように立ち消えた瞬間、ジャンヂェは身代わりの方術かと思った。だがそれも違う。

 虚空から闇が瞬き、再び少年の輪郭を取ると、無傷のコージャン・ウォンがその場に立っていた。ジャンヂェと打ち合う間についた細かな傷さえ、一つもない。


「人の心配して死んでんじゃねーぞバーロー! お前後で覚えとけよ」

「うわぁん!」


 師に怒鳴られ、ウー少年は泣きそうな顔になった。まるであどけない子供の様子だが、殺師ころしやとしてはそれどころではない。


 そこらの犯罪人ならばまだしも、せっかく殺した標的に反魂されては、この商売は上がったりなのだ。特に、相手が大物の悪党ならばヤミ反魂の道が残されている。

 だから殺した後、その死体を始末するのはことのほか重要なのだ、が。


「どんな横紙破りだ貴様! 殺されて即座に復活するなど、神仙譚の妖魔にも、仙人にも、聞いた試しがない!!」

「え、いますよ。月で銀河鉄道つくってる霍黎かくれいこうとか……」

「そういうことを言っているんじゃないッ!」


 なにか不満そうなウーを黙らせながら、ジャンヂェはよろめくのを堪えた。


「な――な――何なんですか、あなたたち!」


 半泣きになりながら叫んだのは眼鏡の女。それに対して、ウーは困ったように頭を掻いて、自分の師父を見やった。


「えーっと……」

「説明するのはメンドくせえからしねえぞ。生きて帰りたきゃ、今のうちにしとくんだな。どうする? 俺も生き返るかどうか、殺して確かめるか?」


 言われて想像し、ジャンヂェは震える。このまま戦って殺せるかどうかは、自分の力をすべて出し尽くしてかなうかどうかだろう。だが、少なくない体力を弟子を殺した時に消費してしまった。それなのに、あいつはまだ死んでいない。


「あるいは俺たちが、お前が死ぬかどうか確かめるために雇われたのかもな」


 苦々しくニウは吐き捨てた。眼鏡の女性は「ころさないでーっ!」と叫びながら逃げ出している。幸い、彼女を追う者は誰もいない。


「今日の稽古はここまでだな」


 ニウに背を向けて、コージャンは小男に向き直った。油断でも慢心でもなく、巨漢からの戦意は既に無い。ではこのジャンヂェはどうするか。


「兄さん……姉さん……」


 うつむいたのは一瞬。

 彼は笠を編んでいる、すべての髪を解き放った。一房一房を精密に動かし、繰り返し直角に曲げて複雑な軌跡を描く。それでいて互いに髪が絡むことはなく、邪魔をしない位置を選びながら五体の急所それぞれに狙いをつけていた。


 その髪はいまや、ジャンヂェの神経そのものだ。彼の人生でここまで己のわざが冴え渡ったこと自体、初めてだろう。亡き兄が得意とし、いつか自分もと憧れた境地。それにここで至るとは、心残りが一つ消えた。


 だからだろうか? いや、ジャンヂェにはもはや分かっていた。

 兄を殺した男に、ようやく兄に追いついた自分が勝てるはずもない。

 しかも、殺しても死ぬかどうか分からない化け物とあっては。


「お恨み、申す」


 コージャンの剣は、笠の無くなった頭を左右真っ二つに断ち斬った。だが、その剣は一体どこから出したのだろう?

 その疑問がハー・ジャンヂェ最期の思惟しいになった。


                 ◆


(なにあれ! なにあれ! なによあれ!!)


 裏路地の壁に手をつき、ぜいぜいと息を整えながら、〝白魂はっこんちょう〟のチャ・ノイフェン(かい瑞聞ずいもん)は毒づいた。他の二人が早速コージャン・リーを襲うと知って慌てて駆けつけたものの、体格と人格の切り替えに手間取っている間にこれだ。


(あれは駄目だわ、手を出しちゃ駄目、前金持ってトンズラしよう)


 幸い、自分には殺師〝白魂蝶〟と、平凡な女教師ノイフェン二つの顔がある。比喩表現ではなく、本当に二種類の姿形があるのだ。ある種の後天的二重人格。

 これはとある仙人に「ちょっと」ばかり迷惑をかけられたのが原因なのだが、それはまた別の話。おかげで霊的に調べられても、彼女の心と体が人格ごと二つ同時に存在すること、それが入れ替わることは、今まで誰にも見破られなかった。


 白魂蝶に変心スイッチしない限りは、依頼主のイン・キュアに見つかる心配はない。当分はノイフェンとして、学習塾の経営に精を出そう。

 二度とあの化け物師弟に出会いませんように、と願いながら彼女は家路に就いた。


 その願いも虚しく、再会はすぐ果たされることとなる。

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