第三節 そして、地獄のように

 枝葉の間からこぼれる日差しが、ひと差しひと差し肌に痛い。足元の岩場は熱く、絶えず陽炎を踏んでいるようだ。それでも目の前を流れ落ちる滝が、涼し気な冷気を運んでくれる。夏も真っ盛りの耿月山こうげつざんで、師弟は釣りに興じていた。

 コージャンは運動背心タンクトップ姿で、上半身にくっきりと色づく何かがウーの目に触れる。


「これか? 神魁流しんかいりゅうのワ(ふく師兄アニキが、事故で片足無くして辞めた後、入れ墨屋になってな。剣で食ってくかって決めた時に、景気づけで入れてもらったんだよ」


 服をめくって見せてもらうと、陰影がはっきりした鋭い肉体の上に、荒々しい赤龍が躍っていた。鍛え上げられたコージャンの体も目を見張るものだが、彫り物の精緻さと迫力もそれに劣らない。彫ったワ師兄しけいの腕前は、実に大したものだ。

 師父の兄弟子だから、ウーから見ればワ師伯しはくと言うところか。


「すごい……僕もこういうの、入れたいです」

「別に彫るのはいいけどよ。お前の場合、一回死ぬと消えるかもしれねえぞ」


 それもそうだ。がくりとウーは肩を落とした。……父も顔の半面に入れ墨をしていたが、そのことは胸の内にしまっておく。

 閻国えんこく西部最大の山岳地帯・審骸邇しんがいに山脈。高いものでは標高六千公里キロにも及ぶ山々が峰を連ね、多数の神山霊地が控える。耿月山もその一つだ。

 川辺で火を焚き、師弟は昼食に取りかかった。


「師父、器用ですよね。料理上手というか」

「別に大したモンは作ってねえよ」


 それが謙遜か本気かはウーに区別出来ない。しかし、コージャンが作ってくれる魚の蒸し焼きや、山菜の汁は最近彼の好物になりつつあった。

 仙薬で煮た石は食べられるだけでなく、完全栄養食品になる優れ物だが、いかんせん道心どうしんのない凡俗の身に、年がら年中それだけでは酷である。


 あれから半年。

 その間の記憶をほとんど吹き飛ばされたので、ウーにとっては一ヶ月経ったかどうか。狗琅くろう真人しんじんの死因検証実験は、速やかに絶命可能なものを一通り終えてしまうと、更に陰惨さを極めた。餓死、そして複数種類の病死。

 飢えや病に苦しみ、衰弱して死んでも、次の瞬間には健康な状態で復活する。一回ごとの死に関する記憶を消されなければ、ウーは自然と自死を選んでいただろう。


 とうとう堪りかねたコージャンは、狗琅真人に苦言を呈した。が、「頭を冷やして来い」とばかりに山を追い出される始末。戻ってきたのが先頃のことだ。


「昔な、ちょっとだけ厨房で働いててよ。まあ下働きなんだが、そこで色々教わったんだ。そん時ゃ料理人になりたいと思ってたな。こいつを彫る前だった」


 焼き魚を食べながらコージャンはそんな話を始めた。ウーはなるほどと思いながら、「でも、師父は剣客になられたんですよね?」と尋ねる。


「どうも俺は他のことが出来ねえみてえでな。六歳で人を殺して、手に負えねえって遠くの町へ追い出されてよ。なんか親父の知り合いがいるとかで、神魁流に預けられて育ったんだ。あそこじゃ師父も兄弟弟子も血に飢えてたしな」


 それはまさしく悪漢のごとき育ちではないか? ウーは改めてまじまじとコージャンの面相を見た。四白眼と大きな犬歯、角がないのが不思議なほど凶悪極まる風貌。


「厨房の時もそうだな。あん時は戦争より前だったから、俺は十六か七か。働いて二年した頃、酔っぱらいが暴れやがるんで、腕切り落としてクビになったんだ」

「どんだけ抜き身の刃物人生なんですか……」


 天はよもや、顔面は凶器になりうるかの実験として、師父をこうも恐ろしげな面構えに産み落としたのだろうか。加えてドスの利いた声に、巨大な体躯。人相が先か、人生が先が、どちらがどちらに引きずられたのやら。


「とにかく俺は、剣しか取り柄のねえ男ってことだよ。狗琅に拾われなきゃ、つまんねえゴロツキにでもなって、くたばってたな」

「もう少し昔だったら、英雄になっていたかもしれませんよ」

「くだらねえ世辞はやめろ」


 本気で言っているのに信じてもらえなくて、ウーはむくれた。この後またすぐ、二人は狗琅真人の所へ顔を出さなくてはならない。


                 ◆


「さて、七殺しちさつ。今日から君の訓練だけど、その前に性教育の授業をするよ」

「何一つ意味が分からないんですけどクソ仙人」


 初対面時の「仙人さま」という呼びかけは、もはや少年には忘却の彼方だ。

 もうもうと湯気けぶる広大な空間、最初にウーが目を覚ました温水地底湖の前に三人は集まっていた。狗琅真人の周囲には、智能人形らが控えている。

 この女と見まがうような優男はウーの養育者だが、抜くと死ぬ魔の根菜を収穫させたり、怪しげな睡眠学習で脳死状態に陥らせたりと、相変わらず好き放題だ。


「先にそこの人を説明してください」


 ウーが指差した先には、厳重に拘束された囚人服の男が、腰の縄を人形に持たれて正座していた。目も口も塞がれて、顔立ちすらよく分からない。


「今日の贄に用意した極悪人だよ。なんと少年少女を拉致監禁の上拷問し、強姦した連続猟奇殺人者さ。通常、人間は同族を殺害する時、強い拒否感や嫌悪感を伴うから、心理的負担を少ない者を選んだ。しかし幼い君には性の知識が足りなくて、凶悪さが伝わりきらない可能性に思い至ってネ。だから一から説明しようかと」

「罪状充分じゃねえか。その妙な気の回し方がポンコツだよな、お前」


 呆れたようにコージャンは角ばった顎をなでた。


做愛えっちな話とかどうでもいいですよ……」


 何考えてんだろうこの仙畜生せんちくしょう、とウーはため息をつく。


「けど、この人殺すんですか? 何のために?」

「以前説明したように、君は私が与えた七十七の【魂】尽きるまでは、殺されても生き続けることが出来る。と同時に、君が新たな【魂】を取り込めるよう捕喰ほしょくを用意したんだ。補充は大事だろう? 人間は三魂七魄だが、一人の人間からは一つぶんの【魂】しか精製出来ないから注意するように」


 ウーは改めて囚人を見た。閻には、死罪と同等の刑罰として「仙人の元へ実験体として送る」というものがある。大抵は死ぬか、死ぬより酷いことになるとされるが、この囚人は死を免れないらしい。

 それは、ウー自身の境遇と重なるものがあった。父は何を思って、我が子の遺体を狗琅真人に渡したのだろう?


(でも、僕とは違う、違うはずだ!)


 だから殺してしまおう、とすんなり少年の腹は決まった。どうせ死んでも構わぬと言われた贄、ならば存分に活かさせてもらうまでだ。


「君がよみがえる時にも、七十七人の贄を使ったんだ。今更一人や二人大した違いはないが、君が君自身の意志で殺すのはこれが初めてだからネ。出来るだけ長く稼働してもらうためにも、捕喰には慣れてもらいたい」


 言うなり、狗琅真人はウーの腹に貫き手を突き入れた。


「ふがっ!?」


 狗琅真人が差し込んだ手を抜くと、血ではなく闇の流体が溢れ出す。

 石畳の床にこぼれる様は、濡れると言うよりも虫食いの穴が開くようだ。見ていると、奈落を覗き込んだような目眩すら覚える深淵の色だった。

 鈍い痛みと驚きで膝をつきながら、ウーは呆然とそれを眺める。広がる暗黒はひどく冷たく、湯気が結露して床材をびしょびしょにした。


「こら、何の怪我もしてないんだから立ちなさい。そして集中して。いたずらに広げずに、その暗闇を自分の手足の延長と考えるんだ」


 狗琅真人の囁きに、自然とウーは納得してしまう。自分はこれの使い方を知っている、そのように造られたのだ、という悟り。

 コージャンが見ている前で、墨汁のように形なく広がっていた闇が、するすると紐のように、帯のように纏まっていく。最終的に、それは人の腕ほどの幅を持つ漆黒の帯になって、ウーの腰や腹から十本ほどぶら下がった。


「これが、捕喰肢」


 ぴこぴこと帯の端を振ってみて、ウーは確かめるように言う。


「それは君の武器だ、使い方もある程度知っているはずだよ。さすがにこれに対応した武術はないから大変だろうが、よく修練するように。戦うことに使えるのはもちろんだが、それで捉えた者を自分のうちに取り込むことで、君は新たな【魂】を得る」

「すげーな、どうなってんだこれ」


 コージャンは指先で帯の一つをつついた。ぞっとするほど冷たい。


「リーくん、あまりそれに触ると最悪凍傷になるよ。この捕喰肢の中心部、つまり彼の体内は中有ちゅううでネ。故に捕喰されたものは、生きても死んでもいない幽霊のような中間状態に置かれる。そして順番に、外法げほう重魂体じゅうこんたいの糧として死んでいく、と。説明はこんな所かな。さ、贄をくびり殺そう」

「……この、捕喰肢で?」


 ウーは不満げに口を尖らせた。


「これで殺さないと、べられないんですか?」

「いや、死んで間もない死体、反魂はんごん可能な状態のものであれば【魂】が得られる。そこはさほど問題じゃないが。何か気に入らないかネ」

「僕は神魁流の門弟です。殺すなら剣を使う」


 腕を組んで二人のやり取りを見守っていたコージャンは、軽く目を見張った。弟子があくまで流派のわざにこだわるというのは、中々気持ちが良いものだ。

 むむむ、と狗琅真人は口の中で小さく唸った。


「……まあ、君が殺せるかどうかが今日確認したかったことだしネ。いいよ。ただし、君がその機能を十全に発揮することは義務だと思っておきたまえ」


 若き仙人が軽く指を鳴らすと、智能人形の一体が下がり、剣を持って戻ってきた。ウーはそれを受け取り、鞘を払う。贄の男がもがき出す。


「首を出させてください」


 狗琅真人に人形への指示を頼む弟子に、コージャンは待ったをかけた。


「あのな、ウー。人間の首なんざ、簡単に落ちるもんじゃねえぞ」

「でも、その方が苦しまないかなって」

「達人ならな。首ってのは筋肉がいくつも重なったその下に、頑丈な骨があんだよ。おまけにこいつは髪も剃ってねえ、残念ながら毛のひとすじでも刃は狂っちまうんだ。とどめに、そんなまでぶら下げてか? やめとけ」


 言われて、少年は首をひねって考え始めた。コージャンが見る限り、どうも殺人に対して無理やり己を奮い立たせているとか、そういう様子はなさそうだ。

 それどころか、殺す相手を試し斬りの藁束わらたば程度にしか思っていない。

 悪寒を覚えてコージャンは薄く笑った。


(何が性教育だよ、狗琅。こいつは俺と同じで、剣のためなら自分も他人も死んでも構わねえって手合いだ。どこがどうして、こう育ちやがったんだか! それとも、単に生きるのも死ぬのも、分かってねえだけかね)


 師の胸中など知らぬ弟子は、無邪気に思いつきを口にする。


「じゃあ、師父なら出来ますか? 一撃斬首!」

「首どころか、リーくんなら頭頂から股間まで、綺麗に真っ二つだ」


 どうだ凄いだろう、と狗琅真人はまるで自分のことのように言った。今日の所は、殺した贄を喰いさえすれば、もはやウーが直接手を下さなくても良いらしい。

 期待の眼差しを受けて、コージャンは弟子から剣を受け取る。殺すことは別に、造作もない。斬首でも唐竹割りでも、簡単な話だ。ただ――ちらりとウーの顔を見る。


 双眸は黒く、太陽のように炯々けいけいと輝いていた。その瞳に入るものをことごとく焼き尽くさんと、地獄を体現する情熱。焦がれる眼差しの奥底で、こう言っていた。


――師父の業が見れるなら、斬られた相手の生死などどうでもいい。


 コージャンの笑みが深くなる。救いがたい悪童だ、いつか命の意味を知った時に、己が斬り捨てたものに押し潰されて死ぬかもしれぬ。だからこそ、殺しの業を仕込んでみたい。この頭のおかしい悪童なら、自分は生涯愛せるだろう。


                 ◆


「……僕が育ったのは、山の中でした。ここみたいなのじゃなくて、棚田があって、開けてる感じの。大きな寺院の門前町なんです。人宣じんせんって言う町でした」


 食堂で夕食を取りながら、ウーは初めて自分の故郷について話し始めた。昼食時の続きに、コージャンの出身地について一通り聞いた後のことだ。

 椀には仙薬で柔らかくした後、ゴマをまぶして揚げた石の団子が入っている。ウーが口にした地名に、コージャンは聞き覚えがあった。


「以外と耿月山ここに近いじゃねえか。このへんじゃ、一番でかい人里だ」

「え。そうなんですか!?」


 一口に審骸邇山脈と言っても、その全長はざっと三千公里キロにも及ぶ。コージャンが買い出しに訪れるのは、ふもとの小さな村に過ぎない。

 そう、その気になれば山を降りることも出来るのだ、彼は。実験体であるウーは、洞府こそ出られるものの、行動範囲は耿月山の中までに制限されていた。

 不意に、郷愁で胸が苦しくなる。


「父上は、あそこでは一番の武術家だったと思います。たくさんのお弟子さんがいつもうちに出入りして、遊んでくれたり、勉強を見てくれました。町の人も、父上を英雄だって。前の戦争でも活躍したって。でも、その父上は、昔から僕の相手をしてくれませんでした。なにか話してくれるのは、武術のことだけで。学校のこととか、興味ないんです。去年は誕生日だって忘れてた」


 一度話し始めると、どこに隠れていたのかと驚くほど、後から後から言葉が溢れて止まらなくなった。自分は、ずっとこれを誰かに聞いてほしかったのだ。


「母上は、僕を産むときすごく大変で。お産の後すぐに、亡くなりました。……さびし、かったんです。だからお弟子さんに頼んで、拳法を習いました。武術の話なら、父上はちょっとだけ相手してくれます。でも、ダメでした。

 お前は〝ニング〟じゃないから、八花拳はっかけんは極められないって」


 だからウーは、かえってがむしゃらに修練に取り組んだ。その結果が、宙返りに失敗しての頸椎骨折死。間抜けにもほどがある。


「あァ?」


 一方、茶を飲みつつ聞いていたコージャンは、目を丸くした。

〝ニング〟とは社会的・霊的弱者の総称だ。彼らは反魂を許されない迫害対象であり、様々な霊的能力を持ち、黒社会うらしゃかいで利用されることが多い。


「待てよ、ウー。まさか、お前の親父は〝八朶はちだしゅう〟だったのか?」


 今になってコージャンは思い出していた。八朶宗は、閻で唯一公的に認められたニングの相互扶助組織だ。そして人宣は八朶宗総本山・逢露ほうろきゅうの門前町。

 ニングは遺伝性ではないから、人宣にはニングと、彼らから生まれた人間とが共に暮らしている。ウーが霊弱者の息子でも、何もおかしくはない。


「はい! 八朶宗最強の英雄、ルンガオ・シャウ(龍國りゅうごくしょう)です!」


 晴れ晴れとした笑顔で、誇らしげにウーは父の名を告げる。


「それだ!」


 茶杯を卓に叩きつけてコージャンは立ち上がった。割れないかなと心配しながら、ウーは「な、なにがです?」と訊き返す。


「親父がお前の反魂はんごんをしなかった理由だよ。八朶宗の連中はニングだろ。そんな所の英雄さまが、自分の息子だからって、反魂を躊躇ためらうのも分からなくもねえや」


 すべての人は神灵カミから三魂七魄の【魂】を授かる。この内、七魄が欠けても治療できるが、三魂の一つでも欠ければ、反魂不能のニングとなった。更に、彼らに深く傷つけられた者、殺された者もまた【魂】を失って同族と化す。


 神灵から授かった【魂】を損なった罪人として、また死を運ぶ忌まわしい魔物として、ニングは獣のごとく狩り立てられる存在だ。

 そして、人に代わって彼らを狩ることを生業にしているのが、八朶宗だった。


「でも、父上は……僕の死体を狗琅真人にあげちゃったじゃないですか」


 信じられないように、ウーはゆっくり首を振る。瞬きするごとに、瞳の色は期待と不安で交互に移り変わった。

 ニングは死ねばその場で死体が消滅し、反魂は不可能になる。

 それでも人宣の町では、中元ちゅうげんせつの祭りがあった。例え親がニングでも、我が子のためには反魂の手続きをするものだ。


 だが一部……特に、八朶宗で地位のあるニングは、反魂可能であっても親族を中元節に迎えないことがあった。それはウーも知っている。

 だが、あまり理解できないし、納得はもっと出来ない。


狗琅あいつの研究は、完全な死者蘇生を目指している。死体が無くても、ニングでもよみがえる方法を探してんだ。外法重魂体おまえはそのための、試作模型モデルだな。なあ、もし親父さんがそれを知ってて、あいつに任せたとしたらどうだよ」


 言われてみれば、何のために自分がよみがえらされたのか、あの仙人に確かめたことはない。思わず、ウーは卓に手をついて身を乗り出した。


「じゃあ、師父。もしかして父上は、僕を捨てたんじゃなくて」

「仙人が生き返らせてくれるのを期待した、かもしれねえな。八朶宗の連中に操を立てつつ、『仙人のやることじゃ仕方ない』って周りも認めない訳にゃいかねえ」


 諦めきれずに、少年の中でくすぶっていた思慕に火がつく。コージャンが見た地獄のような情熱の炎とは違う、明け方に吹く風のような、清らかな喜色。

 きっと、何もかもが救われるような希望が見えただろう。

 少なくともその夜の師弟はそうだった。

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