第16話
天気予報によると、上陸した台風が通り過ぎるのは明日の昼前。
風雨に耐える夏別荘の雨戸を降ろした窓から聞こえるのは、唸る暴風と木々が軋む音。
「さてと、明日に備えて夜更かしはやめてもう寝よう。ワタシは子供部屋で休ませてもらいます」
「オヤカタ。僕の二段ベッドの上は魔法道具(オモチャ)置き場になって眠られないぞ。もしかして床に寝るのか?」
王子の子供部屋は六畳の広さに二段ベッドとソファーと本棚が置かれていて、カナが横になるスペースは固いフローリングの床だけだ。
普段は柔道場で寝泊まりしている男性陣も夏別荘に避難してるので、メイド三人にエレーナ姫とルーファス王子、それにカナとニール少年の大所帯になっていた。
普段カナは応接室ソファーを借りるが、応接室は護衛の彼らが使用している。カナは王子の部屋で休む。
「ふふっ、ちゃんと寝袋は持参してるし、実はこのソファー、なんとベッドになるの」
そういうとカナは腰掛けていたソファーの後ろの留め具を外し、背もたれと肘掛けを倒した。
「おうっ」とルーファス王子は思わず声を上げる。
子供部屋に置かれていたのはセミダブルのソファーベッド。
王子には魔女カナがソファーをベッドに変身させたように見えた。
「す、すごいぞ、オヤカタの魔法でソファーがベッドになった」
「急なお泊まりにも対応できるように、ソファーベッドにしてよかったぁ。背の高いアシュさんがこのベッドで寝たら足がはみ出るけど、私なら広すぎるくらいでゆったり眠れる」
カナはソファーベッドの上に寝袋を置くと、ミノムシのようにゴロゴロ転がりながら寝心地を確かめる。
その様子に王子は興味津々だ。
「オヤカタ、その寝袋の中はどうなっているんだ? 僕にも見せてくれ」
楽しそうにゴロゴロしているカナを見て、王子は自分も寝袋の中に入ってみたいとおねだりする。
カナは寝袋をゆずると、王子は大喜びで中に潜り込んだ。
しかし小柄な王子に大人Sサイズの寝袋は大きすぎて、カナのように上手く転がることが出来ない。
そして寝袋の中の微かな温もりは、ルーファス王子は不思議な気分に首を傾げる。
なんだろう、オヤカタのイイ匂いがする。
ルーファス王子はその事に気付いたとたん、自分の頬が熱くなるのを感じた。
普段カナの髪から漂う、甘く爽やかな花の香り(シャンプー)に包まれドキドキして、慌てて寝袋の中から顔を出すと、目の前にカナのアップと対面して驚く。
睡魔に負けたカナは、ソファーベッドの端に腰かけたまま上半身を横に倒し眠っていた。
普段は好奇心に満ちた大きな瞳は伏せられ、茶色い波打つ柔らかな髪に、頬も唇もぷっくりとして健康的な桃色。
改めてじっくりとカナを見た王子は、女の子が持っている着せ替え人形のような顔だと思った。
「ああビックリした。オヤカタ、もう寝てしまったのか。この寝袋はどうするんだ?」
子供の王子では、自分より大きなカナを寝袋の中に入れることは出来ない。
仕方がないのでカナの靴を脱がせて足を抱えソファーベッドにのせると、手前で寝返りを打つと下に落ちてしまうので、背中を押してベッド中央まで移動させた。
相変わらず外は嵐で、すきま風が部屋の中に入って来て少し肌寒い。
王子は自分の夏毛布をカナにかけると、自分は二段ベッドで寝袋にくるまって寝ようとした。
ふと、風の音が激しくなり部屋中がガタガタ揺れた。
いや、違う。
子供部屋の壁の向こう側から、圧倒的な気配を漂わせ黄金色に輝く美しいたてがみを持つ守護聖獣が現れようとしている。
壁の中から歩み出てきた獅子は、ゆっくりと部屋を横切りルーファス王子の前を通り過ぎて……。
『ごろごろ、ぐるぉん♪グるるグるる〜〜』
「あーっ、お前オヤカタが眠っているのを良いことに、すり寄って甘えようとしているな!!」
半透明の守護獣はソファーベッドに上ると熟睡しているカナの隣に座り、そして眼光するどく王子を威嚇する。
むにゃむにゃと寝言を言うカナの顔をなめる獅子の姿をした聖獣に、ルーファス王子は我を忘れて飛びかかった。
「このぉ異界の聖獣め、僕のオヤカタから離れ、うわぁっ!!」
半透明で実体を持たないはずの獅子は、圧倒的な気の固まりで王子を払いのける。
まるで突風のような気配に弾き飛ばされた王子は、床にしりもちを付き後ろに転がった。
一瞬だけ獅子の燃えるような赤い瞳が王子を見たが、すぐに興味を失うとカナにじゃれる。
悔しさで唇をかみしめる王子が手首に触れると、自分の守護獣である白蛇の鎖が小刻みに震えた。
「お前もあの獅子が怖いのか。僕も怖いけど、だけどオヤカタの隣にいるのはこの僕だ。アイツのたてがみを引っこ抜いて退かしてやる!!」
ルーファス王子は怯える銀の鎖を外すと、もう一度ソファーベッドに寝そべる獅子に挑む。
近づく者を拒む圧倒的な気配に後ずさりしそうな自分の足を奮い立たせ、腕を伸ばして半透明の獅子のたてがみに触れた。
それまで小さな子供に全く関心を示さなかった守護聖獣は、ゆっくりと頭を起こすと初めて不機嫌そうなうなり声を上げる。
ルーファス王子は前に一度、恐怖心から召喚に失敗したが、今度こそ異界の聖獣を使役する。
眠れる獅子よ
偽りの平原から
現(うつつ)の闇夜へ招かれよ
圧倒的な存在感で睨みつける高位の守護獅子にルーファス王子は気圧されまいと顔を上げ、しっかりと獅子のたてがみを掴む。
「やった、今度こそ守護獅子を服従させたぞ!!」
しかし王子がどんなにたてがみを引っ張っても獅子はまったく動かない。
それどころが、力一杯たてがみを引っ張る子供を退屈そうに眺めると、大あくびをして目を閉じた。
「オヤカタの隣から退け、動け動けっ」
いくら命令しても聖獣に無視されて、王子の張り詰めた気力は尽きそうになり、たてがみを掴む指先の力も抜けてくる。
「悔しい、コイツは僕が弱いから相手にしないんだ。オヤカタはケルベロスやミノタウロスを使役できるのに、僕には聖獣を使役する力がない」
すると突然、獅子の体が跳ね苦痛の咆吼を上げた。
驚いた王子の目に飛び込んできたのは、獅子の後ろ足首に絡まる銀の鎖。
妖精族の守護獣である小さな白蛇が、獅子の足に噛みついたのだ。
祖先返りの魔力を持つルーファス王子は小さな白蛇に自分の力を注ぐ。
子供の指のように細い白蛇は、与えられた魔力を吸収して瞬く間に巨大化し、剛腕族の腕のように太くなった胴体で獅子を締めあげ、もう一度鋭利な牙で噛みついた。
その瞬間、激しい落雷が響き夏別荘を揺り動かす。
「ふわっ、どこかに雷がおちた?」
突然の落雷の音に飛び起きたカナは、我にかえると周りを見回した。
いつのまにか寝てしまったのか、ここは夏別荘の子供部屋だ。
そしてソファーベッドで眠っていた自分の隣に、小さな温かい気配を感じる。
部屋の暗さに目が慣れると、寝袋にくるまった王子が自分の横で寝息を立てているのが見えた。
暗闇の中、白銀の髪と真っ白な素肌が内側から輝いているような、天使のように綺麗で可愛い子供。
少し髪が乱れて寝汗をかいているルーファス王子の額の汗を、カナは自分のパジャマの袖で拭った。
寝る前より少し風の音や弱くなってきた。
もしかしたら台風は明け方には過ぎ去っているかもしれない。
カナは綺麗な王子の顔をしばらく眺めていたが、再び深い眠りに誘われた。
暴風に吹き飛ばされ木端微塵になった自転車の側に、ボロボロの黒い布切れが絡まった細い枯れ木が立っていた。
いや、それは枯れ木ではなく痩せた骸骨のような人間。
宰相という高位な身分の器には、多少の怪我でもすぐ癒える魔法が施されていた。
暴風に吹き飛ばされ岩に身体を叩き付けられ、倒れた巨木の下敷きになり、雷に打たれても気を失うことができず、すさまじい暴風の中で生き地獄を味わった。
宰相は禍々しく狂気に満ちた目で、台風一過の晴れ渡った空を仰ぐ。
「ゆ、許さんぞ、始祖の大魔女。本気でこの俺を殺そうとしたな。だが俺は生き残った。ふははっ、大魔女の呪いに打ち勝った。この礼は倍にして返してやる」
***
ベーコンの香ばしく焼ける匂いに、カナは鼻をクンクンさせながら目を覚ました。
閉じた雨戸の隙間から明るい光が射し込み、激しく荒れ狂っていた風の音は聞こえない。
台風が過ぎ去ったことを知る。
子供部屋のソファーベッドで寝ていたカナは、思い出したように隣に眠る温もりをみた。
小柄なルーファス王子は大きすぎる寝袋に頭まで潜り込んで、カナは寝袋に足を絡め抱き枕状態にしていたことに気が付く。
「ひゃあっ、はずかしい。王子の寝袋を抱いて寝ていた? でも王子はよく寝ているみたいだし顔は外に出ていないから、抱き枕にされたって気づかないよね」
そういえば昨日はルーファス王子より早く寝てしまった。
夜中じゅう激しい暴風と、どこかで雷も落ちたみたいだし、王子はなかなか寝付けなかったかもしれない。
カナが軽く寝袋をゆさぶったが、王子が起きる気配はないので、このまま寝かせることにした。
今日は台風一過の後片づけで忙しくなりそうだ。
子供部屋を出て着替えをすませたカナは、ふんわりとした焼きたてパンの香りが漂う食堂を覗く。
普段は三人のメイドで朝食の準備をしているが、厨房にいるのはメイド長一人だ。
「お早うございます、カナさま。夏の嵐は一晩で通り過ぎたようですね。侍女と家来たちは、夏別荘の周囲を後片づけしています」
「お早うございますメイド長さん。王子さまは夜遅くまで起きていたみたいで、まだ眠っているの。一時間後に起こしてあげて下さい。ワタシはこれから台風の被害状況を調べて、警備保証のミノダさんと連絡を取らなくちゃ」
電波状態の悪い妖精森ではテレビやラジオ、スマホも受信できない。
外との連絡手段は電話だけで、カナはアンティークな黒電話のダイヤルを回し受話器に耳を当たるが、発信音が聞こえない。
「昨日は風が強くて雷も落ちたから、電話線が切れたみたい。妖精森の外の電波が届くところまで行かなくちゃ……って、なにこれ!!」
夏別荘の玄関を出たカナは、外の状況を見て思わす大声を出してしまう。
前日にしっかりと台風対策をしたが、予想以上に暴風が吹き荒れた。
数本の巨木が根こそぎ夏別荘前の広場に倒れて、枝葉が辺り一面に散らばっている。
しかしそれよりも、妖精森裏山のゴルフ場から飛んできたと思われるゴルフボールや看板が地面に転がり、巨大なフェンスがシンボルツリーの上に引っかかっている。
「この卵みたいな白い玉はなんだろう?」
「余所から飛んできたゴミが散らかって、どこから手を付けたらいいのかわからないわ」
カナより先に片づけを始めたメイドや護衛の者たちは、ゴミだらけになった広場を見て困惑している。
「裏のゴルフ場、台風対策を怠ったな!! 人の別荘地にゴミをまき散らすなんて許せない。みんな、後かたづけはいったん止めて、この状況を現状維持。ゴルフ場の連中に片づけさせてやる」
カナは怒りに声を震わせながら、地面に突き刺さるゴルフフラッグを引っこ抜いた。
骨だけになったビニール傘が数本、木の枝に引っかかっている。
これが風で飛んできたら危険な凶器になる。
「まぁ、暴風の夜に外を出歩く命知らずはいないよね」
白い石畳の遊歩道にも倒木があり、自転車で走ることは出来ない。
カナは遊歩道に散らばる倒木やゴミをよけながら、歩いて妖精森の外に向かうことにした。
それから一時間後、ルーファス王子は侍女長に起こされて、寝袋の中から出てきた。
「あれ、オヤカタはどこ。嵐は過ぎ去ったのか?」
「はい王子様、今日はとてもよい天気です。でも外はひどい状況で、カナさまは被害確認のため妖精森の外へ出かけられました」
「ええっ、オヤカタはココにいないのか。僕は昨日の夜、高位の守護獅子を使役できるようになったんだ。オヤカタに教えたかったのに」
がっかりした声を出し、ルーファス王子は壁の獅子の写し絵を見た。
サバンナに寝そべる獅子は、王子と目を合わせると不機嫌そうに顔を逸らす。
「なんて素晴らしい、さすがは妖精族祖先返りの魔力を持つルーファス王子さまです。壁の中の守護獅子は、王子の事が気になっている様子。早速エレーナ姫さまにご報告いたします」
妖精族の侍女長は、守護聖獣の気配を感じ取ることができる。
夏別荘に来てから短い間に、ルーファス王子の魔力は驚くほど増している。
これも魔女カナの影響だろうか?
「そういえば守護獅子は、いつもオヤカタの白いジテンシャに変化しているのに、どうして部屋の中に留まっているんだ」
「外は倒木に道を塞がれて、ジテンシャが使役できないのです。カナさまは徒歩で森の外に出かけられました。外はガラクタが散乱して危ないので、片づけが終わるまで王子さまは夏別荘の中でお過ごし下さい」
侍女長は子供部屋の雨戸を開けて、窓の外を眺めた。
妖精森を美しく彩っていた花々は、昨日の嵐ですべて散ってしまった。
もうすぐ自分たちは夢から醒めて、あちらの世界に戻るのだ。
ルーファス王子は倒れた巨木を広場のはじに移動させようと、大人に混じって作業するニール少年の姿を見た。
「僕だってオヤカタの手伝いができる。そうだ。森の中を近道して、オヤカタを妖精森入口で待ち伏せしてやろう」
一月以上夏別荘に滞在しているルーファス王子は、森の中をほとんど熟知して、白い石畳の道から外れた場所に、子供しか通れない起伏の激しい裏道を発見していた。
侍女長がエレーナ姫を呼びに行った隙に、王子は勝手口から外に出ると茂みの中に飛び込んだ。
木の枝にはグラゲのような袋が引っかかり、蛇の卵の形をした玉が転がっている。
森の中に散らばる玉(ゴルフボール)を面白がって拾い始めた王子は、次第に裏道をはずれ森の奥に迷い込んでいった。
***
カナが妖精森の外に出ると、垂れ下がった電線の復旧工事をしている作業員の姿が見えた。
台風被害はかなりひどく、カナは妖精森の警備を頼んでいるミノダにスマホで連絡をとる。
「ミノダさん、台風後でとても忙しいと思うけど、裏山のゴルフ場に連絡をとってもらいたいの。別荘地にゴルフボールやら看板や、それに大きなフェンスまで飛んできて、後片づけに人手が足りないし、よろしくお願いします」
カナはスマホで話をしながら大通りを横切り、コンおじさんの雑貨店の前に来た。店入口のガラス扉には探し人のポスターが貼られている。
店は開店休業で、おじさんの軽トラは見当たらない。
きっとコンおじさんも台風の後片づけで忙しいのだ。
カナは妖精森前広場に停めたワゴン車に戻ると、後ろの荷台から工具箱を取り出し、再び森の中へ戻っていった。
カナは妖精森入口の木のトンネルをくぐり表に出ようとした時、不思議な現象が起こった。
背後から人の気配がして、誰かが自分の後ろからやってくる。
石畳の上を駆ける足音と息づかいが聞こえるが、しかし姿は見えない。
先にトンネルを出たカナは、立ち止まるとそれが現れるのを待つ。
トンネルの中が微かにゆがみ、向こう側に別の風景が見えた。
風の吹き荒れる大きな黒い沼地と、妖精森へと続く細い石畳を駆けてくる赤い髪の人物には見覚えがある。
そして何もない空間から、突然カナの目の前にアシュが現れた。
「えっ、今のなに? アシュさん、どこから出てきたの」
妖精森の外には、道向こうで電線修理をしていた作業員がいただけで、アシュが通りを歩いていれば気が付いたはず。
それに台風一過で晴天なのに、現れたアシュは全身ずぶ濡れの姿だった。
驚いたカナは目の前に現れたアシュにたずねようとしたが、アシュは今まで見たことのない険しい表情でカナに話しかける。
「大変ですカナさま、敵が妖精森に潜り込みました。カナさまが我々のために魔力で嵐を呼び敵を退けたというのに、クーデターの主犯は敗走する兵に紛れて大魔女の結界を越え、妖精森に入り込んでいます」
「クーデターの犯人が、森の中に入り込んでいるの!! 落ち着いてアシュさん。今エレーナ姫と王子は夏別荘にいるし、警備保障のミノダさんも妖精森に来るわ」
まさか昨日の台風の最中、そんな危険人物が妖精森の中に入り込んだなんて。
カナも顔面蒼白になり、アシュと共に大急ぎで夏別荘へ戻った。
しかしそこで、とんでもない事が待っていた。
「館の中を探したのですが、ルーファス王子さまの姿がありません」
「大変ですエレーナ姫。茂みの奥に王子の靴が片方と、杖が置かれていました。金地に赤文字で呪文が刻まれた杖は宰相のモノだ」
「ル、ルーファス王子は、宰相に連れ去られたのか!!」
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