第15話

 メイド長に言われて台所の隅を見ると、小さな椅子に腰かけて手際よく果物の皮むきをするニール少年がいた。

 どうやら台所手伝いをしながら、果物の種を集めているらしい。

  

「そういえばニール君は、自由研究で果物の種を集めていたね。秘密基地の近くに梨の木があったけど、雨が強くなってきたから採りに行けないね」

「ありがとうございますカナさま、妖精森には、他にどのような果物の木があるのですか?」

「秋になると柿や栗、秋から冬にかけて蜜柑と青リンゴが実るわ。特に青リンゴはジューシーで爽やかな味がしてとても美味しいの。春は苺やビワ、それから珍しいレイシも実る。そうだ、コンおじさんにお願いして妖精森の季節の果物をニール君のお家に届けてもらおう」

「ええっ、まさか覇王が直々に僕のような下賤の者に……そんな恐れ多いです」


 ニール少年は近所に住んでいるらしいから、宅配便よりコンおじさんに配達してもらう方が早い。

 カナの言葉にニール少年は大慌てで遠慮するが、カナは「誰も食べる人がいないから貰ってよ」といって、果物を送る約束をした。

 応接室で絵本を眺めていたルーファス王子は、カナとニール少年の声を聞いて台所入口で二人の様子をうかがっていたが、居ても立ってもいられず中に入ってきた。 

 

「オヤカタはどうやって、妖精森に嵐が来ると知ったんだ? それに嵐が来たら、オヤカタの魔法で消せばいいじゃないか」

「王子の国はあまり台風は来ないのね。でもニホンは夏になると何度も台風が来るの。台風を消せばいいって、流石にそんな技術はないわ。だから台風が過ぎるまで、別荘に隠ってゲームしたりマンガを読んでダラダラするのよ」

「大魔女でも嵐を消す魔法は持ってないのだな。マンガを読んでダラダラって、そうだオヤカタ、腕が伸びる海賊の絵本の続きはどうなっているんだ? 僕は魔女の呪文文字は読めないから、早く続きを読んでくれ」


 夏別荘にはテレビがないので、カナは中古マンガ本を買ってルーファス王子に読んであげると、王子はそのマンガに夢中になった。


「ええっ、ちょっと王子。マンガ読み出したら止まらないじゃない。一昨日みたいにコミック五巻も声を出して読まされたら、喉が枯れちゃうよ」

「カナさま、巨人が人間を食べる絵本を読んでください」


 さすがオタク大国ニホンのマンガは外国人の子供も夢中にさせる。

 そういえばニール君って近所に住んでいるのに、ニホン語を読めないの?

 カナは首を傾げながらも、ふたりの子供にせがまれてマンガを読み聞かせるために台所を出て行く。

 そしてカナと入れ替わりに、片手に手作り新作のムームーを手にしたエレーナ姫が台所に入ってきた。


「侍女長、タルトには金剛石の滴をたっぷり乗せて、でも甘さは控えめにしてね。これが夏別荘で食べる、最後のケーキかもしれませんから」

「ではエレーナ姫さま、とうとう国王軍がクーデター軍を打ち破ったのですね!! さすがは我らが国王様、汚れた魂を持つ宰相などに負けるはずがありません」


 侍女長は声を抑えながらも頬を高揚させ、目にうっすらと涙を浮かべた。

 しかしエレーナ姫がとても不安げな様子に気がつくと、改めて神妙な面持ちで話の続きを聞いた。


「妖精森の外では、ウィリス隊長が味方に加わった兵士と村人を率い、クーデター軍に挑みました。鬼と呼ばれる怪力の豪腕族ウィリスは、一人で人間の兵士百人を倒し、その姿に恐れ戦いたクーデター軍は慌てて後退しました」

「それではなぜ、エレーナ姫様はそんなに辛そうなお顔をしているのです。もしかして未来視で、何か良からぬお告げでも受けたのですか?」

「私の未来視はとても弱く、クーデターを予見しても阻止することはできませんでした。この嵐に紛れてあの狡猾な男の気配を感じるのです」


 艶やかな美しい黒髪に月の化身のような姫は、折れそうな細い躰を小刻みに震わせている。

 侍女長は思わず駆け寄ると、その両手をしっかりと掴んだ。


「恐ろしい事に、悪しき宰相の狙いは、私ではなくルーファス!!」

「お気をしっかり持たれて下さいエレーナ姫様。ルーファス王子様は魔女と契約して、私たちを救って下さいました。あの時王子様の勇気がなければ、私たちは反逆者たちに捕らわれ奴隷に落ちていたでしょう。どうかエレーナ姫様も勇気をお持ちください」


 エレーナ姫は長い間自分に付き従ってきた同じ黒髪の侍女長を見た。

 老いが遅い妖精族でも、その黒髪には所々白いモノが混じり、目尻には細い皺が刻まれ、これまでの苦労が見て取れる。

 エレーナ姫はゆっくりと顔を上げる。彼女の両手の震えは止まり、そして妖精族独特の魔力の高まりを感じた。

 

「いつまでも子供のように、貴女に甘えてはいけませんね。私はルーファスに、少しでも母親らしいところを見せなくては」


 外の風が強くなり窓ガラスに雨が音を立てて打ち付けるが、彼女の全身から放たれる温かいオーラは夏別荘の中を満たしていく。


「大丈夫ですエレーナ姫さま。宰相の災いが降りかかろうとも、ルーファス王子さまの傍らにはカナさまがいらっしゃいます。魔女カナさまは大魔女の後継者にふさわしいお方。きっと王子を守ってくださいます」


 ***


 先頭で雄たけびを上げながら、クーデター軍の中に突っ込んでくる巨漢の男は、手加減なく人も物を打ち壊す。

 

「あれは鬼隊長のウィリスか。しかし連中は俺たちより数が少ないし、村の年寄りまで混じっているぞ。軍を抜けた裏切り者には死を、連中を匿った村人も全員殺して……うっ、うがぁあ!!」


 クーデター軍の指揮をとる兵士が剣を掲げると同時に、天から雷が降ってきた。

 激しい爆音を立てて雷撃が地面に落ち、そして空を稲光が走る。

 これまで晴れ渡っていた妖精森上空に漆黒の雷雲が沸き起こり、巨大渦巻となって広がり始めた。

 暗雲の中に無数の稲光が走り、その禍々しい光に照らし出された妖精森入口はまるで地獄門のようだ。


「ひぃいーー、指揮官が雷で黒こげになっちまった。これは始祖の大魔女の怒りだぁ。俺たち全員地獄に落とされるぅ」

「何バカなことを言ってんだ。敵をよく見ろ、腰のまがった年寄りから狙えば、えっ、ぎゃああぁーーっ」


 兵士は敵の痩せ細った老人を選び、薄笑いを浮かべながら襲い掛かった。

 背のまがった老人は驚くほどの素早さで兵士の剣をよけると、一瞬で背後に回り手にした草刈大鎌を一閃、周囲の兵士を巻き込み敵を刈り取る。

 隊長ウィリス率いるエレーナ姫軍は【金剛石の雫】で強化され、腰のまがった老人も体力が若返り狂戦士状態になっていた。



 深い緑に包まれた妖精森の上空に、まるで巨大な蛇がトグロを巻いているような黒い渦巻き雲が現れる。

 そして黒雲の中を無数の稲光が走り、そこから生まれた雷の矢がクーデター軍の上に降り注ぐ。


「始祖の大魔女が雷を操って、俺たちを皆殺しにしようとしている」

「チクショウ、宰相に騙された。早く逃げろぉ、このままじゃ大魔女の生贄にされちまうぞ!!」


 落雷のすさまじい爆音と何かが焦げた異臭。

 パニックに陥った兵士はその場で金属製の武器を投げ捨て、鉄の鎧も脱ぎ捨てる。

 泥でぬかるんだ地面をカエルのように這いながら、一刻も早く妖精森から離れようと我先に逃げ出した。

 そんな状況でも武装を解かない者たちは、逃亡兵と村人の混じったエレーナ姫軍と向かい合う。

 陣形の整わないクーデター軍に対して、ウィリス隊長率いるエレーナ姫軍は木の盾をずらりと並べ整然と隊列を組んでいる。


「貴様ら何をしている、我々の人数の方が圧倒的に多いではないか!! 敵一人に二人、いや三人四人がかりで挑めば、簡単に倒せるぞ」

「ほう、面白い。この俺を倒すというなら、百人がかりで挑むんだなぁぁあ!!」


 エレーナ姫と王子を守るという戒めから解かれ、豪腕族の本性を露わにしたウィルス隊長は、単身で敵陣地に突入する。

 そして大暴れする男を援護するかのように、雷が立て続けに降り注いだ。

 もはや敵は総崩れ状態、ウィリスは自分の顔を見ると慌てて逃げ出す一人の兵士に目を付け、周りにいた敵を薙ぎ払い追いついて捕えた。


「おい、貴様の顔には見覚えがある。俺たちを裏切り、領主にエレーナ姫と王子を売ったロクデナシだ。ここでその首をへし折ってやりたいが……命が惜しければ俺の質問に答えろ!!」


 隊長は金剛石の雫のドーピング効果で、筋肉そのものが鎧のように変化して躰が一回り大きくなり、まさに鬼神そのものの姿になっていた。

 片腕で裏切り者の元部下の首を締め上げると、頭に先端が大きく尖った兜を乗せて高々と頭上に持ち上げる。

 周囲に稲光が走り、今にも裏切り者の兜の上に雷が落ちて来そうだ。


「ひぃいいぃ、雷に打たれて焦げ死ぬのはイヤだぁ!!ゆ、許して下さいぃ、言います言います。宰相の居場所は……」




 隣領主の館の応接室には、様々な果物が並んでいた。

 特に【金剛石の雫】と呼ばれる瑞々しい白桃は、周囲に濃厚な甘い香りを放つ。

 

「お前たちの領主が呼び寄せたクーデター軍が、私の領地に居座って大変迷惑している。だがそれは商売とは関係ない話。私は都への販路と流通ルートを持つから、この白桃を高値で仕入れてやろう」


 村の若夫婦が、隣領主の館に【金剛石の雫】を売りに来ていた。

 始祖の大魔女に呪われた貧しい領地を出て、豊かな隣領地に収穫物を売りに来たという。

 隣領主はやっかいなクーデター軍が出て行ったと同時に、【金剛石の雫】の価値を知らず安値で売るバカな村人に笑いが止まらない。

 銅貨一枚の値段で仕入れた【金剛石の雫】は、金貨五枚以上で売れるのだ。

 言い値の倍で売れたと喜ぶ夫の隣で、隣領主に深々と頭を下げる農夫の妻に目が止まる。

 薄汚れたエプロンにぼさぼさの茶色い髪をしているが、背が高く整った顔立ちは妖精族の血が混じった美しい女。

 こんなイイ女が、辺境のド田舎で農婦をしているとは驚きだ。


「この白桃はもっと金を出すだけの価値がありそうだ。私の部下に馬車に積んだ残りの白桃を見せてくれ。ああ、ご婦人はここで休まれて下さい。今菓子と飲み物を用意させましょう」


 隣領主は農婦の夫に金の入った袋を手渡し、隣に控えていた家来に合図をして外に連れ出させる。

 そして応接室の扉を閉め鍵をかけると、茶の用意されたテーブルの前で戸惑った表情の農夫の妻に近づき、いきなり女の腰を引いて抱き寄せた。

 隣領主に無理矢理抱き寄せられた農夫の妻は、男から逃れようと身をよじり抵抗する。


「あんな寂れた村に、お前のような美しい女が住んでいるとは知らなかった。恥ずかしがらずにその綺麗な顔を私に見せてくれ。おや、お前のその顔はどこかで……」


 伏せた顔を上げた彼女は口元に冷たい微笑みを浮かべると、領主の腕をねじり上げ脚を払い、自分より横幅のある男を軽々と押し倒す。

 そして素早い動きでスカートの中に隠し持っていた折りたたみの剣を取り出すと、美しく磨かれた鋭く細かいノコギリ歯を隣領主の首元に押しつけた。


「隣領主様、私の顔をお忘れですか。貴男は何度かエレーナ姫様にいやらしい色目を使っていましたが、隣に立つ私には気付かなかったのですね」

「なんだと、貴様っ。その声にその顔は、まさか姫の守護騎士のアシュ!!」

「もうすぐ国王軍がこの隣領地へ到着するでしょう。さぁ、国王様を迎える歓迎の準備をしなさい。そして王への忠誠の証に、裏切り者の宰相の首を献上するのです」


 農夫の妻に化けたアシュは、領主の首に押しつけたノコギリの歯に少し力を込めた。

 牙の食い込んだ皮膚からうっすらと血がにじむ。

 命令に従わなければ、お前の首を落とすと言っているのだ。


「ウワァ、やめてくれ。私は本当に、このクーデターに関しては宰相とは無関係だっ。クーデター軍そのものが皆の目を逸らすための囮で、ヤツはここにはいない。宰相はアルものを利用して、妖精森に潜り込んでいる」


 


 クーデター軍とウィリス隊長たちの衝突は、妖精森入口より離れた村に近い場所で起こっていた。

 そして逃げまどう大勢の兵士の中に、黒いローブをまとい杖を付く魔導師風の男がいた。

 黒いローブの男は、妖精森へと続く細い道を歩く。

 そこには始祖の大魔所の結界が張られ妖精森に近づく者を拒むのだが、黒ローブの男はあっさりと結界の中に入り込むと、真っ直ぐ森の入口へと向かって進んでいった。

 

「ひひひっ、妖精森を出入りするには、二つの世界を行き来した強力な媒体が必要だ。ケルベロスの首に巻かれ、最後まで領主がその手から放さなかった戒めの縄こそ、二つの世界を行き来する鍵。さぁ、始祖の大魔女よ。次の王になる俺様を妖精森に向かい入れろ」


 正気を失った領主から騙し取ってきた物は魔獣の首輪だった。

 黒ローブ姿の宰相は、ケルベロスの首に巻かれていた縄を自分の首に巻く。


「妖精森の中は花々が咲き乱れ甘い果物が実り、穏やかな気候の楽園だと聞く。早く中で温まりたいものだ。そうだ、エレーナ姫とルーファス王子を召使いにして、俺は薬園でほとぼりが冷めるまでのんびりと休息しても良いな」


 目の前に妖精森入口の二つの岩壁が見え、宰相は何にためらいもなく妖精森の中に足を踏み入れた。

 その途端、外よりも更に激しい雨風が宰相を襲った。


「雨が顔に打ち付けて目も開けられない。ぐわぁ、身体が吹き飛ばされるっ。外の嵐より酷い。なにが楽園だ、まるで地獄じゃないかぁ」


 身にまとっていた黒いローブがはためき、風を受けて細い宰相の身体が吹き飛ばされる。

 固い石畳に強く腰を打ち付けた宰相は大きな悲鳴を上げたが、その声は暴風の音にかき消された。

 そしてうねる風の中で、ギコギコギイィ――と鉄の牙を歯ぎしりするような不気味な魔物の金切り声がこちらに向かって来る。


「こ、この音はなんだ、今ココに地獄の魔犬はいないはず。車輪の魔物が俺に向かって、ウギャアーーぁ」


 それはカナが妖精森入口に停めたまま、片付けるのを忘れた青い自転車で、凄まじい暴風に飛ばされた自転車は宙を舞い、宰相めがけて飛んでくる。

 石畳に腰を打ち付けて動けない宰相は、落ちてきた自転車の下敷きになり気を失う。

 そこは、ルーファス王子と隊長とニール少年が倒れていたのと同じ場所だった。


 ***


 「あれ、今カエルが潰れてたような、変な声が聞こえたけど?」


 夏別荘の子供部屋でルーファス王子とオセロゲーム中のカナは、眠気まなこを擦りながら不思議そうにつぶやいた。

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