第14話

 作業を終えてツリーハウスの中に入ってきたアシュとカナは、メイド長が作ってくれたフワフワな食感のフルーツマフィンに、鮮やかな香りの漂うダージリンティで一息ついていた。

 ツリーハウスに入れない隊長は、巨木の根元で昼寝をしている。

 ニール少年は秘密基地の宝物の一つ一つに歓声を上げ、身軽な子供たちはネットを伝ってツリーハウスの一番上まで登ると、小さな天窓を跳ね上げた。

 そこから妖精森の周囲が見渡せるはずだが、窓から顔を出したルーファス王子はそのルビー色の瞳に映る景色に声を詰まらせた。


「王子さま、どうしたのですか?」

「ニール、窓の外は二つの世界が交差している。右は荒れた大地に細い道が伸びる僕の世界、左は美しい山々に大蛇のはったような跡が刻まれて、山肌に緑の美しい芝が広がる魔女の世界」


 山肌の緑の芝は妖精森裏山のゴルフ場で、大蛇のはった跡は山の中を走る道路だ。

 玩具のミニカーを知るルーファス王子は、実際車が道路を走っているのを初めて見た。

 王子の瞳は、寂れて終焉を迎えたような自分の世界と、豊かな魔女の世界が映す。

 同じように窓から顔を出したニール少年も同じ景色を見た。


「王子、なんですかこれは。僕らがいたのは、不気味な色の沼地と干からびた土気色の荒地。でも隣の世界はこんなに美しい。魔女カナさまは、別の世界から来ているのですね」

「これがオヤカタの住む世界。僕の世界とはあまりに違いすぎる」


 その時、空気を揺るがすような重々しい爆音と共に、銀色に光る巨大な鳥が姿を現した。細い翼に細い胴体の怪鳥がこちらに向かって飛んでくるのが見える。

 驚いたニール少年は王子を中に引き戻すと、慌てて天窓を閉めた。

 すると恐ろしい爆音はピタリと止み、そして天窓は固く締まったまま開かなくなった。


「王子、それにニールくんも、お腹がすいているでしょ。下に降りてオヤツを食べなさい」


 カナは秘密基地の天窓で二人の少年が何を見たのか知らない。

 ルーファス王子とニール少年は何故かすっかり大人しくなって、並んでソファーに腰掛けてマフィンを食べる。

 カナは二人の様子に首をかしげるが、あえて何があったのか聞きはしない。

 冷めて少し渋みのあるダージリンティを飲んだルーファス王子は、上を仰ぎ天窓の向こう側を見た。

 隣に座るニール少年は、熱に浮かされたような少し興奮した声でつぶやいた。


「ルーファス王子さま、あの銀色に輝く巨大な鳥は、きっと不死と再生の神鳥フェニックスです。この荒れた大地は再び再生して緑の森になる、その知らせです」


 しかしルーファス王子は押し黙ったまま、ニール少年の言葉に返事をしない。

 二人の様子を観察していたカナは、少し考えると何かひらめいたようにニヤリと笑った。


「どうやら王子はまだ遊び足りないようね。こんな事もあろうかと、既にハンモックと寝袋を準備しているの。今日は『秘密基地でお泊まり会』よ。皆で一晩語り明かそう!!」

 

 突然カナが言い出したツリーハウスのお泊まり会に、ルーファス王子とニール少年、そして女騎士アシュは問答無用で参加させられることになる。

 カナは前もって計画していたようで、すでに寝袋人数分とハンモックが準備されていた。


「カナさま、夏別荘で夕食を済ませてからツリーハウスに泊まればよいのではありませんか?」

「何をいっているのアシュさん。お泊まり会で夕食にカレーを食べるのは、絶対外せないイベントよ。ツリーハウスの中だからカセットコンロしか使えないけど、次は飯ごう炊爨(すいさん)に大鍋でカレーを作りたいわ」


 カセットコンロに紙皿に紙コップ、レトルトカレーと大量のスナック菓子を持ちこみ、料理が苦手なカナはご飯も真空パックで温めればすぐ食べられるモノを準備していた。

 ルーファス王子とニール少年は、大喜びでスナック菓子の袋を開ける。


「オヤカタ、この揚げた芋(ポテチ)は手に油が付くぞ。フォークを使うと芋が割れるし、スプーンですくって食べるのか? そうか、箸で揚げた芋を摘めばいいんだな」

「クマの形をしたクッキーは、食べてしまうにはもったいないなぁ」


 ニール少年はコアラ形のお菓子をひとつひとつ並べて眺め、王子は紙皿にポテチをのせて箸で摘んで食べていると、カナがポテチを手づかみで口に放り込むのを見て驚いたりする。


「メイド長さんの作る絶品料理もいいけど、たまにジャンクフードを食べたくなるの。レトルトカレーは私が厳選したモノで、どれも美味しくてお気に入りよ」

「オヤカタが食べるカップめんは、おもしろい変な味がする。魔女の料理は、お湯を沸かせば食べられるモノばかりだ」

「えっ、王子、ワタシピザ焼いたでしょ。あれって料理としてカウントされないの? 確かにピザは具材をのせて焼いただけなんだけど」


 ルーファス王子が素直な気持ちで発した一言は、カナを軽く落ち込ませる。

 そんなカナの隣で、アシュはカセットコンロでわかしたお湯で温めているレトルトカレーの袋を珍しそうに見る。


「カナさま、袋の中に入っている料理はいつ作ったものですか?」

「これは一昨日スーパーで買ったの。袋に書かれている賞味期限だと、来年の春まで食べられるわ」


 そういってカナは取り出したレトルトの封を切ると、中身をライスの上にかける。

 袋に詰めたモノは一昨日前に作った料理というが、それは今出来立てのようなスパイシーな香りがした。

 魔女の料理は、時間を止めて保存できるらしい。

 いったいどのような仕組みで腐敗を防ぐのか、アシュがたずねるとカナは困った顔で答えた。


「えっとアシュさん、これは普通にお店で売られているレトルトなの。そういえばレトルトカレーはどうやって作るのかな。アシュさんが知りたいのなら色々調べてみるね」

「魔女の秘術を教えていただけるとは、カナさまありがとうございます。料理のことでしたら、私より侍女長に教えて下さい。出来立て料理を長期保存できる技を習得できれば、食糧事情が改善し料理技術がさらに向上します」


 カナとアシュがレトルトカレーの話をしている間に、お腹の空かせた王子はさっさとカレーを食べ始め……。


「うわぁああぁーー、か、辛い辛い、口から火が出る!! オヤカタたち魔女は、この魔法料理を食べて火を操るのか」

「ちょっ、王子が食べているのは星五つ激辛カレー。子供が食べるのは、こっちのリンゴとハチミツの入ったカレーよ」


 辛い辛いと大騒ぎする王子にカナは慌てて水を飲ませていると、ツリーハウスが激しく揺れ出した。


「今の悲鳴はなんだ!! ウォオオッ王子、このウィリス、命に代えてでもお守りします」


 ズシン、めりめり、ミシミシ、スポンッ

 そして野太い吠声をあげながら隊長のウィリスが秘密基地の入り口から姿を現すと、そのまま胴体が狭い入り口にぴったりと挟まる。


「えっ隊長、まだ下にいたの?あっ、入り口にみっちり挟まっている」

「なんだウィリス、お前もこの激辛カレーを食べたいのか」

「今王子様の悲鳴が聞こえ……あれ、大丈夫、みたいですね。

 ふははっ、どうやら俺は早とちりしたようだ」


 お泊まり会に参加した王子が心配で、巨木の近くで隠れて警備をしていた隊長は、王子の悲鳴を聞いて秘密基地に駆けつけた。

 隊長は照れ笑いしながら入り口から出ようとしたが、体がぴくりとも動かない。

 ハチミツを食べようと木のウロに挟まった、黄色いクマ状態だ。


「ぐぐぐっ、前にも後ろにも、まったく体が動かない。こうなったら力ずくで、抜け出すしかないな」

「こんなに力一杯体をつっこませて怪我しないなんて、隊長ってどれだけ頑丈なの。隊長が無理に動いたら秘密基地の方が壊れそう、入り口の壁を少し切るしかないね」


 ぎゅぅううううーーーーーん


「隊長、危ないから絶対に体を動かさないで。ちょっと足場が悪いから、頭を踏んずけるわよ」

「魔女カナさま、それは鉄の刃を持つ魔導カラクリ!! ブルブルブル、絶対動きませんから、俺の体は切らないで下さい」


 カナは電動ノコギリを握ると、隊長が挟まった入り口の周囲を確認して、隊長自身を足場に壁板を切り始めた。

 電動ノコギリを使った作業は数分で終わるが、ウィリス隊長にしてみれば数時間と思えるほどの恐怖を味わう。


 その様子を見たアシュにはある考えが浮かんでしまう。あまりに荒唐無稽な話だと分かっていても、それを望んでしまう自分がいる。

 目の前で魔導カラクリを操るカナは、まさに魔女の中の魔女だ。

 昔は火を放ち巨岩を粉砕させる魔法使いが存在したらしいが、今ではエレーナ姫やルーファス王子をのぞけば、紙切れを微かに浮かせる程度の魔法使いしかいない。

 祖先がえりの魔力持ちのルーファス王子が成長して、魔女カナが力を貸せば、もしかしたら帝都の覇王を越える力を持つのではないかと。




 ツリーハウスの中につるされたランプに明かりがともる。

 隊長はカップめんを四個食べると、ツリーハウスを警備するといって下に降りていった。

 それからカナは秘密基地の宝物の中から、ホコリをかぶったオセロ板を引っ張り出して《うまか棒十種類味の詰め合わせ》を賞品にゲームを始めた。

 そのゲームでは、なんとニール少年が勝利し詰め合わせをゲットする。

 負けず嫌いのルーファス王子は、自分が勝つまでオセロゲームに夢中になり、気が付けば夜も遅い時間になっていた。


「私は夜中に隊長と警備を交代しますので、仮眠をとるために床で寝させてもらいます。カナさまはソファー、それとも王子様が休まれますか」


 子供部屋程度の床しかないツリーハウスは、床とソファー二人分のスペースしかない。


「それはモチロン、ワタシはハンモックで寝るわ。

 せっかく秘密基地に来ているのに、床やソファーで寝るなんてもったいない」


 すっかり童心モードのカナは、瞳をキラキラ輝かせるとあらかじめ目を付けておいた場所にハンモックを設置して中に潜り込む。

 ハンモックを左右に揺さぶって、声を上げてはしゃいでる。

 カナの楽しそうな様子に、これを見たルーファス王子が黙っているはずがない。


「では王子さまは、ソファーで休まれて下さい。ニール君はハンモックで寝てもらえます」

「僕はソファーよりハンモックがいい、ニールがソファーで寝ろ。オヤカタの隣の枝に、僕のハンモックをつるしてくれ」

「ええっ王子!!

 ぼ、僕がアシュさまの隣で……寝てもいいの」


 ハンモックは危ないというアシュと、顔を真っ赤にして口ごもるニール少年を無視し、王子はネットを伝ってカナのハンモックまで登っていた。

 カナはハンモックから体を起こすと、嬉しそうに王子を見つめた。


「このハンモックはしっかりと体を受け止めてくれて、揺りかごのように気持ちいいよ。それにしても王子はすっかりたくましく、男の子っぽくなったね」

「オヤカタ、僕は夏別荘に来てから、朝は自分で起きるしメイドたちの手を借りずに自分で服を着替える。僕はもっと、オヤカタみたいに自分の力で色々なことが出来るようになりたい」 


 小柄で線が細くハリウッド映画子役のように整った美しい顔のルーファス王子は、カナが最初会ったときにはどこか醒めた目をしていた子供だった。

 それが今は、こぼれ落ちそうなルビー色の瞳に期待と好奇心と、そしてたまに悔しさと甘えた色をたたえる、表彰豊かな男の子になっていた。

 それから夜遅くまでカナと王子のハンモックからおしゃべりする声が聞こえ、ソファーで横になるニール少年はなかなか寝付けず、深夜過ぎてやっと三人が大人しく寝入った。

 仮眠から目を覚ましたアシュは、隊長と警備を交代するためにツリーハウスを出て、警備を交代した隊長はそのまま巨木の根元でいびきをかきながら眠ってしまった。

 アシュはツリーハウスから持ってきたシーツを隊長にかけてやると、苦笑しながらポツリと呟いた。 


「魔女カナさまの魔法を見せつけられたというのに、貴方の態度は全く変わらない。それにしても、今日はずいぶんと風が強い」


 アシュの手に提げたランプの炎は、風にあおられて何度か消えた。

 朝皆が起きて夏別荘に戻れば、自分たちは宰相との決着をつけるために外の世界へ戻る。

 大切な姫と王子は、魔女カナに任せれば大丈夫だろう。



 その日南の海で発生した台風は、数日後に妖精森のある地域を通過することになる。

 嵐の予感だった。


 ***

 

 痩せた土地に寂れた村は見違えるほど豊かになり、大魔女からの贈られる食料と不思議な若返りの木の実、そして魔犬ケルベロスに守られている。

 女騎士とともに村に現れた豪腕族の騎士は、村の味方に付いた兵士を前に演説した。


「お前たちは悪徳宰相に言葉巧みに騙されて、こんな辺境の呪われた土地に来ちまったんだな。宰相が醜悪な悪魔なら、エレーナ姫さまは美しく慈悲深い伝説の女神のようなお方だ。この村を見ろ、女神さまの御利益でこんなに豊かになった。宰相に味方して大魔女に呪われるより、エレーナ姫とルーファス王子のために戦い御利益を受けた方がいいぞ」


 始祖の大魔女の呪いの恐ろしさは、魂を引き裂かれた領主の姿を見た兵士たちは充分理解していた。

 大魔女が味方するエレーナ姫と、クーデターが失敗した宰相のどちらに味方するか、考えるまでもない。

 騎士隊長ウィリスは、村によっぽど酷い略奪虐待行為をした兵士以外は、罪を問わず仲間として気軽に受け入れる。

 クーデター軍は兵の逃走を恐れ軍律を厳しく締め付けるが、それが逆効果になり更に数を減らした。



 妖精森では三日。

 外の世界で三十日が過ぎた頃、女騎士アシュは決断する。


「我々とクーデター軍では兵の数で倍近い差があり、それで相手が油断するなら好都合。こちらにはケルベロスと、魔女カナさまが授けて下さった若返りの実のおかげで体力強化された兵士がいます。前面の敵を我々が惹きつけ、背後から国王軍で挟み撃ちすれば、形勢逆転で敵を打ち破れます」

 

 ***


「サイトウさんを探しています。

 年齢は七十五歳、痩せ気味で背が高く、長い白髭を生やしーー

 サイトウさんを見かけた方は、警察か消防、役所の福祉課へ連絡をーー」


 台風対策の準備をしていたカナは、妖精森前で広報車のアナウンスを聴いた。

 広報車が配るチラシが一枚、風に乗って車のフロントガラスに張り付き、カナはチラシを手にとると内容を確認する


「身長百八十センチ体重五十五キロ、ものすごく痩せているのね。白髭が伸びて仙人のように長く徘徊癖あり。行方不明のおじいちゃん、お孫さんに会いに出かけたまま帰ってこないんだ。きっと家族の人たちも心配している」


 四日前に発生した弱い台風は、ノロノロと東シナ海を北上しオキナワをかすめるとニホン本土に縦断するコースをとった。

 妖精森のあるこの地域も、明日の明け方から暴風域に入りそうだ。


「夏別荘の雨漏りは直したし、外壁はコンおじさんが補強をしてくれた。電動ノコギリで伸びすぎて危険な木の剪定もして、台風対策は大丈夫。非常食買い出しもバッチリだし、ふふっ、台風って聞くとなんだかワクワクする!!」


 カナは大きなリュックを背負い、自転車の荷台に非常食の入った段ボールを乗せる。

 段ボールの中身は、もちろんカップめんとスナック菓子だ。

 管理人という立場上、台風対策のため今夜は夏別荘に待機する予定だ。

 雲の流れがはやい。時折風が強くなり、パラパラと小雨が降ってきた。


「台風そのものより、妖精森裏山のゴルフ場から色々なモノが飛んで来るから、台風が過ぎた後の片づけの方が大変よ」


 夏別荘の台所には、大量の果物が運び込まれる。

 実った果物が台風でダメになってしまうので、朝からメイドたちとニール少年、それにルーファス王子は森の果物を収穫した。

 妖精森の遊歩道脇に生えている野イチゴは普通より一回り大きく、スダチに似た柑橘類の酸っぱい香りが台所を満たしている。

 裏庭の柵に絡まるブドウの実がはちきれんばかりに育ち、そして木の枝が地面に届きそうなほど鈴なりに実を付けた白桃【金剛石の雫】が調理台の上に山盛りになっていた。

 カナが台所をのぞき込むと、メイド長が野イチゴを鍋で煮てジャムを作っている。

 

「夏の妖精森は食べきれないほど沢山果物が実るから、この時期になると大叔母さんは親戚中に果物を送りまくっていたわ。ふわぁ、果物の甘い香りがプンプン、それとケーキ生地の焼ける美味しそうな匂いがたまらない」

「今夜はカナさまが夏別荘にお泊まりになられるので、私たちが腕を振るってフルーツケーキとタルトを作りましょう。焼きあがるまで時間がかかるので、カナさまはルーファス王子さまとニールのお相手をして下さい」

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