第10話

「目の前に新鮮でみずみずしいサーモンと生ハムのトッピングされたピザがあるというのに、カナさまが戻るまで食べてはいけないとは!!」


 カナが出かけている間、ピザを目の前にお預け状態の隊長は、石窯の周囲をウロウロしていた。

 その時、森の入り口あたりから甲高い笛の警戒音が響き渡り、一同に緊張感が走る。


「あれは危険を告げる警笛。敵が妖精森の入り込んだのか」

「確かアシュは王子と一緒にいたはず。ルーファス王子が危ない!! お前たちはここでエレーナ姫を護衛しろ、俺は王子を助けに向かう」


 部下に指示を出したウィリス隊長は、腰に提げている剣に手をかけ白い石畳の道を駆けだした。

 のどかで平穏な妖精森の暮らしに、すっかり警戒心を失っていた。

 妖精森の周囲を取り囲むクーデター軍に、エレーナ姫と王子は常に命を狙われているのだ。

 ここに滞在した十日の間、森の外はどのような状況になっているのか。

 多少危険を犯しても、敵の動向を探らなくてはならない。


「ルーファス王子、どこにおられますかーー!! アシュ無事か、返事をしろ」


 森の中の遊歩道をかけながら巨漢の近衛兵隊長は、腹の底から大声を出し仲間に呼びかけた。

 道の先から返答の笛の音が聞こえる。

 アシュは剣の腕が立つ、しかし一緒にいるのは幼いルーファス王子と小柄で弱々しい魔女だ。

 隊長のウィリスは、いざとなれば自分が身を挺してでも王子と魔女を守るつもりで、腰の剣を抜き笛の音のする方へ近づいていった。

 目の前に伸びる枝葉を剣でなぎ払うと、遠くに三人の人影が見える。

 なんだ、様子がおかしい。

 アシュが何かを背負い、王子と魔女はそれに従っているように見えた。


「どうしたアシュ、その背負った怪しいモノをおろせ!!」


 ***


 タバスコを買いに行ったカナは、妖精森の入口に倒れていた少年を保護した。

 疲労で立ち上がることのできない少年をアシュが背負い、カナと王子は自転車を押して歩いた。


「他の護衛の者たちを笛で呼びました。手助けする者が来るまで、ゆっくりと進みましょう」

「僕が歩けないせいで、騎士様の背中を泥だらけにしてしまって、申し訳ありません」


 アシュに背負われた少年は身長はカナより少し低いぐらいだが、栄養状態が悪くてひどく痩せている。

 並んで歩くルーファス王子は、あれからずっと静かにしている。

 カナは王子が少年を気遣っていると思ったが、王子はポケットに白蛇を隠し持っている事をカナにバレないかビクビクしていた。

 四人は森の遊歩道を進んでいると、聞き覚えのある男の怒鳴り声がして、勢いよくこちらに向かって駆けてくるのが見えた。


「よかったぁ、隊長が来てくれた。ずいぶんと早く来て……えっ、手に刃物を持っているけど」

「ああっ、ウィリス隊長は、また勘違いをしている!!」


 少年を敵と勘違いしているらしい隊長に、アシュは制止の声をあげるが、猪突猛進の隊長には聞こえない。

 右手に持つ巨大な黒剣を振り上げて、狙いを定め少年に向かってくる。

 その時、カナの自転車の買い物かごに乗っていた小さな柴犬が激しく吠えると、犬の体から黒々とした強大なオーラが吹きだし、それは禍々しい別の形になる。

 頭部は三つに分かれ、開いた口は鋭い牙と青い炎を吐き出す、冥界の獰猛な三首の番犬に変化した。


「いきなり隊長が大声で走ってくるから、ケルベロスが怒ってる。これはダメ、間に合わない」


 突然現れた魔犬は剣を手にした巨漢の男に飛びかかり、右の頭は隊長の剣の刃を鋭い牙で砕く。

 前足を隊長の肩にかけて仰向け押し倒すと、中央の頭が大きく口を開き舌舐め擦りをして、隊長の左の胸に噛み付いた。

 しかしカナには、小犬が隊長の胸に飛びついて、犬嫌いな隊長が気を失って倒れたように見えた。

 小さな黒い柴犬は仰向けに倒れた隊長の上に乗っかって、胸ポケットに入っている光る丸いモノを取り出そうとしている。

 光る丸いモノが胸ポケットから飛び出して、カナの目の前に転がる。

 小さな犬はソレで遊びたいと、カナにねだるように尻尾を激しく振った。

 

「オヤカタ、それはウィリスの引き抜かれた魂。魔犬に与えちゃだめダメだ!! 早くウィリスの体に戻さないと、生きたまま地獄の業火に焼かれてしまう」

「ケルベロスだめよ。これは隊長の大切なモノで、犬のオモチャじゃないの」


 カナは光る丸いモノを王子に渡すと、小さな犬を自転車かごに戻した。

 ルーファス王子は隊長のシャツの胸ポケットに光る丸いモノを入れて、手のひらで押さえつけるような動作をする。

 テニスボール大の玉は、明るい光を放ちながら隊長の体の中へ吸い込まれた。


「うぐっ、お、俺はどうしたんだ。どうしてこんな所に寝ている? ああっ、ルーファス王子、ご無事でしたか」


 地獄の番犬に魂が食われる寸前だったウィルスの能天気な言葉に、ルーファス王子とアシュは何も答えることができなかった。

 そしてケルベロスが小犬の姿にしか見えないカナは、怪訝そうな顔をしている。

 

「小犬を見て気を失うなんて、隊長さん大丈夫?」


 結局、隊長がしっかり目を覚ますのに時間がかかり、カナが夏別荘に戻ってきた頃には日が暮れていた。


 ***

 

 夏別荘の広場に置かれたテーブルの上には、大きな肉の塊や少年が見たこともない珍しい果物が乗っている。

 カナに保護された少年は泥だらけの体を綺麗に洗い傷の手当をして、テーブルの前に座らされた。

 大魔女は魔物から剥ぎ取った革の服を着て、森の洞窟に住んでいると噂で聞いていたのに、目の前の館は金持ちが住むような立派な建物だ。

 そして初めて見るお姫様は、とても色鮮やかで美しい模様の描かれたドレス(ムームー)を着ている。

 この辺境の地も、森を伐採するまでは豊かな土地だと祖父から聞かされていたが、少年は荒れた大地しか知らない。

 外は底なしの沼に干からびた大地が広がるのに、この妖精森の中はなんて豊かなのだろう。


「お兄さんの事はコンおじさんも知っていたみたい。君は今夜はココに泊まって行きなさい。護衛の人たちが利用する柔道場なら、広いし安全だわ」


 カナが励ますように声をかけると、少年は深々と頭を下げた。

 そして顔を上げ、カナの目をしっかりと見つめる。


「大魔女のお身内である茶色い髪の魔女さまへ、改めてご挨拶申し上げます。僕は前領主を父に持ち現領主とは母親違いの弟、二ールと申します。兄が勝手に大魔女さまの森を伐採して、その怒りを買い、大地は呪われた植物の育たない荒れ地になりました。兄の代わりに、僕はいかような罰でも受けますから、どうか大地の呪いを解いて下さい!!」

「えっと、君のお兄さんが大叔母さんの森を伐採たせいで、土地が荒れたの? それは大叔母さんの呪いではないわ。元々この辺は土地が痩せて、あまり植物の育たない場所なの」


 カナの言葉に、様子を見守っていたエレーナ姫が驚きの声を上げる。


「私も辺境の地は、大魔女に呪いで植物が育たなくなったと思っていました。この豊かな妖精森が、元は痩せて植物の育たない場所だったとは信じられません」

「子供の頃に、なんども大叔母さんから妖精森を作った話を聞かされたわ。荒れた禿山と雑木林だった妖精森を、大規模な土地改良を行なって肥えた土地に改善したんだって。世界中からいろいろな植物を取り寄せて育て、三十年かけて妖精森を作りあげたの」

「エレーナ姫さま、大魔女の世界の三十年は、我々の世界では三百年の月日が流れます。カナさまのおっしゃる通りでしたら、妖精森の周囲の荒れた土地が元の姿に戻るまで数百年かかるでしょう」


 エレーナ姫の隣で控えていた侍女長はそう呟くと、痛ましげに表情を失った少年を見た。

 大魔女が魔法の杖を一振りすれば、荒れた土地は豊かな大地に戻ると思っていた。

 しかし元々が痩せて荒れた土地ではどうしょうもない。

 豊かな森は大魔女が時間をかけて育んだもので、領主はそれを破壊したのだ。

 突きつけられた真実に少年は言葉を失い呆然としていると、そこへルーファス王子が焼けたばかりの熱々ピザを目の前に置いた。


「お前、お腹が空いているのだろ。オヤカタが作ったピザを食べろ。僕らは城を焼かれ大勢の従者を失って、この妖精森に逃げ込んだ。そんな僕や母上や従者たちを、オヤカタは助けてくれた。お前もきっと、オヤカタが助けてくれる」

「そうよ、ワタシは君のお兄さんに対して結構怒っているの。君のお爺さんも苦労しているみたいだし、出来る限りの協力をするわ」


 年下だがこの国の王子であるルーファスが、自分を気遣ってくれている。

 普通なら姫と王子と同席することなど許されない身分なのだ。

 励まされたことに感謝しながら、少年は紙皿に乗ったサーモンにパイナップルのピザを、熱い熱いと言いながら食べた。


「ルーファス王子さま、オヤカタとは、茶色い髪の魔女の事ですか?」

「そうだ、僕はオヤカタの弟子になったのだ。この妖精森で、オヤカタから大魔女の世界のいろいろな知恵を授けてもらっているぞ」


 少年がピザを食べ始めると、王子はお中元からお菓子を選んで持ってきた。

 その中には人気店の高級チョコやバームクーヘン、老舗の和菓子もあり、カナの方が味見がしたいと大騒ぎしてしまう。

 他の者たちも石窯で焼いたとうもろこしや骨付きスペアリブを、少年に食べろと勧めてきた。


「とりあえずこの子は、一晩保護して休ませよう。そういえばケルベロスにも晩ご飯をあげなくちゃ。あれ、自転車のかごの中にいない、森の中に遊びに行ったのかな? まぁ、お腹が空いたら戻ってくるでしょう」


 ***


 どうやら弟は、呪われた妖精森にうまく潜り込めたらしい。

 そうほくそ笑んだ領主は、森の外で兵士たちを待機させ弟が戻ってくるのを待っていたが、一昼夜過ぎても弟は姿を見せない。

 そして徹夜で夜を明かした領主に、とんでもない報告が入ってきた。


「領主さま大変です!! 村の子供と若い連中、それに領主さまの館の使用人が全員姿を消しました。我々が妖精森の周囲に留まっている間に、連中は辺境の呪われた地から逃げ出したのです」


 報告に現れた男は、村人や使用人たちが牛も馬も食料の殆どを持って逃げたと話した。

 そして報告に驚いている領主の前に、村に残っていた年老いた村長が連れてこられる。


「これはこれは領主さま、随分と顔色が悪いご様子ですがどうなされました?

 貴方は笑いながら、私の孫の首に縄を付け、凍える寒さの沼地に突き落としたそうですね。もう村には小麦一粒も残っていません。残された年寄りは孫が村に戻るのを、餓えながら待つことにします」


 老人の言葉に、領主と一緒にいた兵士たちが怒鳴り声を上げる。

 兵士たちは領主に呼ばれて一昼夜ほとんど食事も取らず、妖精森の周囲に待機させられていた。

 クーデター軍の兵士たちの食料は現地調達、要は村から食料を搾取している。

 その村に食料が無くなれば、自分たちは飢えてしまうのだ。


「貴様っ、あの汚らわしい小僧と一緒に俺を騙したな。まさか館にある俺の食料まで持ち出したのか!!」

「私に聞かれても、一体何のことだか存じ上げません。館の使用人たちは、支払われない給金の替わりに食料を持っていったのでしょう」


 これまで領主に見下され散々苦労した老人は、さげすむような眼差しで領主をにらみ返す。

 領主は怒りに顔を歪め、手にした杖を老人に向けて振るおうとしたその時、反対の手に握っていた縄が引かれるのを感じた。

 それは弟の首に巻いた、奴隷の逃走を防ぐ呪いのかかった縄だ。

 縄は妖精森の中へと続く道まで伸びており、その結界の中から何かがこちらに向かって駆けてくるのが見える。


「あの役立たずが戻ってきた、これで結界に通り道が出来る。ふははっ、妖精森の中に隠れているエレーナ姫と王子を捕らえるぞ!!」


 しかし立ち込める白い霧の向こう側から、不気味な獣の荒い鼻息とうなり声がした。

 森の奥から突風が吹き、沼地の泥を巻き上げながら近づいてくるモノに、側にいた兵士が悲鳴のような声を上げる。


「領主さま、あれは人間にしては大きすぎます。妖精森に住む獣か、それとも、ウワァーあの姿は!!」


 妖精森の結界を越えて姿を現したのは、牛のように巨大な躯に禍々しい姿、鋭い牙を持ち狂気を宿した赤い目をした三首の地獄の番犬だった。

 その魔犬の中央の首に縄が巻きつけられ、伸びた縄の先を領主が握っている。

 遊び相手を見つけたケルベロスは、大はしゃぎで縄を握る男に飛びかかった。

 

「まさかあれはケ、ケルベロス!! 領主さまが連れてきたのは、エレーナ姫でもルーファス王子でもなく、地獄の番犬だ」


 妖精森の結界を取り囲むクーデター軍の前に現れた魔犬は、先頭にいた兵士を踏み潰すと縄を握る領主に向かって一直線に駆けてくる。

 領主の周囲に控えていた従者や兵士は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 たったひとり取り残された領主は、真正面に来た魔犬に睨まれてると腰を抜かしその場に座り込んでしまう。


「どうして、あのガキの首に巻いた縄がケルベロスに。こんな縄は捨ててしまえば……うわぁ、縄が手から離れない!!」


 領主はケルベロスの縄を離そうとしたが、手は硬く握られたまま開くことができない。

 領主は尻餅をついたまま後ずさり、獲物を見つけたケルベロスはジリジリと迫ってくる。

 側にいた兵士がケルベロスに向けて矢を射るが、ケルベロスの体をすり抜け反対側の兵士に当たってしまう。

 実体を持たない異界の魔物は、煙霧のように濃縮された渦巻く魔力の固まりだった。

 攻撃に気付いたケルベロスは、方向転換をして弓を構えた兵に突進して行く。

 おぞましい獣のうなり声は三つ、黒い化け物は高く跳躍すると巨大な魔力の塊で兵士を押しつぶし、前足の鋭い爪はカマイタチで周囲の兵士をなぎ払う。

 そしてケルベロスに噛みつかれると、人間の命の一部が食われてしまうのだ。

 ケルベロスが突進すると泥を含んだ重たい烈風が巻き起こり、兵士はその風にあおられ吹き飛ばされる。


「ひぃい、暴れるな。引きずらないでくれぇ!!イタイイタイ、し、死んでしまう」


 暴走するケルベロスに、領主は縄ごと地面を引きずられ全身泥まみれになり、そして逃げる兵士に踏みつけられる。

 ケルベロスが跳躍するたびに領主の体は宙を舞い地面に叩きつけられ、全身が傷だらけになり、縄を固く握ったままの腕は折れて激痛が走る。

 金をかけて作らせた貴族風衣装は破けて泥にまみれ、領主はボロ雑巾のような姿でケルベロスに引きずられた。


「これは大魔女の使い魔だ。呪われた土地に居座る俺たちを、大魔女は生きたまま地獄に落とそうとしている!!

「人間が地獄の魔犬にかなうはずない。こんな場所にいられるかぁ、俺は逃げるぜ。領主のように大魔女に呪われるのはいやだぁ」


 魔犬に恐れをなした兵士たちは、武器を投げ捨てると我先に逃げ出した。

 ケルベロスは口からよだれを垂らし激しく尻尾を振りながら、逃げる兵士を追いかけ、尻に噛みついたり巨体で体当たりをして押しつぶす。

 ふとケルベロスは足を止め、自分の首の縄にぶらさがる領主に気付き、それを引き剥がそうと前足で押さえつける。

 領主は悲鳴をあげ、その声に不快感を表したケルベロスは、激怒しながら領主を仰向けにして胸に噛み付くと、左胸から丸いモノを引きずり出す。


「ひぃいーー、ケルベロスがご主人様の魂を喰っちまった」

「化け物の様子がおかしい。マズいものを喰ったみたいに顔をしかめて、なんか吐き出した!!」


 領主の魂を喰らったケルベロスは、苦しげにうめくと激しく頭を振って何かを口から吐き出した。

 ソレは赤いまだら模様の毒々しい色をした丸い魂で、怒ったケルベロスはソレを思いっきり蹴り飛ばす。

 まだら模様の魂は細い道を転がり、ケルベロスが暴れる様子を唖然として見ていた村長の足下に転がってきた。


「これはまさか、領主さまの魂? しかし、私が持っていても……」


 村長は領主の従者にまだら模様の魂を渡そうとしたが、従者は悲鳴をあげて逃げてしまう。

 食あたりで大人しくなったケルベロスは、首に巻かれている縄を噛みきった。

 すると巨大な魔犬の体から黒煙が吹き出し、アッという間に縮むと、煙が消えたその場所には一匹の小さな黒い犬がお座りして尻尾を振っていた。

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