第5話
半泣きで謝るメイドたちに驚いたカナは、何とか二人をなだめて立ち上がらせる。
青い髪のメイドが不思議そうに台所を見回した。
「カンリニンさま、ここにある魔法道具はなんでしょう。今夜の食事の準備はどうしたらいいのですか、カマドがないと何も料理ができません」
「えっ、家電道具とか、ガスコンロを使ったことないの?」
そういえば、さっきお湯を沸かした鍋がテーブルの上に移されて、彼女たちの手荷物がガスコンロの上に置かれている。
「この鉄の黒い箱はガスコンロといってカマドのようなモノで、丸いリングから火が出るの。上に荷物を置いては絶対ダメ。危ないからすぐ片づけて」
二人の侍女は、魔法道具の上に荷物を置いたので茶髪の魔女が怒っていると思いこみ、真っ青な顔をして大急ぎで荷物を片づける。
すると魔女は水の入った小鍋を魔法道具の上に置いた。
「ガスの元栓を開いて、コンロはハンドルを回すタイプよ。時計回りに捻れば火がつくから……どうして後ろに下がるの」
「薪もくべずに火がつくなんて、この四角い箱の中には炎の精霊が宿っているのですか!?」
「扱いの難しい炎の精霊を使役させる事ができるなんて、カ、カンリニンさまはやはり、大魔女の親戚なのですね」
そしてカナは、ガスコンロに怯えてハンドルを怖々ひねる彼女たちに、使い方を一から教えることにしたが。
「ハンドルを押して回すと、カチッと、ほら点いた」
「イヤァー火が、火がぁ吹き出した!!」
「うわっ、ダメ、コンロに水をかけるな!!」
強火になるだけで悲鳴を上げ、いきなり火を消そうと息を吹きかけたり、お湯を沸かすだけで悪戦苦闘する。
「カナ、仕方がないじゃない。世界中には今でも薪で煮炊きしてるところもあるし、逆にワタシはカマドで料理なんて作れないもの。ガスコンロが珍しくても不思議じゃないよ」
「ありがとうございます、カンリニンさま。なんて便利な魔法道具でしょう。私たちのような魔力のない者でも、炎の精霊を思い通りに使役できます」
一通りガスコンロとオーブンの使い方を覚えたメイドたちに、他の人たちにもコンロの使い方を教えるように頼む。
カナが大騒ぎしている間、王子はさっき食べたカップ麺を保管場所から出してきた。
「オヤカタ、このお湯を注ぐ魔法の料理を母さまに食べさせたい。どの料理が一番美味しいか教えてくれ」
「お姫様がカップめんを食べるかしら。でもココには他に食料もないし仕方ないね」
ずいぶんと日が暮れて、あたりは薄暗くなってきた。
今夜はインスタントと果物で食事をすませて、明日の朝になればおじさんが夏別荘に食料を持ってくるはずだ。
「あら、カンリニンさま。そこの小さな氷室に食料がたっぷりと納められています。野菜や卵もありますし、火が使えればちゃんとした料理が作れます」
「氷室ってもしかして冷蔵庫が動いているの? 中身は空っぽのハズだけど、あっ、いつの間に食材が補充されている」
「オヤカタ、この氷室はとても冷たいのに氷が入っていないぞ。これはなんだ、牛の絵の描かれた紙箱の中からチャプチャプと音がする」
台所に備えつけられた冷蔵庫はギンギンに冷えていて、中には野菜や果物、卵に牛乳にオレンジジュースまで、上の冷凍室には肉や魚がぎっしりと詰まっている。
王子が手に持っているのは牛乳パックだ。
冷蔵庫が冷えているという事は、すでに自家発電が稼働している。
カナは台所の電灯のスイッチを押すと、日が暮れて薄暗い夏別荘に明かりが灯る。
メイドたちは電気が付いた事に驚き、声をあげてはしゃいでいる。
「これはおじさんのしわざね。私が店にいる間に、知らないふりをして全部準備してくれたんだ。今夜の食事はメイドさんが作るから大丈夫ね。それじゃあワタシは仕事は終わり、家に帰ろうか」
時間はすでに午後七時。
今日は八時間以上働きっぱなしだし、電気もついて食料もあるなら、後はお客様が自分たちで何とかするだろう。
明日から本格的に別荘修繕を始めるから、資材購入の手配もしなくてはならない。
しかしカナが「仕事は終わり」と告げて帰ろうとすると、ルーファス王子と侍女長に引きとめられ、結局夕食をいただくことになった。
ご飯を味付けて炒めたパエリアのような料理と、野菜と卵のあっさりスープ。
しかもパエリアはお米をケーキのように盛って飾り、とても見た目がユニークだった。
おじさんの用意した調味料は、王子の国で使うモノと同じらしい。
八人掛けのテーブルにカナと王子は向かい合わせで座り、パエリアケーキを侍女長がカナに取り分けてくれた。
エレーナ姫は王子が選んだカップ焼きそばを食べると、それだけでお腹いっぱいになってしまい、食事はカナと王子の二人だけだ。
「はふっ、モグモグ。このパエリア美味しい。王子様の国もお米が主食なのね。和食とイタリアンをいいとこ取りしたような味付けで、これなら日本人の口にも合うよ」
「僕の国では、米より粒の大きい木の実を食べているぞ。料理の神様が降臨した蒼臣国は、美味しい料理が色々とあるんだ」
「神様とういよりカリスマシェフだね。エビや貝のスパイシーな味付けに、具材からしみでた出汁で柔らかく炊けたご飯、所々が香ばしいオコゲになってサクサクと食べ応えがあるわ」
カナが喜んで食べる様子を見て、侍女長が微笑みながらこう告げた。
「私たちの料理が、カンリニンさまのお口に合って良かったです。エレーナ姫さまからの提案で、こちらでお世話になっている間、カンリニンさまのお食事は私たちに準備させて下さい」
「えっ、食事を作ってもらえるんですか。ありがとうございます、とても嬉しい。ワタシ管理人の仕事が忙しくて、料理を作る時間が無いんですよ」
はっきりいってカナは料理が得意ではない。
普段の食生活は外食やコンビニ弁当が主で、作ったとしても洗うだけの野菜サラダにレトルトカレー、冷凍食品をレンチンするだけ。
エレーナ姫の提案は、そんなカナの悲惨な食生活を改善させる素晴らしいモノだった。
「ワタシは料理を作るより、モノを作りたいの。これで食事の心配をせず、好きなだけDIYを楽しめるわ」
満月の月が妖精森を照らし、白い石畳沿いに月影が映る。
自転車は壊れてしまったので、カナは徒歩で森の外に向かう。
ルーファス王子はカナを妖精森の入口まで見送ると言って手をつなぎ、その後ろを二人の護衛が付いて来る。
「オヤカタはこの森には住んでいないのだな。外には大勢の敵が待ちかまえているぞ、本当に大丈夫なのか?」
「へぇすごい、王子は『外に七人の敵』の難しいことわざを知っているのね。車は森の入口に停めているから、ココまで見送れば大丈夫よ。明日の午前中で買物を済ませて、お昼過ぎから夏別荘の修繕を始めるね」
カナはルーファス王子に手を振って森の外に出て、王子はそれから数歩遅れて外を出る。
既にカナの姿はなく妖精森の周囲は来た時と異なる姿をしていた。
巨大な黒々とした沼地が結界の代わりに妖精森を取り囲み、まるで沼に浮かぶ小島のように見える。
そして細い道が橋のように沼の外側と繋がり、沼の中には青紫の不気味なツタが蠢いていた。
空から白い雪がはらはらと降ってきて、森の中と外では明らかに別世界。
その光景をルーファス王子と二人の護衛は、しばらく無言で眺めている。
「なんということだ。わずか数刻でこのような巨大な沼地を出現させるとは、カンリニン様は正真正銘の魔女、いや大魔女だ」
夏別荘の大叔母の部屋で、扉の前で控える黒髪の侍女長は、やっと難を逃れ安堵した表情の姫に小声で話しかける。
「エレーナ姫、始祖の大魔女の予言は本物でした。宰相と第三側室の謀を知りながら、私たちはついに防ぐことができませんでした」
「ええ、始祖の大魔女は、予言が真実となれば私を手助けをする代わりに、妖精森の新たな魔女が跡継ぎにふさわしいか見極めるように頼まれました。でもまさか、あんな幼い風貌の娘が大魔女の後継とは驚きです」
***
そして翌日。
初夏の妖精森の朝は、鳥のさえずりよりも騒がしいセミの鳴き声が目覚ましがわりだ。
宰相のクーデターで城を追われ、辺境の妖精森へ逃げ込んだエレーナ姫と王子たちは、無事逃げ延びた安堵と旅疲れでセミの声にも目を覚まさずに爆睡した。
ルーファス王子が起きた時には、太陽はすでに真上に昇っている。
夏別荘は森の中の避暑地とはいえやはり季節は夏で、城を出てから一度も着替えていない分厚い生地のシャツは、寝汗でじっとりと湿っていた。
もう敵に追われる心配もないので、部屋に風を通すため窓も扉も開け放たれている。
同じベッドで寝ていた母親の姿は無く、開いた扉の向こうから彼女たちのはしゃぎ声が聞こえた。
「妖精森の入口に置かれていた紙袋に、服が入っていました。きっとカンリニンさまが持ってきたものでしょう」
「まぁエレーナ姫さま、この服をご覧ください。なんて細かい縫い目のブラウスなの。宝石のようなボタンに、袖口が伸び縮みします」
「これはずいぶんとポケットの多い男物ズボンですね。騎士たちに履き替えてもらいましょう」
それは雑貨店のリサイクルコーナーに置かれていた、古着や手作りの服だった。
エレーナ姫たちは城から着の身着のままで逃げ出してきた。
しかも妖精森の季節は夏なので、十九世紀のビクトリアンファッションに似たドレスを着ていた彼女たちは、はしゃぎながら古着の夏服に着替える。
そして小柄なルーファス王子は、侍女の趣味で女子のブラウスを着せられた。
その頃カナは、ホームセンターが開店すると同時に駆け込み、数日前に頼んだ重さ500キロのブロックと耐火煉瓦50個、追加の資材を購入する。
「お客さん、いいタイミングだね。在庫処分のフローリング材が70%オフだよ」
「うわぁーん、綺麗なチャコールグレーのフローリング。前から目を付けていたんですよ、コレ買います。資材のカットサービスもお願いします。メモ通り長さ150センチずつ八十枚裁断して下さい」
本日のカナの服装はピンクのレース生地チェニック、茶色い髪を細かい三つ編みにして、コスモスのような花の髪留めをさしている。
余所行きルックで乙女チックな美少女に化けている彼女が、慣れた手つきでノコギリの刃先を確認したり、大型カートにトタン板やセメント袋を乗せて運んでいた。
カナから注文を受けたホームセンターの店員は、けげんな顔をしてカナにたずねる。
「お客さん、配達先の天崎ゴルフ場の裏にある別荘地は、道が細くて中まで車が入れません。これだけの資材を手作業では運ぶのは大変ですよ」
「大丈夫です、男手が大勢いるから荷物運びは自分たちでやります。荷物を森の入口で降ろしてください。500キロのブロックは、四人いるからひとり120キロずつ運んでもらおう」
カナは、護衛の彼らをこき使う気満々だった。
そしてカナの白いワンボックスと、資材を積んだホームセンターのトラックは妖精森に向かう。
「森の入口近くギリギリに、資材を置いて下さい。コンクリートブロック五十個、レンガ五十個、セメント二袋、薄ベニア二十枚にフローリング材、組立家具二つ、これで全部。ありがとうございました」
カナは資材を降ろしたホームセンターのトラックに深々と頭を下げ、狭い妖精森の入口に積まれた資材を満足げに眺めた。
「さて、今日から楽しい別荘リフォームの始まりよ。ガタイの良い男が四人も手伝ってくれるし、重い資材運びは彼らにお任せしよう」
自分は指示を出すだけの現場監督で、四人の騎士をこき使って作業をしようと企んでいた。
カナは白い石畳の道を、鼻歌まじりでスキップしながら夏別荘に向かう。
しかし、昨日メイドたちにガスコンロの使用方法を教えるのに悪戦苦闘したように、彼女のリフォーム作業にはこれから様々な困難が待ちかまえているのだ。
「あっ、カンリニンさまありがとうございます。緑柄模様のズボンは俺にぴったりです。この紺色のベストはポケットが多くて便利ですね」
「ええっーー、何ですかその格好!!」
夏別荘手前の道で出会ったのは、カナが自転車で曳いて気を失わせた護衛隊長だった。
確か昨日見たときはファンタジー映画の騎士そのものの姿をしていたのに、目の前にいる彼は迷彩ズボンに紺の作業用ベスト、短く刈り上げた頭に浅黒い肌のミリタリールックになっている。
「えっと、後の人は紫色に『愛羅武勇』のワッペン付き七分ズボン(ニッカポッカ)だし、遠くに見えるメイドさんのスカートは、紺の制服プリーツスカート。まさかこれって、コンおじさんのお店にあったリサイクル古着。それにしても着こなしが適当すぎる」
見た目ハリウッド映画俳優のように美男美女ぞろいのお客様なのに、あまりにこの服装はムゴい。
焦ったカナは、思わず駆け足で夏別荘へと向かった。
「こんにちはカンリニンさま。素敵な贈り物をありがとうございます。この夏用のドレスは絵がカラフルで、とても涼しくて着心地がいいわ」
夏別荘前にそびえ立つ巨木の木陰のベンチに腰掛けていたのは、ハワイの浜辺が似合いそうな派手なムームーを優雅に着こなしているエレーナ姫。
その隣で白いレースの日傘をさして会釈する侍女長は、胸元にニャンコ刺繍の入った割烹着を着ている。
「ウワァーン、森の別荘暮らしって、もっとお洒落な感じでないと。男どもは適当でもいいけど、お姫様たちの服はなんとかしなくちゃ。ルーファス王子もすごくかわいい服だけどボタンが逆……オンナノコ用」
カナの姿を見て別荘を飛び出してきたのは、肩に付きそうな白銀の髪にルビー色の瞳の小柄な少年で、白いリボンタイの付いた女子のブラウスを着ていた。
茶色のズボンも実は女子のキュロットスカートだけど、それを指摘するのはやめよう。
「うむむ、家からファッション通販カタログを持ってこなくちゃ。こうなったのはコンおじさんのせいだから、通販代金はおじさん払いにしよう。お客さんを古着コスプレさせたなんて、大叔母さんに知られたら私が怒られちゃうよ」
そんなカナの心の葛藤を知らないルーファス王子は、ピンクのレース生地チェニックに茶色い髪を細かい三つ編みにして花の髪留めをさした、乙女チックな美少女に化けたカナに抱きついてくる。
「オヤカタ、僕は今日何を手伝いすればいい。空にした部屋を、どんな魔法で綺麗にするんだ?」
「こんにちはルーファス王子、今日もしっかり手伝ってね。妖精森の入口にリフォーム資材を置いてあるの。護衛の男の人たちを呼んで、夏別荘の前まで資材を運んでちょうだい。みんな体格が良くて力がありそうだから仕事がはかどるよ」
その時ルーファス王子の後を、汚れた服を山のように抱えた二人のメイド娘が通り過ぎ、森の奥に入って行こうとする。
「あれ、メイドさんたち。その服をどこに持って行くの」
「カンリニンさま、森の中にある泉で服を洗うのです」
「どうして、泉で洗濯なんてしなくても、裏の勝手口の側に洗濯機があるじゃない。ああそうか、洗濯機の使い方を教えなくちゃいけないんだ」
カナの脳裏には昨日のガスコンロの悪夢がよみがえるが、彼女たちを泉で洗濯させる訳にもいかない。
資材運びは護衛の男の人たちに任せて、自分は洗濯機の使用方法をメイドたちに教えようと、ルーファス王子に伝言を頼んだ。
「よくわかったぞオヤカタ。妖精森の入口に置いてある荷物を運ばせればいいのだな。隊長たちに声をかけてくる」
この時カナは慌てて資材運びをさせた事を、後でひどく後悔することになる。
「ハハッ、お任せ下さいルーファス王子。この程度の石を運ぶくらい、我々 豪腕(ゴウワン)族なら良い体力作りになります」
「それにしても、穴が三つ空いた四角い石はどうやって切り出したんでしょう。この綺麗に磨かれた曲がりのない床板はすべて同じ厚みですよ」
夜衛担当の騎士が一人抜けて、隊長を含め護衛三人でリフォーム資材運びを始めた。
妖精森の入口から夏別荘までは歩いて片道十分、その道を彼らはブロックを片手で三個づつ、計六個抱えて運ぶ。
その時カナは、別荘裏の勝手口でメイドたちに洗濯機の使い方を教えていた。
白物と色物を分けて洗濯ボタンを押せば後は洗濯機が勝手に洗ってくれるのだが、メイドたちは中のドラムが回るのを珍しがって手を突っ込もうとする。
「洗濯機の中に手を突っ込んだら危ないダメっ!! 蓋を閉めたらドラムが止まるまで蓋を開けてはダメ」
「ああ、蓋を開けたら洗濯鬼が腕をもぎ取ってしまうなんて、お、恐ろしい」
「こんなに怖い思いをするなら、私は泉で洗濯する方がいいです」
「ダメっ!!泉には魚も住んでいるのに、洗剤使って洗濯してはダメ」
そばかすメイドは洗濯ドラムを見すぎて目を回し、おでこメイドは勝手にボタンを押して脱水時間を一時間にしてしまう。
ついにカナは全てのボタンをガムテープでふさぎ、洗濯開始ボタンだけ押すように教えた。
「意外と彼女たち好奇心旺盛で、余計なことまでしちゃう。まるで夏休みに遊びに来て、そこらへんを引っ掻き回していた昔のワタシみたい」
この妖精森は大叔母が作り上げた理想郷、美しい花々と森の木々に囲まれた夢のような空間。
ここにいる間は家のゴタゴタや、学校や勉強の悩みも全て忘れて自由でいられる。
昨日見たときは疲れきった顔をしていた彼女たちも、たった一晩で血色のよいバラ色の頬になっていた。
はしゃぎすぎるのも仕方ないと、カナは自分に言い聞かせていた、その時。
ガチャン、ガシャガシャン!!
夏別荘の表の方から、何か硬いモノが割れる大きな音がした。
これは、イヤな予感しかしない。
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