第3話


 ガラクタを運び出した薄汚れた部屋の中で、カナは鼻歌まじりに5Mメジャーを取り出して部屋の四隅の寸法を測る。


「床は少しきしんでいるけど、上から新しくフローリング材を乗せれば誤魔化せる。剥がれかけの壁紙を剥いで捨てパネルを張って、上から新しい壁紙にすれば部屋も簡単に綺麗になるわ」


 自家発電の別荘地では、カナの持つインパクトドライバーやパワーカッターなどの電気を食う電動工具は使えない。

 床材や捨てパネルをホームセンターで寸法通りに切ってもらい、それを部屋で組み立てる事にした。

 そのためには部屋の採寸を、ミリ単位で入念に測る必要がある。


「王子、メジャーがたるんでいる。真っ直ぐピンと引っ張って」


 5Mメジャーの片方を王子に持ってもらい、カナは床の縦横を手前と中間と奥の三カ所計る。

 次は壁の寸法を測るのだが、この夏別荘は外国から呼んだ建築士によって建てられた洋館で、天井がかなり高い。

 そして女子の平均身長より低いカナは、高さを測るのに椅子に登らなくてはならない。

 四辺の壁を何度も測り直していると、手伝いの王子は面倒くさくなってきた。

 

「オヤカタ、この定規は目盛りが細かくてゴチャゴチャしている。僕の国の定規はもっと幅が広いぞ、簡単に測れる方がいい」

「ここは適当に測っちゃダメなのよ。1センチ長いと板がハマらないし、1センチ短いと隙間ができるの」


 この採寸作業はカナひとりではできない。でも王子にどうやって説明したらいいか考えたカナは、何かをひらめくとイタズラ顔で笑った。


「そうだ、ルーファス王子こっちに来て。今からワタシが王子の身長をちゃんと測ってあげる」


 カナは部屋から廊下に出ると、大叔母さんの部屋の前で王子に手招きをする。

 カナが指さす先に、扉の木枠に沢山の柱のキズが刻まれていた。


「オヤカタ、これはいったい何の印だ?」

「ふふっ、これは別荘に遊びに来たお客さまや子供の身長を記しているの。ほら、一番上の赤いペンで印されている背が高いのは二メートルのコンおじさんよ」


 大叔母さんが子供たちの身長を測る時は、少しでも高くしようと背伸びをして誤魔化したりと、大騒ぎになった。


「さぁ王子の身長はどこら辺か、ワタシが測ってあげる。柱に背中と頭の後ろをつけて、靴を脱いでココに立って」


 見た目小柄な体型の王子は、自分の身長と同じぐらいの高さにある柱の疵を気にして入る様子だ。


「それじゃあ王子の身長は、えーっと、だいたい120センチぐらいかな」

「オヤカタちょっと待て!! 僕の背はもっと高いはずだ。細かい目盛りまでちゃんと測り直せ」

「そうだね王子、今度はちゃんと測ってあげるよ。王子の身長は127センチ、いい加減に測るとダメだって判ったでしょ」


 ルーファス王子はカナに身長を測ってもらいながら、その意味を理解して渋々うなずいた。

 この子は生意気な口のききかたをするけど、頭が良くて素直な性格をしている。


「次は僕がオヤカタの身長を測る番だな」

「えっ、ワタシはいいよ。身長153センチってちゃんと判っているから」

「僕はオヤカタの身長を正確に知りたいんだ。オヤカタずるいぞ、靴を脱げ!!」


 そして無理やり身長を測られたカナは、勝ち誇った表情の王子を前に気まずい顔をした。


「オヤカタの身長は153センチじゃない、150.5センチだ。これならすぐに、僕はオヤカタの身長を追い抜いてやる」


 こうしてカナは多少墓穴を掘りながらも、王子は手伝いを嫌がらず、部屋の寸法を正確に測ることができた。



 ***



 昼前に妖精森の入り口で倒れている王子を助け、別荘に連れてきて話を聞き、ガラクタ部屋の掃除を手伝わせ寸法を測り終えると、時間はすでに午後四時前になっていた。

「迷子の子供がいる」と雑貨店のコンおじさんに電話(なんと黒電話)で知らせ、作業している間に子供の親が現れるのを待っていたが、おじさんからも親からも連絡はない。


「そう言えばお昼抜きで働いて、お、お腹が空いた。こんなに早く非常食の出番が来るとは思わなかった」


 妖精森はド田舎の別荘地だが、車で十五分ほど走れば幹線道路と合流した先にファミレスがある。

 しかし今自分たちがココを留守にしている間に、王子の親が探しに来たら入れ違いになる。

 カナは仕方なく、非常食のカップ麺で食事をすることにした。

 台所の食器や鍋は新品のようにピカピカなので、軽く水ですすいで鍋にお湯を沸かす。


「では王子さま、今日のランチはどれにする? 本場の味噌ラーメンに王道焼きそば。シーフードヌードルにあっさりキツネうどんもあるけど、どれが王子さまの口に合うかな?」


 カップめんの容器を不思議そうにカサカサと振る王子は怪訝そうな顔をした。


「大魔女は、こんな鳥の餌のようなモノを食べているのか? いくら膨大な魔力を持っていても、貧しい食事では力も出ないだろう。だからオヤカタは大人なのに、そんな背が小さいのだな」

「くっ、やっぱり生意気な子供ね。まぁ王子様には縁遠い食事だけど、今はこれで我慢して……あっ、そのまま食べるんじゃないの!!」


 王子が乾麺をセンベイのように食べるのをカナは慌てて止め、容器に具を移すとお湯を注ぎ蓋をしめた。

 カップ麺の中から漂う漂う薬味スープの香りに、王子は驚いた顔になる。


「この入れ物の中で小人がスープを作っているのか?」


 そして容器の中に麺料理が出来ているのに驚き、麺をフォークで巻いて音をたてないようにすする王子。

 白に近い銀色の光を放つ美しい髪にルビーのような赤い瞳、先の尖った長い耳がまるでファンタジーの住人のよう。

 そんなハリウッド映画に出てくるような美少年がキツネうどんを食べる姿に、カナは思わず吹き出してしまった。

 簡単な食事を終え、カナは部屋のリフォームのために手帳に簡単な図面を書き、ルーファス王子はカードゲームをテーブルの上に広げて遊んでいる。

 その時カナの手帳に挟んでいた茶封筒が、王子のカードゲームの上に落ちた。


「あっ、ごめんね王子。それは大叔母さんからの手紙なの」

「なんだ、この手紙は古の魔道語で書かれているぞ。宛先は神之人が住まう、極東の果ての海にある国だ」

「ええ、王子、この文字が読めるの?」


 そういえば封筒の中に、カナが知らない文字の書類が入っていたはずだ。

 賢い王子さまなら、書類の内容を読んで判るかもしれない。

 カナは封筒の中から書類を取り出すと、王子に読んでくれるように頼む。


「これは、妖精族に伝わる古の魔道語。

『我が一族の中で選ばれし……成人した娘に妖精森を渡す。森を譲られた者は、好きなように……』

 他は難しくて読めない。妖精森の主が変わると書いているが、このサインは大魔女のモノか?」

「本当にそんなことが書いてあるの? まさかワタシに妖精森を譲るって、大叔母さん、いったいどうして」


 カナが驚いて立ち上がった拍子に、束ねられた三本の鍵が音を立てて床に落ちる。

 ルーファス王子はそれを拾い上げカナに手渡そうとしたが、カナはしばらく何かを考えこんだ後、束ねた鍵の一本を王子に手渡した。


「ワタシちょっと外の雑貨店に行って、コンおじさんと会ってくる。おじさんは大叔母さんのBFだから、何か知っているかもしれない。王子はお母さんたちが探しに来るかもしれないから、ここで待っていて。念のため夏別荘の鍵を預けておくわ」


 カナは慌てて自転車にまたがり、石畳の遊歩道を走っていった。

 その姿が見えなくなると、ルーファス王子も渡された鍵を握りしめて外に飛び出す。

 古びた鍵からは、妖精森を包み込む結界と同じ魔力が感じ取れる。

 これは妖精森を出入りできる鍵だ。

 早く妖精森の外にいる皆を呼びに行こう。


 そしてカナは妖精森のトンネルを抜け、表の広場に出る。

 ルーファス王子は同じトンネルを抜け、干からびた荒地に出た。


 ***


「王子はどこに消えたのだ。我々ではアノ呪われた妖精森に近づくこともできない」

「隊長、大変です。あれを見てください。追っ手の狼煙火がこんな近くまで迫っています」

「せめてエレーナさまだけでも、早く妖精森の中へお逃げください。ルーファス王子は我々が必ず探し出します」


 二日前の夜、侍女と警護の騎士の隙を見てルーファス王子は逃げ出した。

 王子がいないことに気づき慌てて広い荒地の中を探すと、妖精森へと続く道の上に、王族の守護精霊白蛇の宿る銀の鎖が落ちていた。

 森に近づき始祖の大魔女の怒りを買ったのか、強力な魔力持つ守護精霊が無残に引きちぎられている。

 彼らは二日間必死で王子を探したが見つからず、そして約束の満月の夜、荒れ野の彼方から追っ手の狼煙火が上っているのが見えた。

 それは数十と数を増やしながら、妖精森に向かって進んでくる。


「これだけの数の敵が……。さては領主のやつ、我々を宰相に売ったな」


 たいまつを掲げ満月の荒れ地を進む人々の先頭に、この地の領主である痩せた男の姿がある。

 十年前、妖精森の開墾を押し進めた若い領主は、始祖の大魔女の怒りをかい相次ぐ天災に襲われ、豊穣の森は植物の育たない荒れ地となった。


「ご主人様、いくら宰相の命とはいえ、妖精森に火を放つなどお辞めください。今度こそ始祖の大魔女に呪い殺されてしまいます」

「うるさい、この役立たずめ!! 森を開梱して農地を広げるのは、どの領地でもやっていることだ。それをあの大魔女は……せっかく開墾した農地に呪いをかけた。助けを求めても、王は辺境の貧乏領主の俺を無視した。しかし宰相様は、罪深い王の第二王妃エレーナと息子の第一王子を捕らえればその見返りに、豊かな南の領地を与えると約束したのだ。このチャンスを逃すものか」


 それは宰相のクーデターに手を貸すことだ。

 前代からこの地の領主に仕える老執事は、主に思い留まるようにすがって止めたが、手にした杖で殴られる。


「村人を全員呼び集めろ、これから呪われた大魔女の妖精森を焼き払う。エレーナ姫と王子を、草の根をかき分けてでも探し出すんだ!!」




 その時、エレーナ姫が顔を上げると妖精森の一点を見つめた。

 見えない結界で守られた妖精森の入り口から、小柄な銀髪の少年が荒れ野へと続く細い道に現れる。


「おおっ、妖精森の中からルーファス王子さまのお姿が」

「我々は一歩も結界の中を進めなかったのに、さすが祖先がえりの魔力を持つと言われる王子だ」 


 まるで分厚いガラスの壁のように行く手を阻む妖精森の結界の中を、ルーファス王子は軽々と駆けてくる。

 結界のすぐ外で、皆は王子が中から出てくるのを待っていた。

 息を切らしながら現れた王子は、不思議そうに周囲を見回す。


「おかしいな。さっきまで昼間だったのに、どうして夜なんだ?」

「王子、何をおっしゃいますか。王子が妖精森の中に迷い込んだ二日間、我々は必死でお探ししました」


 その言葉に王子は驚いて顔を上げると、美しい黒髪の女性が駆け寄りルーファス王子を強く抱きしめた。


「妖精森は始祖の大魔女の住む『神之人』の世界と、私たちの住む世界が交わる場所。本来足を踏み入れてはいけない禁域。二つの世界は時の流れが異なり、妖精森で一日を過ごすと外の世界は十日も時が過ぎてしまう」

「それじゃあ僕は二日も姿を消していたのか。母さまたちはその間、ずっと僕を捜していたのですか」


 王子の言葉に頷くと、安堵したエレーナ姫はその場で崩れ落ち、側にいた女官が慌てて支える。

 うずくまる母親の背中越しに多くの篝火が見え、すでに自分たちの背後を大勢の敵が取り囲んでいるのが判った。

 隊長のウィリスは痛ましい表情で王子に告げる。


「ルーファス王子、我々に気づいたこの地の領主は、宰相の命を受け妖精森に火を放とうとしています」

「エレーナ姫さま、もう逃げられません。妖精森に逃げ込んでも中で焼け死ぬだけです。ここはもう諦めるしか無いと思います」

 

 偵察から戻ってきた騎士の言葉に、隊長は顔を真っ赤にして怒鳴りつけるが、顔を上げたエレーナ姫は覚悟を決め返事をする。


「ルーファス、よく聞きなさい。貴方の持つ祖先がえりの魔力を、決して宰相に利用されてはなりません。隊長のウィリスと一緒にここから逃がれ天を貫く山を越え、隣国に逃げるのです。そして私は王を裏切った宰相に汚されるくらいなら、捕らわれる前に自らの命を絶ちましょう」

「母さま、待って下さい。僕は妖精森の中で、大魔女の親戚の女と会ってきた。女は僕が弟子になれば皆を助けてくれると約束した」


 ルーファス王子はそう叫ぶと、ズボンのポケットから古びた鍵を取り出す。

 それは【大魔女の鍵】と呼ばれる、どんな強固な結界も開くことのできる魔法の鍵だった。


「まさか王子は、本当に大魔女に会ったんですか?」

「大魔女は今ここにいない。大魔女の親戚の娘が妖精森の管理人(カンリニン)をしている。僕は大魔女の館で宝物が一杯に詰まった部屋や、湯を注ぐ魔法の料理を食べた。カンリニンは自分のことを親方(オヤカタ)と呼び、僕はオヤカタの弟子になった。オヤカタは守護白蛇を踏んづけて簡単に倒した。とても強い魔女だ。きっと僕らを助けてくれる」


 ルーファスの言葉に皆言葉を失う。

 まさか第一位王子が、自分たち家臣を救うために魔女の弟子になったのだ。


「どういたしますか、エレーナ姫。ご決断を」

「ルーファスの話を信じましょう、この子はとても賢い子です。もし妖精森に火が放たれたとしても、貴方たちと一緒なら私は何も恐れません」


 背後から追っ手の怒声が聞こえてくる。

 エレーナ姫の言葉に、長年付き添っていた女官長は肩を震わせ涙をこらえ、白銀の王子は母親の手を引くと、三人の女官と五人の騎士は妖精森の結界の中へ飛び込んだ。

 足を踏み込むことのできなかった妖精森の結界が解け、水の中を歩くように一歩ずつ先へと進む。

 二つの岩に囲まれた妖精森の入り口の手前で、しかし生い茂る植物が一斉に彼ら目がけて伸びてきた。


「やはりこの森は呪われているんだ、ウグッ、誰かぁ助けてくれ」


 皆から遅れ最後尾を走る騎士に伸びたツタが縄のように絡まり、高々と吊されながら結界の外へ放り出してしまった。


「なんだ、大魔女は我々を受け入れるのではなかったか?」

「ちがう、大魔女は僕の仲間を受け入れると約束した。あの男は……仲間ではない」


 結界の外に、たいまつを手にした敵が迫るのが見えた。

 男は彼らを手招きをして、王子たちが逃げ込む妖精森の入り口を指さす。


「まさか、忠実な家臣だと思っていたのに」


 神秘的な美しい黒髪に透けるような白い肌、ルビーのような瞳を持つエレーナ姫は、結界を挟んで敵を見る。

 そして隣に立つ人形のように整った顔立ちをした小柄な白銀の髪の少年は、全身からあふれ出した魔力で自ら輝き、炎の色をした強い意志を持つ瞳で前方を睨みつけた。

 満月の月明かりと篝火によって映し出される、美しい妖精族の姫と王子の姿に、敵味方関係無く魅入ってしまう。

 そんな人々を退けながら現れた荒れ地の領主は、欲に濁った目でエレーナ姫を舐めるように見つめると、甲高い声で喚いた。


「エレーナ姫、逃げても無駄だ。我々はこれから妖精森に火を放つ。焼け死にたくなければ結界から出て来い」


 だが夜の化身のような姫と輝く月のような王子は、領主を一別すると妖精森の中へ消えていった。

 次の瞬間、満月は黒々とした雷雲に閉ざされ、大粒の冷たい雨が降り注ぐ。


「ええい、こうなったら結界の周囲に油を撒け。火力で結界を破壊して、連中をあぶり出すんだ」

「領主様、冬を越すために必要な大切な油と火種をここで使えば、村人たちは寒さに耐え切れず凍え死んでしまいます」

「エレーナ姫とルーファス王子を捕らえれば、宰相はいくらでも褒美を出すと言った。貴様らはグズグズ言わずに俺の命令にしたがえ」


 しかし次の瞬間、強烈な突風が吹き、たいまつの火を全てかき消した。

 荒れ地に降り注いだ大粒の雨は、瞬く間に乾いた大地に染み込んでゆく。

 撒いた油に着けた火はすぐ消えて、足元の土は泥となり沼に変化する。

 重たい防具で武装した兵士の体がずぶずぶと沼に沈み、敵はパニックに陥る。

 激しい雨は三日三晩降り続き、妖精森の周囲は人が踏み入れることのできない底なし沼になった。





 ルーファス王子を先頭に、彼らは凍るような冷たい雨に打たれながら、妖精森のトンネルを駆け抜ける。

 そして一歩踏み出したその先は、濃厚な木々の息吹と柔らかな木漏れ日の明るい場所に出た。

 奇妙な像が立ち並ぶ白い石畳の道が奥へと続き、妖精森の中は色鮮やかな花が咲き乱れている。


「ここは天国、ま、まさか私たち死んでしまったの?」

「おい、縁起の悪いことを言うな。確かに妖精森の中に入ったが、うう、眩しい。

 いきなり昼間になった」

「さっきまで雪まじりの雨が降っていたのに、暑くて兜なんかかぶっていられない」


 そういえば、自分たちのすぐ後ろまで迫った大勢の敵の喚き声も聞こえない。

 森に火の放たれた様子もなく、ただ恋の唄を歌う美しい鳥のさえずりが聞こえるだけだった。


 ***


 カナは小走りに妖精森を出て、道向こうの雑貨屋に駆け込む。

 店内にコンおじさんの姿は見えず、番犬の柴がカナを見ると嬉しそうに尻尾を振りながら吠える。


「ここは圏内で電波が届いている。

 ねぇケルベロス、おじさんはドコにいるの?」


 いつも店前に停めている軽トラが見えないので、コンおじさんは近所(車で十分以上離れている)に商品の配達に出かけているようだ。

 甘えて顔をベロベロなめるワンコの相手をしながら、三度かけ直してやっと電話に出たおじさんから意外な報告を聞く。


「コンおじさん、ワタシ、カナです。ちょっとおじさんに聞きたいことが……。えっ、男の子のお母さんとお客様が私と入れ違いで妖精森に来ているの!! 早く戻ってお客様に挨拶しなくちゃ。でもワタシ、作業着姿は汗だくで汚れているし、どうしょう」


 ガラスのショーケースに移るカナの服装は、ごっつい黒の作業用ブーツに色のあせたジーンズ。

 長袖のシャツは汗がにじみ、背中まで伸びた三つ編みはほどけてボサボサだった。


「落ち着くのよカナ、ココは雑貨屋。石鹸とタオル、ドライシャンプーと制汗スプレーがある。でも服はさすがに……あっ、フリマスペースに古着が置かれている」


 雑貨屋の片隅に、手書き文字で『フリーマーケット』の看板が出て、見るからに地元の主婦が作った手編みの服や子供のオモチャ、UFOキャッチャーのぬいぐるみが戸棚に並べられている。

 そして手縫いの割烹着と一緒にハンガーに引っかけられていたのは、レースのふんだんに使われたアンティークな白いワンピースだった。

 

「こんな綺麗なワンピが割烹着やジャージと一緒に売られているなんて、恐るべしド田舎。もしかしたらこの服は、大叔母さんが出品した古着かもしれない」


 大叔母さんはカナと身長は同じくらいで少しぽっちゃり体型で、その古着のワンピースはカナが着ると少しゆったりとしていた。

 ショーケースに映った自分の姿を見て、その場で一回りする。


「うん、この服ならお客様に会ってもバッチリ。丈はちょうどイイぐらいだし、細かいレースがとても素敵だわ」


 そしてカナはココに来た本来の目的、大叔母さんが自分に妖精森を譲ると書かれた書類のことはすっかり忘れ、大急ぎで身支度を整えると妖精森の別荘へ戻っていった。

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