ⅩⅩⅡ 神人合一(2)

「さあ、あの世で復活するための呪文でも今の内に唱えておきなさい……ま、ミイラも作れないくらいに身体ごと蒸発させちゃうかもしれないけどね」


 アルセトは霧の中を素早く移動しながら、テフヌトの頭上に再び高エネルギーの塊を凝縮させてゆく……相手の見えない位置から、一本に集束させた強力なウラエウスの光線を再び撃つつもりなのだ。


「………………」


 突如、それまでの攻撃がやみ、敵の移動する音だけが不気味に響く霧の中で、メルウトは注意深く辺りに気を配る……その時間を稼ぐような動きから、テフヌトが再びウラエウスを使おうとしていることは彼女にも充分予想がつく。


 ……だが、メルウトの心はなぜだか妙に落ち着いている。


「この霧じゃ、敵の姿を目で見ることはできない……でも、感じることならできるような気がする……」


〝……耳を澄ませ……感覚を研ぎ澄まさせよ……〟


「………………」


 その声に従い、メルウトは静かに目を閉じる……そして、テフヌトの立てる足音に、風を切る空気の流れに、熱を発する白光円盤から伝わってくる温度に、その牝ライオンの耳を、金色の肌を、全神経を無心になって集中させた。


 ……わかる……霧の中を駆けるテフヌトの気配が、セクメトを通してわたしに伝わってくる……。


「さあ、そろそろこの宴もお開きと行きましょう!」


 そう叫んだアルセトは、上空目がけてテフヌトを跳躍させる。彼女はさらに念には念を入れ、より相手の予測不能な位置からウラエウスを放とうというのである。


 濃霧の天井を突き抜け、その上に広がる青空へと飛翔したテフヌトは、身体の前面を下に向け、眼下の霧の中へと照準を定める……アルセトは熱分布図の映るジェド柱室の壁に〝ホルスの眼ウジャト〟の形をした照準器を表示し、それを赤く巨大な熱源の上へ重ねようとする……。


「もらったあぁっ!」


 そして、セクメトの赤い影とホルスの眼ウジャトがぴったりと重なったその瞬間、テフヌトのウラエウスの口から、眩い、先程よりもさらに太い一本の光の線が直下に向かって放たれた……。


 だがその時、メルウトの脳裏にも、まるで目で見ているかのように自分の頭上にいるテフヌトの姿が映る。


「……見えた! 上…」


 その気配に気づくや否や、彼女は無意識の内にセクメトをライオン形態へと変形させ、間髪入れずに自身も上空へと飛躍する。


 と同時に、白い光はセクメトのそれまでいた地面を貫き、純白の光線と行き違いになるようにして、金色の牝ライオンは霧の上へと飛び出して行く。


「な…⁉」


 突如、壁いっぱいに映し出された大きな赤い影に、アルセトは目と口を大きく開く……が、彼女が叫び声を上げるよりも前に、ガシャン…! と金属の潰れる鈍い音がアルセトの耳に聞こえる……。


 見れば、セクメトの右前脚に生えた鋭利な爪が、テフヌトの胸に輝くスカラベの、そのすぐ脇を貫いていた。


「………………」


 自分の打ち取った敵を、メルウトはまるで感情のないような冷徹な瞳でセクメトの中から見つめる。


「…うっ、うう……」


 直撃は免れたものの、左胸を貫いたセクメトの爪は、その内側にあったジェド柱室の左壁面をそっくり剥ぎ取っている。


 最早、外界を映すこともなくなり、元の緑色の壁に戻ったその部屋の中で、アルセトは飛び散った破片に全身を切り裂かれ、頭に負った傷からも真っ赤な鮮血を流していた。


「……バカな……この……あたしが……こんな、小娘なんかに……この、神の聖妻ヘメト・ネチェルにも、王妃にもなれるはずだったあたしが……」


 顔に垂れる流血に左目を瞑りながら、アルセトは譫言のように呟く。


「……あたしはまだ、こんなところで終る訳にはいかない……ウセルエンも、ファラオにしてあげなきゃ……そうだ。ウセルエン、どこにいるの? ねえ、ちょっと手を貸してよ……悔しいけど、どうやらあなたの助けが必要みたい……ねえ、ウセルエンってば…」


 彼女が恋人の名を弱々しく呼んだ瞬間、テフヌトの左胸から爆煙がドオォォォォォォーン…! と噴き上がり、後方に吹き飛ばされたその巨体はナイルの流れの中へと真っ逆さまに墜落した。


「冷てっ! ………あ、雨か⁉」


「い、いったい、何がどうなったんだ?」


 上空に上がった水飛沫が雨となって降り注ぐ中、聞こえてきた大きな爆発音に聴衆達の間からは再びざわめきが巻き起こる。


「………………」


 その後、突然、静かになった周囲の様子に、ジェフティメス、ウベン、ウセルエンの三人は、敵味方の差こそあれ、同じ祈るような気持ちで勝負の行方が判明する時を待つ。


 やがて、周囲を覆っていた霧はナイルを吹く風によって霧散し、白一色だった視界は段々と開けてくる……。


 薄くなった霧の中、浮かび上がるどちらともつかぬラーの眼イレト・ラーシルエットを、集まった人々は固唾を飲んで見守る……。


 そして、辺りがすっかり見渡せるようになったその時、人々がそこに目にしたのは……。


「…………き、金だ! 金色の女神さまの方だ!」


 全身傷だらけになりながらもナイルの傍らに威風堂々とそびえ立つ、再び獣頭人身の姿に戻った金色のセクメトだった。


「おぉぉぉ~!」


 セクメトのその雄姿に、聴衆の間からは一斉に歓声が沸き起こる。


 また、その向こうを覗うと、ナイルの流れに沈み行く銀色のテフヌトの姿も覗える。


「やった! やりましたよ! 師匠!」


 ウベンも歓喜の声を上げ、興奮した様子でジェフティメスに訴える。


「うむ……メルウトさん、ようやったの……」


 そのジェフティメスも、まるで子供の成長を喜ぶ親のような顔をしている。


「アルセト……アルセトぉぉぉーっ!」


 そんな人々の輪の中から、独り、ナイルに落ちたテフヌトの方へ向かって駆け出す人物がいた。言うまでもなく、アルセトの恋人ウセルエンである。


「た、隊長っ!」


 気も狂わんばかりの様子で走り出た彼に、尋常ではないと感じたアメン神官団の兵達もその後を追う。


「アルセトぉーっ! アルセトぉーっ!」


 兵達の心配通り、ナイルの水際まで駆け寄ったウセルエンは、恋人の名を呼びながら、そのままジャバジャバと流れの中へ入って行ってしまう。


「アルセト! ……アルセト! ……アルセトぉぉぉーっ!」


 時すでに遅く、増水し始めたナイルの流れにテフヌトはその姿を消した後だったが、それでもウセルエンは自らの身を省みず、銀色の巨体が沈んだ場所を目指して水の中を進んで行く。


「隊長っ! やめてください! あなたも死んでしまいますよ!」


「そうですよ! もう手遅れです! テフヌトとテフヌトの女主人ネベト・テフヌトのことは諦めましょう!」


 水位が腰ほどにもなった所で兵達の幾人かが追いつき、必死に彼の身体を押さえようとするがそれでも彼は止まらない。


「うるさいっ! アルセトがそう簡単に死ぬものかっ! おまえらは引っ込んでろっ!」


「うぐっ…」


 ウセルエンはその屈強な腕で兵達を殴り飛ばすと、さらに深みへと進んで行く。


「アルセトぉーっ! ……アルセトぉーっ! ……どこだ⁉ どこにいる⁉ アルセトぉぉおーっ!」


「隊長ーっ!」


 そして、彼の身を案じる忠実な部下達の叫びも虚しく、ウセルエンはそのまま恋人の沈んだナイルの流れの中へと一緒に姿を消していった。


「………………」


 一方、そんなウセルエンとアメン神官団の兵達の様子を、メルウトはセクメトの中から、やはり冷徹な瞳を持って見下ろしていた。

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