不穏なる空気
「うわぁー!!すっごい!!ほら見て見てエリザ、リン!」
目の前にあるショーウィンドウの飾られた綺麗な紅い貴族の令嬢がお召になるドレスを見て年相応にはしゃいでいた。
「これは…綺麗ですね。一体どんなもので染めているのでしょうか?」
エリザもショーウィンドゥを覗いた。それにしてもエリザの言う通り見事に紅く染まっている。その紅は薔薇よりも艶やかで、鮮血の如き生々しさも感じられる色である。
しかし、これほどまで鮮やかに紅を出すには並の染料では不可能である。
「おぉ、これは私の国のカラクショウという植物の染料によるものだな。」
何か買ったのか、右手には紙袋を携えて丸いお菓子を食べているリンがドレスの色の染料について答えた。
「カラクショウ?…って何食べてるの?」
レクシィーにとっては聞いたこともない植物である。
カラクショウとは、リンの国に生息する植物の名前である。
しかしそれよりも、リンが持っている丸い薄黄土色のお菓子の方が気になっていた。
「これか?これはカルメ焼きだ。私の大好物だよ。ひとつ食べるか?」
リンは紙袋からレクシィーのぶんとエリザのぶんを取り出して渡した。
「わ、私もいいのですか?」
「いいよ。こういうのは分け合った方がいいだろ?」
恐らく大きさ的にも紙袋の中にはそんなに入ってはないはずである。
それでも彼女は一人一人に分け与えたのだ。
ひとつを半分に割って分ければいい気もするが、それは行わなかった。
「ありがとうございます。リンさん。」
エリザは貰ったカルメ焼きを一口かじり口に含んだ。
ふっくらとした生地がカリッと音を立て、口の中では砂糖の甘みが口いっぱいに広がった。
「美味しい!!」
「うん!美味しいわね。こんなものがあったなんて…。」
レクシィーもカルメ焼きを食べていた。
彼女もその美味しさに驚いていた。二人がなぜカルメ焼きを知らないのかというと、二人は貴族出身であるから、このような市民のお菓子はあまり食べないのだ。
何方かと言えば、高級思考である。
「私はよく故郷の方で食べていたぞ。幼い時、母様がよく買って下さったからな…。」
リンはどこか哀愁漂う表情を浮かべていた。平静の彼女はもっと強気であるものの、この時は妙に弱々しく感じられたのだ。
これは触れない方がいいと考えた二人はあえて何も言わなかった。
「お、お前らここにいたのか。」
ドレス屋のショーウィンドゥの前にいる三人を見つけたレイドは彼女たちに声をかけた。
「レイド先生。どこに行ってらっしゃったのですか?」
今までどこかに行っていたレイドにエリザは尋ねた。
そもそも、この特別演習の場合は教員は生徒たちから離れてはいけないのが原則である。
しかしレイドはその原則を平然と破っていた。
「あー、いや、特に深い意味は無いよ。それよりどうだここは?」
レイドは今いるこの城下町についての感想を三人に聞いてきた。
何となくエリザの質問をはぐらかしているようであったものの、レイドはとりあえず誤魔化していた。
「城下町の方にはあんまり行かないから新鮮味があるわ。」
「そうか、それは良かった。」
オルタリアでは外出許可制度があり、外出するためには、誓約書を書く必要がある。
オルタリアのある位置この城下町から離れたところにあるため、制度がここに来ることはあまりないのだ。
「レイド先生はここによく来るんですか?」
「まぁ、来るっていうか、俺の家がこの近くなのさ。」
彼はいつもこの城下町から遠いところに位置するオルタリアまでを通勤している。
これは本人の希望である。本来は教員専用の寮に入るのが原則だが、レイドは特例で認められている。
「お前達はもう少しここ辺りを見学していいぞ。俺は少し寄るところがあるからな。」
そう言うとレイドは黒のベストの胸ポケットから財布を取り出し、彼女たちに銀貨を9枚渡した。
「それで好きに買い物でも飯でも食べてろ。余ったのは返さなくていいから。」
「えぇ!?ちょっと!こんなのいらないわよ!」
レクシィーはあまりの大金に狼狽えており、手がぷるぷると震えていた。
なぜかといえば、ヴラドールでの銀貨の価値は1枚で大体裕福な貴族の三人家族の五日分の食事の金額と同じくらいの価値を持つ。
そもそも一般的に普及しているのは銅貨の方であるため銀貨は大きな買い物時以外に使うことは無い。
レクシィーも貴族出身とはいえその価値はよく知っている。
「先生、私たちを懐柔でもするつもりか?」
「なわけないだろ。ここは物価が高いからな。それは先生のご好意とでも思っとけ。」
レイドの本音としては、なるべく彼女たちを事件にに関わらせないようにという精一杯の考慮である。
彼女に関する手がかりがどうしても必要である。
その為には彼にとっては忌わしいと言うべきところに寄らなければならない。
「わかったわ。あなたの言うとおり、楽しんでくるわね。」
皆懐疑的な表情をしていたのだが、レクシィーはレイドの言葉に素直に従った。
二人は何かもの言いたげであったものの、彼女はそれすらも言わせないようにしていた。
「じゃあ、俺はちょっと探しものしてくるからな。あんまり羽目を外しすぎるなよ。」
3人に軽く手を振ってフラフラとどこかへといってしまったのだった。
残された3人は手元にある大金をお互いに見つめあっていた。
「絶対に何か隠してるわね…。」
「ですよね…。こんな大金渡すなんて、賄賂みたいなものですよね。」
「よし。おうぞ。」
レクシィー、エリザ、リンはレイドの言葉を無視して、彼の後を気づかれないようについて行くのであった。
◇◆◇◆◇◆
なぜ今まで音沙汰も無かったグラスハートが急に行動を起こしたのか、レイドは考えていた。
彼女の目的とは何なのか。なぜ人を殺すのか。彼女は本当に快楽殺人者なのか。
レイドの頭の中をぐるぐると様々な考えが回っていた。
かつて彼女と刃を交えたことがある。
あの時はまだ漆黒の竜騎士として大躍進するほどの活躍ぶりであった。
とある雲のない月の良く見えた夜。
レイドは暗い路上を歩いていた時に、彼女から突然襲撃を受けた。
それはなんの前触れもなく、いきなりである。
背後から風を切り裂くような大鎌のひと振り。レイドはそれに気づき素早く交わした。
「あら?気配を消していたのに分かるなんて、流石は《漆黒の竜騎士》ですわね。」
レイドを襲ったのは男ならば誰しも魅了されるような甘美な色香を漂わせる美女であった。
彼女の手に握られていたのは大きくまるで三日月のように反った鋭利な刃であった。
「俺になんのようだ?」
「ふふ。今日のような月が綺麗に見える日は身体がムラムラしまして…。」
彼女の顔は赤く染まり、恍惚とした表情をしていた。
一言で言うならばエロい。そういった方がわかりやすいだろう。
しかしその表情にはどこか裏のある恐ろしさのようなものが感じられたのだ。
「そうかい。でもあんたは俺に夜這いに来たわけでもないだろう?そんなぶっとい鎌なんて持って。」
レイドは冗談を交えつつ、彼女が抱きつきくように握った大鎌を指さした。
「えぇ。私が欲しいのは強者の血。この子はそれを欲しているのです。あなたの血はとても美味しそうですね?」
彼女は大鎌をレイドに向けた。
その鎌の刃は月の光に照らされて、まるで赤黒い血のような色を出していた。
「殺るか?生命の危機なら女でも手加減はしないぜ?」
レイドは己の腰の帯剣を引き抜いた。
そして竜騎士としての証である
「結局あのあと勝ったのはいいものの、あいつを取り逃した。」
レイドは昔の記憶をふつふつと蘇らせて己の詰めの甘さを嘆いていた。
今回の事件に限って言えば、彼に責任がない訳では無い。
あの時確実に仕留められたはずである。しかし自分の力に絶対的な自身をもち酔いしれていたあのころ、それが出来なかった。
撃退したということを良しとしただけであった。
「次会った時は必ず…。」
彼は自分の右手を強く握りしめた。
自分のかけがえのない大切な人を失う。もうあの遺族のような悲しみを繰り返してはならない。そう誓ったのだった。
頭の中でかつての戦争で散っていた
もう誰も失わせないと…。
そのようなことを考えているうちに、レイドは目的の場所へとついたことを知り足を止めた。
市街地から少し離れ賑やかさが薄れて、いるところにある建物。
「さてと…ついたな…。」
彼がそう言って目にする建物とは「占い屋サリバン」と書かれた看板の立つどこか怪しげな雰囲気の漂う小さな館であった。
彼は一呼吸付いていくと館の中へと入っていたのだった。
「レイド先生…。あそこに入っていきましたよ?」
「そ、そうね…。でも占い屋って一体なんで?」
「そんなもの知るか。それより重いからさっさと降りろ。」
レイドの弟子である彼女たちはレイドの意図に反して後をつけていた。
なるべく気づかれないようにと離れたところからずっとついてきたのだが、彼が入っていったのは占い屋であった。
あまりにも意外すぎることに皆頭には疑問だらけであった。
エリザとレクシィーは腰を低くして覗いているリンにに乗っかかるようにしていたのだ。
流石に二人は重いためか、上にいる彼女たちを振りほどいた。
「ごめんごめん。さてと。」
レクシィーはリンの背中のから降りてレイドの入っていった小さな館を見ていた。
「どうにか入り込めないかな…。」
ドアがひとつしかないため、潜入することが出来ない。
一体レイドは何をしているのかとても気になっていた。
暫く眺めているものの、これといって方法が無かったため困っていた。
「レイド先生どうして占い屋に入ったんだろうね?」
「さぁ?でもあの態度怪しかったわよね…。何か隠してるし…。」
彼女たち渡した小遣いという名の賄賂はあまりにも大金であった。何か自分たちには関わらせないようにしているように感じられたのだ。
「とはいえ、あそこからしか入れないならバレるだろう。もうここは諦めて市街地に戻ろう。」
リンはお腹をさすっていた。恐らくお腹が空いていたのだろうか。
よくよく考えてみれば、今は昼頃である。普通ならば昼食を取っているのだが、レイドの後をつけていたため、それすら忘れていた。
「ここまで来て帰るの?気にならない!?」
「だってお腹空いたもん…。」
レイドのことが気になるレクシィーとお腹がペコペコのリン。どっちも一歩も引かなかった。
そんな二人を見てただ宥めるしかエリザはできなかった。
「もうふたりともやめましょうよ。レイド先生が気になるのは確かに分かりますけど…。」
少し困った表情のエリザである。彼女は二人に比べて、遠慮しがちなところもあり、自分の意見を述べるのが苦手てである。
彼女の意見としてはレイドのことが気になるのだが、リンのことも放ってはおけなかった。
「ふふ。だったら私が教えてあげるわ?」
そんな三人の背後から透き通った綺麗な声がした。三人が同時に後ろを振り返るとそこには紅い胸元大きく開かれたドレスに身を包んだ妖艶な美女がいた。
彼女はニッコリと笑顔を見せて三人をそれぞれ見た。
しかし、その笑顔にはどこか怪しげで危険が感じられるものがあったが、彼女たちはそれに気づくことは無かった…。
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