士官学校講師着任 篇
最悪な出会い
深い眠りから、現実へと戻す太陽の光線が薄暗い部屋に差し込んでいた。
その部屋には寝癖でクシャクシャになった黒髪のオトナっぽい顔立ちをしているものの、まだ子供のようなあどけなさが残る顔をした男性レイドが気持ちよさそうに眠っていた。
部屋には木の机と椅子、ソファと細長い帽子掛が置いてあった。
そんな殺風景な部屋に小柄で可愛らしい顔をしており、薄いピンク色の髪をツインテールにした少女がレイドの身体をみずみずしい綺麗な手で揺さぶった。
「起きてくださいレイド兄様。朝ですよ?」
彼女の声に意識が徐々に夢の世界から引き戻された。
とはいえ、瞼は開くことを拒んでおり、目を開けることがなかなかできなかった。
「うん…。あと5分…。」
意識はあるため彼女に対して眠たげな声で反応は示した。傍から見ればだらしなく、起こすほうはうんざりするだろう。
しかし、少女はうんざりするどころか微笑んでおり、レイドの耳元でこう呟いた。
「早く起きないと…この家から出ていって貰いますよ?ふふ。」
「はい!!!!おはようございます!!リュカさん!!」
先程眠たげだった様子とはまるで違う元気でハキハキとした声で挨拶をした。ちなみによく見ると冷や汗らしきものをたらたらとこぼしていたのだった。
「やればできるじゃないですかレイド兄様?明日もその調子で起きてくださいね?」
なかなかエグいこといったにも関わらず一切悪びれる様子はなかった。
それどころかニコニコ笑っているため、一種の恐怖をレイドは感じていた。
「じゃ、飯でも食うか…。」
「はい。下で姉様が準備されてますよ。行きましょう?」
リュカに手を引っ張られて下の階へと連れていかれた。
彼女の手は柔らかく、すべすべであり、つきたての餅を掴んでいるようであった。
そして、人の暖かい温もりを感じた。
「リュカの手ってあったかくて気持ちいいな?」
「な、何を言っているのですか!?変なこと言ってないで行きますよ!?」
彼女は顔を林檎のように赤くしていたが、照れ隠しをするようにレイドの手をより一層強く引っ張っていくのであった。
「ちょっ!こけるこける!!」
階段であっても容赦なく引っ張っていくリュカであり、階段を下っている今、段差もあるため余計に二人には高低差が生じていた。
その為に強く引っ張られると…。
「ぬぁぁ!!」
「きゃあぁ!!」
レイドは思わず段差を踏み外して、リュカに勢いよくおおい被さってしまった。
しかし、このままではリュカが下敷きになってしまう。たったわずかの瞬間に思考して、最善の行動をとった。
それは、彼女を軸に自分の体を捻って上下を入れ替えることであった。
ドサッ!!
段から転げることなく、一番下まで落ちていった。普通ならまず大事であるだろうが、意外にも受け身を取れたおかげか、無事であった。
「大丈夫か?リュカ?」
「いてて…。大丈夫です。レイド兄様は?」
「あぁぁ、大丈夫だ。でもな…。」
大丈夫ではある。なぜかと言うと、受身は取れたのだ。ただ、リュカを抱き抱えて下敷きとなり落ちたので、今の状態は抱き合っている状態なのだ。
つまり、彼女のある部分が当たっているのである。
「リュカ。お前の胸前より成長したな。」
レイドは己の胸板に押し付けられた胸の感触の感想を言った。
小柄なリュカではあるが意外と胸はある方だとレイドは思っていた。しかし褒め言葉のような言葉であっても捉え方は人それぞれだ。
「レイド兄様のエッチ!!姉様に言いつけますよ!?」
「ま、まてぇい!!それだけは勘弁を!!あいつにこんなの見られたら俺は!!」
「俺は…どうなるのですかレイドさん?」
抱き合っているように見える二人をニコニコと眺めるリュカと同じ髪色のショートカットの赤い髪留めをしており召使いのような紺のドレスを纏った女性が立っていた。
しかしなぜだろうか?その笑顔はどこか恐怖をビリビリと感じ、彼女のバックにはどす黒いオーラが漂っていた。
「あっ…。これはルルナさん。おはようございます。」
「おはようございます。レイドさん。ところで私に見られたらどうなるのですか?」
先程同様、ニコニコと張り付いた笑顔でレイドに迫ってきた。ただならぬご様子のルルナを見たリュカはすぐさまレイドの胸元から離れた 。
「いや、なんというか…。その…。」
「ふふふ。覚悟はいいですか?」
笑っているはずなのに恐ろしさが感じられた。まるで井の中の蛙。どこにも逃げられないそんな状態であった。
まるで金縛りにあったかのように動きを封じられ、あとはひたひたと歩み寄る死を待つばかりであった。
「や、やめ、お願い!!あぁぁぁぁ!!!!」
レイドの断末魔が虚しく広がっていくのであっのだった…。
そしてその後、げっそりとしたレイドは木のテーブルとイスの置かれた石畳のリビングらしきところで、リュカそしてルルナとともに朝食をとっていた。
テーブルにはこんがり焼かれていい匂いを醸し出すバケットとじゃがいもとベーコンのコンソメスープに、端に焦げのついた黄色の目が2つあるベーコンエッグという献立だった。
「うん!やっぱりルルナの飯は美味いな!!」
「いえいえ、とんでもありません。まだまだおかわりもありますのでどうぞ。」
「ねぇさま姉様!!スープのおかわりよろしいですか!?」
3人は楽しそうに食事をしていた。とはいえ、この3人一見して兄弟か何かかと思われるが、血縁関係はない。
正確に言えば、ルルナとリュカは姉妹ではあるがレイドは全く赤の他人である。
どうして、そんな彼らがともに生活しているのかはよく分からない。ただ笑顔が絶えないのは確かである。
「レイド兄様。今日のお仕事はどんなのですか?」
リュカはスープを可愛らしげに啜り飲みこみつつ、レイドに話しかけた。
「今日は、王立女子士官学校’’オルタリア’’の校内清掃だったかな?」
「’’オルタリア’’ですか?少し遠いですね…。」
レイドの職業は簡単に言うと人材派遣的なことを生業としている。
例えば、大工などの力仕事や、貴族やお偉い方の用心棒、清掃などその仕事の幅は様々だ。
「でもレイド兄様は働かなくても勝手にお金が入るでしょう?」
「まぁ、あれはそういうもんだからな。でも働かないとババアに怒られるからそういう訳にもいかねぇな。」
そういいつ籠の中のバケットをひとつ
掴んで口に入れた。噛んだ瞬間に耳の部分がカリッとしているところがまた良い。
ヴランドールではバケットは特産物で有名である。
それにあわせて同じく特産物のチーズをのせるとこれまた絶品なのだ。
「またそんな失礼なことを言って…。カルーシャさんに怒られますよ?」
少し呆れた顔でレイドの言動をたしなめた。しかし、レイドは全く悪びれることはなかった。
「もう充分ババアだろ?そりゃあゴツイ身体してるけどさ…。」
ここにはいない、この家の主であるカルーシャという女性について失礼極まりない発言をしていた。
すると、そんな暴言をいうレイドの背後に大きな人影があった。
「誰が身体のゴツイクソババアだって?あぁん??」
女性にしてはかなりハスキーな声であり、少々かすれていた。そしてその外見は脂肪というものが一切なく、筋肉の繊維というものがくっきりと見える鍛え上げられた肉塊もしくは筋骨隆々の男性そのもの。
だが首から上はそれに似合わない、少しほうれい線が目立つ青紫の髪の綺麗な顔の女性だった。
ガシッ!!
彼女はレイドの頭を右手のみで鷲掴みして宙にあげた。
「あぁぁ!!割れる!!割れる!!カルーシャさんはいつもの綺麗で素敵なお方です!!あぁぁぁぁ!!」
バッと右手をはなすと、勢いよく椅子へと降ってきたのだった。
しかし、体格の良いレイドを片手で容易くあげるとは恐るべきカルーシャ…。
二人も唖然として見ていた。
「おはようルルナ、リュカ。お前達はコイツと違ってホントいい子だからねぇ。」
「カルーシャ様の撫で撫では気持ちいいから大好き!!」
「わ、私は子供じゃないですよ!?」
カルーシャは二人の頭を優しく撫でた。その表情は慈愛に満ちた聖母のように優しかった。
先程レイドに向けていた表情とはわけが違う。
「ホント二人には甘いよな…。」
激痛の走る頭を擦りながらその様子をジト目で眺めていた。
「カルーシャ様。朝食はいかがですか?」
「ん?あぁ、アタシはもう早くに済ませたからいいよ。それより、野菜調達してきたから、後で冷凍保存しておいてくれないか?」
彼女の左手に持っていた大きな麻袋にはじゃがいもやにんじんたまねぎなどがゴロゴロと入っていた。
それを重そうに受け取るルルナである。それを片手で持つとはやはりカルーシャは只者ではなかった。
「それよりレイド。てめぇはさっさと飯食ったら支度して仕事に行ってこい。」
「んなこと、あんたに言われなくても分かってるよ。」
カルーシャからは冷たい言葉を浴びせられる。およそルルナとリュカとは扱いがまるで違う。
しかし、特に気にすることまなく悪態をついて返事をした。
食事をし終えると、部屋着からワイシャツに黒のネクタイ、スラックスに革のブーツを履いて道具を持って出かける準備をした。
「レイドさん。ハンカチは持たれましたか?」
「いらないよ。タオルがあるだろ?」
家の裏口の玄関でレイドとルルカはおよそ子供と母親のやり取りをしていた。
「いけませんよ。タオルはあくまで汗をふくものですから。これを持って行ってください。」
そう言って彼女から渡されたのは、彼女の髪色と同じ薄いピンク色のハンカチであった。
「これってお前のだろ?いいって。」
「ダメです。きちんと持っていってください。マナーです。」
ルルカの言っていることはもっともである。なかなか持っていくのに渋るレイドに、持っていけと言わんばかりの表情をしていた。
「はぁ…。わかりました。持っていきますよ!!」
「はい。素直なレイド様は素敵ですよ?」
可憐で美しい彼女の笑顔を見せられたらもう持っていくしか選択肢にはなかった。
そんな笑顔でお世辞を言うあたり、レイドの扱いに慣れている証拠である。
「じゃあ、行ってくる。」
「気をつけていってらっしゃいませ。」
仕事にいくレイドを見送り、その姿が見えなくなるまで、深々とお辞儀したのだった…。
街では沢山の人が行き交っていた。様々な店が立ち並び買い物をする人や、仕事に行く人、道端でリヤカーを引いて商売をする人、様々だった。
これは何も変わらない、いつもの光景である。コレは数年前に比べるとマシになった。
「前はここら辺も酷かったもんな。」
あたりを見て、改めて感じていた。酷かったというのは先代の国王の頃のことを言うのだ。
戦争に明け暮れていた国王は国民を省みず無茶な政策をとって多くの犠牲を出してきた。
しかしそんな先代国王は病死によりそんな暗黒時代は終わりを迎えたのだ。
この賑やかな街中から見える大きな壁、そして大きな城。あの向こう側は一般市民には入ることの出来ない領域である。
貴族や王族、聖職者の住処や様々な国家機関の建物が並んでいた。
「ホントあれ見るたび胸くそ悪いな…。」
中心部に位置し、その場所だけは大地が盛り上がっており、大きな白い城壁で隔てられている。
まるで国民を見下しているかのようだった。
それをレイドは気に入らなかった。
「おっと道草食わないでさっさといくか。」
我に戻ったレイドは城を見るのをやめて仕事場へと足を急いだ。
◇◆◇◆◇◆
街から外れたところにそれはあった。先程の王族たちなど住む居住区と似た白い城壁と堀に囲まれたそれは国境近く存在していた。
いくつもの校舎が立ち並び、遠目から見ても大きく、まるで城のようにも見える。
「これが’’オルタリア’’か。思ったよりデカイなー。」
城壁の外側からさらに大きな堀で囲まれており、侵入がこの一つの石橋しかできないような構造をしていた。
そしてその石橋といえどそこそこ長いのだ。
ここまで厳重にする必要が果たしてあるのだろうか?
しばらく歩いていくと、城壁は徐々にその存在を膨らませていき、近くに来た時は見上げるのが一苦労な程であった。
門の前にはサーベルを構えた女性の守衛が二人ほど立っていた。
「失礼ですが、どちら様ですか?」
1人の守衛がレイドに話しかけてきた。警戒している様子であった。
「レイドというものだ。清掃員として学校側に頼まれたのさ。」
レイドはおもむろにワイシャツの胸ポケットから手紙らしきものを取り出しそれを守衛に見せた。
手紙にはオルタリアの校章と校長のナヴァロンの直筆サインがあったため信用には申し分なかった。
「わかりました。どうぞお入りください。」
守衛は納得した表情をしており、白い鉄格子の門を開けた。流石に、このふたつを偽装することは不可能であるため、確認するだけで十分であった。
ゆっくりと金属の擦れる音をたてながら開いていき、中の方へと入っていく。
「それにしても、遠目で見てもデカかったけど近くで見ると迫力があるなー。」
どこかの大貴族の屋敷ではないかと思うほど絢爛豪華であり、強烈なインパクトを与える建物が立ち並ぶ。
目線の先には庭のようなものが広がり、その中央には石造りの時計塔があった。
そしてその奥にそびえ立つ宮殿のような校舎。
レイドが一言言いたいのは、「こんなくだらないところに国民の血税を使うな」ということである。
「俺のいた所々とは随分な違いだな?まぁ、もっともあそこは裏の部分だからな…。」
豪華な建物にいちゃもんをつけていた。先程いた市街地の建物は少しばかり古ぼけていたが、ここは全く汚れひとつすら見当たらない。
校舎をまじまじと見つめているた後、手紙に書いてある目的地まで向かうことにした。
目的地は「部室棟」とだけ書いてあった。
「おいおい、まさか部室棟全部掃除しろってか?人使い荒すぎないか?」
最初にあれほどの建物を見せられてしまったため、恐らくあの建物と似たようなものがあるはずだと感じていた。
それをたった1人で清掃などブラックもいいところである。
校内を歩いていくが生徒達の姿は全くと言っていいほど見つからなかった。
ただ景色が通り過ぎていくばかりで動くものは小鳥や蝶くらいである。
「お。ここか。」
しばらく歩いていった先に見たものは先程の校舎ほどではないものの、そこそこ大きい洋館のような建物があった。
「地図見てもここだからあってるな。まぁ半日でいけるかな?」
しかし傍から見れば半日で終わるような大きさではなかった。
恐らく部屋の数もかなりであると考えられるため、想像以上に険しいだろう。
だがレイドは至って冷静であった。
「まぁこんなもの、どっかのバカでかい建物の清掃に比べたら朝飯前だな。」
そんなことを呟きながら掃除道具を片手に中の方へと入っていくのだった。
部室棟とは名ばかりの内装。まるで貴族でも住んでいるのではないか思いたくなるほどである。
天井には大きなシャンデリア。扉を開けて広場がありその先には両脇緩やかなカーブを描いた階段があった。
一言で表すなら――大袈裟すぎる
思わずそう言いたくなる。
たかが部室棟でこれほどのものを作る必要があるのだろうか?いやありえない。
「ほんとあのバカどもは金の使い方が間違ってやがるな…。もっと国民のために使えばいいものを…。」
思わず苦虫を噛み潰したような顔をした。
それにこれほど大掛かりな建物は維持費もかなりのものである。
ここは王立であるため、全て税で運営されている。そのことは忘れてはならない。
歩いていく中で、赤い絨毯の引かれた果てしなく長い廊下。そして、数え切れない扉。規格外である。
荷物を一旦置きたいレイドは適当な部屋を選んで荷物おきにしようと考えた。
そして、たまたま適当な扉を開けて中へと入っていく。
ノックなどすることなく、我が物顔で扉を開けたレイドであるが、後に後悔をすることになるのをまだ彼は知らなかった…。
ガチャ…
扉が開かれたその先。
シルクのように柔らかく美しい白い肌、見るものを魅力しながらも、相手を寄せ付けない薔薇ような美しい深紅の髪。
毛先は少し癖があるものの、それをひとつにまとめて降ろしており、少女でありながら大人の魅力を帯びているようだった。
レイドはその美しさに引き込まれそうになっていた。
しかし、彼女は違う。なぜなら彼女からしてみれば、レイドはただの覗き魔なのだ。
「きゃぁぁぁ!!!!」
至極当然な反応である。だからこそ、逆に冷静になってしまうレイドであった…。
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