第15話 盲目の少女と隻眼の少年

「リューンさん。傷の具合、どうですか?」


 明るい声に、リューンはベッドから身を起こした。


 自由都市レアノルトの、ほぼ中央に位置する病院。ラルフィリエルのリザレクト・スペルによって一命は取り留めたものの、傷の癒えきらないリューンは未だ静養中だった。


 魔法の力が衰退し、目下のところ急成長を遂げているのが医療であるが、病院などという施設はまだ珍しく、リューンも世話になるのは初めてだ。ともあれ彼は、声の主に笑顔を返した。


「セレシアさんこそ。こんなところまで来て、大丈夫ですか?」


 リューンの危惧とは裏腹に、割としっかりした足取りで、セレシアが入室してくる。

 セルティ軍の猛攻やエインシェンティアの暴走によって家を失ったものは多く、レグラスの民の殆どは他の街に移住していた。彼女もまた市長邸が大破してしまった為、一時的にここレアノルトに身をおいている。とはいえ、彼女が間借りしている家からリューンが静養しているこの病院まで、目が不自由な彼女が歩いてくるにはけっこうな距離だ。


「わたしが、こんな目になっても不自由していないのが不思議ですか?」

「え?」


 考えを読まれ、一瞬リューンは言葉に詰まった。自分はよくやることだが、いかんせんされることには慣れていない。ベッドの傍らに置いてある椅子に腰掛けると、セレシアは口元を笑みの形にした。


「わたし、最初から見えていないんですよ。生まれつき、何も見えないんです」


 思いもかけないそんな彼女の言葉に、リューンは驚いて彼女を見た。そんな風には全く見えなかったからだ。


「え……だって、ぼくを女の子と間違えたりしたじゃない」

「生まれつきこうだから、なんとなくわかるんです。相手の雰囲気とか、性格とか……今どんな表情をしてるのかとか。元々目では見えないものが見えるの。あなたがとても綺麗な気を持っているから。つい女の子なのかなって、思っちゃったんです」


 雰囲気まで女っぽいという事実にショックを受ける反面、リューンは妙な納得をしていた。生まれつき見えないというのであれば、辻褄が合う気がしたのだ。彼女の目を調べるうちに、エルザスはセレシアの瞳にがあることに気が付いたのだろう。


 彼は傲慢だったが、非常に優秀であったことは確かだ。古代の歴史を学び、力を学び、魔法を学び、そして自分の書斎にエインシェンティアへの道があることに気付いた。そして、セレシアの瞳が持つ力が、現代の力とは違うことにも。


 エインシェンティアについて、独自であれだけの仮説をたてたエルザスのことだ。セレシアの瞳の力でエインシェンティアを支配できるかもしれないと考えるのは必然だ。次から次へと自分の仮説が証明される条件が揃っていくうちに、少しずつ彼は狂気に走っていってしまったのかもしれない。


 今となってはもはや確認しようもないことで、考えても詮の無いことではあるが、やりきれない思いにリューンは小さく溜息をついた。


「……父を、恨んでいますか」


 ふいに、セレシアが訊いてくる。この、相手の心の機微に対する鋭さは自分以上かもしれないと嘆息しつつ、リューンは応えた。


「……君は? 恨んでいるの?」


 セレシアがはっとした表情になる。だが、すぐに小さく首を振った。リューンは小さく微笑み、彼女の頭を撫でた。


 エルザスが何を思っていたのかはもう誰にもわからない。だが、最期に彼が選んだのは、娘達だった。それは確かだ。それ以上のことなどセレシアやセララには必要ないだろう。


「……ありがとう、リューンさん。あなたはとても優しい人ね」


 しばらく俯いていたセレシアだったが、やがて顔を上げて微笑んだ。


「あ、そうだ。紅茶でもいれましょうか。こないだ、リューンさんが美味しいって言って下さったから、ホラ。あの紅茶の葉、持ってきたんです。待ってて、ティーセット借りてきますから!」


 パタパタと足音を立てて病室を出て行く彼女に、「気をつけてね」と声をかける。いくら見えていないことに慣れていても、慣れない街や建物では危険だろう。だが、彼女はこれからもあの調子で生きていくに違いない。何より彼女が思ったよりも元気そうであることに、リューンはほっとしていた。


(けど、見えないものを見る……か。ぼくの力と、よく似ているのかも知れない)


 ふっ、と笑って、右目に触れる。

 似ているのかもしれない。もしかしたら、境遇も――


「元気そうだな?」


 聞き慣れた声に、リューンは顔から手を離して顔を上げた。


「エス」


 セレシアと入れ違いに入ってきた彼に、リューンは笑いかけた。

 だが、エスティは仏頂面のまま、ズカズカと室内に入ってくると、一直線にリューンへと近づき、無造作に伸ばした手でその長い前髪を跳ね上げた。


「…………!」

「――やっぱりな」


 浅く息を吐いて、エスティは手を離した。


「傷に力が残ってる。お前――エインシェンティアのよりしろなんだな?」


 リューンは問いに答えなかった。エスティも何も言わず、しばらくの沈黙のあと――観念して、リューンが頷く。


「……ああ、そうだよ」

「何で黙ってた。……まあ、今まで気付かなかったオレもオレだがな」


 溜め息をついて肩をすくめるエスティに、またもリューンは沈黙した。今度は待っても返事が返ってくる気配がなく、再び溜め息を付き、エスティがその沈黙を破る。


「カオスロードのことにしてもそうだ。お前、彼女を知ってるんだな? いや、ただ知っているだけじゃない。友人……いや、もっと親しい者として」


 それでもリューンは答えなかった。まるで叱られた子供のようにうなだれたまま、こちらを見ようともしない。質問を完全に拒絶しているのだと気付いて、エスティは三度目の溜め息をついた。そして、さっきまでセレシアが座っていた椅子に腰を降ろす。


「……少しは信用されてると思ったが、そうでもなかったみたいだな」

「違うよ!」


 だがエスティがそう呟くと、弾かれたようにリューンは顔を上げた。


「エスのこと信用してないからとか、……そんなんじゃない。ただぼく自身、心の整理がつかなくて。このまま口にしてしまったら、戦えなくなってしまいそうで、だから」


 早口にまくしたてたリューンだったが、呆気にとられたようなエスティを見て、一度口を閉じる。息を吸って吐き、落ち着きを取り戻してから、自分自身に言い聞かせるようにリューンは口を開いた。


「だから、もう少しだけ待って。もう少し――」


 しかし、声はまたも途中で消えた。俯いたエスティが肩を震わせているのに気づいたからだ。泣いている――わけがないことはこれまでの付き合いで察せる。それでも一瞬わからなかった。だが、笑っているのだと確信して、リューンは半眼になった。


「……エス?」


 むっとした声が聞こえ、エスティが顔を上げる。リューンが思った通り、やはり彼は笑っていた。


「悪ぃ悪ぃ。冗談だよ」


 なおも笑いながら、エスティが片手を上げて謝る。


「お前が話したくないなら、別に無理して話す必要なんてないさ」

「じゃあ、なんで……」


 リューンがむすっとして呟き、エスティは笑みにやや苦味をまぜた。


「だから冗談だって。……オレはお前を信じてるよ」


 気楽な足音を聞きつけて、エスティは椅子から立ち上がった。程なくしてドアが開き、セレシアがトレイ片手に姿を現す。


「お待たせしました! あ、エスティさん? いらしてたんですね」

「よくわかるなあ。見えてるのか?」


 リューンと同じ疑問を抱いたエスティに、セレシアがさっきと同じ説明を始める。それを聞くともなしに聞きながら、リューンは胸の中で親友に感謝の言葉を述べた。

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