第16話 錯綜する心

 今日もいい天気の昼下がり。

 シレアはボードを片手に街を散歩していた。といっても、ただ散歩しているだけではない。情報を集めているのだ。

 いつもであればボードに乗って飛ぶのだが、つい先日までシレアも静養していたため、なまった体を動かす軽い運動のつもりでもあった。そんなわけでゆっくり歩くシレアの瞳に、ふいに最近見知った人物の姿がうつる。


「よう、嬢ちゃん。喉はもういいのか?」

「あ、おじさん。ヒマなら手伝ってよ、情報収集!」


 向こうから歩いてくるルオの姿を見て、シレアは叫びながら手を振った。「全快だな」、確信してルオが苦笑する。


「おじさんってねー。俺はまだ20代だぜ?」

「28歳はおじさんです。そっちこそあたしを子供扱いしないでよね!」

「17歳は子供だぜ」


 あっさりと返され、うっ、とシレアは口をつぐんだ。口げんかでシレアが負けるのは珍しいことだ。悔しいのでシレアはさっさと話題を変えた。


「で、おじさんは結局何者? あたし、どっかで見たことあるのよね~」

「何者もなにも、俺はただの、強くてナイスな傭兵さ」

「ウソくさ」


 呆れ顔でシレアが肩を竦めて見せる。


「エスに聞いたよ。あたしたちについてくるんでしょ? そーゆー物好きは『ただの』とは言わないの」


 少し前、ルオはエスティに同行を申し出ていた。もちろんエスティは断ったのだが、シレアに勝る話術に丸め込まれてしまったのだ。やむなく事情を話したエスティだったが、「ますます楽しそうだ」と余計に彼を喜ばせただけだった。


「……まあ、そうだなあ……」

 シレアの言葉を曖昧に認め、ルオは空をあおいだ。目にしみるくらい、本当に今日は良い天気だ。


 * * *


 珍しく、疲労を感じた。

 直接自室に転移し、ラルフィリエルはベッドへと倒れこんだ。重い溜め息をつきながら、必死に疲労とそれに伴う睡魔に耐える。報告をすませるまで任務は終わらない。


(……今日は色々なことがありすぎた……)


 今まで生きてきた時間より、遥かに長い一日に感じた。

 今まで生きてきた時間より――


(私の記憶は、初めて戦場に立ったあの日から)


 これも彼女にとってはごく珍しいことであったが――

 ラルフィリエルは回想していた。自分の記憶が始まったあの日から、今までを。自分の記憶など全て地獄絵図でしかない。気が付いたら、剣を振るっていた。それより前の記憶などない。


(それより前を――あの人は、知っている?)


 亜麻色の髪と、深い碧の隻眼が脳裏にフラッシュバックする。自分の過去など気にしたことはない。否、気にする暇も余裕もなく、それに意味もなかった。


 だが、今初めて彼女は、自分の過去へと想いを馳せた。もちろん、そうしたところで答えをくれる者はいない。答えを知る者もいない。だから、意味などない。


(……いや、皇帝なら……あるいは)


 だが、彼にそんなことを聞く勇気などラルフィリエルにはなかった。のろのろと立ち上がる。報告に行く為だ。


 自室の扉に手をかけ――ふと気付いて、頭へと手を伸ばす。そして、そこに巻かれた布を彼女は両手でそっとほどいた。エスティが止血の為に施したもの。自分の血に染められたそれを、ラルフィリエルはそっと抱きしめた。


 エスティ・フィスト。


(おそらく、彼にとって私は仇だ)


 きっと自分が大事なものを奪ってしまったのであろう少年。敵にしかなり得ない存在。


 ――いつか、殺さねばならない、存在――


(だけど、この気持ちは……何?)


 いままで経験したことのない自分の知らない感情に、ラルフィリエルは戸惑った。


 だが、それがなんなのか、彼女に知る術はなかった。

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