encientia～神の聖戦～

第4話 王女の憂鬱

　エスティの言葉は、突如起こった轟音に掻き消された。それに伴った振動、兵士の声が同時に場を駆け抜ける。

「敵襲ーーーーーーーッ！！！」

　緊迫した声は何度も繰り返され、瞬く間に城内が慌ただしくなる。アルフェスの顔に緊張が走った。

「隊長！　セルティ軍の攻撃です。騎士団の指揮を！」

　駆けてきた騎士が、アルフェスの姿を見止めるなり早口に告げる。彼はエスティ達を見て一瞬怪訝な顔をしたが、それ以上何かを言うことはなかった。余程緊迫しているということだろう。アルフェスもまたそれには構わず、淡々と指示を出す。

「第一部隊と、第三部隊を城門前に。あとは持ち場を離れるな。市民と怪我人は城の奥に退避させるんだ」

　アルフェスが言い終えると、騎士は短く敬礼して足早に立ち去っていく。それを見るともなしに見送りながら、アルフェスは言葉を継いだ。

「姫も早く奥へ――」

「待って、アルフェス。まだ話は終わっていません」

　だがそれを、強い調子でミルディンが遮る。それを受けて、アルフェスは彼女の方へ視線だけを投げかけた。

「では姫。降伏してどうなるというのです」

　彼にしては珍しいことなのだが、ミルディンに向けてはっきりとした拒絶を表す。そして、彼女から視線を外すと、どこか遠くを見るような目つきをした。

「隣国スティンはセルティに降伏し、それによって王家一族、及び王弟率いる騎士団の者までが全て処刑されました。ランドエバーもスティンと同じ道を辿ると言うのですか？　セルティの属国となり、民は帝国に支配され、迫害されて脅えて日々を送る、それで良いと？」

　答えかねているミルディンを、優しさと哀しみのこもる瞳で真っ直ぐに見つめ、噛み締める様にアルフェスは言葉を続けた。

「どうか生き延びて下さい。私達は最後まで戦います」

　その言葉に、表情に、ミルディンはもう如何なる説得も通じぬことを悟った。言いかけた言葉を飲みこんで目を伏せる。

「そういうことなら、及ばずながら俺達も力になるぜ」

　放り投げた剣を拾って肩に担ぎ、エスティが割って入る。シレアもまた、場の重い雰囲気を取り払うかのように明るく笑った。

「しかし……」

「まあ、古代秘宝のことはいったん置いておこうよ」

　やんわりとリューンが提案する。

「大丈夫。力になれるよ」

　隻眼を細めて微笑う。不思議に、リューンの笑みは見る人を安心させるようなものがあった。信頼に足ると確信させる温かくも力強い笑みに、アルフェスとミルディンの表情が少しだけ和らぐ。だがそれでも、アルフェスは疑問を唇に乗せた。

「しかし、何故？　君達がこの国のために戦わねばならない理由などないだろう。しかもあのセルティを相手に」

「そうとも限らないぜ？　アルフェス、騎士団の配置と動きは？　頭に入れておきたい」

「……僕の部隊と、もう一つ、温存していた部隊で切り込む。残りは城の守備だ。うち半数が城門の死守」

　ためらいながらも答えたアルフェスに、エスティがにっと笑う。

「有難う。信じてくれて」

「人を見る目は、腐っていないつもりだ」

　微笑むリューンに、アルフェスも笑みを見せた。

　これまでの戦いで失った兵は多い。残された戦力で守り切れないことはアルフェス自身が一番よく解っていた。エスティやリューンがかなり戦い慣れしているということは、身のこなしや伝わってくる雰囲気で知れる。アルフェスにとって、これは直感に頼った賭けであった――より可能性が高い方への。騎士団の体裁や名誉などは、彼にとってどうでもいいことだった。

「よし。リューン、城の守備に加勢してくれ。俺はアルフェスの部隊に紛れて前線へ行くから折り合いを見て援護を頼む。シレアは万一に備えて王女を守れ」

　早口にエスティが２人に指示を出す。リューンは目だけで答え、シレアは若干複雑な表情で頷いた。おそらく、王女の護衛と言うのは口実で、エスティと兄は自分を前線に出したくないのだ。それはシレアにとっては不服なことではあったが、護衛という名目をつけられてはミルディンやアルフェスの手前、断ることもできない。

　大人しく承諾したシレアの心境はエスティもわかっていて、ポンとその頭を叩く。

「頼りにしてるぞ」

「……うん」

　もう一度頷いたシレアに笑いかけ、エスティはアルフェスの方を向き直った。

「急ごうぜ、時間がない」

　言うなり身を翻して駆けていく。アルフェスもまたその後を追う様に踵を返したが、

「……姫を、頼む」

　リューン達の方へ、真摯な眼差しを向けた。それを受けて、リューンがまたあの不思議な笑みを見せる。大丈夫だと、彼の瞳は語っていた。

　アルフェスは軽く頭を下げると、そのまま足早に立ち去っていった。

「アルフェスさんの事が、心配？」

　彼らの去った方を哀し気にじっと見つめていたミルディンだったが、穏やかな声に、はっと我に返る。振り向くと、そこには優しい笑みを浮かべる美貌の少年の姿があった。

「不安や苦しみが伝わってくるよ……痛いくらいにね。自分の為に誰かが傷付くことを、恐れているんだね――？」

「！」

　まるで何もかもを見透かしているかの様な深い碧の瞳にドキリとする。しかし、否定する事も言い訳をする事も無意味に思えた。その必要も無いほど彼の言葉は真実であったし、何よりどんな虚勢を張ろうとも、この少年には見透かされてしまう気がしたからだ。

「……民を守るのが王の務めならば、守られる事しかできない私が生き延びて、一体何になるのでしょうか……？」

「王女様」

　思いつめたようなミルディンの言葉を、リューンが優しい声で制する。

「アルフェスさんや、祖国の者を大切に思うなら……貴女は生き延びなきゃいけない」

　声音や表情こそ優しかったが、その奥には厳しさがあった。なぜか目を離せなくなり、ミルディンが息を呑む。

「彼らの為にも、軽率なことはしてはいけません。貴女の存在はいずれ多くの人を導く灯火となるでしょうから」

「……リューン……さん」

　彼の笑みがあまりにも美しく、そして優しくて、ミルディンはそれ以上何も言えないまま城門の方へと向かう彼を見送った。