〈4〉それでいい、こと 2

 クラッカーの音が鳴り止むと、二人はゆっくりと参加者たちの間を巡りながら会場奥の席へと歩んでいく。


 あちらこちらで祝福や歓喜や感謝や羨望が次々と花開く中で、ユズキはここ何日も必死に手繰り続けてきた思考がふっつりと切れたように、ぼうっと喧騒に呑まれていた。


 ふと、職場の面々に挨拶をしていた新婦が、ユズキの正面で立ち止まった。

 長いドレスの裾を捌いてユズキの方へ向き直り、ユズキの手を取る。オーガンジーのグローブの手触りに、ユズキは我に返った。


「ユズキちゃん、来てくれてありがとう!」


「い、いえ……あの、ご結婚おめでとうございます! こんな華やかな席にお招きいただけて、わたし幸せです!」


「嬉しいなあ、ユズキちゃんにそう言ってもらえて。ねえ! それ、とっても爽やかなドレスね。かわいい!」


 優しい笑顔から何気なく発せられたその言葉は、まさに天使の声がユズキの耳から春風となって吹き込んだようだった。

 ユズキの頭の中の心配の虫たちはその瞬間に綺麗に吹き散らされ、ユズキは心から、新婦に負けないほどの笑みを浮かべた。


「ありがとうございます! お店で一目惚れしちゃったんです!」


 そして、若草色のふんわりとしたシフォン・スカートを摘んでみせた。


「なーんだあ、ユズキっていつも地味な色着てるから、そういうのが好みなのかなーって思って黒を勧めたのに」


 背後から真っ赤なタイトドレスを着こなした同僚に悪戯っぽく肩をつつかれ、ユズキははっとした。


 そっか。

 いつも、他の人と一緒にいる時は自分の好みをできるだけ決め手の中に入れないようにしてきたけど、それが「他の人から見たわたし」を曖昧にしちゃってたんだな。


 自分の中でずっとしこっていたすべてが解れ、そして奇麗に整頓されて、ユズキは気持ちがすとんと落ち着くのを感じた。


「小さい頃から、こういうグリーン系の色が好きなんだ」


「そういう淡い色の方がよっぽど似合うよ。意外な魅力って感じ~! ね、それどこで買ったの?」


「ふふ、なんか嬉しい……! えっと、わたし最寄りが北駅なんだけど、駅の映画館がある方に、大きな通りがあるのってわかる? あの裏側にセレクトショップがあって……」




 3時間があっという間に過ぎ、パーティーはお開きとなった。


 同僚たちと軽くお茶をして別れた後、ユズキは自宅方面行きのバス停へと向かっていた。

 ほろ酔いの足を運ぶ度、ハーフコートの下のスカートがフワフワと揺れる。それはユズキのアルコールがまわった視界と、心の軽さだった。


 バス停までワン・ブロックというところで、ユズキはおもむろにビルとビルの隙間を覗き込んだ。

 そこは2日前、あの占い師と出会ったところだ。

 あの時ユズキの重い足を止めさせた看板は、しかし、今はどこにも見あたらなかった。


(なんだ、いないんだ……)


 今日も珍妙な、寒そうな格好をしてぽつんと暇そうにしていたら、「寒くないですか?」って声をかけてみようと思ったのに。


「そうだよね……ラッキーカラーって、土曜日のこと占ってたんだもんね」


 ユズキは微かに苦笑して呟いた。


 お祝いの席なら紅白だーっ! って、まるで当然のように紅いドレスを奨めてきたあの占い師さんが、この淡いパステルグリーンのドレスを見たら何と言うだろう? それを知ることができないのは、ちょっと残念かな……。


 そんなことを思いながら、ユズキは風が吹き抜けるビルの隙間を後にして、バス停へと向かった。

 バスがすんなり来れば、家までは30分ほどだろう。




 酔いと幸福の高揚感のおかげか、深夜にもかかわらず寒さは感じない。

 バス停のベンチに荷物をおいてふと傍らを見ると、路肩の街灯に照らされ、植え込みの新芽が顔を出している。

 萌え出づる瑞々しい緑に、ユズキは、明日からのラッキーカラーをみた気がした。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

明日、イロイロ日和 黒渦ネスト @whirlednest

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ