〈1〉決めなきゃならない、こと 2

「い、いえ…………大丈夫です!」


 おかしいくらい顔が引きつっているのが、自分でもわかる。


「え、ホントに大丈夫?」


 再び、数秒間の沈黙。


「…………はい、だい、大丈夫ですっ!」


「ふーん」


 あからさまな落胆の声と共に、ドスンと椅子が音をたて、パタンと机を何かが叩く。

 ユズキが恐る恐る目を上げると、両腕を机に投げ出し背もたれに大仰に上半身を預けた男の、鼻先から見下ろすような視線とぶつかった。


(やっぱり、悪いこと言ったかな……人の善意を無下にしてって、思われちゃうかな)


 何度目かの、突き放されたような沈黙がユズキの不安を煽る。

 冷たくなっていく指を感じて、コートの端をぎゅっと握る。


 男の纏う得体の知れない雰囲気は、ユズキの思考に色々なものを投げ込んでいくようだ。

 この締まりのない外見は全て油断を誘うための作り物で、実は狡猾な口先商売人だったのかもしれない。

 詐欺とか、マルチ商法、押し売り、いやいや、拉致、誘拐……

 頭の中で不吉な予測が渦を巻き、負の方向へと加速していく。

 この場を離れた方がいいのかもしれない、と思いつつ、足に力が入らない。


(でも、もし、ただのいい人で、ちょっと天然なだけだったら……? わたし、勝手に悪人扱いしたみたいになるよね……?)


 出口のない自問自答に陥り、ユズキは逃げ出したい気持ちを通り過ぎて、このまま消えてしまえればいいのに、とすら思った。ただ、そんなことはできないわけで、とりあえず占い師には機嫌を直してもらい、穏便にこの場を収めねばならない。


 ジロジロと動き回る男の視線と逃げ回るユズキの視線は、無言でしばらく追いかけっこをしていた。

 やがて、一方が飽きたと言わんばかりに目を閉じたところで、ユズキは息を吸い込んだ。


「あの、すみません! ほんとに、わたし……」


「え! 僕こそ鈍くてごめんなさい!」


「な、何でですか!?」


 ユズキの小さな声に男の素っ頓狂な声が乗り、ユズキは思わず、そして初めて間髪入れずに自分の声を乗せ直した。

 意味不明な反応に、もはや表情を取り繕う余裕や気力さえ体から抜け出していくのを感じる。


「あの、そういう意味じゃなくて……わたしは……」


「へ? 何の意味がどういう意味?」


「え……意味……」


「僕さぁ、途轍もなく鈍感らしいんだよ。昔っからの付き合いの友人にもさ、よく言われるんだよねぇ。今もさぁ、君が僕にどんな悪事を働いたか全ッ然わかんなかった! もしよければ説明してくれないかな?」


 占い師は窮するユズキを気にするそぶりもなく勝手に言葉を継ぎ、下手な役者がセリフを読むような、妙に張り上げた声がビルの谷間に響く。


「ほんと、いきなり謝られてもわかんないんだよね。何? 何しでかしたの君?」


 「すみません」を字義通りの謝罪の意味にとられたらしい、とユズキが気づくのに数秒、そして、これは占い師なりのギャグなんだろうかと考えるのに更に数秒かかった。

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