止まった時計

@hikage

止まった時計

「よいしょっと……」


私はがらんとした部屋を見回す。

部屋にあった荷物はあらかた段ボールに詰め終わった。


地元から都会へ来て10年。

気づけば28歳になっていた。


「10年……いろんなことがあったなあ……」


窓の外を眺めながら、ここでの出来事を振り返る。

建物が壊されては作られるこの街は、景色が安定しない。

都会の独特な雰囲気に、私はどこか不安を覚えていた。

そんな私を支えてくれたのは、父の時計だった。



父は時計職人で、地元ではそこそこ有名な人だった。

しかし今時珍しい堅物で、とても無口。

なので父と会話した記憶はあまり無い。


こんな父が美人の母と結婚出来たことが今でも不思議だ。

母に聞いたら

「最初はお父さんの作る時計に惹かれたの。そこからあの人に惹かれていったわ」

と頬を赤らめながら惚気話をされた。

結婚も母からプロポーズしたらしい。


元々女性と話をするのが苦手だったのかもしれない。

だから娘との接し方も分からなかったのだろう。


そんな父母のもと、裕福とはいえないものの

ごくごく普通の生活を送っていた。


そして私にも、進路選択という人生を左右する問題がやってくる。


私は高校を卒業したら、

デザインを学ぶために都会の学校へ進学したかった。

母は賛成してくれたけど、父には猛反対された。

今思えば、1人娘を都会に単身で送り出すのが不安だったんだと思う。


でも私はデザインの勉強がしたかった。

結局、最後まで父に反対されたまま、地元を飛び出した。



それから専門学校を卒業し、広告デザインの会社に就職。

小さな会社ではあったけれど、早い段階から現場での仕事を経験できた。

でも、知識があっても直ぐに活かせるわけじゃない。

肉体的にも精神的にも疲れを感じる日々が続いた。


家に帰り、着替えようと思ったらインターホンが鳴った。

みると宅配便のお兄さんが段ボールを抱えている。

母からの仕送りのようだ。


段ボールを受け取り、中身を確認する。

野菜や缶詰、カレーのルゥなどが入っていた。

母は月に1度こういったものを詰めて送ってくれる。


その中に見慣れない箱が入っていた。

箱の裏を見ると父の名前が書かれている。

私は地元を出たときの事を思い出し、少し気分が下がった。


いったい何が入ってるんだろうか。

まだ怒っているんだろうか。


恐る恐る箱を開けてみると、中には時計が入っていた。

丁寧な装飾が施された、綺麗な時計。

しかし時計の針は3時12分で止まっている。

運ばれる途中で電池が切れてしまったのだろうか?


「仕送りのお礼のついでにお母さんに聞いてみよう」


そう思い、携帯電話を取り出す。

3回ほどコール音が鳴り、母のもしもしという声が聞こえた。

仕送りのお礼を言いつつ、箱に入っていた時計について尋ねる。

すると、母から意外な答えが返ってきた。


『その時計はね、貴方が生まれた時にお父さんが作ったものよ』



『貴方が生まれた年は、いつもより寒い年だった。

 予定時間よりも生まれるのが遅くてね、深夜の3時を過ぎたの。

 その間、お父さんはずっと病院のベンチに腰掛けて、貴方を待っていたわ。


 そして3時12分に貴方が生まれたの。

 この時間は私もはっきり覚えている。


 お父さんは貴方の姿を見るなり、嬉しさのあまり泣き出してね。

 その日から、その時計を作り始めたの。

 20歳になった貴方に送るために。


 貴方が2本足で歩く頃には出来たかしらね。

 その日からずっと、貴方が20歳になるのを楽しみにしていたのよ』



母の話を、私は静かに聞いていた。


私は、自分の誕生日なんてすっかり忘れていたのに。

忙しさにかまけて実家に顔すら見せてなかったのに。

父は、私のことをちゃんと考えていてくれたんだ。


父が嬉し泣きをする姿は、全然想像できなかった。

でも母の言葉はどこか懐かしく、温かいものを見ているように聞こえた。


私は、父が無口で何を考えているかよく分からなかった。

一時期、父は冷徹な人間じゃないかと思ったこともあった。

でも父の優しさは目に見えないだけで、たしかにそこにある。

そういうものだったんだ。



次の日から、その時計を私はいつも鞄に入れていた。

父が私を守ってくれるような気がしたから。

大変な日々は続いたけれど、不思議と頑張れたのも

きっとこの時計のおかげだと思う。


そんな父が職人を引退して静かに暮らすと聞き、実家に戻ることにした。

私がやりたかったことは出来たし、これからは親孝行をしたいと思ったから。


実家に帰ったら、まずは父に「ただいま」を言おう。

そして「ありがとう」と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

止まった時計 @hikage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る