第2話
ここ、ルスデルは四つある大陸のうち、最も大きな大陸ペンサミエントのちょうど中央に位置する王国である。経済状況は良くも悪くもなく、緩やかな衰退が見えだしている。先代の王が崩御し、現在の王に代替わりしてわずかに上向きの兆しを見せているそうだが、その影響は市井にまでは及んでいない。
王がいることからわかる通り、政治形態は王制である。王国を建国したものの血筋が代々その役目を務めている。ほかの国と比較しても珍しく、政治の腐敗はさほど進んでいない。それは王の権限が絶対的なものではなく、いくつかの権限を複数の機関に分けているからだ。この体制のおかげで陰りは見えるものの、王国の歴史を紐解いたとき愚王はいても悪政はなかった。
さてそんな王国の王のお膝元。ここカイエリはその繁栄ぶり、王国中を見回してみてもないほどである。常に活気があふれ、石畳が敷き詰められた美しい大通りはこの国の名所でもある。東西に延びたこの通りは日が昇る東に王城があり、名産品である石を用いた白亜の城はそれ自体が一つの芸術品のようで旅人の目を楽しませている。
大通りから少しわき道に入るとそこは居住区だ。整然とした表とは違い、人々の生活が感じられる。どこかの家からは昼食の準備かなにかか、いいにおいが漂っており、こじんまりとした通りを主婦たちが雑談しながら歩いている。酒を昼間から飲むやつもいれば、神の威光を説く説法者もいる。どこの国でもどこの町でも見られるような光景。華やかな大通りもいいだろうが、こうした親しみやすさをもつ居住区も旅人にはまた人気なのであった。
しかし、ところによって表情を変えるこの町に魅了されて一人でさらに奥へと進むことはおすすめしない。進めば進むほどにその道は雑多になり、複雑になり、わからなくなるからだ。ここの住人でさえ時たま道がわからないなどというのはよくある話で、さらには王国内で最も迷子探しの依頼件数が多いということからもその迷路模様がうかがえる。建国当初は新米だったこの国が、敵国が攻めてきたとき籠城できるように迷路になったのだなどとまことしやかにささやかれているが、本当のところは考えなしに町を建てたというのが一般の認識だ。いまも王国中枢のあずかり知らぬところで増築、改築が繰り返され、たとえ一週間前に描かれた地図だとしても現時点ではただの紙切れとなっているだろう。
ただ、こうした迷路の奥の奥に掘り出しものというのは存在する。魔剣を打つ職人や卓越した技術を持つ薬師、貴重な書物が売ってある古本屋など、存在を確認されていないのにも関わらず、そういった話は求める人をひきつけ、そして惑わすのだった。なのでいつごろからかそこは人々に「迷宮」と呼ばれていた。
迷宮とまだ町の体をたもっている居住区とのちょうど間に小さな店がある。店といっても軒先に古ぼけたプレートがぶら下がっているだけで、一見どころかよく見ても店だとは気が付かない。よしんば気が付いたとしてもそれが何の店であるかはわからずに通り過ぎていくだろう。だが迷宮に何らかの用事があって赴くときは必ず尋ねるといい。
プレートの表面はさびだらけだが、こう書いてある「案内所」と。このような案内所はいくつかあり、ここはその一つだ。さびれていて営業しているのかわからないようなここに案内を求めるのはふつう思いつかない、さらに言うとほかの案内所はここよりも繁盛している。ならば回れ右をするのが正解だ。事実ここが案内所だと知っているものはたいていがそのようにした。
でもごくたまに、何らかの事情があってここを訪れるものもいる。例えば、そう今そこで「案内所」の目の前に立っている少年がかかえる事情の様に。
「あの、すいません」
古ぼけてつぎはぎだらけの服で少年は緊張しながら案内所のドアをノックした。ほどなくしてドアがきしみながら開く。ドアを開けたのは青年だった。別に特徴というものはなく、どこにでもいそうなそんな顔。体格も並みで個性というものがおよそ感じられない、端的に言えば地味。それに尽きる青年だった。ただ、若いのに苦労しているのか黒髪にはいくつか白が見えた。
青年は頭をかきながら、親しみやすさを覚える微笑みを浮かべ少年を見下ろす。
「ここは案内所に間違いないでしょうか?」
年に見合わず大人びた口調の少年に青年はにこやかに答えた。
「はい。そうですよ」
青年の肯定を聞いて少年は年相応にぱっと顔を輝かせると、ポケットを漁り小銭を両手いっぱいにつかんで掲げる。それらを青年に手を開いて見せた。つかんだ小銭は数こそ多いものの質の悪い銅やすずでできており、これだけあっても鍋が一つ買えるか買えないかというほどだった。
「これで僕を迷宮に連れて行ってください」
青年はにこやかな態度を崩さなかったが、その言葉を耳にした瞬間若干目に険しさを宿らせ少年を見つめる。それを悟ったのか少年はとりつくろうように青年の目から顔を背けながら言った。
「…あの、迷宮が危険な場所だということはわかっています。でも、それでも僕にはほしいものがあるんです」
青年はしばらく何も言わずに少年を見つめていたが、うつむく彼の掲げられた手が次第に弱弱しく下がっていくのを見てため息をついた。
「はぁ~……断るか断らないかは話を聞いてからにするから、ひとまず入って」
少年は顔を上げると期待に満ちた表情で「はい」と言った。青年はまだ決まっていないんだけどと苦笑しつつも少年を店へと招き入れるのだった。
◇
店内は書斎といった感じで、資料が入った棚と机。接客のための小さなテーブルとそれを挟むように置かれたソファー二つが置かれていた。照明も明るすぎず落ち着いた雰囲気になっており、外のさびれた感じとのギャップに少年は少し驚く。入り口で立ったまま、ぼけっと店内を眺めていた少年は青年に「入らないの?」と言われたことで慌てて一歩を踏み出した。絨毯の柔らかさが木靴を通しても伝わってくる。見た目にはわからないが質のいい生活はしているらしい。少年は依頼の成功に期待が持てると思った。
青年はソファーに座ると、対面のソファーに座るよう少年に手で促した。筋肉質でありはするがたくましいとは程遠い腕だった。
案内人は誰でもなれるわけではない。町を把握する、知識、情報網、勘といった精神面はもちろんのこと、国の管轄外にあるここでは日常茶飯事の荒事を対処する腕っぷしも要求される。しかし少年から見る青年は荒事とは程遠そうだと感じる。だとするならばこの青年は従業員か何かなのだろう。
青年は少年がおずおずと座ったのを見ると、彼の値踏みするような視線から逃げるように(実際は何も考えてはいないかもしれない)席を立った。青年はちょうど入り口とは対面にある扉の向こうに消えると、ほどなくしてティーカップ二つと角砂糖をお盆に乗せてくる。
「紅茶は好きかい?」
青年はソファーの前のテーブルにお盆を置くと少年にティーカップを手渡しながら尋ねた。
「好んで飲むわけではないですけど嫌いではないです」
それはよかった。青年はそういうと席に座った。少年は少し疲れていたこともあって紅茶を早速一口飲む。なんということはない、普通の味だった。ただ、目の前の角砂糖には驚いた。少年は角砂糖に手を伸ばす。一応青年に視線でいいのか尋ねてみたが、青年は変わらず微笑んでいるだけだった。
砂糖は十年ほど前ぐらいに大量生産が可能になったが、それは依然と比べて、という程度に過ぎない。需要に対してまだまだ足りないのが現状だった。そうなると市場のバランスから砂糖は少々お高く、ちょっと裕福な商人でもない限りお茶に入れて客にだすなどは少し考えられない。
そこまで考えて少年は伸ばした手を止めた。これはきっとあれだ。あとから請求する気なのだ。青年が止めないのも「金があるなら使えや、ガキ」という意味ではなかろうか。そうなると先ほど紅茶を飲んだことが悔やまれる。これで難癖をつけられてはたまったものではない。そう手を伸ばした状態で固まったまま戦々恐々としているとそれをさっしたのか青年は笑い声をあげた。少年はぎょっとする。
「それ、もらいもので常飲するのはもったいなくてね。でも使わないとダメになってしまうし、こういうときぐらいしか使わないんだ。気にすることはない。おそらく君が恐れている事態は起こらないし、起こすつもりもないよ」
青年は目の前の角砂糖を小さいトングでつまむとひょいひょいと入れ始めた。そこでようやく少年も一つ角砂糖を入れると置いてあったスプーンでかき混ぜる。今から依頼する相手の言うことを信頼していないそぶりを見せることはできなかったし、これぐらいなら相場から考えてもいざというときどうしようもなくなることはないだろう、と思ってのことだった。
一口紅茶をすすると舌に甘みがほのかだが、まとわりついた。少年はそのまさしく甘美なるおいしさに頬を緩めるとちびちびと飲み始めた。思考こそ大人びてはいるが、体はまだ子供。こうした甘さにはめっぽう弱い。先ほどの算段も忘れてうまそうに紅茶をすする姿は迷宮とは無縁の姿だった。
ドボッ……ボチャッ、ドボッ。紅茶を堪能する少年の耳にかすかな異音が届いた。疑問に思い今まで夢中になっていた紅茶を飲むのをやめてカップを下ろすと、相変わらず少年を見ながら微笑んでいる青年が次々とティーカップの中に角砂糖を放り込んでいるのが視界にはいった。十数個はあった角砂糖が今や二個だけとなっており、青年のもつティーカップの中に入っている砂糖の量を想像してゆるんでいた頬が再び引き攣るのを感じた。砂糖はおいしい。そして滋養強壮の万能薬としても用いられる。ただ薬も過ぎれば、毒となるように青年の摂取しようとしている量は明らかに常識の範疇を超えていた。もうおいしいとかそういうレベルではないということだ。
ジャボッ。最後に泥水に石をぶち込んだかのような音が聞こえ、ここでようやく青年はスプーンを回す。明らかにスムーズではない。ティーカップの中の液体の粘度が相当なものであることが窺えた。気のせいか砂をすりつぶすような音も聞こえるのだが、気のせいだろう。その液体と固体の中間にあるような物体を青年は口元に近づけるとスプーンを使って咀嚼した。咀嚼したのだ。
「うん。コーヒーとはまた違った紅茶の良い香りと繊細な味がするね。ただ少し俺は入れるのが下手でね。おいしいとまではいかないんだよ」
繊細?口から出そうになった言葉を少年は必死に押し込んだ。たぶん自分にはその砂糖の量だと元が水であっても紅茶であってもわかりはしないだろう。
「さて、それで用件をうかがおうか。君のような育ちのよさそうな少年が迷宮に入るに足る理由を」
紅茶ではない何かが入ったティーカップをテーブルに置き青年はそう切り出した。青年の言葉に少年は驚いた。やはり案内人のもとで働くことはある。青年はわずかの間で自分の所作から素性を読み取ったのだ。少年は確信する。これなら依頼するに値すると。眉唾物のうわさに藁をもすがる思いでここに来たが、神は自分に微笑んでくれたようだ。少年はニヤリと心の中で笑う。
「お願いしたいのはとある質屋への案内です」
◇
青年は少年と迷宮にいた。建築構想もてんでばらばらな建物が空を覆いつくさんと上へ上へと伸びている。酸味と甘みがごちゃ混ぜになった臭気が二人の頬をなでる。この世の混沌。人の性渦巻く魔性の地。入った瞬間に少年はわかった。ここに入ってはいけないと。頭に警鐘が鳴り響く。迷宮を歩むごとに慣れるどころか、より不安は増すばかりだ。
その不安をさらにあおるのは目の前を歩く青年。てっきり従業員かと思ったが彼こそがあの案内所における唯一の案内人らしい。ひょろっと伸びた背、温和な微笑み、ゆったりとした足取り。どこにでもいそうな、だけど迷宮には絶対にいない姿。案内所で自分の素性を言い当てて見せたことには感心したが、それは従業員だと考えていたからで彼自身が案内人であるならばそれぐらいは最低ラインだ。
青年はさっきからふらふらと歩くと「あれぇ~?」と声を上げてまた来た道を戻る。そしてまた首をかしげて、道を戻る。これがすでに少年が数えるだけで九回は繰り返されていた。もう二時間はたっただろうか。建物の間に見える空は「幻想」だから参考にならないが体感時間でそれぐらいは経っている。
少年は帰りたくなっていた。でも帰れない。もう入ってしまった以上、青年に頼るしかないのだ。少年にはその頼みの綱が絹糸よりも細い気がしてならなかった。こんなことになるなら砂糖をもう少し食べてもよかったかもなと過ぎたことを思った。
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