第11話 戎谷家

 有悟君は歩きながら私の姿を確認しながら話し始める。

「安居さん、僕は家に帰るけどどうする?」

「他に行くところもないし、有悟君さえよければお邪魔するよ」

「わかった」

 有悟君は最寄りのバス停からバスに乗る。しばらくバスに揺られ、高級住宅街近くのバス停で降車する。

 それからしばらく歩き、一軒の三階建ての家の前で有悟君は足を止める。私はその家を見上げ、その大きさに思わず声が漏れる。

 有悟君は門を開けて、私をじっと見つめる。その視線に気づいて急いで有悟君の脇を通って敷地内に入った。そのまま有悟君は玄関の扉を鍵を開けて中に入る。

 有悟君が玄関で靴を脱いでいると奥から一人の女性が顔を出した。

「おかえりなさい、有悟さん。今日は早かったんですね」

紗和子さわこさん、ただいま。ちょっと事情があって今日と明日は午前授業なんだ」

「そうだったんですか」

「あっ、紗和子さん。体操服の洗濯お願い。あとさ、シャツのボタン取れたから付けてもらっていいかな?」

 有悟君は体操服の入ったトートバッグを先に渡し、その場でシャツを脱いでボタンと共に渡す。

「わかりました。それでは、また付けておきます。シャツはこのまま洗濯でよろしいですか?」

「うん。お願い」

「夕食はどうしますか?」

「適当に作っておいて。食べるときに温めて食べるから」

「わかりました」

 紗和子さんは一礼して一階奥の部屋に戻っていく。私はそれをドラマでも見ているかのようにぼんやりと見ていた。やり取りからして使用人か家政婦と言ったところだろうが、実在しているのは初めて見た。

「安居さん?」

 有悟君の小声で呼びかける声に我に返り、「有悟君、靴脱げないみたいだけど、このまま上がっていいかな? 私、幽霊だから汚すこともないと思うけど」と、確認する。有悟君は無言で頷いて、近くの階段から二階に上がり、ドアを開けて待っていてくれていた。どうやら、あそこが有悟君の部屋のようだ。男の子の部屋に入るのは初めてなので緊張してしまう。

「失礼しまーす」

 おそるおそる足を踏み入れると、テーブルにベッド、壁には本棚とクローゼットとシンプルな感じで生活感の薄さに、モデルルームの一室という印象を受けた。

 本棚には参考書から小説まで色々と並んでいたが、漫画の類はなかった。あとは大きなオーディオがあるくらいで、有悟君がどんな趣味を持っているのかは部屋から読み取るのは難しかった。ただ、一つあるとすれば――、

「有悟君ってギターけるの?」

 部屋の隅に立てかけられていた、アコースティックギターを指差しながら尋ねる。

「うん。まあ……」

「すごいね。私なんて楽器は全然ダメだよ。こう両手を別々に動かすってのがどうもね」

「そのへんは練習と慣れでなんとかなるよ」

 有悟君は私が見えないピアノ的な何かを弾いてる姿に小さく笑いながら答える。

「ねえ、よかったら少し弾いてくれないかな?」

 有悟君は頷くと、ギターを手に取り、床に腰を下ろした。そして、ギターの調弦ちょうげんをして、指を軽くストレッチする。

「まあ、あんまり上手くないけど一曲だけ……」

 有悟君は息を一つ吸い込んでギターを弾き始める。ギターは柔らかな音を奏で始める。聴いたことがあるようなスローテンポな曲が部屋に響く。時折、キュッキュッと弦がれる音が混じり、その度に有悟君は少し顔を歪めつつ、それでも手を止めることなく演奏を続ける。そして、余韻よいんを残すように演奏は終わる。

「すごい! すごい! 聴き覚えのある曲なんだけどなんてやつだっけ?」

「竹内まりやの『元気を出して』って曲……僕、この曲好きなんだ」

「そうなんだ。ギターはずっとやってたの?」

「小六のころからかな……まだそのときは母さんがテレビとかに出てなくて忙しくなくてさ、週末に連れて行ってもらったデパートでやってたアコースティックの演奏会でこの曲弾いててさ、自分もやりたいって思ったんだよね。で、その年のクリスマスに初めて自分からねだって買ってもらったんだ」

「やりたいって思って、やれるってすごいなー。そういえば、ギターと言えば有悟君のお兄さんも上手だったよね? 一緒に始めたの?」

「うん。あの人も同じときに買ってもらってた。あの人は、あのとき洋楽のロックにはまってたから勉強の合間に喜んで練習してたよ」

 有悟君はギターをさすりながら、小声で続ける。

「あの人に……兄さんに勝てたのはいままででこれくらいだったんだ。丸々一曲、先に弾けるようになったのは僕だったんだけど、結局は追い抜かれちゃってさ……」

「そんなの気にすることないじゃん。有悟君は有悟君なんだし、私は有悟君の演奏好きだよ」

 有悟君は驚いたような表情を浮かべ、「ありがとう」と言った後、「ごめんなさい」と続けた。私には謝られる理由が分からなくて、「また聴かせてね」としか返せなかった。

 有悟君はギターを元に戻し、服を着替え始める。私は視線を逸らして見ない様にしながら、

「そういえば、玄関で迎えてくれた人……紗和子さん、だっけ? もしかして家政婦さんとかいうやつ?」

 と、背中越しに尋ねてみる。

「うん。住み込みでいてもらってるんだ。父さんは仕事が忙しいみたいで、職場に近いところに部屋借りてるからここに帰ってくるのは年に数回だし、母さんは大学とテレビと執筆とで飛び回ってるから着替えを取りに来る以外はホテル住まいしてるみたい。兄さんは今は一人暮らししてるからね。まあ、母さんがテレビに出るようになって忙しくなった中二辺りくらいから家に誰もいない時間多くなって、家の管理だとかが大変だからそれこみでお願いしてるんだ。で、最初の人は半年足らずで辞めて、紗和子さんは二人目」

 有悟君の家の事情は噂で聞いていたけど、実際はほとんど兄弟二人と家政婦さんの三人で暮らしていたのだと知り、家族揃って食卓を囲めていた私の家はそれはそれで幸福だったのだと気付かされる。

 今日、保健室で小崎先生と話しているときに、「家にすぐに帰っても仕方ない」と言っていた有悟君の横顔を思い出して、ずっと人に話せないような苦労をしてきたんだろうなと勝手に推測する。それは今も言葉の端々に表れていて、秀介さんのことを時折“あの人”と呼ぶあたり、兄弟仲があまりよくなかったのかなと思うも、深入りするつもりも詮索せんさくするつもりもないので真相は分からない。


 その後、有悟君は部屋で勉強を始めた。時折、こっちを気にしているようだった。たしかに、自分の部屋に普段はいない他人がずっといて自分の方を見ていると言う状況は落ち着かないのだろう。気を遣って音楽を掛けてくれたりしたけど、私はベッドに腰掛けてぼんやりと部屋の中を見回したり、有悟君の姿を見ていることしかできなかった。

 何度記憶を辿ろうにも昨日のことはまだ霞んでいて、それなのに今日起きたことははっきりと覚えている。特に両親の悲しむ顔は思い出すだけで胸が痛い。

 私は何もできないあやふやで曖昧な存在だけれど、自分にはどれだけの時間が残されていて、何のために幽霊になったのだろうか?

 全ては自分が死んだ真相にたどり着けば見えてくるのかもしれない――。

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