第12話 夜咄

 夜もけてきて、有悟君が寝る準備を始める。ベッドは私に譲ってくれたけど、幽霊は眠れるのだろうか、という素朴そぼくな疑問に行き当たる。しかし、今日の朝は起きたところから始まったので寝れるのかもしれないと思うことにした。

 部屋の照明が落とされ、薄暗くなった部屋の中、有悟君の息遣いだけが聞こえてくる。

「ねえ、有悟君。まだ起きてる?」

「起きてるよ」

 今は有悟君だけが私を認識してくれる。私にとっての唯一と言っていい重要なつながりを確認したかった。

「ねえ、有悟君。眠るまでの間、何か話聞かせてくれない?」

「そう言われてもな……僕はこれと言って面白い話ができるわけじゃないんだ」

「なんでもいいよ。有悟君の楽しかったことや悲しかったことでもなんでも」

「そうだな……ねえ、安居さんはあの人……兄さんのことはどう思う?」

「どうって?」

「みんな、兄さんのこと好きだろ? なんでもできるし、人当たりもいいし、それに弟の僕から見てもかっこいいしさ」

「すごい人だなと思うよ。でも、直接関わりあるわけじゃなかったし、人づてに有悟君のお兄さんのすごいって話は聞いたよ。あと授業を有悟君みたいに抜け出してたってのも聞いたことあるかも」

 それから私の知っている秀介さんの話をする。それは一種の武勇伝ぶゆうでんというか一人の人間の優秀さのみを抽出ちゅうしゅつされた話で――。

「――って感じかな。私が知っているのは」

「安居さんが話した内容はその通りなんだ。スポットライトが集まって明るい場所があれば、光の当たらないところにいる人間が出てくる。例えば、兄さんの同級生。でも、ほとんどの人が敵わない対象として兄さんを見ているから比べられることもなく、競おうとする人もいないんだ。だから、兄さんだけが特別照明を集めているだけで周りには特には影響がないんだ」

 有悟君が大きく息を吸い込む音が聞こえる。

「だけどさ、兄弟の僕は何があっても比べられるんだ。スポットライトの当たる人のすぐ隣にいる人は何もしていなくても一緒に照らされてしまう。それは子供の頃からずっと――。どんなにいい成績をとっても、成績以外も優秀な兄さんと比べられて、聞こえないようにも聞こえるようにも陰口を言われ続けたんだ」

「どんな?」

「“優秀な兄の下位互換”とか、“遺伝子が優秀なだけの欠陥品”とかだね」

「ひどい……」

「安居さんも思い当たることあるでしょ? 兄さんの話になったときにふいに僕の方に視線や注意が向いて、ため息を漏らしたりだとか、そのまま視線を逸らしたりだとかさ……無意識にみんな比べているんだよ。そして、がっかりするんだ。どうして、そこにいるのが優秀な兄の方じゃないのか、ってね……」

「そんなこと――」

 そんなことないと否定しようとしたが言葉にはできなかった。そして、意識的にも無意識的にも比較を自分がしたことないとは言えない。実際、今日も有悟君を秀介さんと比べていたし、有悟君の言っていた状況は何度も見ている。

「でも、それは兄さんに比べて劣っているのは事実なんだから仕方ないことなのかもしれない。僕はいつも最初は兄さんと同じことを期待されるけれど、僕は兄さんじゃないし、兄さんほど優秀じゃないからね。実際、僕が兄さんを上回ったことなんて思い当たるのは今までで二つしかないからね」

「有悟君が上回ったのはなに?」

「一つは今日聴かせたギター。コードを覚えるのは僕の方が早かったし、曲を一曲弾けるようになったのは僕の方が先だった。あとは広谷先生に対する報復ほうふくの度合いかな?」

 また物騒なワードが出てきたことに私は身構える。

「報復って……」

「ああ、これはそんなに変な話じゃないんだ。僕も兄さんも広谷先生に英語で同じミスというか重箱じゅうばこの隅をつつくような指摘をされたことがあったんだ」

「どんなこと言われたの?」

「テストで間違ってないのに、正解になってなくて理由を聞きに言ったらさ、“n”と“h”の判別がつきにくい、って言われたんだよね」

「あはは……細かいね。それで有悟君はどうしたの?」

「その後の広谷先生に関わる英語は全部筆記体で書いた」

 私は思わず「うわっ」って声が漏れた。有悟君はそれを聞いて、「自分でもやり過ぎたかなって思ったんだけどね」と笑った。

「それで、どうお兄さんを上回ったの?」

「そのままずっと筆記体で書いてたら、ある日職員室に呼ばれてさ、「どうしてお前ら兄弟は同じことをするんだ? 兄の方は“n”と“h”しか筆記体で書かなかった分、まだかわいげがあったぞ」って、笑いながら言われたんだ」

「あはは。広谷先生から一本取るなんてすごいね。あの先生がやり込められてるの私、見たことないよ」

 有悟君も一緒になって笑っていたが、私には分からない、知るよしもない苦労をずっとしてきたんだなと思うと笑っていいのか分からなくなった。

「まあ、広谷先生とはそれ以来いい関係なんだけどね。元々、うちの事情知ってたから気を遣ってくれてはいたみたいなんだけどね」

「そうなんだ」

「うん。三者面談とかで親が来れなくて、二者面談になっても嫌な顔しなかったし、僕と兄さんをちゃんと区別して扱ってくれる人だったからね。でも、周りに生徒がいないときは僕のことを“戎谷の有の方”って呼ぶんだよな。あの調子だと兄さんは、“戎谷の秀の方”って呼ばれてたかもね。とにかくさ、学校で信頼できてちゃんと話せる人は、広谷先生と保健の帆南先生――小崎先生しかいないんだよね」

「私が生きてたら、話せる人に入ってたかな?」

「分からない。話すようになったのは今日からだし、事情が事情だし……」

 有悟君の言葉に覇気はきがなくなる。

「なんかもっと早く有悟君と話せるようになりたかったな。きっと仲良くなれた気がするな」

「うん。そうだね……もっと早かったら違ったことになったかもしれないね……」

 有悟君はそう言うと、「ごめん、もう寝るね」と、続け布団のれる音が聞こえた。

 私はもう少し何か話していたかった。静かになった部屋で見慣れない天井を見上げ、ゆっくりとまぶたを閉じることにした。

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