第9話 触れない優しさ

 家から出て歩き出したはいいものも、強い決意とは裏腹に私の足は止まってしまう。

 謎を解き明かすにしても、頼みの綱の有悟君は学校で別れてしまったし、彼の「行く場所に迷うようならウチに来なよ」という言葉に甘えようにも住所を知らない。

 私が有悟君――戎谷有悟という人物について知っていることは、成績だとか学校での生活態度以外では、私と有悟君の二つ上で今年の春に同じ桐ヶ丘学園を卒業した有悟君の兄や両親のことくらいしかしらない。

 もしかすると、有悟君本人より、彼の家族の方をよく知っているかもしれない。


 有悟君の兄、戎谷えびすだに秀介しゅうすけは学校内外で有名人だった。

 秀介さんは三年間テストは常に学年トップで、成績はもちろんオール五。さらには、運動もできる万能超人で芸術選択で音楽を選択し、楽器演奏も歌も相当上手かった。

 容姿も痩せ型で背もスラッと高く、顔はモデル顔負けというほどで、街を歩けば、ファッション誌の取材やスカウトにあうほどだったそうだ。友人の美菜が秀介さんのった雑誌を手に盛り上がっていたのをよく覚えている。

 秀介さんはそんな自分の高すぎるスペックを鼻にかけることなく人当たりもよく、周りにはいつもたくさんの人がいて男子からも女子からも人気が高く、比喩ひゆでもなんでもなく彼を中心にいろんなことが動いていたと思う。

 その一つに去年の文化祭では、クラスの模擬店もぎてん有志ゆうしで参加したバンド、ミスターコンテストにと大いに目立っていて、まさしく彼のための文化祭だった。

 模擬店には行列ができていて、私も美菜に誘われて行ったが、色々とすごかった。まず時期に合わせたハロウィン風の飾り付けのされた室内に、仮装をした生徒が接客をしていた。メニューもハロウィンを意識したものがほとんどで、特にかぼちゃケーキが好評をはくしていた。

 それだけでなく、「トリックオアオーダー」と注文をとりにきた生徒がお客をあおり、注文をしない、または遅いお客に対して水鉄砲やムースで悪戯いたずらをするという趣向しゅこうもウケていた。

 さらに模擬店の宣伝もかねて、有志でバンドを組んでハロウィンの仮装のまま演奏を披露して、それも大盛況だった。そんな秀介さんのステージに、アイドルのコンサートを見るかのように多くの女子が黄色い歓声を上げていた。

 卒業式の際には、制服の袖のボタンまで女子が取り合ったと噂に聞いていた。

 私はすごい人がいるなと思いはしたが、他の多くの女子のように憧れや恋心を抱くということはなかった。

 秀介さんも相当だが、戎谷家は両親もすごかった。

 父が文科省のキャリア官僚、母が大学教授をしながらテレビでコメンテーターもしていて、女性問題や教育問題を中心に本を出版しているらしい。さらに祖父は元国会議員の大臣経験者で、田舎町で隠居しているそうで――。

 そういう家柄ということもあり教職員も迂闊うかつに踏み込むことができず、少々の問題があっても見逃されていた。去年一年間はさながら学校は戎谷秀介のべる小さな王国のようになっていた。

 また問題を見逃されているのは有悟君も同じで、度々授業を抜け出して休んでも注意されるどころか欠席扱いにすらなっていない。それで成績もいいのだから教師からしても強く文句も言えない状態になっていた。

 それは生徒からも同じで授業に出席していようがいまいが気にする生徒はほとんどいなかった。また秀介さんの話題になると有悟君がどうして秀介さんのような人ではないのかと勝手に比較して落胆する生徒もいる。有悟君は優秀な戎谷秀介の弟という扱いでしかなく、同じ血を引いているとは思えない劣化版とかげさげすまれていたのだった。

 だから、誰も好き好んで有悟君とは絡まないし、有悟君も一人でいいと思っている節がどこかにあったように思えた。だからこそ、有悟君は誰も頼らない。忘れ物をしたりだとか小さなミスもしない。そんな分厚い壁の中に立てもる有悟君は、兄の秀介さんとは反対に生徒からも教師からも距離を置かれる異質な存在だった。


 しかし、私はそうは思っていなかった。


 有悟君は学業面は秀介さんと引けを取らないほど優秀だし、背は一回り小さいがよく見ると顔つきもよく似てはいる。容姿はいい部類なのだが、軽い猫背で前髪が長めで髪もきっちりと整えているわけではないので、どこか暗い印象を与えているだけなのだ。

 有悟君はどんなに優秀でも、家族というフィルターでゆがめられてしまい不当に評価されないのだと感じていた。

 それに何度か有悟君が人知れず勉強しているのを見かけていた。放課後の図書館の一番隅だったり、予備校の帰りに前を通るファミレスで遅い時間に一人勉強をしているのを何度か見かけていた。

 有悟君が何もしないで成績を維持しているわけではないことを知って、私は自分もがんばろうというモチベーションになっていた。

 ただいつ見ても、有悟君は一人だった。

 生前の私にとって戎谷有悟という存在は、尊敬できるクラスメイトであり、恋とまではいかないがその一歩手前というような淡い感情で――分かりやすく言えば、気になる存在という感じだった――――。



 私は有悟君と会える可能性のある場所として思いつくのは学校以外では予備校の帰りに通るファミレスくらいで、とりあえずそこに向かうことにした。今日会えなくても、明日学校で会えればいい、というどこか楽観とも諦めとも言えるような感覚だった。

 歩き出して、私はまたしてもすぐに足を止めた。

 なぜなら、近くの自動販売機の影に隠れるように有悟君が立っていたからだった――。

 私は有悟君に近づいていき、

「有悟君? どうしてここにいるの?」

 と、声を掛ける。有悟君は気まずそうに視線を逸らす。私は答えを待たずにさらに一歩近寄り、触れることができないと分かっていたけれど、有悟君のブレザーの肘辺りをそっと掴んだ。

「ねえ、有悟君? 有悟君にはまだ私のこと……見えてるんだよね?」

「どうしたの、安居さん? ちゃんと見えてるよ」

「そう……よかった……」

 私は今の自分の存在を肯定してくれる唯一の存在の有悟君に会えたことでホッとしていた。ついさっき見たばかりの両親の悲しそうな表情が浮かんできて、涙が出そうになってくる。私は顔を上げないまま最初の質問を繰り返す。

「ねえ、有悟君はなんでこんなところにいるの?」

「それは……心配だったから気づかれないように付いてきた」

「まさかずっと歩いて?」

 私は思わず有悟君の顔を見上げる。有悟君は小さく首肯しゅこうして見せた。もう一度視線を下に落とすと、有悟君の手には飲みかけのペットボトルが握られていて――。

「有悟君……頭いいのに、バカだね。なんで君は真っ正直に歩いているのよ……。私と違って幽霊じゃない君は疲れたでしょ?」

 声が震えているのが自分でも分かる。

「まあ、疲れたけどさ、歩き以外に付いていく方法なかったからね。まあ、そんなことより今は安居さんを完全に一人にしない方がいい気がしてさ……」

 有悟君の声を聞きながら、さらに視線を下に落とす。有悟君の履いている靴は革靴で――校則で靴の規定はないので、運動靴で登校する人が多いなかで、長距離を歩くように設計されてないような一般的な革靴で歩き続けたのなら、足はさぞ疲れているだろう。

 私のためにそこまでしてくれる有悟君の優しさというかまっすぐさに私はこらえていたものが限界を迎える。

「有悟君。そのままこっち見ないで、動かないでいてくれる?」

「――わかった」

 有悟君の返事を合図にするかのように、私は触れることのできない有悟君の腕にすがりつくようにして、声を出しながら泣いた。止めることのできない感情を私は涙として、排出し続けた。

 有悟君は私が泣いている間中、黙ったままずっと立ってくれていた。私がすがっている手とは反対の手で触れることのできない私の頭を撫でようとしてくれるのが分かる。


 どうしてこんなにも優しくて、頭もいい有悟君は、いつも自信なさげに俯いているのだろうか? どうして、人と関わろうとしないのだろうか? 有悟君の人となりをちゃんと知れば、有悟君はクラス内で浮いたりすることはないはずなのに――――。


 そんな疑問を感じながら、私は地面をらすこともない涙が止まるまで泣き続けた。途中から、有悟君の不遇を嘆く涙も混じっていたかもしれない。


 私の中で戎谷有悟という存在は、この半日でとても大きな存在になりつつあった――。

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