第7話 Day 0 小崎帆南
昨日、つまり十月十一日の放課後。
私はいつも通り夕方五時少し過ぎに保健室を閉め、職員室の隅にある私の机で業務日誌を書いたりしていた。
陽が傾き、窓から見える景色に黒が混じりだしたそんなとき、「失礼します」と女子生徒が職員室に入ってきた。しかし、その生徒は職員室に入ったものの誰に話しかけようかと戸惑っているようで、扉の脇でおどおどと視線を彷徨わせていた。その落ち着かない様子が私は気になり、自分から声を掛けることにした。
「どうかした? 顔色があまりよくないようだけれど――どこか調子悪い?」
「いえ、そうじゃなくて……あの……私、美化委員なんですけど、今日は定例の委員の仕事があって、解散の
「わかった。校内放送かけるから、いなくなってしまった子のクラスと名前を教えてくれるかしら?」
目の前の生徒はブレザーのポケットから折りたたんでいた紙を広げそれを見ながら、名前を伝えてきた。
「いなくなったのは、二年C組の安居朱香さんです」
私は近くにあった紙の裏に名前とクラスをメモをする。
「わかったわ。それじゃあ、少しそのまま待っていてくれるかしら?」
「わかりました」
私はメモを片手に、二年生の学年主任をしている広谷先生に声を掛け、一緒に教頭の
そして、状況を説明すると、磯崎先生は
「わかりました。校内放送は私がかけます。それで小崎先生と広谷先生は手の空いた先生を連れて、美化委員の生徒と共に校内を捜してください。他に手の空いた先生を見かけたら応援に行ってもらいます。私は放送した後も職員室に残りますので、捜した場所を含め報告してください。現場での指揮は広谷先生に任せます」
と、指示を出した。私と広谷先生は指示通りに手の空いてる先生と用務員、美化委員の生徒で四人前後のグループを作り、分担して校内を捜し始めた。
途中、私は一緒に回っていた美化委員の一年生の男子生徒を連れ非常階段を見て回った。その際、二階と三階の間の踊り場で忘れ物と思わしきトートバックを拾った。中には体操服が入っていて、名前の
戎谷有悟は一年生のころから度々保健室にやって来ていて、言い方は悪いが保健室の常連のような生徒だった。彼はストレス性の慢性胃炎で悩んでいるようで、薬を貰いに来たり、休みに来たりしていた。そして、彼の抱える悩みの一端である家族について触れる機会があり、それからできるだけ話すようにしていたら、いつしか有悟君、帆南先生と下の名前で呼び合いながら話をする仲になっていた。もちろん有悟君とは生徒と教師として仲がいいだけだった。
有悟君の忘れ物を回収した後、そのまま非常階段を降りていき、階段下で個人練習をしていた吹奏楽部の生徒に話を聞くことにした。
「ねえ、君――」
私が話しかけようとした矢先、私と行動を共にしていた生徒が先に話しかけていた。
「あっ、
「おお、
古瀬君はアルトサックスを軽く持ち上げて見せながら答える。
「古瀬君でいいのかな? 君はずっとここで練習してたのかしら?」
「はい、そうですけど……あっ、でも、途中何度かトイレとかでいない時間もありました」
古瀬君は困惑の表情をこちらに向けてくる。
「それでもいいわ。君に聞きたいことがあるんだけど、誰かこの非常階段を使った生徒はいなかったかしら?」
「そうですね……戎谷先輩が通りましたよ」
「えっ……戎谷って、二年生の?」
「はい。俺……いや、僕は個人練するときはいつもここでやるんですけど、戎谷先輩は放課後よく非常階段の踊り場で時間を潰してるみたいで、けっこう顔を合わせるんですよ。今日もそうだったんじゃないですか?」
私はやっぱり有悟君かという思いと捜している生徒の足取りが掴めなかったという思いから、二重の意味でがっかりし肩を落とした。
その後、校舎周りを一回りし、有悟君の忘れ物を保管するためにも一度職員室に戻ることにした。
職員室では磯崎先生が校内の見取り図のコピーを机に広げていて、捜索した場所には印が付けられていた。私は磯崎先生に自分が回ったルートといなくなった生徒に関する情報がなかったことだけを報告し、有悟君の忘れ物を手に拾った場所や拾った人物の名前を書く紙への記入を手早く済ませ、保管場所に置いた。
その後、捜索に戻り、校内を再度歩き回った。一通り学校内を見終わったが成果はなく、時間が遅くなってきたので、まだ帰らなくても問題がない生徒以外は先に下校させた。残った生徒は数人で、部活の監督を終えた先生を加え、もう一度校内を隅から隅まで探し始めた。
外はもう太陽の光の
そんな校内に女性の悲鳴が響き渡った。悲鳴の方に駆けつけると、既に人が集まって輪ができていた。
そこは中央階段の最上階――屋上に通じる扉の前に広がるスペースで、そこに置かれた掃除用具の備品が保管されている大きめの掃除用具入れの一つの扉が開けられていた。掃除用具入れの前には悲鳴の主と思われる派遣の清掃業者の中年の女性が床にへたり込んでいて、その横には立ちすくんでいる一人の男子生徒がいた。
おそるおそる開いている掃除用具入れの中を遠目に覗き見ると、一人の女子生徒のぐったりとした姿がそこにあった。
私は思わず飛び出していって、その女子生徒を掃除用具入れから出して床にそっと寝かせ、呼吸と心音の確認をする。しかし、そのどちらも既になく私は力なくその場に座り込み、女子生徒の顔を見る。口からは泡を吹いているようで視線を首に落とすと手で絞められたような痕があった。
手遅れなのは誰の目にも明らかで、その遺体の女子生徒が捜していた安居朱香だった――。
その後、すぐに警察に連絡し、その場にいた私含め全員が事情を聞かれることになり、それが終わるころには搬送先の病院で安居さんの死亡が確認された。
警察から解放され、今度は職員室で今残っている教職員だけで緊急の職員会議が開かれることになり、今後の対応などが話し合われた。それが終わり、家に付いたころには日付が変わっていた。この日ばかりは自分が車通勤をしていてよかったと思えた。そうでなければ、誰か別の先生の車かタクシーに相乗りすることになり、さらに疲れていたことだろう。
翌日。つまりは今日の朝、定例の職員会議の時間を前倒しして朝早くに集められ、再度全体で職員会議を開き、学校として取るべき方向性が話し合われた。
そして、最終的に教頭と校長、理事長の言によると――、
ここ、桐ヶ丘学園に通う生徒が亡くなったのは痛ましいことではあるが、亡くなった生徒が幸いにも両親が一般家庭の生徒であることから、警察には協力するが
そして、警察からの要望で行われることになったのがアンケートと身体検査だった。それが意味するところは安居朱香を殺した犯人が学校関係者、とりわけ生徒の可能性が高いということだった。
また、事情が事情だけに緘口令が敷かれることになり、生徒や保護者に伝える情報は厳しく管理されることとなった。朝のホームルームで生徒に伝えられることが決まり、どこまで踏み込んで話すかは配布資料に書かれている範囲でとなっていた。
私は意見する立場にないので、学校の決定には従うしかないが、正しさとは何かということを考えさせられ、どこかやりきれない思いを抱えることになった。
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