第4話 幕開け

 教室は閑散かんさんとして、もう片手で数えるほどしか残っていなかった。廊下や校内から響いて聞こえてくるわずかな音を聞きながら、これからどうしていいかも分からない私は教室の自分の席付近でただ立ち尽くすだけだった。

 誰にも気づかれない、見えないというのはやはり寂しい――。

 まだ教室に残っていて、今まさに帰ろうと私の横を通り過ぎようとしている戎谷君だって、私に気づく素振りすらない。

 しかし、通り過ぎがてら私の横で一瞬立ち止まる。

 それだけではなく、「安居さん……付いて来て」と、小声で声を掛けられた。突然のことで何が起こったのか分からず、戎谷君の方に顔を向けるも、彼は何事もなかったかのように歩き出していた。

「ま、待って! 戎谷君! 君には私のことが見えてるの?」

 私は戎谷君の背中に声を掛ける。彼は教室の扉に手を掛けて立ち止まり、しっかりと私の目を見て、小さくうなづいた。そのまま教室を出た戎谷君は下駄箱とは違う方向に歩き始める。廊下の突き当たりまで行き、階段を降りて三階へ行き、そのまま外の非常階段に続く扉を当たり前のように開けた。

 私は戎谷君の後ろを付いていきながら、「ねえ、ほんとに私のこと見えてるの?」「私、どうなっちゃったの?」「ねえ、何か反応してよ!」などと、なかからむように話しかけ続けた。しかし、戎谷君は顔色一つ変えないどころかまゆ一つ動かさない。元々、表情だとかそういう変化にとぼしい人だと思っていたけど、全く反応されないというのは普段ならまだしも今のこの状況ではとても耐えられない。

 戎谷君は扉から外に出て、私が通り過ぎるまで扉を開けて待っていてくれた。それは私のことが見えている証拠なのだろうが、何故か腑に落ちない。

 そのまま階段を降り、二階と三階の中間の踊り場で階段に戎谷君は腰を下ろした。私は戎谷君の正面にさっと回りこみ、顔を近づける。腰を下ろし一息ついて顔を上げた戎谷君の顔が、息遣いも感じられるほどの距離にある。私は自分で近づけてしまった手前動くのが躊躇とまどわれ、戎谷君のリアクション待ちというなんとも情けない状況におちいった。

 その当の戎谷君は――驚いた表情を浮かべた後、しばらく固まり顔を赤らめたと思ったら、ゆっくりと一段階段を上がり距離を確保した。その仕草と表情がなんだかおかしくて、私は噴き出してしまう。突然笑い出した私に戎谷君は困惑した表情を浮かべている。

 私は大きく息を吐いて、気持ちを落ち着かせた。

「ねえ、戎谷君。確認なんだけれども、君には私のことが見えているんだよね? 声、聞こえているんだよね?」

「見えてるし、ちゃんと声も聞こえているよ」

 そう肯定する戎谷君の顔は、先ほどとは全く異なっていた。表情は固くなっていて目には薄っすら恐怖の色が浮かんでいる。唇も声もわずかに震えているようで――。

 それは死んだはずの人間が目の前にいたらそういう反応を示してしまうのは仕方がない。でも、私からすれば今日初めてまともにコミュニケーションを取れた相手なので話をしたいし、話を聞きたい。まして、目の前にいる戎谷君は学年一、今は学校で一番優秀な生徒と言っても過言ではないのだ。それはテスト結果の上位が張り出されるこの学校では周知の事実で戎谷君はちょっとした有名人でもあった。

 しかし、戎谷君は異質というか独特な生徒で、学内で一番優秀な生徒というポジションを誇るでもなく淡々と学校生活を送っていた。誰とも視線を合わせることなく、笑ったり怒ったりすることもなかった。私は校内で教師以外の誰かと話しているというのも見かけたことがなかった。そもそも今日、声を掛けられるまで声を聞いたことがあったのか思い出せないレベルで――。

 戎谷君の感情の動きを見たのも今さっきが初めてだし、視線があったのも話しかけられたのも初めてで何から何まで今日はおかしなことばかりだ。

 そして、さっきからずっと黙り込んでいて――。

「ねえ、戎谷君。付いて来いって言ったのは君なんだけど、どうして非常階段?」

「それはここは基本、人が来ないからだよ」

 たしかに、非常階段を利用する生徒はほとんどいない。それに非常階段の脇は校舎裏の教職員用の駐車場に通じる細い道しかない。しかも駐車場にはここを通らずに行けるので人が通ることもない。

「でも、全く人が来ないってわけではないでしょ?」

「それはそうだね。僕は晴れた日は毎日ここでお昼と放課後を過ごしているけど、非常階段で人とすれ違うことはごくまれだよ。だいたいひと月によく会って二人というとこかな。放課後は非常階段の一番下の所で吹奏楽部すいそうがくぶの一年生の子が練習しているくらいだけど、彼は非常階段を使わずに校舎の中の階段で二階の音楽室と行き来してるみたいだからね」

「もしかして、戎谷君は友達いないの?」

 私は思わず口を付いて出た言葉に後悔する。それは触れてはいけないことのように思えた。しかし、戎谷君は顔色を変えず、首を縦にも横にも振ることはなかった。

 なんとなく気まずい空気が流れる。何か話したいが、私から話しかけるというのは気が引けた。

「で、安居さん……安居さんは本当に死んでいるんだよね? 生きているわけではないんだよね?」

 ゆっくりとはっきりと戎谷君は口にする。

「私にもよく分からないけど、そうみたい。幽霊ってやつなのかな?」

「幽霊……ね。こういうとき、何か思い残したことや心残りがあって幽霊になったとかなのかな?」

「思い残したことや心残り、ねえ……」

 私には、ぱっと思い当たるものがなかった。

「例えば、安居さんを殺した相手に復讐ふくしゅうしたい……だとかさ」

「私は復讐だとかは考えないと思うよ。自分のことを善人だとかは全く思わないけど、誰かを傷つけたいとかなんて思わないし、そういうのは苦手だからね」

 私は戎谷君にできる限りの笑顔を向ける。私はちょっと強がっていた。戎谷君の言葉に自分が死んだらという仮定で答えただけで、まだ自分が死んだということを受け入れられてなかった。


 どうして私は死んだのだろう?

 どうして死ななければならなかったのだろうか?


 その疑問が頭の中をうず巻いていた。自分の死の真相というものを知れば、自分の死を受け入れることができるのだろうか――しかし、それ以外には方法もない気がした。

「ねえ、戎谷君。お願いがあるの。私のことが見えて、私と話せる君じゃなければ――ううん、君にしかできなことなんだけど――」

 私は戎谷君の顔を真っ直ぐに見つめる。


「私がどうして死んだのか、その真相を調べてくれないかな?」


 戎谷君は私の顔を見ながら驚いたような表情を浮かべた。そして、口に手を当てて考え込む。私は断られても仕方がないと覚悟を決める。こんなことを頼まれてもどうしようもないし、人の死ということに関わることは普通なら意識的にも無意識的にも避けたいものだ。

「わかった」

「やっぱり無理だよね……えっ?」

「だから、いいよ。安居さんがどうして死んだのか僕が調べて明らかにしてあげるよ」

「あ……ありがとう。戎谷君」

「うん。じゃあさ、これから一緒に調べるに当たって、僕からも一つお願いがあるんだ」

「な、何? 今の幽霊の私でもできることにしてね」

「僕のことは、“戎谷君”じゃなく名前の方で呼んでくれないかな?」

 私は身構えていた分、拍子抜けしてしまう。そして、肩を揺らして小さく笑う。

「笑うことないだろう? 僕は苗字で呼ばれるのが嫌いなんだ」

「ごめんね。そういうことなら、わかったよ。それじゃあ、よろしくね、”有悟君”」


 こうして、私と有悟君の不思議な数日間が幕を開けた――――。

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