第3話 孤独な時間

 広谷先生は一通り話を終えると、

「そういうわけで、今日は一日通して授業は急遽きゅうきょなしになった。一時間目はそのまま教室で待機していてくれ」

 と、言い話をくくる。それと同時に、朝のホームルームに充てられた十五分が過ぎたことを伝えるチャイムが学校に鳴り響く。

 広谷先生と仲島先生は各々扉から出て行き、教室はそれを合図に大きなざわめきを生む。


「ねえ、安居さんが死んだって本当なのかな? 自殺? それとも何かの事件? こわーい」

「なあ、お前は知ってた? 俺、全然そんなことあったなんて知らなかったんだけど」

「授業なくなるって、小テストもなし!? 俺、諦めてたから、ラッキーなんだけど。でも、なんか素直に喜べねーわ」


 そこかしこで始まる会話を私はただぼんやり聞きながら教室を眺める。私があちら側なら同じように誰かとこのことについて、無責任に適当に話していたのだろう。しかし、今はその当事者なのだ。

 五分の休憩時間はあっという間に過ぎ、チャイムが鳴り響く。それに合わせて、各々席に戻っていく。

 チャイムが鳴り終わるとすぐに扉を開けて、広谷先生が入ってくる。続いて仲島先生がプリントの山を抱えて入ってきて、教壇の上に置いた。

 広谷先生は「仲島君、ご苦労様」と軽くねぎらった後、教室をさっと見回す。仲島先生は教室から出て行き、入れ替わるように若い女性の生物教師の大川おおかわ先生が入ってくる。

「よし、全員席についてるな。これから突然のことだが持ち物検査と身体検査をする」

 教室からは抗議こうぎの意を示す声が上がるが、

「お前らな、これは風紀指導じゃない。仮に学校に持ってきちゃあならんものを持ってきてたとしても今日だけは見逃してやる」

 と、言う。それだけで、私の事件に関しての何らかのことなんだとクラスの全員が察し、空気が重たくなる。

「そういうわけで、机の中身を全部出して、鞄も机の上に置きなさい。男子は俺が、女子は大川先生が見て回るからな」

 そう告げると、端の列から順に検査をしていく。最初に検査を受けた男子の鞄からはさっそく本来は持ってきてはいけない携帯ゲーム機が見つかり、「移動時間、暇なんすよ」と、言い訳にもなってない言い訳をする男子に広谷先生は口頭で注意するだけでそれ以上は何もなかった。そして、身体検査としてポケットの中身、制服の状態、アクセサリー類をしているかがチェックされる。そして、広谷先生と大川先生は結果を手元の名簿にメモしていく。

 全員分の検査が終わり、「よし、みんな。協力ありがとう。それにしても、お前らな、いらんもん持って来すぎだろ。まあ、ある程度は大目に見るけど節度と時と場合には配慮してくれよ」と、総括するように伝える。その言葉にクラスには小さな笑いの波が起こる。しかし、ゆるい空気はすぐに引き締められることになる。

「じゃあ、今度はアンケートに協力してくれ。記名制のアンケートだ。ふざけた回答したらそれだけ自分にマイナスになるとだけは先に言っておくぞ。それと、最後までよく読んでおくように。じゃあ、配るぞ。時間は十五分で区切るからな」

 広谷先生は教壇に置かれたプリントの山からアンケート用のプリントの山を手に取り配っていく。配られた先から各々アンケートに回答し始める。私は近くに座っていたクラスメイトの女子の後ろからアンケートを覗き込んだ。




事件に関する緊急アンケート

学年:  クラス:  名前:


(1)この学校内にて、いじめや暴力行為(言葉による暴力を含む)を行うものがいたか?  または見たことがあるか?

   ・はい ・いいえ


(2)(1)で、 はい と回答した者は言える範囲でそれを説明せよ。



(3)2年C組の安居朱香という学生と面識があったか?

   ・はい ・いいえ


(4)(3)で、 はい と回答した者は、安居朱香とどのような関係だったか、また安居朱香がどのような人間だったかを述べよ。



(5)10月11日(水)の下校時間と放課後、何をしていたかを詳細に述べよ。



※今回の安居朱香に関する事件、アンケート内容、アンケートの回答内容を他者、とりわけ学校外部のものに話すことを禁ず。




 私はそのアンケートを見て、この学校に何人私のことを知っているだろうかと考えた。同じ学年ならクラスが一緒だった生徒や選択科目や複数クラス合同で行われる体育で一緒だった生徒くらいだろう。それ以外になると一年生から所属している美化委員の関係者くらいだろうか――。そう思うと自分という存在がとても小さな存在に感じた。

 私はまた教室の隅に移動して、膝を抱えて時間の流れに身をゆだねる。どうせ私にはもう何もできることはないし、誰かに何かを伝えることもできない。伝えることができても私がどうやって死んだのかすら分からないので事件の真相を語ることもできない。

 私の心は、孤独のふちで絶望という感情に侵食しんしょくされ始めていた。


「はい、そこまで。全員書き終わったか?」

 広谷先生はクラスの生徒の動きを確認するように見渡す。

「じゃあ、裏返しにして、後ろのやつ回収よろしく」

 指示に従い、列の一番後ろに座っていた生徒が立ち上がり順にアンケートを集めて広谷先生に渡し、自分の席に戻っていく。

「それじゃあ、これからのことを決まってる範囲で説明するぞ。今日はこれで全校生徒は帰宅してもらう。部活もなしだ。あと、今週中――といっても明日しかないんだが、午前授業ということになった。お前ら、早く帰れるからと言って遊ぶなよ」

 広谷先生のわざとらしい言い回しに教室の空気は少し和む。

「まあ、遊んでられるようなやつはそうはいないだろうけどな」

「先生。なんか発言が不穏ふおんなんですけど……」

 生徒の横槍に広谷先生は満面の作り笑顔を見せる。

「まあ、勉強熱心で学業優秀な君たちだ。授業がなくて物足らない部分は課題がでてるから、喜びたまえよ。ああ、ちなみに成績にも響くからちゃんとやれよ」

 クラスに悲鳴に近い声が響く。それは私が死んだことを告げられた時よりも声量が大きかった。やはり進学校だけあって、勉強や成績の方が優先順位は高いのかもしれない。

 広谷先生はざっと十枚以上が束ねられているプリントを配っていく。受け取って中身を確認した生徒からその課題の多さにため息が漏れ、教室中に私の話のときとは違う種類の重い空気が立ち込める。私は近くの席のクラスメイトの席をまたしても覗き込む。課題の量が見るからに多い。これだと学校が早く終わるからと言って遊ぶという選択肢をとることは難しい。私なら予備校か家に缶詰状態になり、課題を延々消化し続けることになっていただろう。

「課題は来週の月曜日の朝に集めるからな。じゃあ、解散」

 広谷先生のその言葉に生徒は「ええー」という声が上がる。

 そして、クラスメイトはパラパラと帰りだした。その中で沙苗ともう一人、比較的仲のよかった松田まつだ美菜みなの二人は広谷先生に声を掛けられていて、そのまま広谷先生は二人を連れて教室から出て行った。

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