よくあうあの男は

 上司に手招きされて着いて行くと、新しい同僚だという男を紹介された。

 またか。もううんざりだ、と誰かに文句の一つでも言いたい気分だが、生憎とこの場にそんなことを言える相手はいない。

 苦々しい気持ちを表に出さないように注意しながら、目の前の相手に視線を向ける。今日の『彼』の服装はダークグレーのスーツに、ストライプのシャツ。ネクタイは紺。多分、以前どこかで一回は見たことのある組み合わせだ。

 上司の目を盗んでひと睨みすると、相手もため息をつく真似をして睨み返してきた。無論、上司の目を盗んで。辟易しているのは向こうも同じであるようだ。

 それもそのはず。

 何しろ、鉢合わせは今日で通算十二回目なのだから。

 大口の仕事が入ったときは大抵、『彼』と仕事先で会うことになる。互いの本名も、正式な所属も知らないが、その顔だけは嫌というほど覚えた。

 限られた接触の中でお互いに、はっきりと決めたわけではないが、仕事で会う度に口にする合言葉がある。

「初めまして。イサキと申します」

「初めまして、よろしくお願いします。なんとお呼びすればよろしいですか」

 勿論初めましてではない。十二度目ましてだが、これは儀礼的かつ合理的なやりとりだ。

「私はキタノです。よろしくお願いいたします」

 お互いの呼び名を確認する儀式。何しろ、間違って以前の名前で呼ぶわけにはいかない。関係を疑われるような要素は極力排除し、一刻も早く信用を得るためにも。

 相手が口を滑らせないことを祈るが、そういうくだらないミスはしない男だ。そこは信用できる。

 お互いに胡散臭い笑みを浮かべながら交わした握手は、挨拶にしては痛かった。


「で、またあなたがいるんですね」

 男は不機嫌そうな顔で煙草に火をつける。こちらに差し出されたライターを受け取り、自分も火を貰った。

「それはこっちの台詞だわ。私が先に目をつけてたんだけど」

「目をつけたのは俺の方が先だと思いますけど。残念ながら行動は一歩出遅れましたがね」

 私と彼は、目的も思考のレベルも似ている。自覚はしていた。ときには手を組み、ときには出し抜き、共に死線を潜ってきた。彼のすることは、もう手に取るように分かる。

「まあ、せいぜい危なくない程度に頑張ってくださいよ。流石に目の前で死なれるのは寝覚めが悪いんでね」

「それもこっちの台詞よ。せいぜいドジ踏まないようにね」

 それを聞いた男は笑い声を押し殺す。

「誰に言ってるんですか、それ」

「……それもそうね」

 自分との類似点は嫌悪の対象であり、信頼できる所以でもある。腹で何を考えているかは分からないが、大抵は私と同じだろう。

 実は、こういった率直な言葉のやり取りを楽しんでいるとは、口が裂けても言えないけれど。

 二名の諜報員は煙草を消し、互いの健闘を祈りつつ任務を開始した。

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