インスタント・パートナー 後編
同室者が異性だったのは助かった。風呂、お手洗い、着替えなどで別行動を余儀なくされる瞬間が多い。葵が犯人さがしに夢中になっている間に、私は社の奥に潜入し、パソコンから必要なデータをコピーし終えた。
一方、犯人の目星をつけた葵は、神子さまや側役も含めた全員を集め、得意げに犯人を指さす。
犯人は一人の男だった。家族が神葉会に入れ込んで多額の寄付をし、家計が火の車らしい。
「すごいね、葵くん。本当に犯人を見つけちゃうなんて」
「これで外に出られますね」
そう言いながら、葵はふいっと目をそらした。照れているのかと思ったが、それにしては何かおかしい。
帰宅のために荷物をまとめているときだった。
「雛菊さん、これお返しします」
葵が差し出したのは、メモリーカードだった。教会のPCから盗んだデータが入っている。血の気が引いた。肌身離さず持っていたはずなのに、どうして葵が持っているのか。焦りを表には出さないように、平然を装って首をかしげる。
「落し物? 誰のかしら。あとで届けましょう」
さりげなく取り返そうとしたが、避けられる。
「雛菊さんのですね。貴女の荷物に入っていましたから」
どこで紛れ込んだのかしら、そう誤魔化すには苦しい。
「私の荷物を漁ったの? どうして」
「犯人の目的を考えていたとき、変に思ったんです。雛菊さんの意見は納得できたんですけど、『カルト』発言は神葉会に心酔している人の視点には思えなくて。本当に神葉会を信じている人なのか疑問に思いました」
「それだけ?」
「それに初めて話したとき、言いましたよね。『物語みたいにベタな設定ね』って。確かに、自分でもそう思いますけど、『設定』っていう言葉に違和感があったんです」
なるほど、失言だった。気を緩めすぎていたことを反省する。
「もしかして雛菊さんは、自分が設定された人格を演じているから、無意識にそういう発言をしたんじゃないかって」
違っていたらすみません。葵はそう付け足したが、その瞳には確信の色があった。もう誤魔化しは通用しないと悟る。
一歩近付く。身構えた葵を抱き寄せて頬にキスを贈った。不意打ちに固まった隙にメモリーカードを抜き取る。
「ごめんね葵くん。私、ここへは仕事をしに来たの。あなたは優秀な相棒だったわ。急ごしらえの割には、ね」
トラブルはあったが機密データは手に入れた。先の動画騒ぎと合わせれば、神葉会に致命的な打撃を与えるには十分だろう。敷地の外に出てデータの受け渡しを行えば、私の仕事は無事完了だ。
この場を逃れる算段を立てていると、葵に手首を捉えられた。
「行くんですか」
「必要なものは手に入ったからね」
開き直った答えを聞き、葵も引き止められないことは分かったのだろう。唇を震わせて問い方を変えた。
「また、会えますか……?」
可哀想。目の前の葵を見て純粋にそう思う。どうしようもなく女運が悪い。失恋青年から心の拠り所を奪い、新たな傷をつけるのは忍びなかったが、もう頃合だ。仕事は終わった。
そっと手を振りほどき、突き放す。
「さよなら。今度は悪い女に騙されちゃダメよ?」
尚も追いすがろうとする葵の鼻先で障子をぴしゃりと閉めた。それ以上追ってくることはなかった。
代わりに障子の向こうから、押し殺した震え声が耳に届いた。
あれから神葉会は、贈賄、不正な取引、暴力団とのつながりなどが明るみに出て壊滅を余儀なくされた。
仕事が終われば、次の仕事がやってくる。
今度の依頼は、数ヶ月前から行方不明の女性を捜し出すこと。とある企業の社長が愛人として無理やり囲っているとの情報を得て、私がその企業に潜入する運びとなった。今回の役どころは『中途半端な時期にコネ入社した新入社員』だ。
どうやら社長は、何人も若い女を囲っているらしく、気に入った女は強引な手を使ってそばに置くという話だ。そこで、手っ取り早く気に入られて愛人専用のマンションなり何なりを突き止めるプランである。
神葉会に潜入したときは、不幸オーラが漂う周囲から浮かないように、清楚なお姉さん路線を意識してみた。
しかし、今回の場合、社長の目に留まらねば話にならない。ターゲットは派手目の若い女の子が好みだと聞いたため、化粧はガッツリ、アピールは露骨に。スーツもちょっとやり過ぎなぐらいのミニスカートで、部長や専務からは眉をひそめられたが、社長の視線は太腿に釘付けだったので問題はない。よし、頑張ろう。
しかし、気合を入れて化粧室を出たところで出鼻をくじかれた。背広姿の男と正面衝突してよろめく。
「おっと……すみません。大丈夫ですか」
「あ、こちらこそ不注意でぇ……」
ぶつかったはずみで落としたハンカチに手を伸ばすと、相手のほうが早くそれを拾い上げた。丁寧に埃をはらって手渡される。
「ありがとうございまぁーす」
礼を言って軽く頭を下げた。
こちらは『入社したての世間知らず』だ。慣れすぎていても不自然だから、会釈は少し雑に。口調も多少バカっぽく。設定を反芻しながら細かな仕草を修正する。
私が顔を上げるその前に、ふと一歩相手がこちらに近付いたのが分かった。とっさのことで身構えかけたが、不用意に警戒を見せてはいけないとセーブをかける。そのせいで反応が少し遅れた。すぐそばまで顔を寄せた男は、耳に直接吹き込むように囁く。
「よくお似合いですよ、『雛菊さん』」
半年前に使っていた、今はもう存在しない者の名を呼ばれ、背筋を冷たいものが走る。これは、誰だ。
潰れた宗教団体の関係者がどうしてこんなところに?
いや、それも妙だがもっとまずいことがある。別名で別組織に潜り込んでいた人間なんて、どんなバカでも信用しない。このまま会社の上層部にタレコミでもされたら、この任務は失敗だ。
こちらが硬直している間に相手が一歩下がった。気配が少し離れたところで、勢いよく顔を上げる。
こちらの警戒を意に介さず、男は余裕綽々。メガネのフレームを直しながら、人の良さそうな笑みを浮かべていた。身に纏う雰囲気は違うが、この顔は知っている。
「あおい、くん……?」
「失礼いたしました。わたくし当社顧問弁護士の『高崎』と申します。以後お見知りおきを」
差し出された名刺を反射的に受け取ると、男は満足げに微笑んだ。周囲に人影がないのを確認してから、それでも用心した小声で言葉を続ける。
「その反応を見るに、やっぱり気付いていなかったんですね。前回の『仕事』ではお世話になりました。余計な騒ぎのせいで警戒が高くなっていたので、貴女がうまく動いてくれて助かりましたよ」
さっぱり頭がついていかない。
葵は現地で情報を得るために調達した、即席の協力者だった。それがなぜ、今更現れて別の名を騙る?
「神葉会をマークしていた人間は、あなたの依頼主だけではなかったということですよ。僕が皆の気を引いていたから、データを盗むのが簡単だったでしょう? その分、無断でデータをコピーさせていただきましたが」
「コピー? いつの間に」
愚問だ。風呂なりお手洗いなり、別行動の隙はいくらでもあった。その時間を有効活用していたのは、私だけではなかったということだ。
「今回の仕事も、目的は貴女と似たようなものなので、お互い邪魔するのはナシにしましょう。もし手を組む気があるなら、その番号に連絡をください」
私が探りを入れる前に、男は一方的に話を切り上げた。私が持っている名刺を指さすと、こちらの返答を待たずに踵を返す。その背中を私は呆然と見送った。
混乱しきった頭の中を整理するのに、しばらくかかった。そして、ようやく理解した。
先程対峙した彼は、『葵くん』とは全くの別人としか思えなかった。自信なさげに泳いでいた瞳はまっすぐこちらを見据え、声のトーンを少し変えて口調も若さを抑え気味に。身のこなしも落ち着いて洗練されたものに。髪型や眼鏡、服装だけの問題ではない。意識的にここまで変化できる人間が、一般人のはずがあろうか。
答えは一つ。同業者――つまり彼も、潜入工作員だ。
となると彼は、私の正体に気付いた上で、自分の目的に都合がいいからそのまま泳がせていたわけだ。非実在の大学生に対して、あれこれ気を揉む『雛菊』の姿はさぞ滑稽に映ったことだろう。別れ際に嗚咽が聞こえた気がしたが、ひょっとしてあれは笑いを堪えていたのでは? ……悪趣味。
私は息を吐いて、高崎(仮)の期間限定名刺をポーチに仕舞った。個人的には気に入らないが、手を組むかは今後の状況次第だ。信用できない相棒でも使いようはある。
そして願わくは、あの性悪な同業者が今後敵として現れないことを。
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