SECRET DOGS' DAYS

土佐岡マキ

インスタント・パートナー 前編

 まず拍手を一回、一礼。

 続いて神樹の周りを竹箒で掃き清める。このとき、塵一つでも残してはならない、木の葉の一枚でさえ見逃せば叱責を受けることになる。掃き掃除が終わったら、裏の井戸まで水を汲みに行き、柄杓を使って神樹の周囲に水を打つ。

 最後にまた拍手を一回、一礼。

 一連の動作を規則どおりに進め、ようやく朝の務めが終わる。これを第一の行と呼んでいる。

 私は使った道具を片付けてから、敷地の中央部に建つ社に向かった。神樹は教会の塀に沿って何十本と植えられている。それぞれで行を終えた人々が、私と同じように次々と集まってきた。

 手水舎に並び、手を洗い清めてから社に入り、建物の奥にある一番広い部屋に向かう。先に着いた者から畳の上に文机と座布団を並べる。今日は、私が着いたときには準備が終わっていて、前から三分の二以上の席が既に埋まっていた。姿勢を正して座り、ただ静かに刻限を待つ。余計なおしゃべりをしてはならない。

 やがて、正面の障子が音もなく開け放たれた。その両脇には、それぞれ白装束の女性が座っていた。側役と呼ばれる二人だ。

 障子の向こうは庭になっており、幹の太い樹が一本坐している。大神樹と呼ばれている。大神樹の根元近くには板張りの舞台があり、四隅で松明が燃やされていた。

 部屋の中に甘い薫りが漂い始めた。香が焚かれたら、第二の行がもうすぐ始まる。

 シャン、と鈴の音が静寂を破った。

「神子さまが参られます」

 側役が落ち着いた声で告げ、それを合図に皆が頭を下げる。舞台のほうから微かに衣擦れが聞こえる。もう一度鈴の音が鳴って、ようやく顔を上げると、舞台に神子さまが座っていた。

 神子さまは白装束を纏い、右の手に神樹のひと枝を捧げ持っている。顔は白布で隠されて見ることができないが、体格からして男性だと思われた。枝の先には鈴が結ばれており、風が吹くとちりちりと音が鳴った。

 行は側役の女性が司会となって進む。皆で教義を唱和し、参加者のうち何人かが近況を語る。最後に神子さまからお言葉をいただく。神子さまは声を出すことはない。お言葉は紙に書いて側役に手渡され、それが読み上げられる。お言葉は毎回言い回しこそ違うが、核となる部分は教義に沿っているため、同じ話を何回も聞いているような気がする。

 神子さまが立ち去ったあと、第三の行として、自分の普段の行いを紙に書き出して省みる。神樹の葉と一緒に焚き上げることで罪が浄化されるらしい。稀に教会の仕事を割り振られることもある。大抵は、神樹の葉を紙に包む配布準備の仕事だ。

 昼過ぎには全ての行が終わるので、一回三千円の浄め料をお納めして教会を後にする。

 ここまでが、私がここ二ヶ月ほどで覚えた、『神葉会』での過ごし方である。流れ自体は覚えても、慣れないものは慣れない。

 神葉会に来るようになってから、毎回の行には欠かさず参加している。……教義には全く興味がない。熱心な信者だというわけではなく、単に仕事だからだ。


 本名・その他は伏せさせて頂くが、私は潜入工作員。世間で言うところの、スパイというやつだ。

 新興宗教・神葉会の内部調査。これが現在私に課せられた任務である。どうやら神葉会を邪魔に思う人間からの依頼らしい。急速に信者を増やして資金を集めている宗教団体が煩わしいのだろう。弱みを探って潰してやりたいとのことだ。詳しいことは上が伏せているので知らないが。

 さて、肝心の仕事の進み具合だが、芳しくはない。本当ならば内部情報にアクセスできるような立場に上り詰めるのが理想だった。まずは熱心な信者を装い、地道に信用を得ていくつもりだったのだ。しかし、神葉会の組織体系はシンプルで、くい込む隙がなかった。頂点に神子さまが据えられ、その下に側役が二人。あとの信者は全員横並びだ。入信時期によって多少影響力の差はあれど、組織経営の一端を任されることはない。

(これからどうしよう……こんな馬鹿らしいこと、長々と続けたくはないんだよね)

 日中の行だけで得られる情報は全て得たと言っても言い過ぎではないだろう。だとすると今度は、信者が入れない時間帯に社へ忍び込むしかない。

(準備をして、決行するなら明日かな)

 私はありもしない出来事の反省を紙に書き連ねながら、潜入の段取りを組み立て始めた。朝行の後、社に向かうふりをして身を潜め夜を待つ。有用なデータを入手して隠れ、翌日の参加者に紛れて社を出る。よし、これでいこう。

 私が第三の行を終え、紙を提出して帰ろうとした矢先だった。

「雛菊さん、貴女はお残りください」

 側役の一人が声をかけてきた。一応言っておくと『雛菊』は本名ではない。

 何の用事かは分からないが、側役の表情は硬かった。あまり良い知らせではなさそうだ。すんなり帰宅することはできないかもしれない。

 しかし、ここで逆らって変にマークされるのは愚策だ。私は内心でため息をつき、大人しく頷いた。

(ばれるようなことは、してないと思うんだけどな……)


 残されたのは私だけではなかったらしい。信者たちが帰ったあと、まだ六人が部屋に留められていた。側役たちは、準備があるといって出て行ったきりだ。

 しばらくして側役たちは、ノートパソコンを手に戻ってきた。

「こちらをご覧下さい」

 大した説明もないまま、画面の中のアイコンがクリックされる。ファイルの中身は動画だった。

 大神樹、神子さま、側役、信者たち……先程体験していた光景がそのまま録画されている。プロモーションビデオ? それにしては画質か荒いし、アングルも妙だ。下から覗き込むように撮影されており、時々人物の頭が見切れていたり、発言者が写っていなかったりした。

「これは、先程の行の様子です」

 側役は険しい顔で口を開いた。

「何者かによって撮影され、リアルタイムで外部に中継されていたようです。また、神葉会を貶めるような題名とコメントをつけられた上で、複数の動画サイトにアップロードされていました」

 もう一人が重々しく言う。

「映像の様子から、部屋の後方部から撮影されたと思われます。ちょうど、あなた方が座っていたぐらいの位置です。申し訳ございませんが、我々はあなた方の中に、卑劣な者が紛れ込んでいると考えています」

 信者たちは顔を見合わせる。いったい誰が。探るような目で他を見回す。

「神子さまは酷く心を痛めておいでです。一刻も早く憂いを除くために、あなた方の潔白が示されるまで、もしくは罪人が見つかるまで、ここに留まっていただきます」

 側役の発言から察するに、提案ではなく決定事項のようだった。しばらくここで動向を見張られることになるらしい。

 皆が困惑を隠せずにいる。しかし、面と向かって異を唱える者はいなかった。そんなことをすれば、かえって疑われそうだからだ。

「自らの汚れを認め、今後身を尽くしておつとめなされるならば、神はお許しくださるでしょう」

 そう締めくくられ、六名の間に沈黙が落ちた。


 全く、余計なことをしてくれた。どこの誰だ。

「罪を認めず他を欺き続けるならば、魂の浄化はならず、業は深まり、生きながらにして死以上の苦しみを味わうことになるでしょう。よくお考えなさい」

 待機場所として、小部屋を三つあてがわれ、各部屋に二人ずつ割り振られた。部屋から出ることは特に禁じられていないが、必ず二人一組で行動するようにと言われている。互いを見張り合っている状況だ。

 そろそろ一時間が経つ。神子さまや側役の動きは全くない。本当に犯人が名乗り出るまで待つのだろうか。気の長い話だ。

 社には通信機器の持ち込みは禁止されているため、暇つぶしにスマートフォンをいじるようなこともできない。私は一応何かあったとき用に隠し持っているが、同室者の目がある限り、使うのは諦めたほうがいいだろう。

 同室の青年は、横目でちらちらとこちらを窺っていた。話しかけてはこないが、こちらを気にしているのは丸分かりだ。こうも見られていると居心地が悪い。

 これといった特徴はない普通の青年だった。明るくはない茶髪に、どこにでも売っていそうなシャツとジーンズ姿。信者の中では若い部類で、もしかしたら学生かもしれない。

 私が青年のほうを向いて微笑むと、彼は頬を赤らめた。

「時間がかかりそうですし、お話しませんか?」

「え? あ、僕ですかっ?」

 話しかけられるとは思っていなかったのだろう。青年は上擦った声で答える。

「私は雛菊といいます。あなたのお名前は?」

「は、はいっ、葵です」

 『雛菊』と同様に、『葵』も入信するときに与えられた名だろう。ここでは全員が仮の名で呼び合っている。

 初めはつかえながらの自己紹介だったが、少ししたら慣れてきたらしく、饒舌になった。

「雛菊さんはどうして神葉会に?」

 私は目を伏せて口を開く。

「婚約者に浮気されて振られたの。私の何がいけなかったのかしらって悩んでいたときに、ここの事を知って。自分のことを見直すきっかけが欲しかったのよ」

「それは大変でしたね」

 残念、作り話だ。

「僕も高校のときに付き合ってた彼女に振られて」

「あら」

「そのとき励ましてくれた女の子といい感じになって、付き合うことになったんですけど、実はその子には彼氏がいて……」

「二股かけられていたのね」

「大学に入ってから告白してきた先輩と付き合ったら、金ヅルだと思われていたらしく……」

 これらは序の口。葵の女難の歴史は、聞いているほうが悲しくなるほどだった。身の汚れを断ち切るべく、今は神葉会に熱心に通っているらしい。

「なんというか、物語みたいにベタな設定の不幸体質ね」

「そうですかね? そうですね……」

「でも、裏切られてもそれを誰かにやり返したりはしなかったのは、誠実でいいと思うわ」

 それを聞いた葵の表情が、パアッと明るくなった。故意かと思うほど分かりやすい。頬に赤みがさして、目がキラキラと輝いた。葵のこういう惚れっぽさがトラブルに繋がっているような気がする。

「それにしても、この調子でずっとここにいることになると困るわね。葵くんも大学の授業があるでしょう?」

「最近はバイトばかりであまり行ってないので、大丈夫です。雛菊さんこそお仕事ありますよね」

「そうなのよ。困ったわ」

 いろいろな意味で、という含みは勿論表には出さない。

「あの、雛菊さん。提案なんですけど、犯人見つけませんか? 二人で」

 その提案は唐突だったが、浅慮な学生がいかにも言い出しそうなことだった。動機は、正義感が半分、知り合ったお姉さんにいいところを見せたいが半分、というところか。否定はせずに、やんわりと嗜める。

「勝手なことをしては疑われるわ」

「でも、早く出たいんでしょう? それに、犯人を許せないんです。何もかも信じられなくて嫌になったときに、僕は神葉会に来て救われたから……」

「……そうね」

 途中で考えを変え、私は頷いた。だが、思惑は違っていた。

 今回の騒ぎは私にとってはチャンスだった。堂々と社の中に滞在できる。神子さまと側役二人程度なら、上手く目をそらして調査できる自信があった。

 しかし、それをするには葵の存在は邪魔なのだ。隠れる場所もない二人部屋では単独行動などできないし、情報収集も困難である。

 その点、葵の提案に乗れば、犯人探しという名目で歩き回れる。協力者という立場になれば、葵の見張りも緩くなるはずだ。

「それにしても、犯人はどうしてこんなことするんですかね? 目的はなんだと思います?」

「そうね……神葉会に恨みがあって潰したがっているのか、単に注目を集めたいのか。カルトに対する世間の目は厳しいから話題にはなるでしょうね」

「なるほど……それなら、まずは他の人たちに話を聞いてみましょうか。動機が見えてくるかもしれませんし」

 妥当なところだろう。あとは適当に助手役に徹していればいい。犯人が見つかっても見つからずとも、別に構わなかった。犯人さがしは私の仕事ではないのだから。

 こうして私は、都合のいい相棒を手に入れた。


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